No.a1f1102

作成 1997.2

ユダヤ人の迫害史

 

 


●紀元前928年
 「イスラエル統一王国」、3代目イスラエル王ソロモンの後継者を巡って大分裂。イスラエル10支族とイスラエル2支族は南北に分かれて対立。

●紀元前722年
 「北イスラエル王国」がアッシリアによって滅ぼされる。エフライム族を中心とするイスラエル10支族は捕囚され、そのまま消息を絶つ。

●紀元前587年
 「南ユダ王国」が新バビロニア王国によって滅ぼされる。ユダ族を中心とするイスラエル2支族は捕囚され、不滅と言われた「ソロモン神殿」は崩壊。

●紀元前538年
 新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシア帝国のキュロス2世は、寛大な宗教政策により、イスラエル2支族の祖国帰還を許す。ソロモン第二神殿の建設開始(新ユダヤ教の確立)。

●紀元前330年
 アレクサンダー大王、アケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼす。彼はイスラエル2支族を重用する。アレクサンダー大王の死後、その後継を巡って帝国は大分裂。パレスチナ地方はエジプトのプトレマイオス王朝とシリアのセレウコス王朝の覇権争いの影響をまともに受ける。

●紀元前167年
 セレウコス朝シリアのアンティオコス4世・エピファネスは、ユダ州とサマリア州の全面的なギリシア化を宣言し、エルサレムを完全制圧。彼はソロモン第二神殿にゼウスの偶像を置き、ユダヤ人にゼウス崇拝を強要。そして反抗するユダヤ人を徹底的に弾圧。8万人のユダヤ人が虐殺され、4万人が捕囚となり、さらに4万人の女・子供が奴隷として売り払われた。
 彼の横暴さに憤慨したハスモン家のマタテヤ(マカベヤ一族)、ユダヤ独立運動を開始する。

●紀元前143年
 マカベヤ一族のシモンはユダヤの独立に成功(政治的独立)。シモンの孫アリストブロスがハスモン朝の独立祭司王国を開く。しかし内部抗争が絶えない。

●紀元前64年
 ローマ帝国、シリアを征服し、ユダヤの内部抗争に介入。ユダヤのハスモン朝は短期間で終わり、ローマの属州シリアに組み入れられる。

●紀元前37年
 エドム人ヘロデがローマ帝国の庇護のもとに、“ユダヤの王”として33年間エルサレムを統治(ヘロデ王朝)。彼はユダヤ人に皇帝礼拝を強要し、ソロモン第二神殿を大改築。

●紀元前4年頃
 イエスがマリアとヨセフの長男として、ベツレヘムの馬小屋で生まれる。

 “ユダヤの王”として君臨していたヘロデ王は「ユダヤの救世主誕生」の噂を耳にすると、それを阻止するために実子殺しを強行。それを恐れたイエスの両親は、イエスを連れてエジプトに逃れる。
 ヘロデ王の死と同時に、イエスと両親はナザレ村に帰ってきて、イエスはナザレ村で少年時代を過ごす。


●紀元6年
 ローマ帝国、パレスチナを直接支配。ユダヤは属州になる。

●紀元30年頃の4月7日
 この日の午前9時、ゴルゴタの丘でユダヤ青年イエスの公開処刑が始まる (午後3時に息を引き取る)。

 彼は生前の予告通り、3日目に死より甦り、弟子たちの前に復活した体をもって現われたという。その後40日間、弟子たちを導いた後、天上の父のもとへ昇天したという。


●38年
 ローマ帝国支配下のアレクサンドリアで、「ディプロストーン破壊事件」が起き、全市にユダヤ人の血が流れた。

●66年
 ユダヤの地の統治者の暴虐をきっかけに「熱心党(ゼロテ党)」というユダヤ人レジスタンスグループがローマの守備隊を襲い、ユダヤ人とローマ軍は本格的な戦い(ユダヤ戦争)を開始。ローマ帝国内のほとんどのユダヤ人は武装蜂起し、ユダヤ人の独立を試みた。
 しかしネロ皇帝、将軍ウェスパシアヌスの大軍を派遣し、ユダヤ人の大反乱を制圧(紀元68年)し、ティトゥス将軍はエルサレムを完全制圧(紀元70年)。エルサレムは「嘆きの壁」を残し、徹底的に破壊された。この戦争のユダヤ人犠牲者数は60万人とも100万人ともいわれている。

●73年5月
 967名のユダヤ人が7ヶ月も籠城し続けていた難攻不落の要塞「マサダ」を、8000ものローマ帝国軍が総攻撃。追いつめられたユダヤ人は、2人の老婆と5人の子供を残し、全員自害。

●132年
 ユダヤ人による最後の反乱(バル・コフバの反乱)。これをもってユダヤ独立戦争は事実上終結し、ローマ帝国は「ユダヤ州」を「シリア・パレスチナ州」に変名。皇帝ハドリアヌス、ユダヤ教を徹底的に弾圧、大迫害開始。

 ユダヤ人の離散(ディアスポラ)が本格的に始まる。
 ユダヤ人の運命はローマ帝国からパルティア王国に移る。


●226年
 パルティア王国を征服したササン朝ペルシア帝国は、パルティアの手になる「エクシラルク制度」をユダヤ人の自治的な亡命政府として認める。
 ササン朝ペルシア帝国のユダヤ人学者は「アモライーム」と呼ばれ、「ゲマラ」の基礎をつくる。

●313年
 コンスタンティヌス大帝、ミラノ勅令でキリスト教を公認。
 ビザンティン帝国(東ローマ帝国)、パレスチナを支配。

●315年
 コンスタンティヌス大帝、ユダヤ人の自治を制限する最初の勅令を出し、その中で彼はユダヤ人を「あの恥ずべき一派」と表現。

●339年
 コンスタンティヌス大帝、キリスト教徒とユダヤ人との婚姻ならびに、ユダヤ人がキリスト教徒の奴隷を所有することを禁止。

●395年
 ビザンティン帝国、パレスチナ全土を支配(〜639年)。

●500年前後
 ササン朝ペルシア帝国内でユダヤ人の内紛が起きる。
 ユダヤ人学者アシが「ミシュナ」と「ゲマラ」を融合して、『タルムード』に編纂する仕事に着手し、マル・ヨセがこの編纂の仕事を5世紀末に完成させる。

●553年
 ユスティニアヌス帝が「反ユダヤ法」を発令。
 以後、ビザンティン帝国は全史を通じて、ユダヤ人が帝国の行政的な地位に就くことも、青少年を教育することも、勅令によって禁じたのである。

●622年
 新興宗教イスラム教誕生。

●638年
 聖地エルサレムがイスラム帝国の支配下に置かれる(〜1099年)

●650年頃
 突厥(西トルコ帝国)分裂し滅び、ハザール人支配を離れる。
 ハザール王国の建国。

●775年
 「ハザールのレオン」と呼ばれる、レオン4世(皇帝コンスタンチヌス5世、ハザールの王女との子供)がビザンチン帝国の皇帝として戴冠する。(〜780年)

●799年
 ハザール王オバデア、国政改革に乗り出す(〜809年)。ハザール王国は公式にユダヤ教を受容する。(ユダヤ人以外のユダヤ教国家の誕生)

●900年前後
 ユダヤ教におけるキリスト教以来最大の異端派である「カライ派」、ユダヤ教の高位の聖職者を分裂させる。
 「イスラム東方世界」の分裂によって、オリエンタル(アジア・アフリカ系)ユダヤ人は北アフリカを経由して「イスラム西方世界(イベリア半島など)」に追われる。

●954年
 スペイン・コルドバのカリフの外務大臣だったユダヤ人ハスダイと、ハザール王ヨセフとの間に『ハザール書簡』が交わされる。

●965年
 キエフ・ロシア国のスビャトスラフ(イーゴリの息子)、ハザールの防衛の砦サルケルを陥落させる。スビャトスラフによるイティル(ハザール王国首都)の破壊。

●1016年
 ロシア・ビザンチン連合軍がハザールへ侵攻し、ハザールが敗退する。

 ※ 10世紀半ばの首都イティル陥落によってハザール王国は大きなダメージを受けたが、それ以後13世紀半ばまで領土こそ縮小したものの独立を保ち、ユダヤ教の信仰も維持し続ける。


●1078年
 ローマ教皇グレゴリウス7世がキリスト教国でのユダヤ人の「公職追放令」を布告。

●1099年
 十字軍、パレスチナを支配(〜1291年)。
 十字軍の暴徒、ヨーロッパ諸都市でユダヤ人を虐殺。

●1146年
 フランスの修道士ルドルフが十字軍を呼びかけるとともに、ユダヤ人撲滅を呼びかけた。

●1189年
 イングランドのリチャード獅子王の戴冠式にあたり、突如ユダヤ人の迫害が起きた。大半のユダヤ人の家は焼かれ、多くのユダヤ人が殺された。ユダヤ人の財産は王のものとされた。王の代理人のみが8万マルクを費やして、ユダヤ人を救った。

●1200年前後
 「イスラム東方世界」から逃れてきたオリエンタル・ユダヤ人、スペインに知的な黄金時代を開花させる。ユダヤ史で、預言者の時代以来の最も知られている時代となる。
 アルファシが『タルムード』を法令化。ユダヤ学者マイモニデス、『第二トーラー』を著す。詩人ユダ・ハレヴィ、「ユダヤ精神」をロマンティックな詩に謳いあげる。

●1215年
 ローマ教皇、第4回ラテラノ会議でユダヤ人にバッチを付けることを義務づける。

●1236年
 モンゴル軍のロシア侵入、いわゆる「タタールのくびき」が始まる。

●1243年
 キプチャク汗国成立。ハザール王国はバトゥ・ハンの権力下に吸収され、ハザール王国滅亡。
 改宗ユダヤ教徒ハザール人たちはロシア・東欧に大量移住し、後のいわゆるアシュケナジー系ユダヤ人の中核を形成する。

●1290年
 イングランドのエドワード1世が、ユダヤ人を国内から追放。

●1291年
 マムルーク(エジプトの王朝)がパレスチナを支配(〜1516年)。

●1298年
 神聖ローマ帝国でユダヤ人迫害。貴族のカルブフライシュは全ユダヤ人を壊滅させるように神の命令を受けたと主張した。

 黒死病、宗教的異端説、経済的軋轢がヨーロッパ社会を粉砕し始め、ユダヤ人の共同体生活を揺るがす。「マハリル」が「タルムード学者」に代わって権力を振るい始め、ユダヤ人の知的生活を損なう。


●1306年
 フランスのフィリップ王、ユダヤ人を国内から追放。

●1321年
 フランスのギエンヌ州で、井戸に毒を投げ込んだと拷問を受けたユダヤ人が告白したため、5000人のユダヤ人が火刑となった。

●1348年
 ユダヤ人がペストをばらまく犯人だとされ、ヨーロッパ各地でユダヤ人の虐殺が起きる。

●1394年
 フランスで第2回ユダヤ人追放。

●1421年
 オーストリアからユダヤ人追放。

●1453年
 オスマン・トルコ帝国は、ユダヤ商人・職人を厚遇する。

●1478年
 スペインでユダヤ人に対する異端審問が始まる。

●1492年
 キリスト教徒がレコンキスタ(スペイン再征服)を成功させると、スペインで徹底的なユダヤ人追放政策がとられる。

●1495年
 リトアニアからユダヤ人追放。

●1497年
 シシリー、サルジニア、ポルトガルからユダヤ人追放。

●1517年
 オスマン・トルコ帝国、パレスチナを支配(〜1917年)。

●1544年
 宗教改革者マルチン・ルター、ユダヤ人を攻撃。

●1554年
 「ユダヤ人集団隔離居住区(ゲットー)」がヴェネチアに初めて設置される。
 ジョセフ・カロが著書『整えられた食卓』で、『タルムード』を「スファラディ系律法」に法令化すると、これに対抗する形で、ヤコブ・イセルレスが著書『テーブルクロス』で、『タルムード』を「アシュケナジー系律法」に法令化した。

 ユダヤ人の知的生活は衰退し始め、「サバタイ運動」「フランクの説」「ハシディズム」という3つの異端神学が、ユダヤ教の聖職者を苦しめ始める。

 一部のユダヤ人はゲットーを逃れて、「宮廷のユダヤ人(ホフ・ユーデン)」「サロンのユダヤ人」「保護されたユダヤ人」と呼ばれるグループを形成する。


●1569年
 ローマ教皇、教皇領からユダヤ人を追放。

●1648年
 ポーランドでユダヤ人10万人が虐殺される(〜1656年)。

●1727年・1747年
 ロシアからユダヤ人追放。

●1730年
 ニューヨークに公認シナゴーグが建設される。

●1791年
 「自由・平等・博愛」を掲げるフランス議会が、ユダヤ人に平等の権利を認め、ナポレオンがゲットーを解体し始める。
 解放されたユダヤ人たちは一世代のうちに、政治家、将軍、前衛的な知識人・芸術家となる。

●1798年
 ナポレオン、パレスチナ侵攻に失敗。

●1839年
 オスマン・トルコ帝国、ユダヤ人に市民権を与える。

●1850年
 イギリスのユダヤ人モンテフィオーレ卿、エルサレム城外のユダヤ人定住地に援助を与える。

●1856年
 イギリスにユダヤ大学が創立される。

●1881年
 ロシアで「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人大虐殺事件が波状的に発生。ユダヤ人十数万人が犠牲になる。

●1882年
 平等と自由を求める「ホバベイ・ジオン」や「ビールー」という団体に組織されたユダヤ移民の第一波がパレスチナに到着。

●1891年
 モスクワとペテルスブルグからユダヤ人追放。
 ユダヤ人モレヒバが「シオンを愛する人々」を創立。

●1892年
 「シオンを愛する人々」の理論的指導者ピンスケル、「自力解放」に共鳴して、パレスチナに最初のユダヤ人コロニーを成立させる。

●1894年
 フランスで“ユダヤ禍”を宣伝した「ドレフュス事件」発生。

●1896年
 「ドレフュス事件」にショックを受けたテオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』を出版。政治的シオニズム運動の始まり。

●1897年8月
 テオドール・ヘルツル、スイスのバーゼルにて「第1回シオニスト会議」を開催。この会議で「シオニズムはユダヤ民族のためにパレスチナの地に公法で認められた郷土を建設することを目的とする」という「バーゼル綱領」が採択される。

●1901年
 「ユダヤ国民基金」が誕生。パレスチナの土地を買い求め、ユダヤ人移民に貸し与えた。その土地をパレスチナ人に貸与することは禁止された。

 

この年表の続きは「イスラエル共和国の建国史」

 


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