No.A5F_ha_ES

 作成 1997.7

 

エッセネ派ユダヤ人

(クムラン教団)

 

●クムラン教団は、ユダヤ教の一派「エッセネ派」に属する教団である。エッセネ派は他のパリサイ派、サドカイ派に比べ、熱烈にメシア(救世主)を待望しており、中でもクムラン教団は、メシアの啓示を強く受けていた。

エッセネという名は、「医師」を意味する古代シリア語に由来している。彼らはその名が示すように、人々の肉体・魂・精神を治療することが、自分たちの存在の目的であると考えていた。


●彼らは「義の教師」と呼ばれる人物に率いられ、12人の信徒と3人の祭司からなる議決機関を持ち、10人ごとのグループに分かれて律法を学び、厳格な戒律を守り、生活の細部にわたり清浄さを保ちながら修行に明け暮れていたのである。


●彼らエッセネ派ユダヤ人たちは、紀元前100年頃にパリサイ派ユダヤ人から迫害を受けた際、人里離れた地キルベト・クムランへ移住したが、紀元66年の第1次ユダヤ戦争以後、歴史の表舞台から姿を消してしまった。

 


(左)死海周辺の地図 (中)死海のほとりにあるクムランの洞窟。大量の『死海文書』が発見された。
(右)死海の近くにあるクムランの僧院跡。ここで信徒たちは厳しい修行を積み、『死海文書』を著した。

 

●今から半世紀ほど前、この僧院跡の近くから、20世紀最大の考古学的発見といわれる『死海文書』(死海写本)が発見されたが、この『死海文書』はクムラン教団の人々によって紀元前300年~70年の間に書かれた書物と言われ、そこには古代ヘブライ文字で、「光」と「闇」の闘いである終末戦争が記されているという。

今日では、洗礼者ヨハネはクムラン教団の出身と言われているが、イエス・キリストもクムラン教団に属していたのではないかと推測されている。

 



1947年に死海のほとりのクムランの洞窟から発見され、
センセーションを巻き起こした『死海文書』(死海写本)

 





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