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作成 1998.2
サン・ジェルマン伯爵
彼は生没年不詳で、その生涯のほとんどは
神秘のベールに隠されたままである。一説には、
彼は永遠の生命を持ち、「輪廻転生」を繰り返し、
古代の叡智を伝え続けているといわれている。
■■第3章:エジプト遠征から始まったナポレオンの「栄光」
■ナポレオンはピラミッドの中で何を体験したのか?
1798年5月、馬1200頭、砲171門、人員3万5000人にも及ぶ大軍が、フランスから一路エジプトヘと向かった。世に名高い、ナポレオンのエジプト遠征の始まりである。率いるは29歳という若さのフランス軍司令官ナポレオン・ボナパルト。
ナポレオン・ボナパルト
(1769~1821年)
大ピラミッドを一望する地点に到達した時、ナポレオンが発した、「諸君! 4000年の歴史が君たちを見下ろしているのだ!」という言葉はあまりにも有名である。
だが、なにもナポレオンのエジプト遠征の目的が、たんなる物見遊山にあったわけではないことはいうまでもない。むしろナポレオンの真の目的は、やっとその緒についたばかりだったのだ。
古来、エジプトのピラミッドは、その偉大さと神秘さゆえに、「世界の七不思議」の筆頭にあげられてきた。イスラム文明や東方文明がもつ神秘性は、ヨーロッパ人にとって、尽きせぬ憧れの的でもあった。そしてナポレオンは今、そのエジプトの地に立っていた。古代の文明の発祥地、幾多の叡智の集う地に。
エジプトのギザの大ピラミッド
彼はこの日のために、通常の海外遠征とは比較にならないほど多くの学者を随行していた。その数167名、団長格の幾何学者フーリエをはじめとして第一線の研究者が名を連ねている。これほど多くの研究者を随行させたのは、ナポレオンがこの古代の叡智を入手しようともくろんでいたためだ。
後に彼らによって、『エジプト誌』などの研究書物も著されたが、これはむしろ副産物的意味合いでしかない。現にナポレオンはひとりピラミッドの内部で一夜を過ごしている。そのときの様子を側近のひとりはこう書き記している。
「……われわれは何人もピラミッドに近づけてはならないと厳命されている。そうして無限とも思える時間がたち、暁光がさしかけたとき、ナポレオンが死人のような真っ青な顔をして出てきた。彼は完全に理性を失っていた。そしてうわごとのように『未来の幻を見た』と繰り返すのみだった。その後3日間、ナポレオンは誰とも会おうとしなかった……」
はたして、ナポレオンはピラミッドの中で何を見たのか。アポロニウスやピタゴラスのように、多くの神秘家が体験した古代の叡智の一端をここでつかみとったのであろうか。
ともあれこの一夜を機に、ナポレオンは神秘主義ヘの傾倒を一気に深めていく。彼の周囲には占星術師の存在が常に見られるようになり、彼の政策決定に重要な役割を果たすようになった……。
■“神秘的な力”に支えられて連戦連勝し「皇帝」になる
ナポレオンは半年のエジプト滞在後、今度は東方世界へその触手を伸ばしていく。同じ年の1798年にはシリアに進出、以後エル・アリシュ、ナザレ、ハイファ、タボル山と聖書でもお馴染みの場所がその舞台となるのである。
1799年5月、アッカでオスマン・トルコ、イギリス連合軍に敗れたナポレオン軍は、カイロへ撤退を開始。ナポレオンは同年8月18日、密かにエジプトを脱出し帰国の途に着いた。しかし、ナポレオンにとってはもはや、かの地から学ぶべきことは何もなかったのである。ピラミッドの中で過ごした一夜と、それに引きつづく東方世界への遠征によって、彼は入手を熱望していた叡智のことごとくを手中におさめていたからだ。手に入れた“神秘的な力”を駆使しながら、以後、ナポレオンは順調に階段を昇りつめていく。
ときとして国家の命運を左右するような重大事項が、たんなる夢判断や、占星術によって決定されたのだ。しかしその決定はことごとく正しいものであったことは歴史が証明している。
だが、家臣のなかには、そんなナポレオンのやり方を快く思っていない人間もいた。内心では軽蔑しながらも、異議を唱えることはかなわなかったのである。なぜなら、このお告げによる戦争でナポレオンの軍隊は、まだ一度も敗れたことがなかったのだから……。
■ナポレオンだけに見えていた謎の「巨大な星」
ある日ナポレオンの腹心の部下のひとり、フェッシュが作戦上の意見を述べようとしたことがある。しかし、ナポレオンはまったく聞く耳をもとうとはしなかった。が、しばしの沈黙のあと彼は、フェッシュを宮殿の窓のところへ連れていき、こうたずねた。
「フェッシュ君。君にはあの巨大な星が見えるか?」
日中である。フェッシュは驚いて首を振った。
「いえ、何も見えません」
「そうだろう。あの星が私だけに見えているうちは全てがうまくいく。だから、私は他人の意見に耳を傾ける必要がないのだよ」
やはりナポレオンは、何かとてつもない力を身につけていたのだろう。それとも、魔術的な力とはまったく別のもの、たとえば人類の叡智をはるかに上回る“見えざる意志”とでも呼べるような未知の力によって、突き動かされていたのだろうか。
その後、ナポレオンは十数回にも及ぶ遠征で、次々と勝利を収め、ヨーロッパの大半を支配し、1802年、終身統領となって専制的権力を手中にしたのだった。そしてフランス革命を収束させ、『ナポレオン法典』の制定、学制、司法、行政の大幅な改変などの改革を行い、1804年、ついにフランス皇帝となって権力の絶頂を極めた。
このように、ナポレオンはわずか10年たらずで「皇帝」という地位にまで昇りつめていったのである。
信じられないほどの幸運に恵まれていたナポレオン……
“神秘的な力”に支えられて、向かうところ敵なしだったナポレオン……
しかし、ナポレオンの「栄光」は長くは続かなかった。
彼の身に何が起きたのだろう?
■■第4章:赤い服を着た謎の男の訪問とナポレオンの「没落」
■ナポレオンを慌てさせた「赤い服の男」の訪問
1804年にフランス皇帝となり、権力の絶頂を極めたナポレオン。しかし、彼の「栄光」は長くは続かなかった。
それから10年後の1814年1月、ナポレオンは側近の者に、「誰が訪ねてこようと、決して面会はしないから、取り継がぬように。余は一人になって、ゆっくり策を練りたいのだ」と言いおくと、チュイルリー宮殿の自室に引きこもった。このとき彼は、心身ともにくたくたに疲れていた。
それもそのはず、目前まで迫った彼のヨーロッパ全支配という野望が、ロシア遠征の失敗によって挫折しかかっていたからだ。そのうえ、弱体化したナポレオン軍には、勢いづいたロシアやイギリス、オーストリアなどの同盟軍が、かさにかかって攻めかかっていた。どうあがいても活路がなさそうにみえる情勢に、彼は追い詰められ、自室にこもって考え込んでいたのである。
ところがちょうどその頃、ナポレオンのもとに1人の訪問者が訪ねてきたことを側近が知らせにきた。誰とも話す気になれなかったナポレオンは、追い返すように命じた。すると側近は、「『赤い服の男だと言ってくれればわかるはずだ』と申しておりますが……」と言った。
そのとたん、あろうことか、ナポレオンの顔は蒼白になってしまった。
「そのお方を直ちにお通ししなさい。くれぐれも失礼のないように、丁重に応待するのだぞ。そして余との会見中には、ドアの外に誰も来ないよう、厳重に注意してくれ」
側近は、かつてないナポレオンの狼狽ぶりをみて、非常に驚いてしまった。この勇敢で頭のきれる男は、これまでいかなる事態に出会っても冷静で、慌てたことはない。多くの国を征服するときにも、自らが先頭に立って指揮し、進軍していったのである。一見、大胆すぎるような危険な作戦で勝ち進んだのも、ひとえに恐れを知らぬ行動力と冷静さのなせる技にほかならない。
そのナポレオンを、これほど慌てさせる男とは、いったい何者であろうか。側近は、すっとんで赤い服の男のもとへ行き、ナポレオンの部屋へ導き入れた。
赤い服の男が招き入れられたナポレオンの部屋の中からは、訪問者の威厳ある声と、ときおりナポレオンの哀願するような声が、部屋の外まで漏れ聞こえてきたという。
「君に与えられた使命を、君は果たしていない。恐怖政治を終わらせると同時に、ヨーロッパに近代化の息吹を吹き込み、封建的な社会構造を変革するために与えられたパワーを、君は自分の虚栄心と権力欲のために使ってしまった。自らを“皇帝”と名乗ったときから、君の堕落は決定的なものとなったのだ。しかし、3か月だけ猶予を与えよう。その間にそれを果たすことができないなら、私は同盟国と手を結ばなければならない!」
「ううっ…。お願いだ、どうか私のパワーを奪わないでくれ! お願いだ……」
しばらくして、その謎の訪問者が去っていったあと、ナポレオンは自室にこもったまま数日間、だれにも目通りを許さなかったという。
そして、この赤い服の男が訪れてからわずか3か月後、ナポレオンは手中にしていた帝国を失い、地中海の孤島エルバ島に退去することになってしまったのである。
■「赤い服の男」の正体はサン・ジェルマン伯爵か?
この赤い服の男は、別名「チュイルリー宮殿の赤い男」と呼ばれ、以前からチュイルリー宮殿の主によくないことが起こる前に、決まってその主のもとへ現れるといわれていた。
たとえば、アンリ4世は暗殺される日の早朝に、この赤い服の男を見ていた。また、アンヌ・ドートリッシュ(ルイ13世の妃。ルイ14世の母)は、フロンドの乱が起こる数日前にこの男に出くわしており、マリー・アントワネットはフランス革命の前夜、宮殿の廊下でやはりこの赤い服の男に会っている。
ある説によれば、赤い服の男が初めてナポレオンの前に姿を現したのは、これより16年も前のエジプト遠征の時で、ナポレオンがピラミッドの中に入った時、ナポレオンに秘密契約による守護を申し出たのだという。
もしそれが本当ならば、エジプト遠征以後のナポレオンの出世の速さにも、赤い服の男が関与していたのだと考えられはしないだろうか? そして、ナポレオンに多くの援助を与えていた赤い服の男は、ナポレオンが自分の使命を忘れ、欲望のおもむくままに“皇帝”という称号を名乗った時点で、彼に対する援助を打ちきったのだ。この後のナポレオンはその勢威を急速に失い、「没落」の道を転がり落ちていったのである。
同時代に生きていたベートーベンも、ナポレオンが“皇帝”という称号を名乗ったことにひどく失望し、「ナポレオンも単なる俗物にすぎなかったか」と言って、ナポレオンに献呈する予定だった曲(後世「英雄」と呼ばれる交響曲第3番)の楽譜の表紙から、ナポレオンという名前を削ってしまったことで知られる。それほどまでに、権力欲の塊と化したナポレオンの姿は多くの人々を失望させたのだ。
それにしても、この赤い服の男とは、いったい何者だったのだろうか? オカルト研究家ルイ・ポーウェルは、この赤い服の男の正体はサン・ジェルマン伯爵だったと推理している。
■■第5章:アメリカ独立戦争で暗躍した謎の紳士
■アメリカ独立を陰で操った謎の紳士
ところで、フランス革命が起きる14年前の1775年。植民地から脱却しようとしているアメリカのマサチューセッツ・ケンブリッジに、フランスなまりの英語を話す不思議な紳士が現われたことで知られている。その男はただ“教授”と呼ばれるだけで誰もその名を知らなかった。
年齢不詳の教授は、何世紀以上も昔のできごとをまるで生き証人のように語った。背が高く美男子で、愛想よく、礼儀作法に通じていた。上品だが威厳もあった。彼は獣、魚、鳥を食べず、菜食主義者だった。酒はワインもビールも一切口にしなかった。
教授は古風な樫の木でできた大きなチェスト(棺)を携えていた。外出の時は必ずチェストに鍵をかけるので、誰もいったい中に何が入っているのか見たものはなかった。気前よく金を使ったが、当世風の成金ではなかった。
この教授はジョージ・ワシントンともベンジャミン・フランクリンとも面識があり、新しい国家アメリカの国旗や紋章デザインについて話し合った。デザインが決定されると、教授はいつのまにかその地を去った。
この紳士は1776年7月4日の夜、再び、フィラデルフィアに姿を現わした。独立宣言の起草をめぐって議論が白熱していたとき、その紳士は大声で「神は約束を果たした!」と叫んだ。その瞬間、革命家たちは催眠術にかかったように競って独立宣言に署名した。満足げにそれを見ると紳士は再びいずこともなく行方をくらました。
1782年5月、議会事務総長チャールズ・トムソンはアメリカの13州を象る13階段のピラミッドの上に輝く「アイ・イン・ザ・トライアングル」を、国璽の裏側デザインとして正式に採用したが、このデザインを勧めたのもこの紳士だったという。
このアメリカ独立戦争で暗躍した“教授”と呼ばれる謎の紳士は、サン・ジェルマン伯爵だった可能性が高い。
↑アメリカの1ドル紙幣に印刷されている
「アイ・イン・ザ・トライアングル」
※ アメリカの国璽の裏側デザインとして
正式に採用されたものだが、これを勧めたのは
“教授”と呼ばれる謎の紳士だったという。
↑1789年のフランス革命時に
出された有名な『フランスの人権宣言』
これは人間の自由に関する基本憲章の一つであり、
「人は皆、生まれながらにして自由であり、等しい権利を有する」
と記されている。そしてそこにはアメリカの1ドル紙幣と同じシンボル
「アイ・イン・ザ・トライアングル」がはっきりと描かれている。
■■第6章:謎が深まるサン・ジェルマン伯爵の正体
■神秘的修行を極めて時空を超越?
サン・ジェルマン伯爵は自分のことを「不死身で永遠に時間の中をさまよっている存在」であることを告白していたわけだが、彼は時間旅行者で、幽体離脱でもして異次元世界を旅することができたのであろうか?
当時のサン・ジェルマン伯爵の友人の証言によれば、扉を通らないで自室や友人の部屋に姿を現すだけではなく、そこから同様にして出ていく(普通の人が見ると姿が消えるように見える)ことができたという。
また、1747年から1756年の間、少なくとも2年間はインドへ旅しており、インドでは秘教的なすばらしい知識を得た、とその地でサン・ジェルマン伯爵に会ったクリーヴという人物が証言している。また別の日にサン・ジェルマン伯爵は、「自分はかつてエジプトのピラミッドの中で修行し、ヒマラヤに行って、全てを知っている聖者たちに会って多くのことを学んだ」と語っていたのである。
サン・ジェルマン伯爵の足取りに関する最も新しい記録は1939年のもので、アメリカの飛行士が記録しており、彼はチベットでサン・ジェルマンと名乗る「中世の頃の身なりをしたヨーロッパ人」の僧侶と会ったと主張している。
■人類を導く「イニシエート(秘義参入者)」の存在
ところで、いつの時代にも、人類を導く「イニシエート(秘儀参入者)」が存在しているという。
イニシエートとは、すでに高次の世界に属しているが、自分自身、さらに上昇するために、人類を助ける仕事をしている存在のことである。彼らは、時代の要請に合った様々な人物として生まれてくるという。そして、人類を導く方法も、異なった分野で、さまざまな形をとっているという。それは各イニシエートによって担当するジャンルが違うからだし、イニシエート自身も地上に肉体をもって現れることが、自分がさらに高次元へと上昇するための修行でもあるからだという。
サン・ジェルマン伯爵はイニシエートだったのだろうか?
※ 参考までにイニシエートに
関してはこの本が詳しいです
『イニシエート ─ 偉大なる
魂についての印象』(クエスト)
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