No.a6fhc950

作成 2003.4

 

アメリカ同時多発テロと
ナチ・コネクション



〜 アメリカを襲う冷戦の「負の遺産」 〜

 

 

『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』

菅原出 著 (草思社) \1,700

 

■ 本の内容 ■


1920年代からソ連邦の崩壊にいたるまで、アメリカの外交戦略には、明確なパターンがあった。それは「共産主義に対抗するために独裁者を援助し、育てる」というものである。この最初にして最悪の例がヒトラーのナチスだったといえる。

第一次世界大戦で敗北したドイツが、十数年後にはヨーロッパを席巻する軍事大国になれたのは、ブッシュ大統領の一族など、アメリカ政財界の親ナチス派の援助に負うところが大きかったのだ。

戦後、この親ナチス・エリート集団は、反共工作のために各国の独裁者、麻薬王、そしてイスラム過激派とも手を組んだが、多くの場合、最終的にはみずからが育てた独裁者たちと対峙することになった。

本書は、アメリカ外交の舞台裏で暗躍したこの黒い人脈にスポットライトをあてる、きわめて刺激的なノンフィクションである。

 


※ 以下のテキストは、この本からの抜粋(P227〜239)です

(各イメージ画像は当館が独自に追加)

 

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アメリカ同時多発テロの舞台裏


〜アメリカを襲う冷戦の「負の遺産」〜


《 ダレス兄弟とブッシュ一族 》

 


 
大戦中、ナチス・ドイツとアメリカを結ぶ資金ルートに深く関与
していたダレス兄弟。左が弟のアレン・ダレス(CIA長官)で、
右が兄のジョン・フォスター・ダレス(国務長官)。

 

冷戦初期にダレス兄弟は、イランやグアテマラの反米民族主義政権を「親ソ派」と決めつけて転覆させ、軍事独裁政権を支援した。戦前にアメリカが「反共の砦」として、強いドイツ、ヒトラーのナチズムを支援したのと同じ発想で、戦後の《反共の闘士たち》はアメリカの意に沿う者であれば、独裁者であろうと元ナチスの戦犯であろうと構わずに援助の手を差しのべた。こうしたアメリカ外交の「伝統」は、ダレス兄弟からブッシュ一族に確実に引き継がれ、冷戦中期には「イラン・コントラ工作」というアメリカ政治史上最悪の醜聞の一つを生むことになった。ブッシュやケーシー傘下の米情報機関は、反ソ工作のためには麻薬マフィアや武器商人とも手を結び、不正・腐敗にも目をつぶった。

また「ベトナム戦争以来最大の秘密工作」と呼ばれたアフガン「聖戦」では、ソ連をアフガンの泥沼に引きずり込むことに成功した一方で、麻薬ビジネスを繁栄させ、巨大な無国籍犯罪銀行の膨張を助け、世界中のイスラム急進派に殺人と破壊の最高技術を身につけさせ、遂には反米テロリストを生み出すという「負の遺産」も築いた。

ダレスたちが進めた初期の秘密工作は、冷戦をエスカレートさせる結果に終わったが、ブッシュたちの秘密工作は、確かにソ連を弱体化させ、冷戦の終結に貢献したという見方をすることもできる。しかし、その代償はとてつもなく高くついた。CIAの手段を選ばぬ工作は、麻薬の氾濫、犯罪銀行の膨張、イスラム・テロリストの増長という莫大な「負の遺産」を残し、それが冷戦後に、ブーメランのようにアメリカ自身に襲いかかってきたからである。21世紀の初頭、アメリカはこの冷戦時代の「負の遺産」を清算することを余儀なくされる。そしてその歴史的な使命を帯びて大統領に就任したのが、ジョージ・ブッシュの長男ジョージ・W・ブッシュであった。ジョージ・W・ブッシュは、祖父プレスコットがダレス兄弟等と共に築き、一族が継承してきた冷戦の遺産を、「清算」するという皮肉な役割を担うことになったのである。

 

 

2001年9月11日、テロリストにハイジャックされた3機のアメリカの旅客機が、ニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンの国防総省に激突し、5000人以上の死者を出すという、前代未聞、史上最悪の自爆テロ事件が発生した。ジョージ・W・ブッシュ大統領は、容疑者と目されるオサマ・ビン・ラディンとアル・カイダに対し「テロ戦争」を宣言し、彼らをかくまっているとされるタリバン政権支配下のアフガニスタンを攻撃した。ブッシュ大統領はビン・ラディンとアメリカ情報機関の過去の関係についていっさい語ることなく、世界を「テロリストに反対する国」と「テロリストを支援する国」に二分化し、後者に対して容赦ない「テロ戦争」を仕掛けると宣言したが、もちろんことはそんなに単純ではない。

ブッシュ大統領はかつて、犯罪銀行BCCIやビン・ラディンときわめて近い関係にあった。彼は政治の世界に入る前、父と同じように石油業界に身を置いていた。ジョージ・W・ブッシュは1977年に、石油掘削会社アルブスト・エネルギー社を興したが、このときヒューストンのビジネスマン、ジェームズ・バースの出資を受けた。バースは5万ドルを出資し、アルブスト社の5%の株を保有したが、彼はこの頃サウジのビン・ラディン財閥の当主でオサマの兄にあたるサレム・M・ビン・ラディンのビジネス代理人も務めていた。バースはサレムの北米全域におけるすべての投資を扱っており、1978年にはサレムのために南テキサスの飛行場を購入したという記録が残っている。

バースはアラブのビジネスマン、とりわけサウジの富豪たちの間に広範な取引関係を築いていた。彼はサレムの代理人を務めるかたわら、サウジアラビア最大の銀行ナショナル・コマーシャル・バンクの頭取で国王の経済顧問も務めたハリド・ビン・マフフーズの代理人も務めていた。マフフーズはアメリカが人質と武器の交換工作をイランとの間で進めていたとき、この取引を仲介したサウジの武器商人アドナン・カショギに資金供与をして側面支援したことで知られており、CIAの中東絡みの秘密工作には必ず顔を出す人物であった。バースはまたヒューストンにあるメイン銀行に出資していたが、同行の共同出資者にはビン・マフフーズのほかサウジの王室に近い大富豪ライス・ファラオンも名を連ねていた。ファラオンはマフフーズと共にBCCIの大株主を務め、この犯罪銀行の世界的な偽装取引にも深く関わっていた。

ジョージ・W・ブッシュはつまり、サウジの王室に近くBCCIとも深く関わったサウジの大金持ちたちのアメリカにおける代理人と、ビジネス・パートナーという関係を築いていたのだ。


〈中略〉

 

  
ジョージ・W・ブッシュ(右端)の祖父プレスコット・ブッシュ(左端)は、
ダレス兄弟と同じ「親ナチス派」に属し、この時形成された
黒い人脈は、ブッシュ一族に引き継がれた。

 

アメリカ−サウジ間にはつまり、「ブッシュ家−CIA−サウジ情報機関−BCCI−サウジ財界」というビジネス・諜報サークルのネットワークが存在し、ここにビン・ラディン家も一枚噛んでいた。ビン・ラディン家が保有するサウジ・ビン・ラディン・グループは、イスラム世界最大の建設会社を傘下に持つグローバル企業で、ロンドンとジュネーブにもオフィスを構えている。ビン・ラディン家は1950年代からサウド王家に取り入り、国家レベルの建設プロジェクトを受注して拡大した。1960年代後半には前述のサレムが当主となり、ビン・ラディン・グループの近代化に努めた。イギリスで教育を受けたサレムは英米との関係強化に尽力し、CIAの秘密工作にも積極的に協力した。1980年代に「ブッシュ−ケーシー・チーム」がサウジ経由でニカラグアのコントラ支援を行ったときも、サレムがサウジ政府を代表してこの工作に協力したのである。

サレムはまたアメリカの経済エスタブリッシュメントとの関係も強化すべく、いくつものアメリカの大手企業に投資をしている。その代表が投資会社のカーライル・グループであろう。カーライルはフランク・カールーチ元国防長官が会長を務める大手の投資グループで、ジェームズ・ベーカー元国務長官を含む共和党の元閣僚がズラリと役員に収まっている。ジョージ・ブッシュ元大統領も同社の顧問を務めており、カーライル自体はサウジ政府の財政顧問をやっている。ビン・ラディンのカーライルへの投資とはつまり、アメリカ−サウジの協力関係を象徴するような取引だったのである。

ビン・ラディンはまた、元国務長官ジョージ・シュルツが取締役を務める投資会社フレモント・グループや名門メリル・リンチ、ゴールドマン・サックスにも投資をしており、ゼネラル・エレクトリック杜のビジネス・パートナーにもなっている。

ビン・ラディン家はこのように、ブッシュ一族を中心とする米政財界のエスタブリッシュメントとの関係を深め、CIAが冷戦時代に進めた秘密工作にも積極的に協力して、アメリカ−サウジ関係の強化に務めていたのである。

オサマ・ビン・ラディンも、1980年代のアフガン聖戦までは、この《アメリカ−サウジ協力》ラインでCIAの工作に参加していた。前章で見たとおり、オサマは、世界中のイスラム急進派を集めてソ連にぶつけるという作戦で、民間としては最大級の徴募機関を立ち上げて「聖戦」の戦士たちをかき集めた。またパキスタンやアフガンには「イスラム急進派の大学」をいくつも設立して彼らに軍事訓練を施し、世界中のイスラムの同志たちと強い絆で結ばれていった。

 


オサマ・ビン・ラディン

 

しかしソ連軍が1988年5月にアフガンからの撤退を開始し、1989年2月にそれが完了すると、アメリカは急速にこの地域から手を引いていった。1992年には「聖戦」の拠点であったパキスタンに対し、6億ドルの年間援助を唐突に停止すると通告し、同国を「テロリスト輸出国」としてブラックリストに載せる措置をとった。「聖戦の戦士たち」を、今度は「テロリスト」呼ばわりするようになったのである。そして同じ年にアメリカは、「主要な麻薬生産国である」という理由からアフガニスタンに対する支援も唐突に中止した。しかしムジャヒディン各派の麻薬生産を奨励し、アフガンを世界最大の麻薬生産国に押しあげたのは、他でもないCIAの秘密工作だった。

そのアフガンでは、KGBのまいた種が芽を出して、ムジャヒディン同士が内ゲバを開始していた。オサマを含む「聖戦」に燃えるイスラム戦士たちが、この状況に幻滅し、やり場のない怒りを蓄積させていったとしても不思議ではない。彼はいつしかこうしたイスラム急進派の人脈をまとめて自身の組織を立ち上げるようになっていた。これがアル・カイダの原型だと言われている。そして1991年1月にはじまった湾岸戦争に憤慨したオサマは、この頃から明確にアメリカを最大の敵と位置づけ、反米闘争を開始したという。これが原因で彼は1994年2月にはビン・ラディン本家から絶縁を言い渡され、同年4月にはサウジ政府から国籍を剥奪された。

オサマ・ビン・ラディンは「聖戦」を継続し、テロリスト訓練キャンプを建設・運営し、世界中のイスラム過激派との関係を深め、世界各地の戦場にイスラム戦士たちを送り出していった。以降、アルジェリア、カシミール、ソマリア、イエメン、アゼルバイジャン、ボスニア・ヘルツェゴビナ、チェチェン、タジキスタン、フィリピンなど世界各地の戦場に、アル・カイダ軍事訓練キャンプ出身のイスラム戦士たちが出没するようになったのである。

オサマが「聖戦」から継承したものは、イスラム過激派の人脈だけではなかった。アル・カイダは、今や欧米麻薬市場で圧倒的なシェアを誇るアフガン産麻薬の密輸利権を引き継ぎ、1991年に欧米で操業停止に追い込まれた犯罪銀行BCCIの残骸をも吸収したのである。オサマ・ビン・ラディンはつまり、CIAの「ベトナム戦争以来最大の秘密工作」が残した負の遺産である「麻薬利権」、「肥大化した犯罪銀行」、そして「膨張したイスラム急進派のネットワーク」のすべてを引き継いだのであった。

アフガン戦争は、ダレス兄弟ら《ヒトラーのアメリカン・コネクション》の中核メンバーたちが、第二次世界大戦以来築きあげてきた秘密工作のノウハウを、ブッシュ(父)やケーシーが結集させて戦い抜いた冷戦最後の対ソ戦争だった。つまりオサマ・ビン・ラディンが引き継いだものは、ダレスやブッシュが第二次世界大戦以来、半世紀にわたって築きあげてきた冷戦の「負の遺産」だったと言うこともできるのである。

 

 
(左)アドルフ・ヒトラー (右)ナチス・ドイツの旗

 

こうして見てくると、オサマ・ビン・ラディンとアドルフ・ヒトラーの登場の背景には、大きな共通点が存在することがわかる。共に反共産主義の砦として、アメリカ政財界の「同じ」エリート集団の支援を受け、後に敵対したことである。共産主義ソ連の台頭に脅威を感じるアメリカの資本家を中心とするこの集団は、世界経済を安定させ共産主義の拡大を防ぐという目的のために、第一次世界大戦直後から国際政治に大きな影響を及ぼすようになっていた。このエリート集団は1920年代、30年代には、第一次世界大戦の影響で大混乱に陥り共産革命の瀬戸際にあったドイツを救うため、同国の復興を助け同国に莫大な投資を行った。そしてその過程でドイツの財界エリートたちと親交を結び、彼らの推す独裁者アドルフ・ヒトラーと取引し、ナチス・ドイツの再軍備を手助けしたのだった。彼らが「共産主義に対抗させるために独裁者や過激派を支援する」という政治的思考を身につけたのもちょうどこの頃だった。

ヒトラーの拡大政策が英仏の利権とぶつかり、ヨーロッパで戦争が勃発した後も、このアメリカのエリートたちはヒトラーとの取引を続け、アメリカがヨーロッパの戦争に巻き込まれないように様々な活動をしていた。そしてヨーロッパの大部分がヒトラーの支配下に入り、イギリスが孤立無援でヒトラーの脅威に立ち向かっていたときも、ひたすら「アメリカの中立」を保とうとし、ナチスのプロパガンダに協力して、アメリカの参戦を食いとめようと画策していたのである。

そこでチャーチルは、「アメリカを戦争に引きずり込む」ために一か八かの秘密作戦を展開した。「イントレピッド」というスパイをアメリカに送り込み、プロパガンダ工作を組織的に行わせ、ハリウッドにもスパイを放って「反ナチス」映画を大量生産させたのである。そして「アメリカを戦争に引き込む」究極の手段として、日本とアメリカをぶつけるために、アメリカの外交政策にまで介入したのだった。

こうしてアメリカは遂に戦争に「引きずり込まれた」。少なくとも《ヒトラーのアメリカン・コネクション》の中核を占めるエリートたちは、そのように感じていた。しかしこのエリートたちは驚くことに、大戦中もドイツとの取引を何とか継続しようと試みていたのである。そして最後にはソ連共産主義の西側への進出を防ぐために、ドイツの降伏を促して大戦の終結に一役買ったのである。



このアメリカ政財界のエリート集団は、大戦が終わると今度は《親独派》から《反共の闘士たち》に仮面を付け替え、アメリカの外交政策に引き続き大きな影響を及ぼした。再び共産主義の脅威からドイツを救うために、ドイツの財閥解体を中止させ、「強いドイツ」の復活に貢献した。そして来たるべきソ連との競争に勝つために、ドイツ企業が有していた進んだ科学技術を奪いとり、科学者もアメリカに連れて帰った。この中にはヒトラーのもとで戦争犯罪に手を染めた者もいたが、アメリカのエリートたちは「ソ連との戦い」を優先させ、彼らの暗い過去には目をつぶったのだった。

アメリカ人たちはまた、対ソ戦に活用するため、科学者だけでなく元ナチスの諜報部員たちにも新たな職を与えていった。「共産主義に対抗させるためにファシズムを支援する」という政策を継続し、元ナチスやナチス協力者を対ソ秘密工作に利用したのである。結局この工作は大失敗に終わり、「冷戦」をさらに激化させる結果となった。《反共の闘士たち》はさらに、東欧の元ナチス協力者たちを大量にアメリカに入国させ、共和党の支持基盤の一つとして組み入れる工作を行った。こうして共和党の外交政策に元ファシストの影響が反映されるようになると、アメリカの外交政策は一段とタカ派・反ソ傾向を強め、冷戦を過熱化させることになったのである。

戦後、アイゼンハワー政権ができると、《ヒトラーのアメリカン・コネクション》の中核にいたジョン・フォスター・ダレスとアレン・ダレスが、合衆国の国務長官とCIA長官にそれぞれ就任した。それまで舞台裏で暗躍していたエリート集団の代表選手が、遂に表舞台に登場したのである。ダレス兄弟は反米と見られる政権を秘密工作により次々と転覆させ冷戦を激化させていった。アメリカの情報機関を実質的に作りあげたアメリカ政財界のエリートたちは、この時期に対ソ秘密工作のパターンを確立し、《ヒトラーのアメリカン・コネクション》の次世代のリーダー、ジョージ・ブッシュにそのノウハウを引き継いだ。ブッシュを中心とするエリート集団は、アメリカ人の人質と引き替えにイランに武器を売却し、そこで得た資金をニカラグアのコントラに送るという秘密工作に手を染め、続く1980年代のアフガン戦争では、イスラムの過激派をソ連にぶつけるという一大秘密作戦を実施した。



ダレス兄弟やブッシュ一族が進めてきた秘密工作は、「共産主義に対抗させるためにファシズムを支援する」というコンセプトをさらに発展させたものだった。対ソ戦に役立つのであれば、独裁者だろうと、過激派だろうと、麻薬マフィアや犯罪銀行だろうと構わず支援したのである。そしてこの結果、「民主主義を共産主義から守る」という大義名分のもとで行われた秘密工作が繰り返されるたびに、独裁者が力をつけ、政治的穏健派が後退し、麻薬が氾濫し、組織犯罪が拡大するという矛盾を生み出していったのである。これらはアメリカの冷戦外交、とりわけCIAの秘密工作が生んだ、いわば「負の遺産」とも言えるものだった。

だから、《ヒトラーのアメリカン・コネクション》の正統なる後継者であるジョージ・W・ブッシュが大統領になったときに、この「負の遺産」を背負った冷戦の亡霊オサマ・ビン・ラディンが暴れ出し、世紀のブローバックとしてアメリカに襲いかかったのは、むしろ歴史の必然だったと言うこともできるのだ。

オサマ・ビン・ラディンの攻撃を受けたジョージ・W・ブッシュは、この冷戦の亡霊を追い払うために、かつての敵だったロシアと手を組んだ。ジョージ・W・ブッシュは、祖父プレスコットがダレス兄弟らと共に築き、一族が継承してきた冷戦の遺産を、ロシアと組んでみずから「清算」することを決意したのである。そしてそれは冷戦という一つの時代に区切りをつけ、新たな世界秩序の構築に向けた第一歩でもあった。ジョージ・W・ブッシュを中心とするアメリカのエリートたちは、いったいどんな世界を築こうとしているのか。それを見届けるのは21世紀を生き抜くわれわれの定めでもある。

 

以上、菅原出著『アメリカはなぜヒトラーを必要としたのか』(草思社)より
(P227〜239)

 

 


 

 


 

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