No.a1f1303

作成 1996.12

 

イスラエル社会の最下層を構成する

エチオピア系ユダヤ人

 

●1996年1月末、エチオピア系ユダヤ人はエイズ・ウイルス感染の危険性が高いとして、「イスラエル血液銀行」が同ユダヤ人の献血した血液だけを秘密裏に全面破棄していたことが発覚した。

さらにイスラエル保健相が、「彼らのエイズ感染率は平均の50倍」と破棄措置を正当化した。


●これに対して、エチオピア系ユダヤ人たちは、「エイズ感染の危険性は他の献血にも存在する。我々のみ全面破棄とは人種差別ではないか!」と猛反発。

怒り狂ったエチオピア系ユダヤ人数千人は、定期閣議が行われていた首相府にデモをかけ、警官隊と激しく衝突した。

イスラエル国内は騒然とした。あるユダヤ人たちは言った。

「この騒ぎは、かつてのアラブ人たちによるインティファーダ(蜂起)に匹敵するほどのものであった」と。

 


1996年1月29日『朝日新聞』

 

●このニュースが流れたとき、エチオピア系ユダヤ人とは一体何者か? なぜエチオピア系のユダヤ人が存在するのか? 日本人のほとんどは理解に苦しんだようだ。

イスラエル社会は複雑である。アシュケナジー系もいれば、スファラディ系もいる。そして、エチオピア系もいる。この事件はイスラエル政府やユダヤ機関が隠していたことが表に噴き出したのである。


●『読売新聞』は「ユダヤ内部差別露呈」として、このことを詳しく掲載した。

「今回の事件は、歴史的、世界的に差別を受けてきたユダヤ人の国家イスラエルに内部差別が存在することを改めて浮き彫りにした。イスラエルヘの移民は1970年代に始まり、エチオピアに飢饉が起きた1984年から翌年にかけて、イスラエルが『モーセ作戦』と呼ばれる極秘空輸を実施。1991年の第二次空輸作戦と合わせ、計約6万人が移民した。

だが、他のイスラエル人は通常、エチオピア系ユダヤ人を呼ぶのに差別的な用語『ファラシャ(外国人)』を使用。エチオピア系ユダヤ人の宗教指導者ケシムは、国家主任ラビ庁から宗教的権威を認められず、子供たちは『再ユダヤ人化教育』のため宗教学校に通うことが義務づけられている。住居も粗末なトレーラーハウスに住むことが多くオフィス勤めなどホワイトカラーは少数に過ぎない。同ユダヤ人はイスラエル社会の最下層を構成している。」

「ヘブライ大学のシャルバ・ワイル教授は『とりわけ若者にとって、よい職業や住居を得ること以上に、イスラエル社会に受け入れられることが重要だ』と、怒りが爆発した動機を分析する。デモ参加者は『イスラエルは白人国家か』『アパルトヘイトをやめよ』と叫んだ。『エチオピア系ユダヤ人組織連合』のシュロモ・モラ氏は『血はシンボル。真の問題は白人・黒人の問題だ』と述べ、同系ユダヤ人の置かれている状況は『黒人差別』によるとの見方を示した。」

 


1996年1月30日『読売新聞』

 

●『毎日新聞』は次のように書いた。

「ユダヤ人は東欧系のアシュケナジム、スペイン系のスファラディム、北アフリカ・中東のユダヤ社会出身のオリエント・東方系に大別され、全世界のユダヤ人人口ではアシュケナジムが過半数を占めている。イスラエルではスファラディム、オリエント・東方系が多いが、少数派のアシュケナジムが政治の中枢を握っている。」

「エチオピア系ユダヤ人は、イスラエル軍内部でエチオピア系兵士の自殺や不審な死亡が多いと指摘するなど、イスラエル社会での差別に苦情を呈してきた。たまっていた不満に献血事件が火をつけた格好だ。」

 


イスラエル航空の旅客機で救出された
エチオピア系ユダヤ人たち(1984年)

 聖書ではソロモン王とシバの女王の関係が記されているが、
シバの女王から生まれた子孫とされるのが「エチオピア系ユダヤ人」
である。彼らは自らを「ベド・イスラエル(イスラエルの家)」と呼び、
『旧約聖書』を信奉するが、『タルムード』はない。1973年に
スファラディ系のチーフ・ラビが彼らを「ユダヤ人」と認定した。

その後、エチオピアを大飢饉が襲い、絶滅の危機に瀕した
ため、イスラエル政府は救出作戦を実施した。1984年の
「モーセ作戦」と、1991年の「ソロモン作戦」である。

イスラエルの航空会社と空軍の協力により
彼らの多くは救出され、現在イスラエル
には約6万人が移住している。


『エチオピアのユダヤ人』
アシェル・ナイム著(明石書店)

 

 


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