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No.cxf110
作成 2005.1
●「コスモポリタン作家」として活躍中のロジャー・パルバース(1944年ニューヨーク生まれのユダヤ人)は、1967年の夏に初来日し、日本の文化を深く愛するようになったという。
ロジャー・パルバース
作家、劇作家、演出家、東京工業大学教授。
生まれはアメリカ、国籍はオーストラリア、故郷は
なぜか日本に定めた謎のユダヤ人。ハーバード大学大学院
ロシア地域研究所で修士号を取得。その後、ワルシャワ大学
とパリ大学への留学を経て、1967年に初めて日本の地を踏む。
持ち前の機智とユーモア、鋭い批評精神で、日本文化の国際性・
多元性を論じている。大島渚監督作品『戦場のメリークリスマス』
の助監督などを経て、1994年から主に日本を活動の拠点とし、
執筆活動を開始(宮沢賢治、坂口安吾などの作品を英訳)。
●彼は著書『日本ひとめぼれ』(岩波書店)の中で次のように述べている。
「(私は20歳までアメリカに住んでいたが)、初めての海外旅行から3年も経たないうちに(その間にはポーランドやフランス辺りをさまよい、そうした所で生活もしていた)、その旅路の途中で私は日本の土を踏み、そしてそこに半永久的に落ち着くことになった。
私はこの国と恋に落ちたのであり、恐らく日本人の耳には奇妙に聞こえるかもしれないが、この国を私の故郷にしようと心に決めたのである。」
「私は初めから日本に親しみを感じた。ほとばしる情熱にまかせ、日本の言葉を一生懸命勉強した。〈中略〉私は29年かけて日本中を旅して歩いたが、その中で北九州と東北にはなんとも言えない魅力を感じた。」
●彼は1989年、フジテレビのニュース番組『ザ・ウィーク』のレギュラー・コメンテーターを務めたが、当時のテレビ出演についてこう述べている。
「1980年代には、芝居の演出や、テレビ出演をしていました。レギュラー番組も何本かありました。林真理子さんとやっていた『スタジオL』や、『朝まで生テレビ』にも1992年までレギュラー出演していました。
1992年からしばらくオーストラリアに帰ってる間に、デーブ・スペクターが私の不在を埋めてくれてましたけど(笑)。あとは、『サンデープロジェクト』、大河ドラマ(『山河燃ゆ』)にも出演しましたよ」
●彼はまたこう述べている。
「私ほど日本を愛している外国人はいないと思います。相当な日本びいきですね。日本の政治は別ですが(笑)。あれは『アカン!』」
■関連記事(リンク集)
◆ロジャー・パルバース氏の公式サイト
http://www17.ocn.ne.jp/~h-uesugi/
◆ロジャー・パルバース氏:英語タウン インタビュー
http://www.eigotown.com/culture/people/roger.shtml
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