No.a3fha401

作成 1997.2

 

イスラエル12支族の興亡史

 

~古代イスラエル史~

 

 「古代イスラエル史」を、大ざっぱにまとめてみましたが、
アブラハム以前の年代は「伝説」と「史実」の区別が困難
なので割愛させていただきました。また、それぞれの
 年代には「諸説」があるので注意して下さい。

 


●紀元前3000年前後
 シュメール人、どこからともなく現れ、人類最初の高度な都市文明を築く。
 カナン人、パレスチナに定住。

●紀元前1946年
 シュメールの都市ウルでアブラハム誕生。

●紀元前1847年
 アブラハム99歳の時、ソドムとゴモラが「硫黄の火」で滅ぶ。

●紀元前1806年
 ヤコブ誕生。後に神の勅命により「イスラエル」と改名。

●紀元前1676年
 ヤコブ(別名イスラエル)の一族(イスラエル12兄弟)、食料飢饉でエジプトへ移住。

●紀元前1500年前後
 エジプトを支配していたヒクソス人が駆逐されると、イスラエル12支族はエジプト人の奴隷となる。

●紀元前1290年
 モーセ、奴隷階級で苦しんでいたイスラエル12支族をエジプトから集団脱出させる。
 モーセ、シナイ山で「神との契約(旧約)」を成立させ、ここに明文化された「ヘブライ教(原ユダヤ教)」が確立される。

●紀元前1100年前後
 モーセの後継者であるヨシュアがリーダーとなって、パレスチナ侵略を開始。獲得した土地を各支族ごとに分割統治する。
 士師のもとで、イスラエル民族史は200年の暗黒時代に入る。

●紀元前1020年
 サウル王、初代イスラエル王としてイスラエル12支族の統一を図るが、失脚。代わって羊飼いのダビデが第2代イスラエル王として君臨し、イスラエル12支族の統一に成功。「イスラエル統一王国」確立。

●紀元前963年
 ソロモンがエルサレムで第3代イスラエル王となる。新都エルサレムに「ソロモン神殿」建築。

●紀元前922年
 ソロモンの後継者をめぐって「イスラエル統一王国」が大分裂。イスラエル10支族は「北イスラエル王国」(首都サマリア)を樹立し、残りの2支族は「南ユダ王国」(首都エルサレム)を樹立。

●紀元前722年
 「北イスラエル王国」がアッシリア帝国によって滅ぼされる。エフライム族を中心とするイスラエル10支族は捕囚され、そのまま消息を絶つ。

●紀元前587年
 「南ユダ王国」が新バビロニア王国によって滅ぼされる。ユダ族を中心とするイスラエル2支族は捕囚され、不滅と言われた「ソロモン神殿」は崩壊。

●紀元前538年
 新バビロニア王国を滅ぼしたアケメネス朝ペルシア帝国のキュロス2世は、寛大な宗教政策により、イスラエル2支族の祖国帰還を許す。ソロモン第二神殿の建設開始。

●紀元前520年
 ユダヤ州第2代総督ゼルバベル、ソロモン神殿の再建に着手。

●紀元前515年
 「ソロモン第二神殿」の再建工事完成。以後、イスラエル2支族、祭司の指導による神政共同体を形成。

●紀元前444年
 「モーセ五書(トーラー)」正典化される。イスラエル2支族は「新ユダヤ教」を確立させる。

●紀元前330年
 アレキサンダー大王、アケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼし、オリエント古代史終幕。
 彼はイスラエル2支族を重用する。が、アレキサンダー大王の死後、その後継を巡って帝国は大分裂。パレスチナ地方はエジプトのプトレマイオス王朝とシリアのセレウコス王朝の覇権争いの影響をまともに受けるようになる。

●紀元前167年
 セレウコス朝シリアのアンティオコス4世・エピファネスは、ユダ州とサマリア州の全面的なギリシア化を宣言し、エルサレムを完全制圧。彼はソロモン第二神殿にゼウスの偶像を置き、ユダヤ人にゼウス崇拝を強要。そして反抗するユダヤ人を徹底的に弾圧。8万人のユダヤ人が虐殺され、4万人が捕囚となり、さらに4万人の女・子供が奴隷として売り払われた。
 彼の横暴さに憤慨したハスモン家のマタテヤ(マカベヤ一族)、ユダヤ独立運動を開始する。

●紀元前143年
 マカベヤ一族のシモンはユダヤの独立に成功(政治的独立)。シモンの孫アリストブロスがハスモン朝の独立祭司王国を開く。しかし内部抗争が絶えない。

●紀元前64年
 ローマ帝国、シリアを征服し、ユダヤの内部抗争に介入。ユダヤのハスモン朝は短期間で終わり、ローマの属州シリアに組み入れられる。

●紀元前37年
 エドム人ヘロデがローマ帝国の庇護のもとに、“ユダヤの王”として33年間エルサレムを統治(ヘロデ王朝)。彼はユダヤ人に皇帝礼拝を強要し、ソロモン第二神殿を大改築。

●紀元前4年頃
 イエスがマリアとヨセフの長男として、ベツレヘムの馬小屋で生まれる。

 “ユダヤの王”として君臨していたヘロデ王は「ユダヤの救世主誕生」の噂を耳にすると、それを阻止するために実子殺しを強行。それを恐れたイエスの両親は、イエスを連れてエジプトに逃れる。
 ヘロデ王の死と同時に、イエスと両親はナザレ村に帰ってきて、イエスはナザレ村で少年時代を過ごす。


●紀元6年
 ローマ帝国、パレスチナを直接支配。ユダヤは属州になる。

●紀元30年頃の4月7日
 この日の午前9時、ゴルゴタの丘でユダヤ青年イエスの公開処刑が始まる(午後3時に息を引き取る)。

 彼は生前の予告通り、3日目に死より甦り、弟子たちの前に復活した体をもって現われたという。その後40日間、弟子たちを導いた後、天上の父のもとへ昇天したという。


●38年
 ローマ帝国支配下のアレクサンドリアで、「ディプロストーン破壊事件」が起き、全市にユダヤ人の血が流れた。

●66年
 ユダヤの地の統治者の暴虐をきっかけに「熱心党(ゼロテ党)」というユダヤ人レジスタンスグループがローマの守備隊を襲い、ユダヤ人とローマ軍は本格的な戦い(ユダヤ戦争)を開始。ユダヤ属州のほとんどのユダヤ人は武装蜂起し、ユダヤ人の独立を試みた。
 しかしネロ皇帝、将軍ウェスパシアヌスの大軍を派遣し、ユダヤ人の大反乱を制圧(紀元68年)し、ティトゥス将軍はエルサレムを完全制圧(紀元70年)。エルサレムは「嘆きの壁」を残し、徹底的に破壊された。この戦争のユダヤ人犠牲者数は60万人とも100万人ともいわれている。

●73年5月
 967名のユダヤ人が7カ月も籠城し続けていた難攻不落の要塞「マサダ」を、8000ものローマ帝国軍が総攻撃。追いつめられたユダヤ人は、2人の老婆と5人の子供を残し、全員自害。

●132年
 ユダヤ人による最後の反乱(バル・コクバの反乱)。これをもってユダヤ独立戦争は事実上終結し、ローマ帝国は「ユダヤ州」を「シリア・パレスチナ州」に変名。皇帝ハドリアヌス、ユダヤ教を徹底的に弾圧、大迫害開始。

 ユダヤ人の離散(ディアスポラ)が本格的に始まる。
 ユダヤ人の運命はローマ帝国からパルティア王国に移る。


●226年
 パルティア王国を征服したササン朝ペルシア帝国は、パルティアの手になる「エクシラルク制度」をユダヤ人の自治的な亡命政府として認める。
 ササン朝ペルシア帝国のユダヤ人学者は「アモライーム」と呼ばれ、「ゲマラ」の基礎をつくる。

●313年
 コンスタンティヌス大帝、ミラノ勅令でキリスト教を公認。
 ビザンティン帝国(東ローマ帝国)、パレスチナを支配。

 

 


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