No.a2f1202

作成 1997.1

 

「軍産複合体 (MIC)」

 

~アメリカ社会に根を下ろす血に飢えた“化け物”~

 

●陸・海・空・海兵隊・予備を含めて350万人以上の人間を擁し、あらゆる近代兵器を持ったアメリカ軍部は、そのメカニズムと力において他に類を見ない組織である。しかもその軍は、2万以上の企業と組んで、巨大な「軍産複合体(ミリタリー・インダストリアル・コンプレックス)」(MIC)を形成している。

 

 

●軍産複合体の根幹を成しているのが「ウォー・エコノミー(戦争経済)」である。

そもそも軍産複合体は第二次世界大戦と、それに勝つために必要であった複雑な兵器とともに起こったものであった。「軍事省」や「戦時生産局」は、航空機・大砲・戦車などを作り出すためには産業に頼らざるをえなかった。電子工学や原子力が兵器となるとともに、頭脳力を供給するために大学が選ばれた。大学は、戦争に勝ち、民主主義を救うための必要な協力者であった。

 


「ロスアラモス研究所」

この研究所は1943年、原爆の開発を目的として
ニューメキシコ州の山奥に新設された秘密の国立研究所で、
初代所長はユダヤ人ロバート・オッペンハイマーが務めた。
1945年春には、理論物理部、実験原子核物理部、
化学及び冶金部、兵器部、爆薬部、爆弾物理部、
それに高級研究部があった。

 

●そして第二次世界大戦が終結すると、今度はソ連を相手にした兵器近代化競争に打ち勝つため、アメリカ政府は膨大な補助金を大学の研究室に注ぎ込み、優秀な頭脳を結集して新しい武器の開発を求めてきた。

そこで得た研究成果は、「ダウ・ケミカル社」「デュポン社」「ロッキード社」「ダグラス社」などに下ろされ、これら軍需産業が大量に生産。大学の研究室と産業と政府ががっちり手を結び、冷戦という獲物を手にして巨大な怪物へと成長した。


●この「軍産複合体」の中核に位置するのが、ペンタゴンとCIAである。

1947年に「国家安全法」に基づいて、それまで独立機関であったアメリカ4軍を一元的にコントロールするために設けられたのが「国防総省(ペンタゴン)」で、さらに同じ「国家安全法」に基づいて作られたのが「中央情報局(CIA)」であった。

このペンタゴンとCIAの誕生により、軍産複合体は一つのガッチリした“中央集権的組織”となって、アメリカに根を下ろしたと言えよう。

 


1947年に「国家安全法」に基づいて誕生した 
国防総省(ペンタゴン)とCIA(中央情報局)

 

●軍産複合体は年々肥大化し、ペンタゴンから発せられる莫大な「軍需注文」は、2万2000社もある「プライム・コントラクター(ペンタゴンと直接契約する会社)」と呼ばれる巨大な航空機メーカーやエレクトロニクス企業に一括して流されている。

さらにその周辺に彼らの下請け・孫請け会社1万2000社、彼らの金融面を司る多国籍銀行団、スタンフォードやハーバードなどの大学研究室が70以上、ランド研究所、フーバー研究所などペンタゴンと契約している「シンク・タンク」が16……などといったように、何百何千万人もの労働者や科学者、研究家、政治家、退役軍人、ロビイストたちが張り付いているのである。


●ちなみに、ペンタゴンと直接契約している企業は、まだ兵器を製造している段階で、多額の「推奨金(無利子の貸金)」を受け取ることができる。

例えば「ロッキード社」は、1968年12月の12億7800万ドルという支払い済み経費に対して、12億700万ドルの「推奨金」を与えられた。15億ドル近くの経費や設備を含む取引に対して、同社が調達しなければならなかったのは、7100万ドルの自己資金だけであった。

 

 

●ペンタゴンからの退役軍人の天下りの多さも無視できないものがある。

プロクスマイア上院議員のいうところによると、1968年財政年度には、主要軍需業の3分の2以上をやっていた100社は、その給与名簿に「2072人の大佐もしくは艦長以上の階級の退役軍人」を抱えていたという。トップは「ロッキード社」の210人で、その次に「ボーイング社」の169人、「マクダネル・ダグラス社」の141人、「ジェネラル・エレクトリック社」の89人と続くという。

ペンタゴンの制服を着ていた時に、民間企業との多額の取引の交渉をやっていたその同じ人間の多くの者が、退役後は、その影響力や内部の知識を国防会社の利益のために行使していたわけだ。


●「軍産複合体」がアメリカ経済に対し、依然として強い影響力を持っていることに関し、国防産業協会の会長J・M・ライル元提督は以下のように言っている。

「もしも我々が軍産複合体を持っていなかったとするならば、我々はそれを考え出さねばならなかったであろう。というのは、今日の複雑な兵器を考案し、生産し、そして維持することは、必然的にそれを要求する軍部とそれを供給する産業との間の、最も緊密な協力と連携を伴うからである」


●「ディロン・リード社」のジェイムス・フォレスタルや「ジェネラル・エレクトリック社」のチャールス・ウィルソンなどは、以下のような率直な見解を示している。

「アメリカが必要としているのは、永久的な“戦争経済”である」


●ベトナムのある高官は以下のような告発をしている。

「……結局、一番もうかるのは、より性能のいい兵器により高い値札をつけてどんどん売りさばくことのできる“ビッグ5(国連常任理事国)”の兵器産業である」

「ベトナム戦争ひとつを振り返ってみても、本当の“死の商人”が誰であったか一目瞭然だろう。まず、フランスが膨大な兵器を流し込み、その後をアメリカが引き継いだ。もちろん、そうなるとソ連も放っておけないから、北ベトナムやベトコンにどんどん新兵器を与え、やがては中国も介入していった。そうやって戦争がエスカレートして行きさえすれば、それぞれの国の兵器産業を中心とした軍産複合体もまたどんどん肥え太っていくわけだ」

 


(左)ベトナム戦争で大量の「枯葉剤」を散布するアメリカ空軍機
(右)「枯葉剤」により破壊された森(かつてマングローブ
 だった場所は焼け野原のようになってしまっている)

※ ベトナム戦争がエスカレートすると「ランチハンド作戦」という名の
枯葉剤作戦が容赦なく実行された。ダイオキシンをはじめとする高濃度の
有害物質を含む枯葉剤が見境もなく広大な森の上に何度も繰り返し散布され、
森林は広範囲にわたって破壊された。(ベトナム戦争においてアメリカ軍は
4万5000キロリットルもの枯葉剤を化学兵器として軍事利用した)。

※ この時期のアメリカ政府は国内のほぼ全ての化学メーカーを管轄下に
置き、ベトナム戦争で使用する化学薬品以外は製造させなかった。
(政府の委託を受けて枯葉剤を製造した「ダウ・ケミカル社」や
「モンサント社」などのアメリカの大手化学メーカーは
この戦争によって莫大な利益を計上した)。

 

●ところで、「軍産複合体(MIC)」という言葉を最初に使ったのは、アメリカの第34代大統領ドワイト・アイゼンハワーである。

彼は第二次世界大戦の欧州戦域で「連合軍」を指揮し、近代戦の凄まじい消費と後方の生産力のシステム化に成功した「戦争管理型軍人」として知られている。その意味で、「軍産複合体」の生みの親ともいえる人物であるが、それだけに内在する危険性についても考えていたようだ。

 


第34代大統領
ドワイト・アイゼンハワー

※ 退任する時に「軍産複合体」の
危険性について警告を発していた

 

●彼は1961年1月17日の大統領“退任”演説で、「軍産複合体」の危険性に関して、次のような警告を発していた。

「第二次世界大戦まで、合衆国は兵器産業を持っていなかった。アメリカの鋤(すき)製造業者は、時間があれば、必要に応じて剣も作ることができた。しかし今や我々は、緊急事態になるたびに即席の国防体制を作り上げるような危険をこれ以上冒すことはできない。我々は巨大な恒常的兵器産業を作り出さざるをえなくなってきている。これに加え、350万人の男女が直接国防機構に携わっている。我々は、毎年すべての合衆国の企業の純利益より多額の資金を安全保障に支出している」

「軍産複合体の経済的、政治的、そして精神的とまでいえる影響力は、全ての市、全ての州政府、全ての連邦政府機関に浸透している。我々は一応、この発展の必要性は認める。しかし、その裏に含まれた深刻な意味合いも理解しなければならない。〈中略〉軍産複合体が、不当な影響力を獲得し、それを行使することに対して、政府も議会も特に用心をしなければならぬ。この不当な力が発生する危険性は、現在、存在するし、今後も存在し続けるだろう。この軍産複合体が我々の自由と民主的政治過程を破壊するようなことを許してはならない」


●この“退任”演説の3日後に、ジョン・F・ケネディが大統領に就任。

彼の対キューバ政策や対ソ連政策、対ベトナム政策などは、軍産複合体の利益と真っ正面から衝突した。

ケネディ暗殺の“首謀者”が誰なのかは知らないが、「2039年には全面的に真相を公開する」というアメリカ政府の声明は謎めいて聞こえる。

 


(左)第35代大統領ジョン・F・ケネディ
(右)ケネディ暗殺の瞬間(1963年11月22日)

 

 


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