ヘブライの館2|総合案内所|休憩室 |
No.a3fha504
作成 1997.2
聖地エルサレム
●現在、エルサレムは3つの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)の“聖地”として有名であるが、もともとこの聖地エルサレムは古代イスラエル王国の「聖なる都」として機能していたのであり、それを最初にスタートさせたのは、かの有名なダビデ王であった。
もちろん、エルサレムはダビデ以前にも存在していて、「エブス」と呼ばれる小さな要塞都市国家であった。ここに住んでいたエブス人は、カナンの原住民を構成する数多の民族の1つである。この頃のイスラエル12支族は一種の「自治共和国連邦」という形態をとっており、地理的条件から南の2支族と北の10支族との間には対抗関係があった。
●「イスラエル統一王国」の初代の王として選ばれたのはサウルだったが、彼は途中で人格的な欠陥を露出させ、預言者サムエルから見放される。それでも一応、王権は握り続けたものの、晩年は分裂病気味になり、宿敵ペリシテとの戦いに敗れ、長男ほか2人の王子もろとも戦死した。そして、その後に王位にのぼったのが羊飼いの青年、ダビデである。
ダビデは政略戦略とも優れた武人で、詩人、音楽家など多彩な才能を示して魅力的な人物であった。特に信仰者として模範的なところが見られ、イスラエル史上の理想像に近い王とされている。彼はサウル王の死後、まず自分の属するユダ族を含む「南の王」となった。そして南方区域のほぼ中心である「ヘブロン」を最初の都とした。
その後、北方の10支族もダビデを“王”として承認し、いわば「南北連合王国」の王となった彼は、即位と同時に攻略・占領した「エブス」の町を、統一王国の新首都「エルサレム」と定めたのである。
●新首都となったエルサレムは、地理的に統一王国の中央に位置し、しかも、従来、どの支族にも属さなかったため、ここを首都にすることはどの支族からも不平が出ないという大きなメリットがあった。しかし、これだけでは南北の統合・融合は不十分なため、ダビデはこの都に「契約の箱(アーク)」を移し、イスラエル12支族の“宗教的中心地”とした。「聖都エルサレム」の誕生である。
ちなみに「契約の箱(アーク)」とは、ヘブライの「三種の神器」を収めたを箱で、“神”の現臨のシンボルとされ神聖なものとされていたものである。しかし、一時、ペリシテ軍に奪われ、返還されたあともしばらく1つの山村に安置されていたのである。
ヘブライの三種の神器を収めた「契約の箱(アーク)」
●ダビデにすれば、次は壮麗な神殿を建てて、いよいよ新首都の“神聖性”を増し加えたいところであったが、そこに不純な要素が混入する恐れがあることに気付いた預言者ナタンは、神殿建築を次の王の時代に延期するよう命じた。
この神殿建築を実現したのが、息子ソロモンである。このソロモンの神殿によってエルサレムの“神聖性”は完成されたが、同時にそれは装飾性に堕し、宗教が形骸化する危険への第一歩でもあった。案の定、統一王国は宗教的にも道徳的にも堕落の道をたどり、やがて南北王国分裂に至る。
●南北王国分裂後、それまでエルサレムを管理していた南ユダ王国のイスラエル2支族がバビロンに連行されると、その間にエルサレムの荒廃は著しく進行した。しかし、その後に帰還を果たしたイスラエル2支族の手によって再建された(ソロモン第2神殿建築)。
さらにその後、シリア王アンティオキア4世・エピファネスが神殿を汚すという不快な事件があったが、“ユダヤの王”として君臨したエドム人ヘロデ王が「自分の城」として拡張工事を開始すると、エルサレムは堅固な「城塞」へと成長した。
紀元70年までの聖地エルサレム
●しかし、ローマの圧政に苦しんでいたユダヤ人たちがユダヤ独立戦争(対ローマ戦争)を起こすと、エルサレムはローマ軍によって徹底的に破壊され炎上。あの有名な「嘆きの壁」を残して、ユダヤ人は全てを失ってしまったのである。
1948年に建国されたイスラエル共和国が、1967年の第3次中東戦争において、世界をアッと言わせた電撃的な「エルサレム占領」を果たすまで、エルサレムは約2000年の間、異教徒の支配下に置かれることとなったわけである。
エルサレム旧市街の神殿の丘に位置する「嘆きの壁」
壁の全長は約60mで高さは約21m。壁の石の隙間には、
ユダヤ教徒の祈りの言葉が書かれた紙切れがぎっしり詰まっており、
夜になると夜露がたまり、壁に生えたヒソプの草を伝って滴り落ちる。
それが数々の迫害や苦難を受けて涙を流すユダヤ人のようでもある
ことから、「嘆きの壁」と呼ばれるようになったという。
●古代イスラエル王国の聖都としてスタートした「エルサレム」は、キリスト教においてはイエスがここで幼年時代を過ごし、宣教活動に打ち込み、処刑され復活した場所として、イスラム教においては教祖ムハンマドがここで昇天した場所として、現在、多くの信者(人類の過半数)に崇められている。
イエス・キリストの磔刑像
●しかし、現イスラエル政府は国際世論を無視する形でエルサレムを不法占拠し続け、しかも“首都”と定めてしまっており(世界は認めていない)、さらに困ったことにパレスチナ人たちも「ここは将来、パレスチナ国家が樹立されたときに“首都”となる」と主張しているため、3つの宗教の聖地であるエルサレムは血生臭い「パレスチナ紛争」の渦中にある。
最近では、エルサレムにあるイスラム寺院の下に「観光用トンネル」が貫通したのをきっかけに悲惨な「流血事件(死傷者70名以上)」が発生したが、この事件はまだ皆さんの記憶に新しいと思う。
(左)イスラエルの国旗 (右)イスラエル(パレスチナ地方)の地図
(左)エルサレム旧市街 (右)今日のエルサレム
●「聖地エルサレムは誰が管理するのか?」という「聖地エルサレム帰属問題」は、そもそもイスラエル共和国が建国された当時から取り沙汰されていたのであるが、現在に至るまでずっと、解決困難な宗教的政治的問題として世界の首脳を悩まし続けているのである。
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