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作成 2005.4

 

「ナチス第四帝国」の謎

 

~「第四帝国」にまつわる不思議な話~

 
 

●ヒトラーの命令で、ナチス・ドイツは南極探検を実施していた。

ナチス・ドイツの南極探検について興味のある方は、当館作成のファイル「ナチス・ドイツの南極探検」をご覧下さい。

 


(左)アドルフ・ヒトラー (右)ナチス・ドイツの旗

 

●当時の各国は、ナチス・ドイツが南極に軍事基地を作るとは考えていなかった。場所が南極では、ヨーロッパから遠く、あまりに不便な土地であるため、効果よりも費用のほうが大きいことは明らかだったからである。

ナチス・ドイツの南極進出は少なくとも「現在の脅威」ではなかった。その証拠に、南極地方でのドイツ軍の動きに注意を払う国はほとんどなかったが、北極地方(ヨーロッパからは近い)におけるドイツ軍の軍事拠点づくりには、多くの国が過敏に反応していたのである。

 


(左)1938年、南極にナチス・ドイツの旗を立てる遠征隊の科学者たち
(右)ナチスの南極遠征隊に与えられたバッジのデザイン

 

●ところで、ヒトラーは本気で南極進出を考えており、単に基地を建設するどころか、ベルリンなみの都市まで建設するつもりであった、ともいわれている。いわゆる「ナチス第四帝国」というやつである。


「ナチス第四帝国」にまつわる「不思議な話」はいろいろと存在
しているが、その中の幾つかを紹介してみたいと思う。

 あくまでも“参考”程度に読んで下さい。

※「その1」から「その6」まであります。

↓↓↓

 


 

■■その1:ゲシュタポ長官がほのめかした「ナチス第四帝国」の存在


戦後、ドイツ国外に逃亡した元ナチスの高官は、次のような証言をしている。

 


ゲシュタポ長官
ハインリッヒ・ミュラー

大戦終結後、南米に亡命したとされ、
今に至るもその消息は不明である

 

「かつてアルゼンチンへ来る船の中で、ゲシュタポ長官ミュラーが不思議なことを私に言ったことがあった。これで第三帝国はおしまいだろうかという私の問いに対して、ミュラーはこう答えた。

第三帝国は12年で終わったが、まだ第四帝国がある。総統(ヒトラー)はその準備をなされておる。

時機到来までは時間がかかるだろう。一世代や二世代、もしかしたら三世代かかるかも知れぬ。我々の生きている間に実現するかも疑わしい。しかし、それでも良いのだ。我々は偉大な第三帝国のメンバーとしてその任務を全うしたのだから』と。

ヒトラーの運命に関して何か確実に知っているようなミュラーの口ぶりだった。

しかし、いくら聞いてもただ言葉をにごすだけでハッキリとした返事はなかった。知る必要のない人間には何事も絶対に教えないというのがドイツ軍の鉄則だったからこれは仕方なかった。


……ところで、もし第四帝国が存在していたら、なぜ私のような高官には知らされないのか? おかしいと思う人がいるかもしれないが、これは別におかしいことではない。

ミュラーも言ったように第三帝国のメンバーとしての我々の任務は終わったのだ。これからは第四帝国だ。

それには我々のような過去の人間ではなく、若く無限の力を秘めた新しいゲルマン民族が必要なのだ。ヒトラーは第三帝国内の裏切り者たちに随分と幻滅を感じていた。新しく始めるには古い血はすべて捨て去るのがベストなのだ。我々古き時代の者は我々の方法で生き続けていくしかない……」

 

 


 

■■その2:消えた25万人のドイツ人男女の謎


「ドイツには日本と同じように住民登録制度がある。この住民登録には職業、性別、年齢、家族構成などが克明に書き込まれる。戦後、ドイツに進駐した連合国側にとってこの住民登録制度は非常に役立った。ナチ戦犯狩りや犯罪者の割出しに利用出来たからだ。

しかし、同時にある信じられないような事実が判明した。

住民登録と実情を照会した結果、25万人のドイツ人男女が消えてしまったという事実が浮かび上がったのである。爆撃や病気で死んだ者、捕虜となって収容所に入れられている者などをすべて除いての数字である。せまいドイツにこれだけの人間を隠せる場所などあろうはずもない。

連合国側はこの事実に直面していろいろと調べてみたが、ハッキリとした結論は出せなかったという」

 

 

 


 

■■その3:元SS大佐の娘(17歳の少女)からの情報


●オーストラリア在住のジャーナリストであるケン・スネルは、『サイゴン・デイリー・ニュース』紙の記者としてベトナム戦争で活動していた1968年頃に、「ナチス第四帝国」に関する不思議な情報を入手した。

 


オーストラリア在住の
ジャーナリスト、ケン・スネル

ベトナム戦争を取材していた1968年頃、
「ナチス第四帝国」に関する不思議な情報を入手した

 

●当時、ケン・スネルは取材でベトナム南東部の街ブンタウに滞在していたが、7月8日の午後3時頃のこと、「グランド・ホテル」のロビーでコーヒーを飲んでいると、ピンリン・グローガーと名乗る17歳の美少女の訪問を受けた。ケン・スネルのことは新聞の写真つきコラムで知っていたという。ケン・スネルはときどきヒトラーにまつわるミステリーを記事にしていたのである。

ピンリンはハノイ生まれで、母親はベトナム人父親はドイツ人だったが、父親は彼女が生まれたときは既に行方が知れなかったという。

ピンリンが9歳になると、サイゴンの伯母のところに預けられ、その3年後に母親が亡くなったとの手紙が届いた。その手紙は彼女の母親の死を伝えると同時に、さらに衝撃的な事実を明らかにするものだったのである。

 

ピンリン・グローガーと名乗る17歳の少女
の父親カールは元SS大佐でマルチン・
ボルマンの直属の部下だったという

 

●手紙は、彼女の両親をよく知る僧侶ヒップ・シーリンからのものだった。

この手紙によって、彼女は自分の父親の秘密を知ったのである。彼女の父親カール・グローガーは、なんとSS(ナチス親衛隊)の大佐で、マルチン・ボルマンの直属の部下だったというのである。

しかも彼は、ドイツの敗戦に備えてヒトラーやボルマン、そして科学者ら政府の要人たちを逃亡させるルートを確保するという極秘任務についていたという。逃亡用の中継地点として、アジア各地の寺院も候補地として挙げられていたらしい。

 


マルチン・ボルマン

ドイツ敗戦直前まで、総統秘書長、
副総統、ナチ党官房長として
絶大な権力をふるった

 

●ドイツ敗戦後、彼女の父親グローガーは僧侶ヒップ・シーリンの寺院に身を潜めていた。そしてグローガーは「世界で最も権力のある2人の人物に会いに行きます」と言い残して、寺院をあとにしたという。

その後、チベットの奥地から寺院を訪れたラマ僧によれば、チベット東部の寺院に「謎の2人連れ」が滞在しており、その2人を見慣れない武器を持った兵士が護衛しているとのことだった。

 


(左)チベット仏教の総本山「ポタラ宮」(右)チベットの地図

 

●1948年、元SS大佐のグローガーは再びハノイに姿を現したという。そして再び僧侶の寺院に泊まったが、そのときは3人の科学者が同行しており、僧侶は、そのうちのひとりが「宇宙旅行の鍵を握る人物だ」と紹介されたという。また彼らはグローガーの案内で、ある場所に行ってきたと話したという。

「そこはどこなんです?」

僧侶が何気なく聞くと、「世界の果てさ」と、グローガーは笑いながら答えたという。


●グローガーが次にハノイに戻ってきたのは1951年で、ちょうどピンリンが生まれる1年ほど前のことだったという。このときグローガーはナチスの秘密を部分的に明かしたという。彼は僧侶に対して次のように語ったという。

「私の祖国は地球上でもっとも進歩している。しかもある“別の存在”から援助を受けているんだ。“第四帝国”にとって過去は何の意味もない。たとえば、われわれが生みだしているものはすべてが驚異的なものだ。“別の世界”まで飛んでいける飛行装置や地球の中心まで侵入可能な飛行潜水艦。そう、巨大な都市も建設した。防衛システムがまた独特なんだ……」

そこまでいうと、グローガーはしゃべりすぎたという表情を見せたという。

しかし僧侶が「そこはどこにあるのですか?」とたずねると、

「空路じゃ無理だが、陸路なら行くことができる。月は見えないが、“地球の太陽”が見える……そんなところさ」と教えてくれ、翌日、彼はいずこともなく去っていったという。

 


 

●後日、この話は『サイゴン・デイリー・ニュース』紙のケン・スネルのコラムで紹介され、大きな反響を呼んだ。

「手紙に記されたことが事実である可能性はきわめて高い。とにかくこの謎の鍵を握っている人物がほかにもいるはずだ……」

彼はこう記してコラムを締めくくっている。

 

 


 

■■その4:ヒトラーが夢中になっていた「虹の都」伝説と「トゥーレ」伝説


南極大陸の地底にあるとされる「虹の都」伝説に、ヒトラーは特に興味を持っていたという。

伝承によれば、この「虹の都」は、今から250万年前に飛来した天人の子孫「ハクラン」が、南極大陸の地下300mに建設した地下都市であるという。


●「虹の都」伝説によると、都市は全部で7つあり、「赤の都市」「青の都市」「緑の都市」など、虹の色にたとえられた名前で呼ばれていたという。地下都市全体が「虹の都」と呼ばれるのも、このことによるものであるという。

都市は6層から成っており、厚い氷で囲まれたような都市は、グラスファイバーのような半透明の物質で建設されていて、光源は人工照明のほかに、太陽光を巧みに取り入れる工夫がなされていたという。都市内部は、春のような暖かさに気温が保たれており、街路には背の高い針葉樹林が整然と連なっていて、各都市は透明なチューブで結ばれ、その中を変わった乗り物がすばやく動いていたという……。

 

 

●また、ヒトラーは北極地方「トゥーレ」伝説にも夢中になっていたという。

虹が舞い、不死の人々が住むという「トゥーレ」の楽園伝説は、昔、地中海諸国では広く知られていたが、その所在については「この世の果て」とか「霧に覆われた世界の辺縁」というふうに、漠然と語られるに過ぎなかった。

この「トゥーレ」伝説と結びついた、北方の霊性復活を掲げるゲルマン教団の秘密結社「トゥーレ協会」の運動を基盤にして「ナチ党」は誕生したが、「ナチ党」はドイツ・ゲルマン民族こそ「トゥーレ」に住んでいたエリートたちの血を受け入れ、神人を生み出す宿命を担った選ばれた民族だと主張していた。

※「トゥーレ協会」に興味のある方は、当館作成のファイル
「ナチスと秘密結社 ~『ナチ党』のルーツ~」をご覧下さい。


一説には、「トゥーレ」とは、北極を入り口とする地底世界のことであり、「シャンバラ」伝説と同じものだと言われている。

 

 


 

■■その5:ネオ・ナチ最高実力者の証言


●ある研究家がニュージーランドのオークランドで、ノイエ・ナチス(ネオ・ナチ)の「最高実力者」といわれる人物に会って話を聞く機会に恵まれたという。

その人物は、ニュージーランドの大規模な牧場で羊飼いをしており、第一印象ではとても「最高実力者」には見えなかったそうだ。

 

 

●2人の間で、次のような質疑応答が行われたという。

「なぜニュージーランドで羊飼いをしているのか?」


「いや、こちらからベルリンに行くにしても、ベルリンから来てもらうにしても、ここがいちばん便利だからね」


「ベルリンに行くのにニュージーランドがいちばん便利? 世界地図を見ればわかることだが、ドイツのベルリンとニュージーランドでは、地球の表裏をなすほど距離が離れている。それが便利とはどういうことだろうか?」


「ああ、今のベルリンは遠いよ。そのベルリンではない。『第四帝国』のベルリンさ。

今のベルリンが本当のベルリンだとすると、『第四帝国』のベルリンは、さしずめ『ニューベルリン』ということにでもなるかな。まあ、名前はどうでもいいんだが」


「その『第四帝国』はどこにあるのか?」


南極の氷の下だよ。ただ、行こうと思っても簡単に行けるようなところではない。見ることくらいはできるかな。総統は大した男だよ。『虹の都』をめざしているうちに、自分で『虹の都』を作っちまったんだから


「ヒトラーがまだ生きているという噂は本当なのだろうか? もし生きているとすれば100歳以上のはずなのだが……」


「さあね。ただ……まあ、待っている人は大勢いるから……。

こんなもんでいいだろう?」


ここでインタビューはタイムアップとなってしまったという。

 

 


 

■■その6:アメリカ軍の「ハイジャンプ作戦」の謎


●1946年12月、アメリカ海軍は南極探険を目的とした「ハイジャンプ作戦」を実施した。

南極点から640キロ地点にあるマクマード基地から4300キロの地域を探査することになっていた。この探険の目的は「南極における人工衛星用基地の建設である」と公表された。


●探険隊は非常に大がかりな大軍団だった。

4000人のエリート海軍兵士と、軍艦13隻(空母含む)、ヘリコプターや水上飛行機、水陸両用戦車、それに潜水艦までが参加した。指揮官は、1926年以来、たびたび北極や南極を探険し、幾度か極点を越えることに成功していたリチャード・バード少将だった。彼は今回の調査では「アメリカ海軍長官」として参加した。

 


ハイジャンプ作戦の様子(1946年)

 

●当初からこの探険の目的を疑問視する関係者は多かった。

例えば、気象条件、物資の補給など、どれをとっても条件的には極めて厳しい南極に、それも人工衛星用の基地を建設するなど、どう考えても不合理な話だった。

1946年12月といえば、ドイツが降伏してから1年半あまり。日本で戦争が終結してから、わずか1年しかたっていない。

その時期に、いったいなぜ、このような大規模な軍隊を、本来「無人の地」であるはずの南極へ派遣する必要があったのか? しかも、この大軍団に、イギリスやノルウェーの船団までもが、あとから支援部隊として参加したのである。ソ連の部隊も加わっていた。

彼らにとって、それほどの軍事力と費用をかけてまで調査をする価値のあるものが、南極には存在していたということになる。

 

 

●リチャード・バード提督率いる大軍団は無事に南極に乗り込んだが、彼らが南極大陸に到着し、調査を始めるやいなや、不可解な事件が次々に起こった。

例えば、調査に出かけた航空機2機が、原因不明のエンジントラブルを起こし、相次いで墜落した。生存者は無事、救出されたが、その後、別の2機の航空機はどこかへ消えたきり、戻ってこなかった。必死の捜索にもかかわらず、墜落した機体も残骸も、その小さなカケラさえ、発見できなかった。

また、あるときは、山脈の上を飛行中の航空機の全ての計器が狂いだし、あわてて引き返す、という事件があった。不思議なことに、そのエリアから外れたとたん、計器の異常はもとに戻った、というのである。

さらにバード提督自身の乗った飛行艇が、26時間ものあいだ行方不明になり、片肺エンジンのまま、命からがら逃げ戻ってきた、という事件も起こった。



●結局バード提督は、4000人もの兵士をかかえたこの大軍団とともに、撤退せざるを得なくなった。そして、アメリカへ帰る船上で記者会見を開き、アルゼンチンの記者の質問に、次のように答えたのである。

「アメリカ合衆国は、敵対地域に対して、至急、防衛網を張る必要がある。

次に起こる第三次世界大戦は、南極から北極までを信じられないスピードで飛ぶような兵器をもった相手と戦うことになるだろう」(1947年3月5日付『エル・メルキュリオ』紙)

 


リチャード・バード提督

 

●バード提督はアメリカに帰国したとたん、海軍病院に入院させられてしまった。

その理由は明らかにはされなかったが、記者会見での彼の率直な言葉がワシントン上層部に不愉快を与えたと推測される。

バード提督の甥(おい)の話では、バード提督は軍に対して「南極で起こった全ての出来事は一切口外しない」という誓約書にサインさせられ、半年後に退院したが、彼はその誓約を守り、死ぬまでひと言もそのことには触れなかったという。

果たして、バード提督は南極で何を目撃したのであろうか?

真相は今に至るまで明らかにされてはいない。



●ところで、『ブリタニカ国際大百科辞典』によれば、アメリカが派遣した「ハイジャンプ作戦」の大軍団は、南極大陸沿岸の60%を航空測量し、未知の大陸の姿を飛躍的に明らかにした、と書いてある。しかし、これは言いかえれば、残り40%は調査しなかった(できなかった?)ということになる。

アメリカ軍の秘密計画に詳しい物理学者アル・ビーリックは、この件に関して次のように語っている。

「ヒトラーが1930年代末に、南極大陸で『ドイツ領土』と宣言した地域は『ノイ・シュワーベンラント』と呼ばれていたことで知られているが、不思議なことに、バード提督たちは、この『ノイ・シュワーベンラント』の領域には、全く足を踏み入れていない……。いや、その地域に入ることさえできなかった、ということなのであろう。この一事を見ても、彼らの意図が、科学的調査などではなかったことが明らかである。そのうえ、南極の沿岸では、ソ連の潜水艦が何隻も行方不明になっている、という記録もあるのである。

私の入手した情報によると、『ハイジャンプ作戦』以後、1958年に、核弾頭をつけたICBM弾を、南大西洋のアメリカ海軍の艦船から南極へ打ちこんだ、といわれている。このとき、合計4発を発射したそうだが、なんの反応もなかったという。

その1年前の1957年は『国際探険年』だった。この年、アメリカの科学探険隊が、やはり海軍の支援のもとに南極へ向かったが、南極にはどの国も武器を持って行ってはいけない、という国際協定があったため、実際には何事も起こらなかった。そして、1992年だったと思うが、全ての国は南極から撤退し、現在は国際保護地になっている……」

 

 


 

── 以上で、「ナチス第四帝国」にまつわる不思議な話の紹介は終了です ──

 


 

■■おわりに


●果たして本当に「ナチス第四帝国」は南極大陸に存在するのだろうか?

「話としては面白い。でも、常識的に考えて存在しないだろう」というのが一般的な反応だろう。

 

 

●当館もこの「ナチス第四帝国」の存在に関しては懐疑的である。

「ナチス第四帝国」は南極大陸には存在しないだろう。

もっとも、ナチスの遺産は、その多くがアメリカ合衆国に引き継がれたので、ある意味、現在のアメリカこそが「ナチス第四帝国」と呼ぶにふさわしい存在だと感じてしまう……。

 

※「ナチス第四帝国」の謎については新しい情報が
入り次第、このファイルに追加していきたい。

 

 



── 当館作成の関連ファイル ──

南米に逃げたナチスの残党 

ナチスとチベットの妖しい関係 

「ナチス製UFO」の謎 


 

 


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