No.a6fhe601

作成 2003.4

 

20世紀はアメリカとイギリスの闘いの世紀だった

 

~「ロックフェラー 対 ロスチャイルド」説の研究 2~

 

●「ロックフェラー 対 ロスチャイルド」(アメリカとイギリスの対決)という観点から国際情勢を分析している専門家は、1つ前のファイルで紹介した藤井昇(厳喜)氏以外にもいる。早稲田大学法学部出身で、現在、「副島国家戦略研究所(SNSI)」を主宰し、アメリカ政治思想・社会時事評論などの分野で活発な活動をしている副島隆彦氏である。

氏の本の中で、この「ロックフェラー 対 ロスチャイルド」について具体的に説明されている部分を抜き出し、ここに「参考データ」として保管しておきたい(とりあえず2冊の本を参考にしたい)。

 


(左)『堕ちよ! 日本経済』副島隆彦著(祥伝社)
(右)『「実物経済」の復活』副島隆彦著(光文社)

※ 以下の文章はこの2冊の本から抜粋したものです
 (各イメージ画像とキャプションは当館が独自に追加)

 


 

■日露戦争、関東大震災で疲弊した日本を救ったのは誰か?


世界経済において重要なことは、その金融支配をめぐって、ロックフェラー系統とヨーロッパ・ロスチャイルド系統との闘いが、いよいよ激しくなっているということである。ニューヨークの金融財界をすでに制圧しているのが、ロックフェラーの系統である。老舗のロスチャイルドは、ヨーロッパでも相当に劣勢に回っている。

もともとロックフェラー家は、1910年代に始まったオイル・バロン(石油王)であるから、鉱物資源や実物経済系の資本である。それに対して、ヨーロッパの金融資本家(銀行業)から始まり、200年前の開拓時代と独立期のアメリカの代表的な企業群の経営まで押さえていたのが、ロスチャイルド家である。

 


石油王ジョン・D・ロックフェラー
(1839~1937年)

 

最も格式があったアメリカの財閥は、ヴァンダービルト家である。その他にカーネギー=メロン財閥系や新興のハワード・ヒューズや、デュポン家がいる。モルガン財閥は、アメリカに200年前からある名門企業の株式の多くを持っているロスチャイルド系の大番頭格である。「金融王」J・P・モルガンは、当然に、ロスチャイルド系である。これが、最近は、同様にニューヨークの金融部門においても、かなりロックフェラー系に押しまくられているというのが、現在の世界経済の相貌である。〈中略〉

 


金融王J・P・モルガン
(1837~1913年)

 

日本の1904年の日露戦争や1923年の関東大震災の際に、資金を日本政府に供給してくれたのは、ロスチャイルド=モルガン連合である。日本政府の国債を彼らが引き受けて助けてくれた。この事実ははっきりしている。

そしてハリマン財閥(アベレル・ハリマン)や、ジェイ・グールドらのレールロード・バロン(鉄道王)と呼ばれた人々が、その後、日本が中国から租借した南満州鉄道の共同開発を日本に持ちかけ、日本と一緒にやろうとした。ところが、それがロックフェラー系統(日本のその代表が、小村寿太郎)の邪魔にあって、うまくいかなかったという史実がある

この時期に、明治の元勲である、伊藤博文と井上馨は、「日英同盟」に強く反対しつづけたのである。この二人は、「日英同盟」ではなく、「日英独三国同盟」にこだわったのだ。「日英独」によるロシア包囲網戦略を主張したのである。これに対して、セオドア・ルーズベルト=ロックフェラー系から、横やりが入った。そして、「日英同盟」は20年間で、上手につぶされた。

このあと、日本は、ヨーロッパとの連携を失って、孤立し、戦時体制へと流れ込んでゆく。

 


第26代アメリカ大統領
セオドア・ルーズベルト

 

■世界史を作ってきた「二大勢力の対立」


ロックフェラー系の存在は、このころから、延々と日本へ影響力をおよぼしつづけている。そして、この対立がアメリカとイギリスの対立として表われ、日本は第二次世界大戦の世界の渦に巻き込まれていった。

あの大戦の背後には、東アジアの覇権を争うイギリスとアメリカの対立という真実があったのだ。

イギリスとアメリカの国家間対立という問題とともに、ロックフェラー系と、ロスチャイルド系の対立がある。日本人はすぐ、知識人層までが「アングロ・サクソン資本主義」などという愚かな言葉を使う。このために、これまで、イギリスとアメリカの対立と抗争、という大事な要因を分析する目を、まったく見失っている。長く続いたソビエト共産主義、あるいはフランス、ドイツとの対立にだけ本質があるのではなく、イギリスとアメリカの間の激しい闘いというところに、世界史の真実を見なければいけないのだ。

 

 VS 

 

20世紀に入って、イギリスのアジア覇権が衰退して、アメリカがそれに代わって入ってきた。まず、1898年の「米西戦争」で、スペインから奪い取ったフィリピンを拠点にして、アメリカはアジアに進出、中国にまで来た。この時期にこの英米間の覇権争いの綱引きの隙間を突いて、日本が無自覚に「大東亜共栄圏」という巨大な膨張をしたのである。そして米ソに挟撃されて敗戦した。

だから、1980年代後半の、あの日本のバブル経済も、これと全く同じことであったと考えるべきなのだ。

1991年12月にソビエト・ロシア(ソビエト共産主義)を崩壊させて、アメリカは冷戦に勝利した。このときまでに、ベトナム戦争その他で、アメリカは大変な軍事費と経済的な出費に追われて、経済的にへとへとに疲れきっていた。米ドルは下落をつづけた。このときに日本が、勝手に浮かれて金融・経済的な大膨張を、東アジアで行った。アメリカは、「これを必ず潰してやる」という動きに出た。アメリカ財務省が主導した、日本のバブルの破裂がうまい具合に仕組まれたのである。

こういうことから類推すれば、大きな世界史の動きの中における日本が、どのように見えるかが分かるであろう。〈中略〉

 

■ロスチャイルド=モルガン家


広瀬隆氏の本からも分かる事実は、やはりロスチャイルド=モルガン家が、古くからアメリカの各産業部門を代表する、開拓時代の名門企業群の株式と金融株を、今でも多く持っているという事実である。

たとえば、あの「FRB(米連邦準備制度理事会)」は、歴史的には「アメリカの中央銀行」を改組したもので、株式会社の形をとっている。そして、その株式の過半数をロスチャイルド家の系統が握っている。グリーンスパンや、アル・ゴア副大統領も、厳密にはロスチャイルド系に分類される。このあたりの錯綜した、財閥系の派閥分析は、かなり難しいのだが。

 


連邦準備制度理事会「FRB」

 

そこへ1920年代から、出遅れたかたちでロックフェラー家が猛然とニューヨークの金融業に進出してくる、という構図になる。これで、内部で複雑に抗争し合うニューヨークの金融財界・金融ビジネス界ができあがっているのだということが、如実に見て取れるのである。

さらに言えば、アンドリュー・カーネギーが興したカーネギー家のようなアイアン・バロン(鉄鋼王・ピッツバーグが本拠地)、ジェイ・グールドやアベレル・ハリマンのようなレイルロード・バロン(鉄道王)、デュポンのような「化学王」、そしてヴァンダービルト家のような鉄道と軍事物資輸送から始まった古い家柄のような、「アメリカ民族資本」が勃興して、現在のアメリカの資本主義が形成されたのである。

 

■ロックフェラー家の“一大キャンペーン”


ロスチャイルド家は、この200年間にイギリス貴族集団の中に、6つの伯爵家を築き上げた。

それらのロスチャイルド系の貴族たちが、繊維業や製鉄業などの初期のアメリカの企業群を起こし、金融業を起こしたのである。だから、ロスチャイルド家の系統が、アメリカの企業群の土台を、今でも握っているのだ。

 


獅子と一角獣が描かれている
ロスチャイルド家の紋章

 

それに対抗して、「アメリカ民族資本」の形で、ロックフェラー系を筆頭にして、巻き返しに出たのである。そうやって、1920年代を境にして、アメリカ合衆国は、大英帝国の支配から脱出していった。そして、世界大不況の最中の1930年代から、自らが、世界覇権国になってゆく。

それが政治・外交的にも、世界金融体制的にも、はっきりと決着がついたのが、1944年7月の「ブレトン・ウッズ会議」である。この「ブレトン・ウッズ体制」で、IMFと世界銀行が出来た。だから、これを、「金ドル体制」とも「IMF体制」とも呼ぶのだ。イギリス代表、ジョン・メイナード・ケインズは、アメリカ全権のマーシャル財務長官に押し切られた。

その後、1971年のニクソン・ショック(ドルの金との兌換停止)で、米ドルの信用が崩壊した。このときから、「金ドル体制」は終わり、その後は、「修正IMF体制」となった。より正しくは、「米ドル紙幣(紙きれ)体制」と呼ぶべきなのだ。世界中にあふれた米ドル紙幣の信用は、今なお危機の中にある。〈中略〉


ロックフェラー家については、さかんに「ロックフェラー家は、ユダヤ系ではない」というキャンペーンが世界的に張られ続けている。ロックフェラー家は、もともと、スコットランド系のプロテスタントの、バプティストの敬虔な家柄である、という説を流す人々がいる。これは日本国内にもかなり広く宣伝されている。ある特定の人々がその係を務めている。日本のちょっとした訳知り知識人たちは、そうした人々から強く吹き込まれているので、大きな事実を見失ってしまう。

このことは、そもそもユダヤ人とは何か、という問題に関わるのであって、「伝統的に毛皮商人や酒類販売業や金融業系の商人をやってきた人々」のことをユダヤ系と言うならば、ロックフェラー家は明らかにユダヤ系である

こういう事実に対して、怯えて、恐れて書かなかったり、知らないふりをすること自体がおかしいのである。わずかでも「ユダヤ系の人々」という言葉を使うと、すぐに陰謀論者扱いして忌避する。その割には、人のことを陰謀論者のように見なす人々ほど、それらの本をひそかに熱心に読んで信じ込んでいる輩(やから)が多い。

日本の言論人・学者たちは、小心者の上品ぶった怯え根性の、文明の周辺属国特有のインテリの精神構造をしている。私は、政治思想分析から入ってきた人間であるから、いいかげんな俗説や、くだらない質の悪いレベルの「ユダヤ陰謀論」の類などに動じることは一切ない。および、人をユダヤ陰謀論者として嘲笑することで知識人ぶっている人々がいるが、その人々自身が自分の知性の程度を、周りから検証された方がいい。

私は、この金融・経済ものの本では、政治思想や政治外交問題を扱うことはできないので、興味のある読者は、私が書いた他のアメリカ政治思想ものの本を参考にしてほしい。

 

■われわれが連帯すべきアメリカ人とは?


グローバリストたちの本質は、世界統制経済主義者であり、「大きな政府」政策である。彼らは個人(自己)責任の原理をかなぐり捨てる。日本に無理やり強要して、「公共事業をもっとやれ」とか「銀行を公的資金で救済せよ」という統制経済をやらせている。そんな内政干渉をやる権限が彼らにあるはずがない。そして、彼らの行きついた果てが、人権思想と平等思想で世界を覆い尽くすことである。

「人権思想」「平等思想」「デモクラシー」の三本立てを、世界中の人々に最高価値として信じ込ませる。自分たち自身も心底から信じているようなふりをして、実は、この「人権と平等とデモクラシーの三本柱」で世界を支配する。

もし、これらの大理念(大正義)に逆らう者たちがいるとしたら、それはかつてのナチスのヒットラーや日本の東条英機、昭和天皇・裕仁などと同じファシストである、という言い方で言論弾圧するのである。グローバリストの政治思想とは、そういうものだ。そして彼ら自身は、それら人権や平等やデモクラシーのスローガンの上の方にそびえ立って、上から操る。自分たちだけは、アバブ・ザ・ラー(above the law)、すなわち「雲の上」に存在するのだ。

彼らと正面から対決する勢力がアメリカやヨーロッパに出現し台頭している。アメリカの本物の保守派である中小企業の経営者たちや農場経営者の男たちが敢然と、彼らニューヨークの金融財界を握るグローバリストと戦っている。それが、一番大きく見たときの、アメリカの政治の動きである。


私たちは、「人権、人権」と常に言いつのる人間たちの見苦しさと醜さを、正面から見据えなければいけない。「人権」と「平等」と「差別反対」を始終唱えて、自分たちが虐げられ、いじめられている人間の集団であることを「利権」にしている動きがある。グローバリストは、まさしくこれの世界規模での動きであり、つまり「人権屋」たちの世界的な動きである。だから、それらを、冷静に見極めている賢明なアメリカ人たちが、頑として大きな勢力としてアメリカには存在するのである。私たちは、この人々と連帯すべきである。

「金融システムを守るため」ならば、何をやってもいい、どんなことでも許されると、グローバリスト、および、その日本対策班(ジャパン・ハンドラーズ)および、日本国内の手先たちは、心底信じ込んでいる。〈中略〉

 

■三井と住友が組んだ意味の深さ


日本の三井系は伝統的にロスチャイルド系統である。日銀も、三井系と同じくロスチャイルド系である。初代(かつての第一国立銀行、のちの日銀)日銀総裁だった渋沢栄一も、三井系であり、従ってロスチャイルドの人だった。日本では、さくら銀行(三井銀行)や三井物産が、伝統的にロスチャイルド系である。日銀には、こことの連携が見られる。今の日銀の所在地である日本橋本石町というのは、三井系のビル(三越デパートもそう)が立ち並ぶ一郭である。そして、三菱が、明らかなごとくロックフェラー系である。

それでは、住友はどうなのか。住友は、実は、歴史的に、「ドイツ重化学工業」系である。四国の別子の銅鉱山から始まった住友は、ドイツの重化学工業と関係が深い。だから、このたび、三井と連合を組んで、親ヨーロッパ勢力となってまとまったのである。ただ、このあとが、はっきりしない。ロックフェラー系とロスチャイルド糸の両派が入り乱れて、どっちつかずの人々も多い。

今回、三井系は、ついに住友銀行と合併するという動きに出た。ここまで、日本の財閥系も、追いつめられてきたのである。再度、重要なことを書く。住友とは、歴史的に、ドイツの重化学工業群との連帯を取ってきた勢力なのである。だから、三菱に対抗して、三井と住友が組んだということは、世界規模での金融財界の大抗争に呼応して、日本国内の財閥系のフォーメーションが決定された、ということだ。

アメリカの金融界をほぼ制圧しつつあるだけでなく、世界を支配しつつあるロックフェラー系に対して、「ヨーロッパ・グローバリスト」であるロスチャイルド家と、ダイムラー・クライスラー(=ドイツ銀行)を筆頭とするドイツの重化学工業資本が、団結して立ち向かおうとしていると捉えることができるのである。

その証拠に三井物産や日銀を退職した若いエリートたちが、ロスチャイルド系の「投資顧問会社」を次々に立ち上げている。


※ 以上、副島隆彦著『堕ちよ! 日本経済』(祥伝社)より
(P187~191、P207~212、P234)

 

 


 

■■Part-1


■日本の三井=住友系と三菱系の戦い・対立と置き換えてみてください


20世紀とは、ソビエトとアメリカの戦いではなくて、本当は、イギリスとアメリカの闘いの世紀だったろう。ロスチャイルドとかロックフェラーとかいう言葉を目にすると、「陰謀論の本だ」と言って避けようとする。しかし私は、いわゆる陰謀論者ではない。すべて証拠をあげながら書く。だから、私は次のように読者を説得する。

私が本書で使う、ロスチャイルド財閥とかロックフェラー系という言葉を、そのまま日本の三井=住友系と三菱系の戦い・対立と置き換えてみてください。大きくは同じことだ。そのように大きく理解してください。それなら、「ああ、なるほど。それならわかる」と、あまり抵抗感なく受けとめてくれるのではないか。

大事なのは、政治(外交、軍事=安全保障を含む)よりも経済(金融、国家財政、物流を含む)である。経済のほうが、私たちにとって大事である。私たちにとっては自分が生きているこの経済生活のほうがずっと切実である。だから私は、最近は、政治思想ものの本よりも、金融・経済ものの本を書くほうが多くなった。

日本はこれほどに追い詰められても、まだしぶとく生き延びると私は思っている。もうこれ以上、日本の大企業群が「ハゲタカ(ニューヨークの金融財閥)」どもに乗っ取られたら日本は本当におしまいだ、とみなが青ざめて思うギリギリのところの、土壇場まで行くだろう。その時、アメリカが内部から大きく崩れるだろう。神風は吹く。日本人はいまは耐えて耐えて耐え忍ぶしかない。〈中略〉

 

■「ロシア革命」とロスチャイルド


ロスチャイルド資本は、当時、世界で最大の金保有者であったロシアのロマノフ王朝にも目をつけた。彼らはロシア帝国が自分たちの同胞であるユダヤ人を迫害するのが我慢ならなかったという。そこで、レーニンやレオン・トロツキーといった革命家たちに資金を援助して、革命という体制の転覆を支援したのである。第一次世界大戦中の1917年にボルシェヴィキ革命が成功して、翌年にニコライ2世とその家族が全員銃殺された。

このことで、同王家が保有していた莫大な金塊は、革命の動乱のさなかに超安価でイギリス(ロスチャイルド)に流れた。

 


第14代ロシア皇帝ニコライ2世
(最後のロマノフ王朝一家)

※ 皇后の前に皇太子アレクセイ、皇帝の 
右に四女アナスタシア。夫妻の後ろ左から、
三女マリア、次女タチアーナ、長女オリガ。

 

この時期に、ソビエト共産党の軍隊である赤衛軍(赤軍)と対決する諸外国の干渉戦争や、反革命軍(白軍)への諸外国の支援があった。しかしそれらが実に緩慢だったのは、もともとレーニンの革命政権を真剣に打倒する気がなかったからだ。日本の「シベリア出兵」も、ずるずるとウラジオストクに居座っただけで、その後「各国協調」で呆気なく撤退してしまった。

 

■第一次世界大戦はロスチャイルドの世界管理政策の実行だった


南アフリカの金鉱山から多くの新産金がヨーロッパに流入し、さらにロマノフ王朝が所有していた金塊も流入したことで、1920年代以降、ヨーロッパでは一気に金保有量が増大した。この時期の世界の金の量は、5万トンぐらいだっただろう。

それでも、イギリスは国内の製造業は競争力をなくして振るわず、経済力の低下に歯止めをかけられなかった。いまのアメリカ帝国が、巨額の財政赤字と貿易赤字を抱えて苦しんでいるのとよく似ている。そしてとうとうイギリスは、1914年には耐え切れずに金本位制をいったん停止せざるを得なくなってしまった。この直後の第一次世界大戦を経てイギリス経済は決定的に没落してしまい、代わってアメリカが台頭してくる。アメリカは肥沃な農地からの農産物と圧倒的な新興工業生産力を背景に、ヨーロッパ諸国に対して膨大な商業債権を手にしていった。

アメリカでは、ロックフェラー財閥が、石油エネルギー産業から始まって各種の産業を次々に握り締め、やがてはニューヨークの金融市場にまで手を伸ばした。とはいえ、まだまだロスチャイルド財閥の底力は、今でもすごいものがある。

ここで、そもそも第一次世界大戦とはどのような戦争だったのかを考えてみよう。

一般的な理解では、この大戦は、英仏と独の植民地の奪い合いの戦争だったとされている。イギリスは、フランスと協調関係を築いて、先進的にアジアやアフリカ地域で植民地を獲得していた。このイギリスの「3C(カイロ、カルカッタ、ケープタウン)政策」の推進に対して、「3B(ベルリン、バグダッド、ビザンチウム=コンスタンチノープル)政策」を推進したのが、ドイツを代表とするヨーロッパの後進新興国だった。つまり、第一次世界大戦は、後進新興国が「資源と植民地の再配分、再分割」を要求して起こった「帝国主義戦争」だったとされている。これにオスマン・トルコ帝国支配下の東ヨーロッパ地域やバルカン半島での民族問題が複雑に絡んで激化した。


しかし、もっと違った側面からみれば、この大戦はロスチャイルド財閥による世界管理戦略に従って遂行されていたのだと見ることもできるのだ。ロスチャイルド財閥は、大英帝国以外で当時世界に存在した旧態依然の「4つの帝国」を崩壊させようとしたのである。

「4つの帝国」とは、【1】ドイツ=ホーエンツォレルン帝国、【2】オーストリア=ハンガリー二重帝国(ハプスブルク家)、【3】ロシア帝国(ロマノフ家)、【4】東欧中東のオスマン・トルコ帝国である。

これらをまとめて瓦解させようと目論んだ。このことでロスチャイルド創業の地であるフランクフルトを奪い返し、現在の本家であるイギリスの地位を脅かす存在であるドイツ(オーストリア・ハンガリー帝国)の勢力を弱体化させ、ロシア帝国解体をも狙ったのである。地政学的に言うならば、ロシアが南下政策を採ることで、イギリス海洋帝国の世界中の「リムランド」(ユーロ・アジアの縁)の諸地域が脅かされていたからだ。


そこで、前記のように、革命でロシア帝国のロマノフ王朝を滅亡させてその金塊を奪い取り、早い時期から中東の油田地帯をも獲得しようとした。クリミヤ戦争後の混乱からオスマン・トルコ帝国がついに瓦解して、そのなかから非イスラム的な西欧近代化路線を掲げるケマル・パシャ(ケマル・アタチュルク)の国民革命が成功した。そのトルコでいま、圧倒的な国民の支持を受けて、反アメリカの雰囲気をもつイスラム教伝統主義にたつエルドアン党首率いるAKP党(正義と進歩党)が政権与党になっている。

アラビア半島ではイギリスの情報将校だった「アラビアのロレンス」の異名を持つT・E・ロレンス中佐が、オスマン・トルコ帝国からのアラビア地域の独立を煽って、砂漠のヴェドウィンの族長たちを動かした。ロレンス中佐は、「ハーシム家」のファイサル王子に接近してアラブ民族の独立運動に肩入れしていた。イギリス政府は、初めはマホメット(ムハンマド)の正統の血筋を引く「ハーシム家」を支援していたのである。その後情勢が変わって「ハーシム家」、現在のサウド王家のイブン・サウドが権力を簒奪すると、イギリス政府はこれと結んだ。いったん退役させられたロレンスは、イギリスで事故死と見せかけられて殺された。

アラビア半島でそれぞれの部族ごとに民族固有の国家建設を認めたことは、オスマン・トルコ帝国を弱体化・壊滅させることでは効果を発揮したが、その後の中東地域に火種を残した。

こうして「4つの帝国の解体」が実現した。〈中略〉

 

■中東をめぐるロックフェラー 対 ロスチャイルドの石油利権争い


石油といえば、いまでは誰もが中東を思い浮かべるが、メジャーズが原油の宝庫とでもいうべき中東に進出するようになったのは、第一次世界大戦後、オスマン・トルコ帝国が瓦解してからのことである。1920年代のことだからそんなに昔のことではない。帝国主義の時代に入り、各国で重化学工業が著しく発展した状況においては、石油は非常に重要な資源と化していた。第一次大戦は石油が国家の命運を左右する戦略物資であることを、いやがうえにも示すこととなった。

本国イギリスの地盤沈下から、かつての勢いを失いかけていたロスチャイルド財閥は、相当な焦りがあった。自分たちの300年の伝統、そして欧州ユダヤ人の大財閥(彼らは各国の財政担当の貴族の連合でもある)という誇りからみたら、ロックフェラー家などは、同じユダヤ系とはいっても1860年代に石油から成り上がっただけの、アメリカの新興財閥であるに過ぎない。

このロックフェラー財閥に対抗するためにも、ロスチャイルド財閥は、中東での石油資源の利権確保に積極的に取り組むことになった。

そこで、大戦中の1917年には、ライオネル・ロスチャイルドの取り計らいによる「バルフォア宣言」をイギリス政府に出させた。この中東地域の領土分割に関する声明文は、イギリスの外務大臣であったバルフォアが、ライオネル・ロスチャイルド伯爵に向かって宛てた手紙の形を取っていると言われている。

 


ロンドン・ロスチャイルド家のライオネル・ロスチャイルド(左)と
イギリス外相アーサー・バルフォア。右の画像はバルフォアが
ライオネル・ロスチャイルド宛に出した手紙=
「バルフォア宣言」(1917年)

 

この「バルフォア宣言」はパレスチナにおけるユダヤ人の国家建設を認めることと引き換えに、エルサレム地方のユダヤ人たち(スファラディ・ジュー)の協力をあおいでいる。一方では、「フセイン・マクマホン協定」(1915年)を結んで、アラブ民族にも国家建設を認めることで、独立運動を支援し、トルコ帝国弱体化を図った。これらの相矛盾する中東戦略を当時のイギリス政府はとったのである。

イギリス政府は情報将校であった「アラビアのロレンス」を、勇猛なヴェドウィン(砂漠の民)の部族長であったハーシム家のフサインの長子ファイサルに接近させて、独立運動を煽動させた。こうして、オスマン・トルコ帝国崩壊後にそれぞれ独立させたアラブ部族国家とうまく利権を結び、実質的に傀儡政権を打ち立てて、これらの親イギリス新政権と親密な関係を築こうとした。

ところがこの時期にはすでに、ロックフェラー系のアメリカ系石油大企業も積極的に中東に進出しており、石油資源の争奪戦は熾烈を極めるようになっていた。

この争いが、現在にまで尾を引いている世界資源争奪戦の現在的な展開となっている。湾岸戦争もこの流れのなかにある。

 

■イギリスとフランスが勝手に決めた中東地図


ところが第一次大戦が終了してオスマン・トルコ帝国が崩壊しても、ロスチャイルド財閥を後ろ盾とするイギリスの中東政策は、あまり有効に機能しなかったようである。

現在の中東における国境線の枠組みのほとんどを規定したのは、大戦中の1916年4月にイギリスとフランスとの間で締結された「サイクス・ピコ協定」である。前述したパレスチナのユダヤ国家建設をイギリス政府が、欧州ユダヤ人全体の代表であるライオネル・ロスチャイルド伯爵(イギリスの伯爵)に認めた1917年の「バルフォア宣言」の前年である。

この「サイクス・ピコ協定」で、イギリスは新たにベイルートを植民地化した。また、シリアに建国させたアラブ国家をフランスの保護国として、この周辺をフランスの勢力圏とすることを英仏で相互承認した。それは、中東の人々の与り知らぬことである、勝手にイギリスとフランスが上の方で帝国主義国家として決めたことである。このことが、以後のさまざまな中東の国際紛争の原因となる。

「サイクス・ピコ協定(秘密条約)」は、一方では、イギリスにトランス・ヨルダン地方(ヨルダン河を渡ったこっち側という意味)とアラビア半島にアラブ主権国家を建国させて、これを保護国とし、メソポタミア(現在のイラク)を自由裁量とする、と協定して、アラビア半島の北部地域をイギリスの勢力圏とするものだった。

 


第一次世界大戦後の中東

 

アメリカは大戦への参戦が遅れたためにこの「密約」から除外されており、当然のことながら不満を強めていた。また、英仏両国の間では、イギリスが油田地帯が集中するチグリス・ユーフラテス地域を独占したことで、フランスも不満だった。実際、フランスが協定で手に入れたシリアでは、石油も出ないし戦間期の部族の反乱と独立暴動への処理に追われて、治安部隊の派遣費用を負担することで財政負担を増しただけだった。


当時のイギリス国内では、オスマン・トルコ帝国への反乱を起こしたアラブ諸部族を支援するにあたって、意見の相違があった。すなわち、どの勢力を支援するかでもめていた。当時のアラビア半島には、イスラム教のなかでは大多数を占めているスンニ派の守護神として、聖地メッカの太守(カリフ)である「ハーシム家」がいた。「ハーシム家」は、預言者マホメットの直系の子孫だとされる。アラブのイスラム教徒の世界では、いまでも「ハーシム家」の権威は強い。

この「ハーシム家」の他に有力な「サウド家」があった。「サウド家」は、イスラム原理主義の厳格なワッハーブ派思想の守護者であるリヤド太守の家柄である。そして言うまでもなく、この「サウド家」が現在のサウジアラビアの王家である。すなわち「サウドのアラビア」である。

このように「サウド家」と「ハーシム家」という2つの有力な家系が古くからあった。

 

■アラビアのロレンスは暗殺された


イギリスでは、外務省アフリカ局が「ハーシム家」への支援を主張した。これに対し、インド総督府インド局は「サウド家」を推した。結局、前者の「ハーシム家」支援策が大勢を占めて、T・E・ロレンス中佐が派遣されて、背後からの軍事支援が始まる。

これが、大作映画『アラビアのロレンス』に描かれている、トルコ帝国のアカバの要塞への背後の砂漠からの攻撃とか、列車の線路爆破とかの「砂漠の反乱」を引き起こさせた。実際に史実としても、ヨルダン地方の地中海への出口であるアカバ港を、奇襲攻撃で攻め落とすなどして、大いに成功した。

 


(左)イギリスの情報将校だったT・E・ロレンス中佐
(右)イギリスの大作映画『アラビアのロレンス』
(1962年制作/ピーター・オトゥール主演)

 

ところが、この「ハーシム家」を支援したイギリス政府の選択は、その後この地域の王族(部族連合体の族長たち。首長が各々首長国を作る)の主導権争いのなかで、外交上の決定的な失敗だということが明らかになった。当時のイギリスはスンニ派の守護者である正統の王族である「ハーシム家」を擁立したほうが、全イスラム教徒を糾合するうえで有利だと判断したのだろう。イスラム教全体では、「ハーシム家」を正統とするスンニ派が圧倒的な勢力を占めていたからだ。

ところが、アラビア半島では、イスラム原理主義思想であるワッハーブ派の教義の団結力が優勢だった。だから、「サウド家」のほうが力を持っていた。「サウド家」は、リヤドの太守であり、リヤド(サウジアラビアの首都)はジェッダと並ぶ要衝として繁栄していて、経済的な面でも軍事的な面でも「サウド家」のほうが優位な地位を占めていた。そのうえスンニ派の守護者である「ハーシム家」を支持すると、アラビア半島だけでなく、半島北部のイラクやトランス・ヨルダン地方のアラブ首長部族が居住する地域にまで、国家建設を承認する必要があった。

ところが、英仏の「フセイン・マクマホン協定」では、半島北部全体にまたがるひとつの大きなアラブ民族国家の建設を約束していただけだ。それで、「ハーシム家」の要求は、石油の利権獲得を目指すイギリスの国益追求と相いれなかった。また、ロスチャイルド家に率いられた欧州ユダヤ人の入植によって、いまのイスラエル、パレスチナ両地区での「ユダヤ民族国家建設運動」(シオニズム)を具体化しようとすると、激しい矛盾を引き起こす。

 


イスラエル建国前にパレスチナに入植したユダヤ人
(「キブツ」と呼ばれるユダヤ人の集団農場の様子)

 

こうして、不可避的に宗教戦争となる。戦略の失敗に気づいたイギリスは、ロレンス中佐を解任した。のちに彼は本国イギリスに帰って、1935年に二輪車による事故死と見せかけられて殺された。

イギリスは「サウド家」との関係を強化しようとしたが時すでに遅かった。ロックフェラー石油資本の後押しを受けたアメリカが、ロスチャイルド資本の影響力の強いイギリスの「二重外交」を、「三枚舌」と呼んで論難したからだ。

そして、両家の抗争が起きた。


1921年に始まった「ハーシム家」と、アブドゥル・アジーズに率いられた「サウド家」との間の抗争は最終的に「サウド家」が勝利し、1926年、「ハーシム家」が逃れ出た後のメッカに、「サウド家」が無血入城を果たすことで、アラビア半島統一が達成された。

この背後ですでにアメリカが動いていただろう。こうして、中東最大、すなわち世界最大の埋蔵量を誇るサウジアラビアの油田地帯を、ロックフェラー資本が握る遠因となったのである。

アラビア半島統一後の1927年、「サウド家」は「ジェッダ条約」を結ぶことで完全にイギリスの影響下から離れた。このことも、サウジのアメリカとの接近をますます強くした。

その後の世界情勢を考えれば、アラビア半島を勢力下に組み入れたことで、ロックフェラー資本のアメリカがロスチャイルド資本のイギリスに取って代わって世界覇権国として興隆していったことがわかる。だから、まさに、この時の中東でのイギリスの戦略的失敗がもつ世界史的意義は非常に大きなものだったと言える。

世界はロスチャイルド(金)とロックフェラー(石油)の戦場なのである。表面上はイギリスとアメリカの覇権をめぐる争いといってもよい。〈中略〉

 

■■Part-2


■ヒトラーを台頭させたのは、ケネディ大統領の父親ジョセフ・ケネディ


アメリカが1930年代に大恐慌に陥ったことで、ヨーロッパ経済も急激な経済活動の収縮状態に陥り、アメリカ経済以上の衝撃を受けてしまった。

1920年代にはアメリカでバブルが発生し、それによりヨーロッパに資本投資が増大していくことで、ヨーロッパ経済も経済成長を達成することができていた。が、そのアメリカの株価急落から投資家がいっせいに投資資金を引き揚げてしまったので、ヨーロッパ経済は急速に資金繰りに窮するようになった。

特にワイマール共和国下のドイツでは、第一次大戦の賠償金を賄うために、国債を大増刷した。そして、増発したこの国債を中央銀行に引き受けさせるために、また紙幣を刷り散らかした。その結果は明らかだった。ドイツで猛烈なハイパー・インフレが起き、国民生活を直撃する。いわゆる「レンテン・マルク」と呼ばれるもので、「お札の束の山」を荷車にのせて、それで日常商品を買う光景で有名である。

こうして戦争賠償問題は、1932年のローザンヌ会議で事実上終結する。ドイツ社会民主党(SPD)の重鎮シュトレーゼマンの死後、ブリューニング内閣やパーペン内閣の失政もあって、同年の選挙では鬱積する国民感情を集めて、ナチスが議席数で第一党に躍進し、1933年1月にアドルフ・ヒトラー内閣が成立した。

 


(左)アドルフ・ヒトラー (右)1933年1月30日にヒトラー政権が誕生


「ナチ党」の正式名称は、
「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」

 

翌年の1934年、ヒンデンブルク大統領の死去とともに、ヒトラーは総統に就任し、独裁権力を掌握した。この独裁政権は、ナチス政権の助言者となった経済学者のヤルマール・シャハトの国家社会主義的な軍需増産による「国民需要」の創造政策を実施した。

これは、「有効需要」を創造するケインズ政策とまったく同じものだった。これで、ヒトラーは国内経済立て直しに成功し国民の人気をいちだんと高めた。さらに、対外的には軍事的膨張政策を断行して、周辺国に侵攻併合を開始し、「偉大なるドイツ民族によるヨーロッパ第三帝国建設」に向かった。


国内では、プロパガンダ目的でユダヤ人を迫害したのは有名であるが、注目されるのはヒトラー政権とアメリカ国内との微妙な関係である。アメリカ人有力者の間にも、当初はヒトラーを支持した人々がたくさんいたのである。

たとえばジョン・F・ケネディ大統領の父親のジョセフ・ケネディが駐英大使としてイギリスに赴任していた時に、ネヴィル・チェンバレン・イギリス首相と親交を深めて、ともに対独融和策を支持した。このために、ヒトラー独裁政権下のドイツの台頭を促したのは有名である。

 


1939年9月18日号の米誌『タイム』の表紙を飾った
ジョセフ・ケネディ(ジョン・F・ケネディ大統領の父親)

 

アイリッシュ系(欧米白人社会では人種差別されて下層扱いされる)であるジョセフ・ケネディは、酒造業と金貸し業によって一代で身を起こし、ウォール街で財を成した相場師だった。だから戦争特需による好景気到来を期待していた経済通のチェンバレン首相とは、よく話があったという。

ジョセフ・ケネディが親ドイツだったのは、自身がアイリッシュ(アイルランド系)出身だったからとされる。長年の人種差別を深く憎んでいたために、イギリスのイングリッシュたちがドイツに蹂躙されて占領されてしまうのを内心望んでいたからである。このことは、今では公然たる事実だ。ドイツとの開戦を決意したルーズベルト大統領は、ジョセフ・ケネディの駐英大使任命を後悔したという。

ジョセフ・ケネディはその前は、SEC(証券取引委員会)の委員長を務めていた。だからニューヨークの株式が暴落することを知っていて、それで直前の暴騰価格で自分の保有権をすべて売り逃げ、巨利を得た。この時の恨みを買っていて、それで、のちに自分の息子や孫たちが次々と奇妙な死に方をするのである。ジョセフ・ケネディのために株式の暴落で自殺に追いやられたWASPの実業家たちがたくさんいた(当時の自殺はビルからの飛び降りか、ピストル自殺である)。

 

■ロックフェラー財閥とドイツとの親密な関係


さて、ここで特筆されることは、第二次世界大戦後にトルーマン大統領とアイゼンハワー政権下で国務省顧問、のちに国務長官としてサンフランシスコ講和条約締結と日米安全保障条約成立に際してアメリカ側の担当責任者として日本人にも馴染みのあるジョン・フォスター・ダレスと、ドイツとの関係についてである。

 


第二次大戦中、ナチス・ドイツとアメリカを結ぶ
資金ルートに深く関与していたダレス兄弟

※ 左が弟のアレン・ダレス(CIA長官)で
 右が兄のジョン・フォスター・ダレス(国務長官)

 

1923年から2年間、駐独アメリカ大使だったアランソン・ホートンが、当時のドイツ財界に歩調を合わせて、「赤の国よりは独裁政権のほうがよい」とはっきり述べていたように、アメリカは、当初はヒトラー独裁政権の成立を支援していた。

1920年代からアメリカでのニッケル生産を独占していた「インターナショナル・ニッケル社(INCO)」という会社がある。同社は、ロックフェラー直系でニュージャージー州に本拠があったが、独占禁止法の適用を逃れるためにカナダ国籍となっていた。この会社が、ニッケル価格でドイツの「I・G・ファルベン社」とカルテル価格を結んだ。また、マグネシウム生産についても、ロックフェラー系の「ダウ・ケミカル社」や「アルコア社」は、同じく「I・G・ファルベン社」とカルテル協定を結んでいる。

 


ドイツの巨大企業「I・G・ファルベン社」(1935年)

※ この会社はドイツの化学工業をほぼ独占し、ナチスに対して巨大な財政援助をした

 

「I・G・ファルベン社」というのは、ジョン・デヴィッドソン・ロックフェラー2世の弟のウィリアム・ロックフェラーが買収した「ナショナル・シティ銀行」の支援で成立していた企業だから、難なくそうした提携関係を築くことができたのである。そして、非鉄関連の提携に続いて戦略物資である石油についても、ロックフェラー“本体”ともいうべき「スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー」と「I・G・ファルベン社」は提携関係を結んでいる。

この「スタンダード・オイル・オブ・ニュージャージー」は、1911年に独占禁止法が制定されて、「スタンダード石油」が解体された後のロックフェラー財閥の中核企業であった。同社は、のちに「エクソン社」となる。

 

「スタンダード石油」=現エクソン社
※「エクソン」の海外ブランド名は「エッソ」である

 

こうしたドイツとアメリカの資本の提携関係が、ドイツの軍事独裁体制の樹立に大きく貢献したのは言うまでもない。当時のドイツは、重化学工業部門では世界一の技術力と生産力を持っていた。ナチス独裁政権の対外膨張政策を、このようにしてロックフェラー系統のアメリカ企業が陰から支援していたのである。

第二次世界大戦中にも、当時の当主だったジョン・D・ロックフェラー3世の、弟のネルソン・オールドリッチ・ロックフェラーがジョン・フォスター・ダレスを通じてドイツに石油や食料を密輸して儲けていたことが暴露されている。アメリカが当初、ヨーロッパヘの不介入主義を採っていたのもこのためである。のちにウィンストン・チャーチル首相の“説得”に応じる形で、ルーズベルト大統領はようやく参戦することになったのもこうした理由による。

 

■ロックフェラー主導による第二次世界大戦


さて、ロックフェラー財閥の狙いは、天敵のロスチャイルド財閥にあった。ヨーロッパを大戦の主戦場として“瓦礫の山”と化すことで、これに決定的な打撃を与え、世界覇権をロスチャイルド財閥から奪い取ることにあったのである。そして、ヨーロッパ製造業の中核であるドイツを、のちに「ユダヤ民族抹殺を企んだ戦争犯罪人」に仕立てることで孤立化させ、分断し、敗戦後、ヨーロッパが大同団結してアメリカに挑戦することを阻止するという深慮遠謀を持っていた。

一方、極東(東アジア)では、ドイツと並ぶ製造業大国になっていた日本をまんまと戦争に引きずり出すことに成功した。

 


第32代アメリカ大統領
フランクリン・ルーズベルト

 

「真珠湾奇襲」も、うまくルーズベルトによって仕組まれて、日本側を上手に計略に陥れて連合艦隊をハワイまでおびき出して、「日本に先に手を出させた」ものであったことは近年次々に証拠が現れている。その代表的な著作が、ロバート・B・スティネットの『欺瞞の日』(文藝春秋刊)である。

こうして日本を「英米ソ中」の連合国側という形で包囲して殲滅することで大敗北させ、敗戦とともに長期占領していまに至るのである。この時の「米ソの同盟」から現在の戦勝国側同盟=UN=諸国連合=国際連合が生まれたのである。

日本の敗戦後は、アメリカは日本を同盟国(もっと正確にあからさまな真実で言えば「属国」)とすることで、極東地域での覇権を確かなものにした。こうして戦後の国際通貨体制は「ドル基軸通貨体制(ブレトンウッズ体制、金ドル体制)」となる。重要なのは、前述したとおり大戦中の混乱期にアメリカに大量の金が流れ込んだことだ。この事実を背景にして、1944年7月に「ブレトンウッズ体制」が成立する。

 

■アメリカの金保有量が飛躍的に増大した理由とは?


関岡正弘著『マネー文明の経済学』によれば、アメリカは第一次大戦前の1914年末には僅かに2250トンの金を保有しているに過ぎなかった。それが、大戦が終わった1918年末には4350トンに増加していたという。

このことは、この戦争の期間に、アメリカが戦争特需による輸出増加で巨大な債権大国に急成長したことを裏付ける。1930年頃には、20年代の好景気のために、さらに、約6800トンにまで金保有量を増加させていたという。

アメリカはそれまでは「ヨーロッパにとっての満州国」扱いだったのが、ここまでの保有金の増大で、名実ともに経済大国になった。計画どおり順調に金保有量を増加させてきたことを示している。ところが、1934年にルーズベルト政権はニューディール政策を旗印にした危機突破の統制経済体制へ移行し、金本位制から離脱した。これに伴って前述したとおり、民間の金保有を法律で禁止して、国内の金をすべて政府が吸収したのである。

同年から1941年にかけての8年間で、なんと計1万5000トンもの大規模の金がアメリカ国内に流入したという。さらにはアメリカの金保有量が最大になった1949年には、実に約2万2000トンに上ったのである。先に述べたように、金本位制を採っていた19世紀後半の全盛期のイギリスでさえ、金保有高は1000トンに満たなかったというのだから、この数字はまさに巨大なものである。

第一次大戦の期間中にアメリカがヨーロッパに農産物や工業品を輸出して得た金の量は2000トンに過ぎない。なのに、第二次大戦の期間中に、なぜこれほどの莫大な規模の金がアメリカに流れたのだろうか?


関岡氏の前掲書『マネー文明の経済学』が引用しているが、『ワールズ・マネー』(マイケル・モフィット著、日本経済新聞社刊)の次の記述が注目に値する。

『BlS(国際決済銀行)』は中央銀行中の中央銀行として知られており、1930年にドイツの賠償金支払いを統括するために作られた。……BlSはドイツ国内にあったユダヤ人の資産をドイツから逃がすルートとなっていて、しかもこのことをドイツ政府の目から隠していた。」
(マイケル・モフィット著『ワールズ・マネー』)


この一文に大きな秘密が隠されているのだ。そして、ここに「BIS(国際決済銀行)」という、今の日本の大銀行を苦しめている国際機関の名前が浮かび上がってくる。南アフリカからもイギリスの植民地にされたことで、大量の金がイギリスに流入していた。こうした金が、ナチスのユダヤ人迫害政策を逃れてアメリカに渡ったユダヤ人たちとともに、アメリカに移転したのであり、「BIS」という奇妙な国際金融機関がこれを仲介していたのである。

ロックフェラー財閥がヒトラーのナチス独裁政権を陰で支援していたのと同時に、ルーズベルト政権がこれと連携して動いて、法律でアメリカ国内の民間の金保有を禁止した狙いがここに隠されていたのである。

 


第一次世界大戦後、ドイツの賠償問題処理のために
1930年にスイスに設立された「BIS(国際決済銀行)」

しかしこの銀行はヒトラーの政権掌握以降、アメリカとイギリスの資金が
ヒトラーの金庫に流入する窓口の役目を果たすようになり、
正反対の機能を持つ銀行になった

 

ちなみに「ロックフェラー家はユダヤ系ではない」という言論キャンペーンが張られているが、まともなアメリカの男たちは鼻で笑い飛ばす。だから現在の世界は、欧州ユダヤ人とアメリカユダヤ人との大いなる闘いの舞台なのである。

 

■基軸通貨をドルとすることで世界を支配する


第二次大戦後の世界の枠組みとなったのは、「ブレトンウッズ体制」である。戦争が終わる前年の1944年7月、アメリカのニューハンプシャー州ブレトンウッズの町に44ヶ国の代表が集まり、戦後の国際通貨体制のあり方をめぐって協議が行われた。ここで22日間にも及ぶ協議の末、アメリカ代表ハリー・デクスター・ホワイトの提案が、イギリス代表ジョン・メイナード・ケインズを打ち負かした。〈中略〉


ホワイト案に沿って成立したブレトンウッズ体制=IMF体制は、イギリスが覇権を掌握していた頃の金本位制下の世界銀行システムと比べても独善的なものである。排他的に米ドルだけが金との兌換通貨であるとするのは、「世界的な統一通貨・統一秩序の設定」という観点からは通貨理念の矮小化である。これは、アメリカ政府が2万トンを優に上回る膨大な金を保有していたからこそ可能となったシステムだ。この2万トンの金は当時の世界の金の総量の4割ぐらいあっただろう。

むろん、金と結び付けただけで米ドルが基軸通貨になれるわけではない。世界中にドル紙幣を普及させて、より多くの人たちが米ドルを交換手段や貯蔵手段として使うようにしなければならない。当時の世界経済は、ヨーロッパでも、また極東の中心である日本でも、戦争の痛手から焦土と化し、経済状態が疲弊していた。だからアメリカ国内からの民間投資がこうした地域に向かうことは到底考えられなかった。

そこで、アメリカ政府は、“共産主義に対する防御”を大義名分として、政府借款(ガヴァメント・ローン)により、西側陣営諸国に対外援助を積極的に行った。1948年から1951年までの4年間に、西欧諸国に対しては、戦後復興資金として、当時としては巨額な規模に達する125億ドルを貸し付けた。これが「マーシャル・プラン」である。

名付け親のジョージ・マーシャル元帥は戦後は国務長官となり、世界の金融政策の担当だった。ヨーロッパの国々は生活必需品である食料や石油をアメリカから購入するために、アメリカ政府から政府借款として借り受けたこの復興援助のドル資金を、アメリカの銀行に預金した。このことで信用創造メカニズムが機能し始め、これで資本主義経済が急速に興隆して、世界経済が立ち直っていった。

 


ジョージ・マーシャル元帥

1953年に「ノーベル平和賞」を受賞

 

また極東でも、1950年から1951年にかけて行われた朝鮮戦争が、日本の経済復興に大きな役割を果たしたことは有名である。日本に対しても、「ガリオア・エロア基金」に基づく復興援助金が与えられた。共産主義に対する脅威が西側各国での資本主義体制の復活を促進した。

ソ連や共産主義に対する恐怖・脅威を盛んに煽ることで、石油産業と結び付いたアメリカの兵器産業が潤ったのはいうまでもない。しかしそれだけでなく、アメリカ経済の商品の“購入先”として、西欧経済や日本経済を計画的に復活させて資本主義経済システムに組み入れ、復活させた。そして同時に政治外交の場面から、軍事同盟としてのNATO(北大西洋条約機構)体制や日米安全保障条約を成立させて、アメリカは文字どおり世界覇権国となり、西欧諸国のそれ以上の復活を押さえ込み、日本の属国化を実現した。

このことを私たちは肝に銘じるべきである。このことは単に「対等な同盟国の関係としての日米関係」という表面的な奇麗事ではすまないものである。

 

■ソ連内部でもロックフェラーとロスチャイルドの争いが


さらに、時代は進む。冷戦下のヨーロッパ諸国がいちばん恐れたのは、ソビエトの核兵器ではない。それよりはロシア軍の陸上兵力の中心である大戦車部隊なのである。第二次世界大戦でドイツのタイガー戦車隊(ドイツ機甲師団)を打ち負かしたソ連の重戦車部隊に、ヨーロッパ各国が国境線を突破されて蹂躙され実際に占領されるのがなにより怖かったのである。

 

 

日本でもおなじく、右翼団体を従来の天皇崇拝の国粋主義(排外主義)から、奇妙な「親米反ソの右翼思想」に仕立て上げて資金支援し、共産主義思想の危険性を煽りたて、反ソ思想で国民を統合してきたのである。

現在でも日本の保守派言論人の大半は、一見したところは愛国主義で国粋主義的であるにもかかわらず、実際には骨の髄まで親米主義者となっている。こうした“アメリカの手先”ぶりを見ていると、これらのことがよくわかる。政治漫画家の小林よしのり氏が、彼ら盲目的な親米保守派の言論人たちを、アメリカに条件反射的に尻尾を振り続けるということで、「ポチ保守」と名づけて激しく論駁を行っていることは注目に値する。

何が本物の愛国であり、日本民族の利益を守ることであるのかは、なかなか判別が困難であるが、ここまで巧妙に民族主義思想の中身にまで、計画的な洗脳(ブレイン・ウォッシングあるいはマインドコントロール)が行われて、日本国民が操られてきたのだと知ると、私はいよいよ深刻な気持ちになる。


ここからは余談になるが、当時、IMF体制の“生みの親”だったアメリカ側代表のハリー・デクスター・ホワイトが、後にソ連のスパイだったことが暴露された。しかし、この謎は解明されつつある。ロックフェラー財閥は、密かにスターリンとつながっていたのである。

 


日本に突き付けて日本を挑発した
『ハル・ノート』を書いた張本人である
ハリー・デクスター・ホワイト財務省特別補佐官

※ 後に彼はソ連のスパイとして糾弾されただけでなく、
ソ連KGBの元諜報員ピタリー・パブロフの証言によって、
『ハル・ノート』そのものがソ連で作成され、彼に提供
されたものであることが明らかになっている。

 

ソ連では1953年のスターリン没後、「スターリン批判」が起こり、党内権力闘争の末にマレンコフやカガノヴィッチ、モロトフらの指導者たちを追放して、ニキータ・フルシチョフが最高権力を握った。しかし、このフルシチョフ政権は反スターリン主義路線を標榜して、“デタント”(東西緊張融和)政策を推進したので、フルシチョフはやがて失脚してしまった。

1964年のフルシチョフ追放後、ロックフェラー資本の意のままになるレオニード・ブレジネフが後継独裁者として擁立された。これで再び、世界は緊張関係が盛んに宣伝され、米ソが核兵器開発を競争しあう軍拡路線に戻った。アメリカでは、1980年代のロナルド・レーガン政権の軍備拡張路線(対ソ強硬路線)につながっていった。戦争を煽る者たちが裏から世界を支配している。〈中略〉

 

■アメリカの石油支配を加速させた第二次世界大戦


第二次世界大戦でヨーロッパが“瓦礫の山”になると、中東でのアメリカの絶対的優位性はますます強まった。そして、こうしたアメリカの絶対的優位性の確立は、以後の幾多の石油戦争において決定的なものとなるのである。

サウジアラビアでは独立前後の戦乱が続くなかで、メッカやメディナに巡礼する人たちに課す巡礼税からの収入が激減して、また1940年にはイタリア軍がダンマーンの油田地帯を爆撃したことで石油生産も停滞してしまった。かつては財政支援をしてくれたイギリスも、戦勝国になったとはいえ、著しく疲弊したので、サウジを援助できるような状態ではなくなっていた。

それに代わってアメリカがサウジに進出した。この時から「ソーカル」と「テキサコ」は「サウジ政府の意向を代弁する存在」とまで化していまに至っている。

 


サウジアラビアの国旗

 

サウジアラビアの原油生産は戦後急いで再開されたが、これに対してイラクの石油事業に参加していた石油企業は「赤線協定」(トルコ石油シンジケート)による規制に縛られて、積極的に事業活動を展開することができず、「ソーカル」や「テキサコ」に敗れてしまった。

この結果、「BP」や「シェル」は赤線協定の廃止を主張するようになり、またアメリカも、サウジアラビアの巨大な油田を経営するために、前記2社以外に「エクソン」と「モービル」にも参入させようとした。これに対して、「フランス石油(CFP、後のトタール)」や「イラク石油」の創始者であるグルベンキアンが協定の廃止に反対した。しかし最終的に1948年に赤線協定は廃止されることになった。

これで、サウジアラビアでは、「ソーカル」の子会社である「CASOC」を「アラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー(アラムコ)」と名称を変え、「ソーカル」や「テキサコ」だけでなく「エクソン」や「モービル」にも出資させた。

これでアメリカは、世界最大の油田地帯での石油生産を本格化させていくのである。

 


中東全体の地図

 


■イランをめぐるロックフェラーとロスチャイルドの抗争


中東での石油をめぐる動きでもうひとつ付け加えておかなければならないのが、シャトル・アラブ川以東のペルシャ地方(いまのイラン)である。この地域は、西方のセム系アラブ民族とは異なり、昔からインド・ヨーロッパ系のイラン系民族が居住していた。西方のスンニ派のオスマン・トルコ帝国に対抗して、サファヴィー朝がシーア派を国教として対抗していた。その後の18世紀末以降は、トルコ族系のカージャール朝が支配していた。

この王朝は19世紀初め頃から北方のロシアと南方のイギリスの侵略を受けて苦しみ、20世紀に入り、第一次世界大戦では中立を表明したが、イギリスとロシア両軍に侵攻されて占領された。

ロシア革命が勃発してロシア軍が引き揚げた後、イギリスは1919年に不平等な条約を押し付けて保護国にしようとしたが、軍人リザー・パーレビのクーデターが成功して国王に即位すると、前記の不当な条約を拒絶して、反イギリスになった。「イラン」という国号も、1935年に同国王がそれまでの「ペルシャ」という国号から変えて命名されたものだ。

第二次大戦中、イランは反イギリスの立場から、親ナチス・ドイツの姿勢を採ったため、石油資源を守る目的で、イギリス軍はソ連軍とともにイランに侵攻し、同国王を追放して息子のリザー・パーレビ2世を擁立して傀儡政権を樹立した。

こうして、イランではイギリスの「BP」が、当時の「アングロ・イラニアン・オイル」という名称どおりの独占的な地位を保った。

 


「ブリティッシュ・ペトロリアム」
(英国石油:略称BP)

 

アメリカはイギリスとともに前述したモサデクによるイランの民族主義を1953年に鎮圧し、アメリカは石油開発のためのコンソーシアム(共同組合方式)の設立をイギリスに働きかけた。「BP」だけではなく、シェルやアメリカ系石油大企業5社、それに「フランス石油」を参入させることを提唱し、これを認めさせた。

その後、アメリカの中小石油企業が独占禁止法違反を盾に自分たちも参入したいと要請したことで、参加企業がさらに増えた。こうして、イランの湾岸油田では、アメリカの影響力が大きくなった。

1979年にホメイニ師のイスラム原理主義革命が起こるまで、パーレビ2世政権はアメリカへの依存度を強めながら、軍事支援を仰ぎ、近代化路線を強力に推進していったのである。このため、モサデクによる石油国有化の動きで利益を得たのは、結局はアメリカだった。つまり、「モサデク石油国有化革命」は、イギリスからアメリカが石油利権を奪い取るための、アメリカによる策謀だったのではないか。

 


イランの国旗

 

このように、イギリス(ロスチャイルド)とアメリカ(ロックフェラー)の世界覇権をめぐる闘いとして、20世紀の世界を見ることが重要なのである。20世紀の世界の対立構造を「アメリカ(西側自由主義陣営)対ソビエト(東側共産主義陣営)の対立」として見る癖を私たちは長年意図的につけられてきたが、本当はそうではない。英米の対決にこそ本当の20世紀の対立軸があったのである。


※ 以上、副島隆彦著『「実物経済」の復活』(光文社)より
(P5、P155~158、P165~178、P207~213、P217~221)

 

 


 

■■追加情報:満州国と「英米の対立」 ※ 副島氏による分析


当時、満州までは、日本が進出して、自国の領土として併合することを、イギリスはじめ、欧州列強は認めていた。

国際連盟のリットン調査団が来て、満州の占領状態の綿密な調査をした時も、「満州までは日本の権益として認める(私たち欧州列強も世界各地に殖民地を抱えているのだから)。しかし、中国にまで日本が手を出すことは許さない」という判断だったのだ。リットン卿はロスチャイルド一族の貴族である。日本側にそれとなく、この欧州の意思を伝えている。

特に、イギリス(まだかろうじて大英帝国)は、ロシア帝国の東アジア(極東)での南下政策を阻止するために、それへの抑止力としての日本の存在と役割を良く知っていたので、日本の肩をもっていたのだ。

 

 

それなのに、アメリカ(ルーズベルト、とその背後のロックフェラー財閥)に、そそのかされて、小村寿太郎と、金子堅太郎というロックフェラー家の息のかかった重要人物たちが、日本を中国進出に駆り立てていった。

「日英同盟」を無理やり破棄して、それで、日本はアメリカの策略に嵌まって、中国との戦争と言う泥沼に落ちてゆく。

 


小村寿太郎

 

アメリカの扇動を受けて、自分たちで“王道楽土”を気取って、満州帝国を築いていた関東軍の日本軍人たちが、暴走した。その首謀者は、河本大作大佐である。彼が、張作霖爆殺やら、それから、中国領土内への軍事侵攻を強行していった。いくら東京の政府が「やめろ、それ以上は出るな」と電報で言っても聞かなかった。

甘粕正彦少佐やらが河本の忠実な部下として動いた。戦略家の石原莞爾は、中国にまでは手を出すべきでない、とはじめのうちは分かっていたのに、河本大作には頭があがらなくて、それでずるずると拡大方針に従って、張河口(チャンチャコウ)という中国と満州の国境の町を越えて、日本軍は中国に攻め込んでいった。「日本人居留民団の安全を守るため」と称して。

それで盧溝橋事件を起こして日中の15年戦争の泥沼戦争になっていった。一国の指導者層が先の先が読めず、軍人が暴走して、自分たち自身の脳が外側の何ものかに洗脳され、扇動されているのではないか、という内省の能力がないと、こういうことになるのだ。

 


満州国の国旗

 

イギリスのロスチャイルド戦略では、「日本を守って、東アジアは日本に任せる」ということだったのだ。

“達磨(だるま)宰相”高橋是清は立派な人物だった。彼は、「中国には、経済援助をして助けるのがいいのであって、日本が軍事進出してはいけない」というのが、高橋の持論であり、政策だった。高橋是清は、原敬が、古河財閥(古河鉱山)のパトロン資金をつけてやって育てた政治家で、原敬は、陸奥宗光が育てた政治家で、彼らはすべて、イギリスのロスチャイルド家の系統の日本政治家だ。

 


高橋是清
(たかはし これきよ)

日銀副総裁。のちに蔵相、首相。
「ダルマ首相」と呼ばれて親しまれた。
「2・26事件」で青年将校達に射殺された。

 

イギリスは、日本が極東で戦争を始めることに反対していた。おなじく、ロスチャイルド家の日本代理人のひとりであり、三井家の銀行業での代理人を兼ねた渋沢栄一の子供たちも日本が戦争の突入することに反対して、阻止のために努力している。

真珠湾攻撃の時までの10年間、駐日アメリカ大使を務めたジョセフ・グルーは、J・P・モルガンの甥っ子であり、モルガン家はアメリカにおけるロスチャイルド家の総代理人であるから、日本がアメリカとまで戦争状態にはいることに反対し続けたのだ。

 


ジョセフ・グルー

日米開戦時の駐日アメリカ大使。
開戦と同時に帰国し国務次官。
J・P・モルガンの甥である。

 

それを、アメリカのロックフェラー家が、イギリス・ロスチャイルド家の世界支配を打ち崩して、自分たちがすべてを握って、アメリカの世界覇権の時代を確立するために、日本を中国にけしかけて、侵略戦争をやらせたのだ。だから、ここで、米(ロックフェラー)と英(ロスチャイルド)の深刻な対立が世界を動かしていたことに私たちは鋭く気づかなければならないのだ。

この英米の対立の中にこそ、本当の20世紀の現代世界史の動きの中心があったのであって、アメリカとソビエト・ロシアの対立が20世紀の対立軸の中心ではないのだ。だから、私(副島)は、岡崎久彦氏が、「日本は、アングロ・サクソン(英米)と仲良くして、同盟を続けていさえすれば大丈夫」だとずっと描いてきたことに、「馬鹿なことを言うな」と、ずっとこの10年言い続けてきたのだ。

英米の対立の中にこそ、20世紀の、そして今の世界の対立の根本があるのであって、

ここを見ないで、一体、どこに本当の現代世界史の動因というのがあるというのか。

http://www.soejima.to/

 

 


 

■■追加情報 2:マッカーサーが連れてきた「ニューディーラー」の正体 ※ 副島氏による分析


■その1


日本国憲法の第9条の戦争放棄・非武装・戦力(国防軍)不保持というのは、ダグラス・マッカーサーという男と、その部下のフランクリン・ルーズベルト大統領の時代に始まる「ニューディーラー」というインテリのアメリカの「隠れ社会主義者」たちが、敗戦直後の日本に征服者として乗り込んで来て、日本国民に作って与えた、よく言えば理想主義の憲法である。

悪く言えば、日本国民を上から強制的に人格改造した。異様な統率力を持ち、狂暴な性質を併せ持つ東アジアの一種族である日本人が、再び暴れ出してアメリカに軍事的に反抗し、アジア覇権を求めないようにと、ガッシリと枠をはめるために作って与えた憲法である。

http://www.soejima.to/

 


ダグラス・マッカーサー

1945年8月30日から約5年半、
GHQの最高司令官として
日本占領に当たった

 

■その2


日本の戦後は、アメリカの政界の最も悪質な部分である「ニューディーラー」たちによってつくられた。

彼ら「ニューディーラー」たちは、1930年代のアメリカのリベラル勢力である。彼らの代表がフランクリン・ルーズベルト大統領であった。この一部が敗戦直後にマッカーサー元師の取り巻きとして日本にも上陸した。この者たちによって私たち日本人は、敗戦直後から現在までずっと管理・教育されてきた。

この事を英文で書くと次のようになる。

The New Dealers (i.e the prototypical globalists) brought int japan with their ideeas that brainwashed the japanese people duringt the Occupation years. As a result, japan has led a sheltered existence for the past half-century from the rest of the world in terms of prevailing political thoughts, thus creating a one-domineted ruling class. This ruling class then intentionally isolated the country from the outside, in order to maintain control over the japanese people.


【上の英文の訳】

「ニューディーラー」(すなわち、グローバリストの初期の形態)が、占領時代に日本に彼らの思想を植えつけた。その後、それらの意図的な思想が、日本国民の思考の中に根づいた。だから日本は、この半世紀の間ずっと、世界中で通用している本物の政治思想や考え方から壁を作られて遮られてきた。そして国内に専制的なひとつの支配階級をつくった。この支配層は日本国内の支配を維持するために、日本を外側世界と意思が通じない状態に置く原因をつくった。


この英文を、自分の友人や知人のアメリカ人やイギリス人その他の英語圏国民に見せてみるとよい。

政治問題に関心のある少し知的な英米人であれば、必ずそれなりの興味深い反応を示すだろう。もし、本当に頭の良い賢明なアメリカ人であったら、「どうして、お前は、このことを知っているのだ?」と驚かれたあとに、さらに多くの恐るべき真実をあれこれ語ってくれるだろう。


※ 以上、副島隆彦著『日本の危機の本質』(講談社)より

 

 



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