No.a1f1304

作成 1996.12

 

揺れる「ユダヤ人」の定義と
「同化ユダヤ人」の増加問題

 

 

●コロンビア大学の名誉教授ハーバード・パッシンは『文芸春秋』(1987年4月号)の中で次のようなことを述べていた。

「そもそもユダヤ人とは何か。ユダヤ人として生まれたことは必要条件でしかない。ユダヤ教を信奉してこそ、初めてユダヤ人だと認められる。私はユダヤ人の両親から生まれたが、自分をユダヤ人だとは思っていない。私はユダヤ教を信じない。安息日にも休まない。私はアメリカ人であるが、ユダヤ人ではない。……〈中略〉 ユダヤ人がユダヤ人であるためには、何よりも“ユダヤ教徒”でなければならないのだ。」


●イスラエル共和国を去ったユダヤ人女性ルティ・ジョスコビッツは、著書『私のなかの「ユダヤ人」』(三一書房)で素直な気持ちを述べている。

「イスラエルにいたとき、ターバンを巻いたインド人が畑を耕作しているのを見た。どこから見てもインド人で、インドの言葉、インドの服装、インドの文化を持っていた。しかし彼らがユダヤ教徒だと聞いたとき、私のユダヤ民族の概念は吹っ飛んでしまった。

同じように黒人がいた。アルジェリア人がいた。イエメン人がいた。フランス人がいた。ポーランド人がいた。イギリス人がいた。まだ会ってはいないが中国人もいるそうである。どの人々も、人種や民族というより、単なる宗教的同一性としか言いようのない存在だった。 〈中略〉 私の母はスラブの顔をしている。父はポーランドの顔としかいいようがない。私もそうなのだ。」

「私はイスラエルで一つの風刺漫画を見た。白人のユダヤ人がイスラエルに着いたら、そこは純粋なユダヤ人の国だと説明されていたのに、黒人もアラブ人もいたのでがっかりした、というものだ。この黒人もアラブ人もユダヤ教徒だったのだ。彼は自分の同胞に有色人種がいたので、こんなはずではないと思ったのである。

 

 
(左)ユダヤ人女性ルティ・ジョスコビッツ
(右)彼女の著書『私のなかの「ユダヤ人」』。
この本は1982年に「集英社プレイボーイ・
 ドキュメント・ファイル大賞」を受賞。

 

●そもそもイスラエル共和国は「ユダヤ人のための国家」を基本理念としてスタートしたわけだが、国民を確保するために、素性の定かでない人間をも積極的に受け入れるようにしてきたため、時の経過とともに“ユダヤ国家”としての純粋性が保てなくなることは、誰の目にも明らかだった。

そこで、イスラエル建国から10年後の1958年、シオニスト左派の「マパム党」の大臣が、まず、当人またはその両親が申告すれば、その人は“ユダヤ人”と認定されるという「申告制」を導入し、事態の打開を図った。

しかし、ユダヤ人の両親から生まれたユダヤ教徒が、後に他の宗教に改宗したらどうなるのか。ユダヤ人と非ユダヤ人から生まれた子供はどうなのか。その場合、本人がユダヤ人と主張しながらユダヤ教の信仰者でなかったらどうか。両親のどちらかが非ユダヤ人でも、子供がユダヤ教徒になればユダヤ人であるのか。そんな疑問が実例によって、次から次へと出て来てしまったのである。


●例えば、ポーランドのユダヤ系住民であったオズワルド・ルフェイセンの例は典型である。彼はナチスに追われて、森の中の修道院にかくまわれ、そこでキリスト教徒に改宗し、ダニエル神父となった。彼は自分を「ユダヤ民族」に属しているキリスト教徒なのだと考えていた。

その後、パルチザンの活動を通じて、彼はユダヤ系社会で英雄となり、自分が「約束の地」と強く結び付いていると信じていたため、1958年にイスラエルに渡り、「帰還法」の適用を求めた。イスラエル市民権を獲得しようとしたのである。

イスラエルは騒然となった。“キリスト教徒のユダヤ人”など言語道断だというのである。こうして、「ユダヤ人はユダヤ教徒でなければならないのか?」という問題が裁判で争われた。そして判決は「ルフェイセンはユダヤ人ではない」というものだった!


●この裁判は、「ユダヤ人」が民族的存在であるという定義が、宗教的存在であるという定義に敗れた例である。この判決が正当なものとしての力を持つならば、イスラエルの「ユダヤ人」のほとんどがユダヤ教を信じていないという現実を、どう解釈したらよいのだろうか……?

イスラエル指導部はユダヤ教を否定したら、パレスチナに国をつくることを正当化できないということをよく知っている。『旧約聖書』の中で神がユダヤ人を選んで、カナンの地(パレスチナ)を与えたからこそ、この地に「戻った」と言えるわけである。その根本のユダヤ教を否定したらどうなるのだろう。単に昔住んでいたという理由だけで、他人の地に押しかけて、土地を奪ったことになってしまう。

しかも、歴史的にパレスチナ人のほうが古代ヘブライ人よりも古くからカナンの地に定住していたことが学術的に明らかにされている。『旧約聖書』の「ヨシュア記」には、モーセの後継者たちが、いかに古代パレスチナ人を虐殺してカナンの地を奪い取ったかが記されている。



●1969年、イスラエル最高裁の下した「ユダヤ人」定義を国会が覆すという事件が起きた。この時、「ユダヤ教によるイスラエル国家の支配」に抗議する青年たちはデモを開始し、国会の柵を乗り越えて乱入した。彼らの掲げるプラカードには、政府が宗教界にひざまずくことに抗議する絵が書かれてあった。

こうしたことがあって、イスラエル共和国の「帰還法」の中に、新しいユダヤ人の定義づけがなされた。それによると、「ユダヤ人を母とする者、およびユダヤ教に改宗した者」が“ユダヤ人”となるという。

しかし、これも問題があった。「ユダヤ人」として迫害され、ナチスの手から命からがら逃げて来た人が、イスラエルでは母親が「ユダヤ人」ではないという理由で、「ユダヤ人」とは認められず、市民権を得ることができない、という例が続出してしまったのである。

例えば、ナザレ市の市会議員の女性は、母親が「ユダヤ人」でないと密告され、身分証の返却を求められてしまった。


●現在、イスラエルの身分証明書には「ナショナリティ・国籍・宗教」の3つの欄があるのだが、最も重要なのは第1のナショナリティで、ここに「ユダヤ人」と書かれるかどうかが、イスラエル共和国で様々な権利を享受できるか、それとも差別されるかの境目となっている。

普通日本では、ナショナリティの欄には、「日本人」と書くはずであるが、イスラエルでは「イスラエル人」と書き込むべき欄は2番目になっており、1番目の欄に「ユダヤ人」と書かれるかどうかが重要になっているのである。

当然、「こんなナショナリティの欄などなくてもいい!」という議論が盛りあがった。母親が「ユダヤ人」でなくても「ユダヤ人」として迫害された人、自分が「ユダヤ人」であると証明できないけれども「ユダヤ人」として育てられた人、こうした人々にとっては「イスラエル人」という国籍だけで充分だと裁判所が判断を下したのである。しかし、その決定はすぐ国会で覆された。

また、社会主義者のユダヤ系の人が、宗教欄に「ユダヤ教」と書かれては自分の信条に反するとして、宗教欄に「なし」と書くように求めて裁判を起こしたこともあるが、この訴えも却下された。



●ところで、この「ユダヤ人定義論争」をさらに混乱させている要因として、ユダヤ教内に派閥(宗派)争いが生じていることも無視できない。

イスラエル共和国の「国家宗教党(マフダル)」は、ユダヤ伝統の純粋保持にうるさい最も強硬な政党だが、「改宗の儀式」はユダヤ教正統派のラビ(ユダヤ教指導者)によるべきで、ユダヤ教改革派やユダヤ教保守派のラビによった場合、その改宗者は「ユダヤ人」とは認められないと主張し、反発し始めたのである。

その結果、1986年、イスラエル内務省はついに、海外からイスラエル共和国に移住してくる人は、「ユダヤ教の『正統派』に改宗した」とのスタンプを押した身分証明書を所持せよとの指示を出したのである!

この政府の命令に対し、ユダヤ教改革派と保守派はすぐさま撤回するよう強く要求した。が、現在、正統派のラビの署名がないと出生証明や結婚証明をもらいにくいのが実情である。

エチオピアからユダヤ教徒としてイスラエルに連れて来られた「ファラシャ」と呼ばれる人々が、正統派に属していないという理由で、ユダヤ教正統派に「改宗」するよう求められ激怒した事件があったが、この背景にはこういった事情があったのである。

 
●このように「ユダヤ人定義論争」は、ユダヤ教内の宗派による解釈の違いも生じているため複雑化しているのだが、ユダヤ教改革派とユダヤ教保守派はアメリカ在住のユダヤ人に多いため、「ユダヤ人とは誰か?」という問いは、イスラエル国内だけでなく、外交の上でも微妙なものとなっているのである。



●ところで、「両属性ユダヤ人」という言葉を聞いたことがあるだろうか? これはアイザック・ドイッチャーが著書『非ユダヤ人的ユダヤ人』の中で指摘したものであるが、現在、ユダヤ人と非ユダヤ人の境界線上をさまよう「両属性ユダヤ人」が増えているという。

本来、改宗の儀式を行えば誰でも“ユダヤ人”になれるが、ユダヤ教に興味がなかったり無神論者なため、ユダヤ教のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)に足を踏み入れず、ユダヤ教の宗教儀式や生活習慣に一切従わないので、他のユダヤ人からは“非ユダヤ人”とみなされるにもかかわらず、自分ではユダヤのアイデンティティを強く感ずる人がいる。これが「両属性ユダヤ人」の一例であるという。


●この「両属性ユダヤ人」とは別に、「同化ユダヤ人」の増加という問題もある。

“近代シオニズムの父”テオドール・ヘルツルの提唱で、「第1回シオニスト会議」がスイスのバーゼルで開かれたのが今から100年前の1897年だったが、イスラエル共和国は100周年を記念して、今年(1996年)から来年を「シオニズムの年」と名付け、学術会議など各種イベントを行うなど、民族意識の高揚を図ることになった。

エルサレム市内の大統領官邸で開かれた「シオニズムの年」の開会式典では、ワイツマン大統領はじめイスラエル政府関係者が、今後ともさらに多くのユダヤ人をイスラエルに移民させる必要があることを力説したが、ネタニヤフ首相は、全世界に散らばるユダヤ人が現地に“同化”する傾向を見せ、ユダヤ人としてのアイデンティティーを失いつつあることへの危機感を以下のような言葉で表明した。

「ホロコーストの後で、生き残りのユダヤ人の人口は今日までに2400万人になるはずだった。ところが同化のため約1200万人を失っている。この数字はヒトラーによって失われた数字の2倍にあたる」

「シオニズムの最初の50年間は反ユダヤ主義が主要な脅威だった。しかしそれ以降、シオニズムは“同化”の問題と闘うことを余儀なくされている」


●『エルサレム・リポート』誌(9月19日号)の編集長コラムでも、この同化問題が取り上げられ、以下のようなデータが掲載されていた。


【1】 現在のアメリカでは濃淡の差はあれ、ユダヤ人としてのアイデンティティーを維持している世帯は44万しかなく、宗教を超えた、つまり非ユダヤ人とユダヤ人のカップル(世帯)はその約3倍の130万いるという。また4歳以下の子供の数(総数)を比較しても、ユダヤ人のカップルのそれより、非ユダヤ人とユダヤ人のカップルのそれの方が上回っている。

【2】 イギリスでも、シナゴーグ(ユダヤ教会堂)で結婚式を挙げるべきユダヤ人のうち、それを実際に行う人は3人に1人にすぎないという。また過去30年間で、当初40万5000人いたユダヤ人コミュニティーが30万人にまで減った、とも報告されている。

【3】 スイスでも、ユダヤ人が非ユダヤ人と結婚する割合が60%から70%にも達しているという報告がある。

【4】 ノルウェーでも地元専門家の予測では、現在700のユダヤ人コミュニティーが今後数年以内に消え去ると指摘している、など世界各地での同化現象が顕著になっている。



●また、「世界ユダヤ人会議」が1996年1月に発表した統計によると、世界のユダヤ人の総人口は1350万人で、うちアメリカに580万人、イスラエルに460万人居住しているという。そして在米ユダヤ人のうち、ユダヤ教徒の学校に通っている児童は全体の15%にすぎず、在イスラエルのユダヤ人の35%はシナゴーグ(ユダヤ教会堂)に一度も行ったことがないという。そして、特にアメリカのユダヤ人はユダヤ人同士の結婚が減り、21世紀の半ばにはユダヤ人は1万人くらいになるだろうという大胆な予測まで出ている。

このユダヤ人の「同化問題」に関し、ある新聞記者は次のように批評している。

「かつては外からの迫害があることで、ユダヤ人は世界各地でアイデンティティーを保つことができた。しかしそれがなくなりつつある今、“同化の問題”がユダヤ人としてのアイデンティティーを脅かしているのは歴史の皮肉である……」

 

 

 


▲このページのTOPへ





 HOMEに戻るINDEXに戻る

Copyright (C) THE HEXAGON. All Rights Reserved.