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No.a6fhe650
作成 2006.6
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(左)ニクソン大統領 (右)ヘンリー・キッシンジャー博士
キッシンジャーはドイツ生まれのユダヤ人で、ナチスを嫌い、
1938年にアメリカに移住し、ハーバード大学の博士号を取得。
ニクソン政権の誕生とともに、国家安全保障担当大統領補佐官
として政権中枢に入り外交全般を取り仕切る。1971年に、
極秘に中国を2度訪問し、米中和解への道筋をつけた。
1973年、ベトナム戦争終結への貢献を理由に
ノーベル平和賞を受賞。
田中角栄(たなか かくえい)
第64、65代総理大臣。「日本列島改造論」で
一世を風靡する。1972年に日中国交回復を実現。
在任中に「第一次石油ショック」が発生し、中東政策を
「イスラエル支持」から「アラブ支持」に転換するとともに、
中東地域以外からの石油エネルギーの直接確保に努めた。
1974年に金脈問題で総理の座を追われ、1976年に
「ロッキード事件」で逮捕される。1993年に死去。
…… まだ未完成です(ゴメンナサイ) ……
■■おまけ情報:キッシンジャーの「対日観」
●親中国派で有名なキッシンジャーの「対日観」は、下に掲載した記事の中のエピソードに如実にあらわれている。
参考までに紹介しておきたい↓
2006年5月27日『東京新聞』
── この記事の内容 ──
【ワシントン=共同】ニクソン米大統領の中国訪問など1970年代の米外交政策を主導したキッシンジャー大統領補佐官(後に国務長官)が1972年夏、田中角栄首相が訪中して日中国交正常化を図る計画を知り「ジャップ(日本人への蔑称=べっしょう)」との表現を使って日本を「最悪の裏切り者」と非難していたことが、26日までに解禁された米公文書で分かった。キッシンジャー氏の懐疑的な対日観は解禁済みの公文書から明らかになっているが、戦略性の高い外交案件をめぐり同氏が日本に露骨な敵がい心を抱いていたことを伝えている。繊維交渉などで険悪化した当時の両国関係を反映しており、1970年代の日米関係史をひもとく重要資料といえる。
文書はシンクタンク「国家安全保障公文書館」が国立公文書館から入手。26日の公表前に共同通信に閲覧を認めた。
ハワイで日米首脳会談が行われた1972年8月31日付の部内協議メモ(極秘)によると、キッシンジャー氏は部内協議の冒頭で「あらゆる裏切り者の中でも、ジャップが最悪だ」と発言した。
続けて、中国との国交正常化を伝えてきた日本の外交方針を「品のない拙速さ」と批判し、日中共同声明調印のために田中首相が中国の建国記念日に訪中する計画を非難。首相訪中に関する日本からの高官協議の申し入れを拒否したという。
またフォード大統領訪日を直前に控えた1974年11月12日付の国務省会議録(秘密)によると、国務長官も兼務していた同氏は省内会議で田中首相について「日本の標準に照らしてみてもウソつきだ」と言明した。
2006年5月27日『東京新聞』
■■関連記事(リンク集)
◆株式日記/テレビ朝日正月特番「ビートたけしの戦後七大事件」
「田中角栄失脚は米国のワナ」紙上再現中継(画像25枚)
http://1234tora.fc2web.com/tanaka.htm
◆新世紀ジャーナル/田中角栄と毛沢東 ─ 日中の戦略的同盟提起した毛沢東
http://www.21c-journal.net/book/20moutaku.html
◆ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報/
ロッキード事件30年。遂に尻尾を見せたロックフェラー家政治工作
http://amesei.exblog.jp/3433879/
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