No.a1f1400

作成 1996.12

 

ユダヤ人テロ組織がパレスチナ人を虐殺した
「デイル・ヤシン事件」

 

 

●1948年、建国をめぐってユダヤ人とアラブ人の衝突が激しくなったとき、イスラエル側は「Dプラン」と称するパレスチナ占領の総合計画をたて、13の軍事作戦を行なった。

エルサレムの死守をかけてベン・グリオン(初代首相兼国防相)の指揮のもとに行なわれた、エルサレム街道沿いのカステルをはじめとするパレスチナ人村落の根こそぎ破壊を目的とした「ナチション作戦」はその代表例である。


●この作戦中の4月9日、メナヘム・ベギン率いる「イルグン」とイツハック・シャミル率いる「シュテルン」の両ユダヤ人テロ組織が、中立を表明していたデイル・ヤシン村を総攻撃。無抵抗の254人の男女、子供までが無差別に虐殺され、生き残った者は血だらけの服のままエルサレムで「勝利の行進」をさせられた。悪名高い「デイル・ヤシン事件」である。


●中立の村でさえこんな目に合うと知った他の村々のパレスチナ人たちは、ユダヤ移民の凶暴さにパニックに陥リ、それをイスラエル側がさらに煽りたてることによって、大量のアラブ人が家と土地を棄てて逃げだした。

こうして1948年5月14日のイスラエル建国以前に、すでに40万人のパレスチナ難民が発生していたのである。

 

 
(左)メナヘム・ベギン (右)メナヘム・ベギン率いる
ユダヤ人テロ組織「イルグン」が爆破した
「キング・デービッド・ホテル」

 

●この虐殺事件を指揮したメナヘム・ベギンは「もしデイル・ヤシンの勝利がなければ、イスラエルの国は生まれなかっただろう」と言っている。

なお、このメナヘム・ベギンだが、かつてその首に賞金がかけられたことがある。イギリスがまだパレスチナを委任統治していた頃、エルサレムで最も由緒あるホテルといえば「キング・デービッド・ホテル」だった。その「キング・デービッド・ホテル」で1946年7月、大爆発が起きた。多くのイギリス人将校を狙っての、ベギン率いる「イルグン」のテロであった。このことで、イギリス政府はベギンをお尋ね者にしたのである。

このように、ベギンは筋金入りのテロリストであったが、1977年にイスラエル首相になっている。1978年には「ノーベル平和賞」を受賞している。



※ 1948年、アインシュタイン博士は、ハンナ・アレントらユダヤ系知識人と連名で、訪米中のメナヘム・ベギンとその政党ヘルートを「ファシスト」と呼び、イスラエルのデイル・ヤシンの虐殺事件などのテロ行為を非難する書簡を『ニューヨーク・タイムズ』紙上に発表している。

 

 
(左)ユダヤ人科学者アルベルト・アインシュタイン博士
(右)ユダヤ人政治思想家ハンナ・アレント女史

アインシュタイン博士は、パレスチナにユダヤ人国家
「イスラエル」を建設するという「シオニズム」に理解を示して
いたが、権力や権威的なものは嫌いで、第2代イスラエル大統領
への就任を辞退していた。彼は拡張主義の考えはなく、
パレスチナ人と共存できると信じていたのである。

 

 

 


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