No.a1f1501

作成 1996.12

 

イスラエルが世界に誇る対外諜報機関「モサド」

 

●モサドはイスラエルが世界に誇る情報機関である。

1948年に独立した時、イスラエルには情報機関が5つあった。

第1は「シン・ベト」(別名「シャバク」)で、主に国内保安を司る機関でアメリカのFBIに匹敵する。

第2は「アリア・ベト」。当時アラブの国々から新生イスラエルに逃げてくるユダヤ人は多く、彼らの脱出を援助したのがこの機関である。

第3は外務省の情報部。第4は警察の情報部。第5が「シャイ」と呼ばれる対外諜報を専門とする機関だった。

 


イスラエルの国旗

ユダヤ人の国イスラエルは、
戦後1948年5月に中東に誕生した

 

●1951年に情報界の再編成によって「シャイ」は解体され、2つの機関に分かれた。その一つが軍諜報の「アマン」で、もう1つが「モサド」だった。

「モサド」とはヘブライ語の「諜報及び特別工作」の略である。主に国外での情報収集を任務としている。

各情報機関は、首相も出席する「インテリジェンス・コミュニティー」と呼ばれる定例会議で情報交換を行っている。議長はモサドの長官が務める。

 


モサドのシンボルマーク

モサドの構成員は約2000人、
その他の情報機関員も合計すると
約1万5000人と推定されている。
(イスラエルの人口比からすれば、
 情報機関員はかなり多い)。

 

●モサドの初代長官はルーヴェン・シロアッフというポーランド生まれのユダヤ人だったが、1年足らずで辞任。後任はイサー・ハレル。実質的にモサドを世界最強の諜報機関といわれるまでに仕立て上げ、今日でも現役のモサド要員から「ミスター・モサド」とあがめられている男である。

1963年2月にこのイサー・ハレルがモサド長官の椅子を去ると、後任としてメイヤー・アミットが就いた。彼は軍隊で超エリート・コースを歩み、わずか39歳で軍諜報機関「アマン」の長官となり、その2年後にモサド長官となったのである。

モサドに詳しい人いわく、「ハレルはモサドの強力な土台を作り、アミットはそれを高層ビルに仕立て上げた」と。

 


左から、モサドの初代長官ルーヴェン・シロアッフ、
第2代長官イサー・ハレル、第3代長官メイヤー・アミット

 

●CIAやMI6とは異なり、モサドでは誰でも簡単にスパイになれるわけではない。

モサドのリクルーターと呼ばれる採用担当者は、これだという人物を見つけたら、数年かけて対象の身辺を調査する。社交性、思想、マナーに加え、友人の評価、運動神経、性癖までもが徹底的に調べ上げられる。これらのチェックをクリアすると正式に勧誘し仲間に迎え入れるという。


●モサドの工作員が世界各国で行っている日常的な任務の中では、アイヒマン捕獲作戦のような華々しい作戦は少数の例外に過ぎない。任務の大半を占めるのは、イスラエルに敵対する勢力の動向に関する情報の収集・分析と、イスラエルに敵対する行動を起こしている敵側の人間を直接的・間接的な手段で「消す」ことである。

前者の場合、各国に派遣された工作員(カッツァ)は、現地で信頼できる協力者(サヤン)を見つけて仲間に引き入れながら、成果が表に出ることのない地道な作業を通じて、本国イスラエルの安全保障を陰で支えている。

後者の場合、暗殺工作員(キドン)とサヤンはイスラエルのユダヤ人を攻撃対象とみなす勢力に気づかれることなく近づき、消音器の付いた拳銃やナイフ、あるいは素手で、1人また1人と「イスラエルの敵」の息の根を止めている。


●これらに加え、政治的理由によりイスラエルと国交のない国に派遣されて、当該国との間で非公式な外交関係を水面下で構築・維持することも、モサド工作員の重要な役割である。

この件に関して、前出のメイヤー・アミット(第3代モサド長官)はこう述べている。

「モサドの活動は主に3つの分野に分けられる。第1に極秘裏の情報収集と工作、第2にスペシャル・オペレーション(特別工作)。アイヒマン誘拐はこのスペシャル・オペレーションの部類に入る。

第3の活動分野はイスラエルと外交関係を持つことを拒否している国々へ浸透して、極秘の外交関係を樹立すること。多くの国が今日イスラエルと外交関係を持っていないから、この仕事は特に重要視されている。表面的には敵対関係にあるアラブ諸国のいくつかもこの方法で我々と外交関係を維持している。海の表面が荒れている時は下に潜って静かな水の中で泳ぐのが一番という考えをモサドはうまく実行しているのだ。

モサドがよく“地下の外務省”といわれる所以(ゆえん)はここにある」


●また彼は、モサド・エージェントとして必要な要素についてこう述べている。

「モサド・エージェントとして必要な要素はいろいろとあるが、まず自分のやっていることに『信念』を持てる人間だろう。これがない人間は羅針盤のない船に等しい。

モサド・エージェントの仕事はきれいごとばかりではない。それどころか時には非道きわまりない仕事もやらねばならないことがある。心の中ではものすごい抵抗を感じるものだ。そんな時、支えとなるのが自分のやっていることに対する『信念』だ。それも単なる口先だけではなく、どのような拷問やプレッシャーにも耐えられるほど強固な『信念』でなくてはならない。この要素を持った人間は多いようで中々いないものだ。

同じように重要な要素として考えられるのは、人一倍頭が切れることだろう。どのような固い信念や愛国心を持っていても、頭が悪い人間は使いものにならない。チェスでたとえれば少なくとも十手先まで読めるぐらいの頭脳がなければエージェントとなる資格はない。頭が良いということは機転が利くということにつながる。機転が利けば、どんな状態に追い込まれても瞬間的に判断を下し、ベストな方法で対処することが出来る」



●ところで、1990年9月、元モサド・エージェントのビクター・オストロフスキーが『モサド情報員の告白』を出版し、モサドの内部事情を暴露した。

 


(左)ビクター・オストロフスキー (右)彼の著書
『モサド情報員の告白』(TBSブリタニカ)

 

●このオストロフスキーによれば、モサドは偽造旅券や偽造紙幣の作成用に工場と化学研究所を有しており、各国の旅券や紙幣の紙質を分析しては複製を試み、またそこに押される入国管理用のスタンプまでも偽造しているという。これら偽造用の資料は警察の協力によって集められたもので、全てコンピュータに記憶させてあるという。


●この本の中で、オストロフスキーはモサドの実態についてこう語っている。

「世界中にはサヤン(協力者)がたくさんいる。サヤンとは、イスラエルの国民ではないものの、世界の各地に住んでいる純然たるユダヤ人で、モサドの協力者を意味する。ロンドンだけでも、活動している人が約2000名いるし、リストに載っている人が別に5000名いる。彼らは様々な役割を果たしている。

例えば、レンタル店をやっているカーサヤンは、モサドの一員には一般の書式に必要事項を書きこまなくても車を借りられるようにしてやる。アパートサヤンは、疑惑を呼ぶことなく部屋を探し出してやるし、バンク(銀行)サヤンは、真夜中に金の必要が生じた際にも用意してくれる。ドクターサヤンは、警察に報告しないで銃創を治療してくれる。〈中略〉彼らはどんな依頼にも快く協力するが、実費以外は受け取らない。」


「モサドのメイン・コンピュータは、150万以上の人名を記憶している。モサドがPLOや敵対関係にある者として入力した人物たちは、担当部署の名前にちなんで、“paha”と呼ばれている。この部は独自のコンピュータ・プログラムを持っているが、メイン・コンピュータの記憶装置を利用してもいる。」


「モサドには超秘密の特別部署が存在しており、たんにアル(AL)と呼ばれている。ヘブライ語で、上とか頂点を意味する。この機関は深く秘密に包まれており、主体であるモサドからひどくかけ離れているので、モサドの大半の職員はそこが何をしているのかさえ知らないし、コンピュータに保管されているそのファイルに接近することもできない。彼らの活動の全部とはいわぬまでも大半は、アメリカの国境内で行われている。〈中略〉

モサドは依然としてアルの存在を認めていない。モサドの内部では、我々はアメリカ国内では活動していないのだと言われている。しかしモサドの大半の人間が、彼らのやっていることを正確には知らないまでも、アルが存在していることは知っている。」


<モサドの歴代長官>

ルーヴェン・シロアッフ  (1951~52)
イサー・ハレル (1953~63)
メイヤー・アミット (1963~68)
ツヴィ・ザミル (1968~74)
イツァク・ホフィ (1974~82)
ナフム・アドモニ (1982~90)
シャブタイ・シャヴィト (1990~96)

 

 


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