No.a1f1405

作成 1996.12

 

イスラエルの現実に失望した
ユダヤ人による反シオニズム運動 2

 

 

●ユダヤ系アメリカ人のマーティ・ルーゼンベルスは、現在、ヨルダン川西岸のラマラ市にある人権擁護団体「アル・ハック」で、パレスチナ人の労働問題の調査を担当するスタッフとして勤務しているが、彼の少年時代は両親の影響もあって、熱狂的なシオニストであったという。彼は極右のシオニスト組織「JDL」の集会や行事に進んで参加していたという。

 


マーティ・ルーゼンベルス

 

●彼がシオニズム運動から離れたのは、大学生のときであった。彼は大学時代にパレスチナ・アラブ人学生と出会うことで、パレスチナ問題の真相を知らされた。シオニストの彼にとって、それは大きな衝撃だった。初めはどうしても信じられなかったし、信じたくもなかった。しかし彼らと話をすればするほど、シオニストの立場を維持しそれを正当化していくことができなくなっていったという。

「それまで私にとって、パレスチナ人とは地平線に見え隠れする幽霊、現実の人間とは程遠い悪魔、または残酷なテロリストでした。しかし実際に会ったパレスチナ人は全く違っていました。テロリストのように銃を下げてもいません。彼らは人格を備えた、現実の人間だったのです」

「彼らはパレスチナの町や村に住み、独自の文化を持つ人々でした。パレスチナは『人間の住んでいない土地』ではなく、そこに既に農耕社会が存在していたのです。ある地域で、ユダヤ人が砂漠を緑の農園に変えたのは事実です。しかし、それは問題の核心ではありません。シオニストたちはそれを強調することで、パレスチナの土地が『捨てられた土地』であり、ユダヤ人が保有する権利があるのだと外に宣言したいのです」


●さらに彼は次のように語る。

「シオニストたちは、反シオニズムと反ユダヤ主義とを混合してしまいます。それは反アパルトヘイトと反白人運動とを混合するのによく似ています」

「反シオニストという私の現在の立場は、決して、私の『ユダヤ人』としての意識を弱めるものではありません。むしろ一層強く『ユダヤ人』であることを意識するほどです。私は『ユダヤ人』であることを隠すつもりはありません。エルサレムでのユダヤ伝統工芸品の展示会へ出かけると、その素晴らしい文化遺産に感動し、自分がユダヤ人であることに誇りを抱きます」

「私がユダヤ人として生まれユダヤ人として育ったことは、私の思想形成の上で大きな要素を占めています。それは私の誇りです。だからこそ、イスラエル占領地のユダヤ人入植者たちが『ユダヤ主義』を歪曲し、『シオニズム』として政治的に利用し、しかも私と同じ『ユダヤ人』の名を語っているのを見ると、激しい憤りを覚えるのです。『ユダヤ主義』全体が『シオニズム』によって破壊されています。大半のパレスチナ人は『シオニズム』以外の『ユダヤ主義』を知りません。自分たちを抑圧し圧殺するイスラエル人の姿を『ユダヤ主義』と結び付けてしまう。それが私を当惑させるのです」



●現在、パレスチナの支援活動をしているユダヤ系アメリカ人のバーバラ・ルーバンも、かつては熱烈なシオニストであったという。

1967年、イスラエルが周囲のアラブ諸国の大軍をほんの6日で打ち破った第三次中東戦争は、彼女を狂喜させたという。また、1982年、イスラエルがレバノンに侵攻し、爆撃や虐殺で多数のアラブ人、とりわけパレスチナ人が殺戮された事件も、当時のルーバンにとってユダヤ人としての良心を痛める出来事ではなかったという。

彼女は「アウシュヴィッツに代表されるユダヤ人の迫害は、ユダヤ人には二度と起こってはならない。そのためには、ユダヤ国家イスラエルは強大であり続けなければならない。レバノン侵攻もそのためには必要だった」、というシオニズム特有の論理に染まっていた。それは、自分の成長の過程において最も重要な影響を与えた両親から教えられたことだったから、それが間違っているかも、と疑うことなど、当時の彼女には考えも及ばなかったという。

 


バーバラ・ルーバン

 

●そんな「熱烈なイスラエル支持者」のルーバンの転機となったのは1984年、大統領候補として立ったジェシー・ジャクソンとの出会いだったという。ジャクソンとの出会いが、彼女のイスラエル観とパレスチナ人観を180度変えた。ジャクソンの選挙運動に参加するまで、彼女は一度もパレスチナ人と出会ったことがなかった。彼女の描く「パレスチナ人」とは、「ユダヤ人の赤ん坊を殺戮するテロリスト、それを代表するアラファト」のイメージであった。だが、選挙運動を通して知り合ったパレスチナ人は、そんな「残忍な怪物」ではなく、ユダヤ人と同じように教養のある、人間性豊かな人々であったという。

しかしイスラエルの政策に反対することは「反ユダヤ主義」ではないことを理解するまでに長い期間を要したという。


●1987年、ルーバンは、イスラエル占領地の調査団の一員としてイスラエルを訪問する機会を得た。彼女は自分の目でパレスチナ難民の現実をまざまざと見た。

「信じられなかった。ただ、信じられない出来事だった…」

占領地で見た出来事をルーバンはそう形容した。

彼女がパレスチナ人の家に招かれて食事をしている時、突然、上空をイスラエル軍のヘリコプターが旋回して、上空から催涙弾が投下されたという。そして村人が逃げまどう間、今度は実弾を地上に向けて乱射し始め、人々は催涙ガスのために家の中にいることもできず、かといって銃撃のために外に出ることもできず、おろおろするばかりであったという。


●また、彼女は目の前で、視察団を歓迎する村人のデモをイラスエル兵が急襲し、デモに参加していた12歳の少年が、イスラエル兵に意識を失うまで殴られるのを、目撃したという。

現場の写真を撮った瞬間、兵士たちが、今度はその彼女たちの視察団の所へ走り寄ってきてカメラを強奪し、中からフィルムを抜き取ってしまったが、この時、彼女は蛮行を働くその兵士たちをまじまじと見て、「これが、かつて誇りに思ったイスラエル兵の素顔なのか」と胸が潰れる思いがしたという。


●また、占領地のあちこちで、銃弾で片目を奪われた赤ん坊や、片腕をなくした少年を抱く母親、息子を投獄された母親、子供や夫を撃ち殺された母親などに接するに従い、1人の母親である彼女の中に抑えがたい怒りがこみ上げてきたという。


●帰国後、ルーバンは一人の人間としての良心に突き動かされ、活動を開始した。傷ついたパレスチナ人の子供たちの医療活動を支援するため、彼女は個人や団体組織に寄金を呼びかけ、「中東の子供たちのための同盟」を設立した。この理事には下院議員や大学教授、さらに作家や映画俳優らが名を連ねた。

この「中東の子供たちのための同盟」の共同推進者となったハワード・レビンもユダヤ人である。彼はサンフランシスコ市のある新聞社の記者であった。「中東の子供たちのための同盟」設立の記者会見に取材にきたレビンは、ルーバンの主張と行動に共鳴し、ついに記者の職を投げ出し、この運動に飛び込んだ。「私はユダヤ人だが、イスラエルのやり方、シオニズムの考え方にうんざりしていた。私もユダヤ人の一人として、何かをやらなければと思っていたところだったんです」とレビンはルーバンに協力を申し出たのだった。

 


反シオニズムのデモに参加する
バーバラ・ルーバン

「私たちはイスラエルの占領に反対するユダヤ人」
と書かれたプラカードを持っている

 

●イスラエルの政策に反対する態度を明らかにしたルーバンに、主流ユダヤ組織は噛み付いてきた。

イスラエルのために議会工作をするイスラエル・ロビー団体「AIPAC」が、サンフランシスコ市で、大統領候補やその選挙運動員らを招いて開いたパーティーに参加したときのことだ。演壇に立った候補者たちは、自分がいかに議会でイスラエルを支持してきたかを訴えた。ユダヤ人から選挙資金と票を引き出すためである。一方、いまアメリカが抱える大きな社会問題である“ホームレス”の問題について語る者はほとんどいなかった。

ジェシー・ジャクソンの選挙運動員として参加したルーバンはその席で、社会の底辺で生きる民衆の救援のために活動するジャクソンについて語り、またパレスチナ人を抑圧するイスラエルの政策を非難した。

演壇から降りた彼女は、親イスラエルのユダヤ人たちに囲まれた。

「ユダヤ人なのになぜイスラエルの政策に反対するのだ。お前は“自己嫌悪するユダヤ人”だ!」と、彼らは、ルーバンを口汚く罵ったのだった。


●ルーバンは語る。

「シオニストはイスラエルに対する不満や非難を、ユダヤ人の間だけにとどめておきたいんです。もし公にしたら、反ユダヤ主義が堰を切ったように吹き出し、それが全世界に蔓延すると、イスラエルが破滅してしまうと考えてしまうんです。しかし、ユダヤ人が自ら非難の声を上げなければ、むしろイスラエルはさらに孤立し、本当の反ユダヤ主義が世界中に広がってしまう。これこそがもっと危険なことなんです。ユダヤ人の沈黙がそれを許してしまう。私が最も嫌悪するのは、ユダヤ組織が『我々ユダヤ人はイスラエルを守らなくてはならない』という名目で、イスラエル非難の声を封じてしまうことなのです」

 

 

 


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