No.a3fhb116

作成 1997.2

 

日本に興味を示すユダヤ人たち〈1〉

 

●日本には現在、2000人を超えるユダヤ人が住んでいる。

旅行者として日本を訪れたり、国内あるいは海外各地で日本人とビジネスなどの面で協力関係にあるユダヤ人の数は、さらに多数にのぼり、我々の想像する以上にユダヤ人は日本人と接触している。

そのユダヤ人の多くが、日本に対して強い関心を示し、ときには異様とも思えるほどの親近感すら寄せることがある。特に複数の研究家が体験的実感に基づいて、日本への不思議な気持ちを本の中で“証言”しているのだが、とりわけ「ラビ」という称号もつユダヤ人の日本に対する発言は注目に値する。

なぜならば、「ラビ」という称号は、学識豊かなユダヤ人社会における宗教的指導者にのみ与えられる称号であり、その者の発言はユダヤ人社会全体を代表するものといってよいためである。

 

 

●ラビ・V・M・ソロモンは著書『ユダヤ人の秘密』の中で語る。

「日本に来ると間もなく、ずっとここに住んでいたのではないかと思うほど、日本人に親しみを感じた。……〈中略〉私は日本に来てから、日本の国内を数千キロにわたって旅行した。そのたびに日本のしたきり、ものの考え方、哲学といったものの中に、ユダヤ人と非常に似ているところがあるのに気付いた……〈中略〉日本から出て行くたびに、日本に一日でも早く戻ってきたいと思うようになってきた……」


●ラビ・マーヴィン・トケイヤーは著書『ユダヤと日本 謎の古代史』の中で語る。

「キリスト教徒たちは日本の空港に着いた時から、全く混乱した違和感を感じているだろうが、ユダヤ人の旅行者に限っては、何か家に戻って来たような親近感があり、国技館で見る相撲の力士が行う塩を土俵にまく動作にも、奇妙さを感じないのである。ユダヤ人であれば、その意味は即座に理解できるからである。」

「心情的にユダヤ人は、日本人と非常に近いものを持っていると感じ取っている。だから、現在まで書かれた世界史には全く書かれていない何かが、日本人とユダヤ人の間に存在するかもしれないというロマンチックな夢が、ユダヤ人の心に潜んでいるのである。これは神秘的な歴史の謎といえるかもしれない……」

 


(左)ラビ・マーヴィン・トケイヤー
(右)彼の著書『ユダヤと日本 謎の古代史』

1936年にハンガリー系ユダヤ人の家庭に
生まれる。1962年にユダヤ神学校でラビの資格
を取得。1967年に東京広尾の「日本ユダヤ教団」の
初代ラビに就任。1976年まで日本に滞在し、ユダヤ人と
日本人の比較文化論を発表。早稲田大学にて古代ヘブライ
文化を教えたこともある。アメリカに帰国後、ユダヤ人
学校の校長を歴任。現在ニューヨーク在住。

 

●モルデカイ・モーゼは著書『日本人に謝りたい』の中で語る。

「個人的交際においても、日本人は対外となると、古来の伝統的美徳を完全に発揮している。しかしそれに対して一般外国人は、これを全く理解する能力がないと言わねばなるまい。このために日本人はどれだけ損をしていることか。私はこのようなことがいつまでも続くことを耐え忍ぶことはできない。手前勝手なようだが、ユダヤ人はこの日本人の特性をある程度理解でき、したがってそれなりのお返しを日本にできる唯一の外国人であると自負している……」


●ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグは著書『大和民族はユダヤ人だった』の中で語る。

「伝統をよく調べてみると、日本人は帰らざるイスラエル10支族の子孫ではないかと思われる。……〈中略〉神道という神々の道を勉強し、しばし出仕(見習い神官)として神社(京都の護王神社)に仕え、私は神社と古代ソロモン神殿の驚異的類似性を知るという、まれな機会を持った。……〈中略〉今日、アマテラスオオミカミに馬を捧げる日本の習慣が、古代ヘブライ人が太陽に馬を捧げる習慣からきたものかどうかは知らないが、神道の教義の幾つかはヘブライの古代宗教教義とあまりにも似ているので、この類似性を単なる偶然の一致としてしまうのは難しい。」

※ ヘブライ語、ロシア語、英語、フランス語、ドイツ語、ペルシア語、イーディッシュ語、アラビア語など数ヶ国語に精通していた彼は、世界中を調査した結果、失われたイスラエル10支族は日本に行ったことを確信し、以来14年間ひたすらこの問題に取り組んできたという。

 


(左)ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグ
(右)彼の著書『大和民族はユダヤ人だった』



ヨセフ・アイデルバーグが京都の「護王神社」で、出仕
(見習い神官)として仕えていたときの姿(1972年)

※ 彼に関する詳細はココをクリック

 

●アインシュタイン博士は、1922年11月16日に初来日して43日間日本に滞在したが、過密スケジュールの傍ら日本の自然や風物を堪能し、日本人の素朴な謙虚さや優しさに賛辞を送っていた。(ただし、彼が日本とユダヤの関係に注目していたかどうかは不明である)。

※ ちなみに1945年8月、アメリカ軍が日本に原爆を投下したニュースを聞いた時、彼は「ああ、何ということか!」とうめいたという。

 


アインシュタイン博士



博士は1922年11月16日に初来日して43日間日本に滞在した。
博士は来日途上の船中で「ノーベル物理学賞」受賞決定の電報を受け取った。

(左)「東京大学」の物理学教室で講演するアインシュタイン博士
(右)博士の来日を特集した雑誌『改造』(1922年12月号/改造社)
 ※ この「改造社」の山本実彦社長が博士を日本に招いたのである。

 

●ところで、幕末以来わが国にやって来た外国人(非ユダヤ人)たちの中にも、日本とユダヤとの深い類似を指摘する人物が多くいた。

例えば、1823年に来日した有名なドイツ医師兼博物学者シーボルトもその一人である。彼は5年間日本に滞在したが、民族比較論の立場から日本民族のルーツをオリエントの地に求め、ユダヤ人と祖先を同じくする可能性があることを認めていたのである。

 


ドイツ医師兼博物学者シーボルト

1823年に来日した彼は、日本人と
ユダヤ人の祖先が同じだと主張していた

 

●また、明治の初めに来日して約12年滞在したスコットランド人貿易商のノーマン・マクレオドは、1875年に長崎で『日本古代史の縮図』という本を刊行し、アジアの中でも日本人だけが他の民族と非常に異なる風習・文化を持っていると指摘していた。

さらにマクレオドは、日本の文化が朝鮮や中国とも異なっているのは、今から2700年前に古代オリエント地方から東方に追放され、その後歴史から消えてしまった古代イスラエル10支族が、遥か東方の国日本にやって来て住み着いたからではないかと主張していた。

 


↑ノーマン・マクレオドが長崎の 
出版社から刊行した『日本古代史の縮図』

この本は「日ユ同祖論」の古典とも呼ばれる本である。
この本の刊行後に彼は『日本古代史の縮図』のための挿し絵集
(イラストレーションガイド)を京都の出版社から刊行している。
※ 彼は明治政府のために働きながら、日本各地を巡り歩き、
やがて「日ユ同祖論」を説くようになったという。

 

●このように、シオニズム運動に見られるような強烈な選民意識、自民族に対する誇り高い意識を持ったユダヤ人ならびに外国人が、アジアの果ての国「日本」に愛国心を延長したような感情を抱く有り様は、一般人には全く異様に見えよう。

 

 



── 当館作成の関連ファイル ──

日本に興味を示すユダヤ人たち〈2〉 

 


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