No.a4fha402

作成 1998.1

 

間接的にハンガリー国家成立に
手を貸したハザール人

 

 

●ハザール王国誕生の時からマジャール人(ハンガリー人の祖)は同盟者であり、協力的な属民であった。この期間中、ハザール人とマジャール人の間に軍事的衝突が一度でもあったという記録は全くないとされる。

9世紀末、マジャール人がユーラシアの草原に別れを告げ、カルパチア山脈を通って移住し始めると、ハザール人とマジャール人の親密な協力態勢は終わりを告げた。


●ビザンチン帝国の皇帝コンスタンチヌス7世が書いた『帝国行政について』(950年頃)によれば、ハザール人はマジャール(ハンガリー)王家創設に重要な役割を果たしたという。コンスタンチヌス7世の言及した名前が、最初のハンガリーの年代記(11世紀)にも登場することから、この『帝国行政について』の信憑性は裏付けられているという。


●コンスタンチヌス7世によれば、ハザール人がマジャール人部族の内政に口を出す以前には、マジャール人には抜きん出た王というものはなく、部族の族長がいただけだった。その中で最も力のある者はレベディアスと呼ばれていたという。

「マジャール人は7つの群れからなっており、その当時、彼らには同国人にしろ外国人にしろ支配者がいなかった。しかしある種の族長はいて、その中の一番力のある族長がレベディアスであった。……そしてハザール王国の支配者カガンは、彼ら(マジャール人)の勇猛さと軍事的助力のゆえに、その第1族長レベディアスにハザールの貴婦人を妻として与えた。彼女による子供が生まれることを期待したのである。しかしレベディアスはどういうわけか、そのハザール女性によって家族を得ることはなかった。」

しかしハザール王は、レベディアスとその配下の部族とハザール王国との絆を強めようと心に決めていたという。

「少し後に、ハザール王国の支配者カガンは、マジャール人に彼らの第1族長を寄こすよう命じた。そこでレベディアスはハザールのカガンの所に来て、なぜ呼ばれたのかと理由を尋ねた。そこでカガンはこう言った。我々がそなたを呼んだのはこういう訳だ。すなわち、そなたは生まれも良く、賢明で勇気があり、マジャール人の中の第一人者であるから、我々はそなたをそなたの民の王にしよう。そしてそなたは我々の法と秩序に従うのだ。」


●しかし、レベディアスは誇り高い男のようだった。彼は適当な感謝の言葉を述べたが、傀儡の王になれという申し出は断わった。その代わり、その名誉を仲間の族長アルムスあるいはアルムスの息子アルパードに与えるべきだと提案した。ハザールのカガンは「それを聞いて喜び」、しかるべき供をつけてレベディアスを臣民のもとへ送り返した。そして人々はアルパードをマジャール人の王に選んだという。

「アルパードの就任の儀式はハザールのしきたりと慣習にのっとって行われた。彼を盾の上に乗せて持ち上げるのである。しかしこのアルパード以前には、マジャール人には1人の支配者もいなかった。こうしたわけで、ハンガリーの支配者は今日に至るまで彼の家系から出ているのである。」

コンスタンチヌス7世が述べた「今日」とは950年頃、すなわちこのエピソードの100年後である。実際、アルパードはマジャール人を率いてハンガリーを征服し、彼の王朝は1301年まで統治した。彼の名前はハンガリーの小学校で覚える最初の名前の1つとなっているという。


●また同じく『帝国行政について』の中で、コンスタンチヌス7世の述べるところによると、ハザール王国の一部で支配者に対する反乱があった時、敗北した反乱分子のハザール人グループ(カバール)がマジャール人に合流し、マジャール人にハザール語を教えたという。そしてこのカバール・ハザール人はマジャール人部族の指揮権を事実上引き継いだという。

「反乱分子は3つの部族からなり、カバールと呼ばれるハザール人自身の部族の者であった。政府側が勝ち、反乱側のある者は殺され、ある者は国を逃れてマジャール人の所に落ち着いた。マジャール人の友人となった者たちは、ハザール語をマジャール人に教えた。今日まで彼らは同じ方言を話しているが、一方でマジャール人の言語も話している。そして彼らは戦いにおいて、より有能であり、8つの部族(すなわち本来のマジャール人の7つの部族にカバール・ハザール人を加えて)の中で最も男らしく、戦いにおける指導者であることを証明したので、彼らは筆頭の部族に選ばれた。すなわちカバール・ハザール人の3つの部族からなる者たちの中には1人の指導者があり、その人は今日まで存在している。」


●一部の歴史研究家によれば、10世紀の半ばまでハンガリーではマジャールとハザールの言葉の両方が話されていたという。歴史研究家のビューリーによれば、「この二重言語の結果、現代ハンガリー語の混ざり合った性格が生じた」という。イギリスの歴史学者トインビーの所見では、ハンガリー人は遥か以前に二重言語ではなくなったが、国の初期にはそうであったという。

また、マジャール人部族の指揮権を事実上引き継いだカバール・ハザール人部族の中に、異端のユダヤ人あるいは「ユダヤ風の宗教」信者がいたことを示す証拠もあるそうだ。


●皇帝コンスタンチヌス7世は『帝国行政について』の中で、比較的平和的で定住性のあるマジャール人に、カバール・ハザール人は独特な戦い方も伝授したと述べている。カバール・ハザール人は真のトルコ人で、家畜を追い、騎士であり、戦士であり、軍隊であった。実際、この言葉を反映するように、マジャール人が略奪の習慣を身につけ、殺人的な戦法を駆使して、その後半世紀以上にわたってヨーロッパの半分を恐怖におとしいれたのは9世紀後半、すなわちカバール・ハザール人と合流してからである。

「カバール・ハザール人はマジャール人に独特で特徴的な兵法も教えた。それは太古の昔から全てのトルコ系民族──すなわちフン人、アバール人、チュルク人、ペチェネグ人、クマン人──によってのみ用いられてきたものである。軽騎兵で一斉射撃、逃げながら矢を放ち、恐ろしい狼のような声をあげながらの突然の突撃といった古くからの戦法を伴っていた。」


また、1154年に、ビザンチン帝国の年代記作者は、ユダヤ法を遵守する軍隊がダルマチアでハンガリー軍とともに戦っていたと記している。


●ハンガリー考古学のある一派は、10世紀にハンガリーで働いていた金銀細工師は、実質的にはハザール人だったとしている。

896年にマジャール人が現在のハンガリーの土地に移住した時、彼らを導いたのはカバール・ハザール人で、彼らは新しい土地でともに定住したとみられている。カバール・ハザール人は腕のいい金銀細工師として知られていた。マジャール人は、戦場での戦い方だけでなく、金銀細工の技術もカバール・ハザール人から教わったというわけだ。


●ビザンチン皇帝コンスタンチヌス7世の『帝国行政について』によると、ハンガリーはその草創期には、二重言語制であったばかりでなく、ハザール方式の変形ともいえる二重王制を行っていたという。すなわち、権力は王と将軍とに二分されていた。このシステムは10世紀末まで続いたが、やがて聖ステファヌスがローマ・カトリック教を奉じ、将軍を退けてしまうと、二重王制は終わりを告げた。この時、退けられた将軍はキリスト教徒になるのを拒んだカバール・ハザール人だったとみられる。


●1222年になると、アンドルー2世がハンガリーのマグナカルタともいうべき『黄金教書』を公布したが、この中で、ユダヤ人は造幣局長官、収税吏、塩の専売権管理人などになることを禁じられている。つまり、この勅令が出される以前は、これらの重要なポストに多くのユダヤ人が就いていたにちがいないと考えられるのである。なお、アンドルー2世はこの『黄金教書』を、貴族たちに突き上げられて、不承不承公布したという。


●より高い地位に就いていたユダヤ人がいたことさえ分かっている。アンドルー2世の王室財務官は、ハザール系の式部官伯爵の称号を持つテカという名のユダヤ人伯爵で、彼は富裕な地主であると同時に、財政・外交の天才でもあったらしい。各種の平和条約や財務協定に彼の署名が見受けられるという。

このテカ伯爵は、やがてローマ教皇の圧力により、その職を解かれオーストリアへ追われた。この時、オーストリアは彼を暖かく迎え入れた。その後、アンドルー2世の息子ベラ4世はローマ教皇から許可を取り付け、テカ伯爵は再びハンガリーに呼び戻され、モンゴル侵攻の頃、その生涯を閉じたという。


●このようにハザール人は、ハンガリーがキリスト教を受容するまでの期間、間接的にハンガリー国家の成立に手を貸したといえよう。

旧ソ連の考古学者で歴史学者のアルタモノフは、1937年にハザール人の初期の歴史を扱った彼の最初の本を出版した。そして1962年に出版した本『ハザール人の歴史』には、次のような興味深い記述がある。

「ハザール王国は崩壊し、粉々になってしまった。多くの者は他の縁故のある民族に混じりこみ、少数の者が首都イティルを動かずにいたが、国民性は失われ、わずかにユダヤ的色彩を残しただけの寄生階級となった。ロシア人は東方の文化遺産を避けたことはなかった。……しかし、イティルのハザール人からは何も得なかった。一方、好戦的なハザール・ユダヤ教は関係する他の民族によって処理された。他の民族とは、マジャール人(ハンガリー人の祖)、ブルガール人、ペチェネグ人、アラン人、ポロベツ人などである。」

 

 

 


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