ヘブライの館2|総合案内所|休憩室 |
No.a3fhb119
作成 1997.2
現在、日本には様々な「親イスラエル団体」が存在
しています。その中の主要なものをリストアップ
して簡単に紹介しておきたいと思います。
日本の議員連盟結成式の挨拶において中山正暉氏は、次のようなコメントを残している。 「百科事典を引いてみますと、菊は中近東原産と書かれています。日本の伊勢神宮の灯籠には、イスラエルが最も繁栄した頃の王であったダビデ王のマークが入っているのです。日本とイスラエルの不思議な繋がりを思うのです。第二次世界大戦では、ユダヤ人を敵視するドイツと組んだために歴史上初めて悲惨な敗戦の悲劇を味わったことを思い起こす必要性を痛感するのです」
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「日本イスラエル親善協会」
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「日本とイスラエルを結ぶ友情物語」と題する文章を機関誌『生命之光』に寄稿したシュタイナーというユダヤ人は、1967年の第3次中東戦争の際に手島氏がとった行動を次のように書いている。 「1967年6月の対アラブ戦の最中、キブツ在住幕屋人の示して下さった友情、手島先生の御愛は、言葉に絶するものでした。〈中略〉イスラエルが臨戦体勢になるや否や、手島先生から日本人宛てに『戦争になっても踏みとどまってイスラエル国を助けよ』との緊急電報が届きました。それと同時に、先生は日本で「イスラエル救難委員会」を組織してイスラエル弁護を呼びかけられて、必要な資金や物資を送付する計画も立てて御援助下さいました。」 またシュタイナー氏は、この第3次中東戦争ののち、イスラエル建国に貢献した人物を記録するためにユダヤ国民基金が設置している『ゴールデン・ブック(金欄簿)』に手島氏の名前が登録されたことを伝えている。それによれば、当時の駐日イスラエル大使は「ユダヤ民族にとって最高の名誉である『ゴールデン・ブック』」への登録を「手島先生がキブツ・ヘフチバになされた貢献に対して、かつ今次の6日戦争(第3次中東戦争)の戦勝を機に、手島先生の名を永久にイスラエル国が記念するため」として賞賛しているという。(もしこの話が本当ならば、手島氏は安江氏に次ぐ2人目の『ゴールデン・ブック(金欄簿)』登録者となる) さらに翌年には「神の幕屋」グループによって「大エルサレム祝賀巡礼使節団」が組織され、「主がシオンの運命を回復された時、我らは夢見る者のようであった」という『旧約聖書』の言葉をのぼりにかかげたその一行は、イスラエル国中で大歓迎を受け、イスラエル国営テレビは、エルサレムの「嘆きの壁」の前で涙を流して踊り続ける日本人たちの姿を写し出したという。 この手島氏のイスラエル支持の活動はその最期の時まで続けられ、1973年12月、「シオニズムは人種差別の一形態である」との国連の決議に対して、イスラエルを擁護して立ち上がり、抗議のデモ行進を指導した直後、手島氏は倒れている。
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