No.a6fhc615

作成 1998.2

 

ユダヤ人とドイツ諸侯の結びつき

〜 「宮廷ユダヤ人」の実態 〜

 

 

■■「ホフ・ユーデン(宮廷ユダヤ人)」の登場


●西欧キリスト教社会においては、古くからユダヤ人を嫌悪する差別感情が定着していたため、ユダヤ人の職業は制限されていた。1078年にローマ教皇グレゴリウス7世がユダヤ人に対し「公職追放令」を発令すると、全ての職業組合からユダヤ人が締め出される事態となった。

キリスト教は、他人にカネを貸して利息を取ることは罪悪であると考えていた。ところが、ユダヤ教は『タルムード』の中で異邦人から利子を取ることを許していたので、ユダヤ人は古くから自由に高利貸業を営むことができた。そのため公職追放令が発令されると、ユダヤ人はキリスト教徒には禁止されていた金融業に喜々として手を染めていったのである。「カネに汚い高利貸し」というイメージがユダヤ人に定着したのはこの頃からだと言われている。


●そして、十字軍遠征活動に代表されるように、キリスト教の修道士や騎士階級が異教徒征伐政策を正当化するにつれて、ユダヤ人に対する迫害は露骨になっていった。13世紀にローマ教会が「異端審問制度」を確立すると、ローマ教会の横暴さは頂点に達した。

ゲットーは1554年にヴェネチアに初めて設置されたもので、ローマ教皇パウルス4世がユダヤ人にゲットーへの居住を強制すると、またたくまに世界各地へ広まった。ゲットー内ではシナゴーグ(ユダヤ教会堂)や学校が設置され、ユダヤ人の高い教育水準と宗教文化が保たれることになったが、ユダヤ人に対する差別政策は完全に制度化してしまったのである。

 

 
「ユダヤ人集団隔離居住区(ゲットー)」

16世紀に誕生した「ゲットー」は、またたくまに世界各地へ広まり、
その後、約300年間存続した。各地の「ゲットー」には2つ以上の門を
設けることが禁止され、高い塀で囲まれ、門の扉は外から閉ざさ
れたうえ、施錠され、鍵はキリスト教徒門衛が保管していた。

 

●しかし、全てのユダヤ人がゲットー生活を強いられていたわけではなかった。完全に自由な特権を享受していた少数のユダヤ人が存在していたのである。彼らはドイツ諸侯の高級官僚や宮廷出入りの御用商人となっていたため「ホフ・ユーデン(宮廷ユダヤ人)」と呼ばれていた。彼らは天性の商才によって、莫大な富を蓄積していった。ロスチャイルド財閥も、もともとはホフ・ユーデンの出であることで知られている。

このホフ・ユーデンについて具体的に紹介しよう。

 

■■宮廷ユダヤ人の経済力に依存したドイツ


●15世紀末に始まる大陸発見時代と、それにともなう商品経済の著しい拡大は、商業資本による利潤の追求という重商主義を生み出した。重商主義は、16世紀以来成立する絶対主義王朝下で各国の君主達にとって、自国の富国強兵を図る最大の関心事となった。こうした新たな資本経済発展のもとで、ユダヤ人たちは次第に中世的な商工業組合(ギルド)の拘束や制限から解放され、ユダヤ人の経済活動は大いに有利な方向へと変化していった。

封建制度が遅くまで残り、小さな領封君主や騎士領などがひしめいていたドイツでは、国際商取引網や金融力を持っていたユダヤ人は特に必要とされた。ヨーロッパ諸国のうちで、ドイツほど宮廷に召しかかえられたユダヤ人(ホフ・ユーデン)の経済力に依存した国はなかった。17、8世紀のバロック時代を通して19世紀に至るまで、ドイツの諸侯でユダヤ人を宮廷の側近として持っていなかった者はほとんどなかった。


●例えば、ドイツの分裂と衰退を決定的なものにした30年戦争(1618〜48)の際、フォン・ヴァレンシュタイン将軍はカトリック側に立って、ドイツ皇帝フェルディナンド2世のために傭兵隊を組織したが、その財源はオーストリア・ハプスブルク家の宮廷ユダヤ人ヤコブ・ハセヴィにより提供されたものであった。

また、バイエルン王国の筆頭宮廷ユダヤ人アーロン・エリアス・ゼーリヒマンは、1802年に全バイエルン王国の税収入を担保に取り、300万フランケンを王国に融資している。またその6年後には同国の関税収入を担保として、400万フランケンを貸し付けている。


●プロイセンの宰相ビスマルクと皇帝ヴィルヘルム1世の経済顧問であった宮廷銀行家ゲルソン・フォン・ブライヒレーダーは、普仏戦争(1870〜71)に勝ったドイツが、フランスから取るべき賠償金の額を決定した人物であった。

ビスマルクは、この宮廷ユダヤ人に彼個人の財産管理を全て託していた。ビスマルクはブライヒレーダーに相談することなくプロイセン王国の財政や戦費を動かすことはなかったという。

 


プロイセンの宰相ビスマルク

宮廷ユダヤ人に財産管理を
全て託していた

 

●さらにヘッセン侯国の宮廷御用商人として出発したロスチャイルド家が、金融業100年(1804〜1904年)を記念して出版した記録には、ロシアを含む全ヨーロッパ諸国の王侯、貴族の多数がロスチャイルド家の融資を受けていることが記されている。

ヨーロッパに銀行大帝国を築いたロスチャイルド家の5人兄弟の母親グードゥラが、戦争の勃発を恐れた知り合いの夫人に対し、「心配には及びませんよ。私の息子達がお金を出さない限り戦争は起こりませんからね」と答えたという。

 

 
(左)ロスチャイルド財閥の創始者
マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド
(ロスチャイルド1世/1744〜1812年)
(右)はロスチャイルド家の紋章


    
ロスチャイルド1世には5人の息子がいたのだが、それぞれをヨーロッパ列強の首都に派遣して次々と支店を
開業させ、それぞれがロスチャイルドの支家となった。上の写真は左から、長男アムシェル(フランクフルト本店)、
次男サロモン(ウィーン支店)、三男ネイサン(ロンドン支店)、四男カール(ナポリ支店)、五男ジェームズ(パリ支店)

 

●このように、19世紀に入ると、宮廷ユダヤ人(ホフ・ユーデン)は今や立派な宮廷銀行家として、王国の財政を左右するほどの力を持ったのである。そして、絢欄豪華な絶対主義王朝下で、宮廷ユダヤ人はまた金、銀、宝石等の供給者として大儲けをしていた。

彼らは自ら所有する金、銀、銅を用いた貨幣鋳造者(ミュンツペヒタ)として、領封君主の委託のもとで貨幣を鋳造し、供給した。多くの宮廷ユダヤ人の富は、しばしばこの貨幣鋳造業の請負による利益に由来するものであった。

 

■■ユダヤ人資本家と深く結びつくようになったドイツ


●以上の事柄は宮廷ユダヤ人に関するほんの一例にしかすぎないが、宮廷ユダヤ人は彼らの国際的連帯と、また上下の密接なつながりにより、大きな資金源をドイツの諸侯に提供し、また国際商取引の代行者として、きわめて重要な役割を果たしたのである。

彼らは君主より多くの特権を賦与され、ゲットーでの居住強制から解放されていたのをはじめ、多くの義務からも免除されていただけではなく、しばしば貴族の位にまであげられていた。

(金融力によって最強の宮廷ユダヤ人となったロスチャイルドは、本来ならユダヤ人が絶対にもらえない「男爵位」を得ている)。


●南ドイツ、アウグスブルクの大商業資本家ヤコブ・フッガーによるローマ教皇や諸侯に対する高利貸し付けはあまりにも有名であるが、この16世紀フッガー家により始められた王侯、貴族に対する宮廷貸し付けは、宮廷ユダヤ人を生み出し、20世紀初頭まで、ドイツの王侯・貴族とユダヤ人資本家との関係は切り離せない深い結びつきがあったのである。



●ユダヤ人の歴史に詳しいある研究家は、次のように述べている。

「そもそも金融経済そのものはユダヤ人によって作られたものである。中世のヨーロッパでは、キリスト教徒は利息を取ることを禁じられていたため、野蛮な職業とされていた金貸しなどの金融業はユダヤ人にあてがわれた。商人か金貸し以外の職業を禁じられていたユダヤ人は、その二つのどちらかに就くことを強いられていたと言ってもいい。つまりユダヤ人は、キリスト教徒によって、質屋や金塊の管理人、あるいは両替商などの利子や利息を扱う金融業に追いやられたのである。

当時の彼らが到達することの出来た最高の栄誉こそ、王侯貴族の財産を管理する『宮廷ユダヤ人』となることだったのである。

ところが、1600年代に、神聖ローマ帝国の権力が弱体化すると、諸侯は皇帝権力からの脱却を目論んで独自に領地を支配するようになっていった。そこでは深刻な官僚不足と、それに加えて貨幣とその原料となる銀の不足が問題となった。それを解決させたのが、数百年以上にわたって培ってきた金融取引のノウハウや、幅広く商取引を展開していたユダヤ人たちだったのである。

このようにしてユダヤ人たちは国家の中枢に入り込み、金融という媒介を通して、国家に対して影響力を持つようになっていったのである。

幾多の弾圧や追放を通り、世界中に離散させられた不条理の歴史は、結果的に世界の各地に『信頼できる同業者』ネットワークを生み出していった。彼らはこのネットワークを生かして、貿易などの商取引に深く関わり、為替システムを発達させたのだ。

当時の船は海賊に襲われることが多く、船が沈んだら『投資家』たちはただ損をするだけであった。そんな中でユダヤ人は、貿易商人たちから積み立て金を徴収し、万が一の時の損失を肩代わりする保険業を誕生させた。また、事業のリスクを多人数で負いあう株式会社の原理をも生み出したのである。

しかしユダヤ人は、財産が没収されるというリスクと背中合わせで生きていたため、無記名の銀行券を発行させて流通させた。これは後に欧州各国が中央銀行において紙幣を発行する際に応用されたシステムである。おわかりの通り、ユダヤ人こそ金融経済のからくりそのものを構築した人々なのである」



●ちなみに、宮廷ユダヤ人研究の権威者ハインリッヒ・シュネーは、30年戦争から19世紀のナポレオン支配からの解放戦争(1813年)に至るまで、ユダヤ人の資金なしで行われた戦争はほとんど全くなかったと指摘している。


●ドイツの経済学者ヴェルナー・ゾンバルトは次のように述べている。

「もしユダヤ人たちが、北半球諸国に分散移住していなかったとしたら、近代資本主義経済は生まれなかっただろう」

 


ドイツの経済学者
ヴェルナー・ゾンバルト

 

●また、『反ユダヤ主義の歴史』という本を著わしたレオン・ポリアコフという人の研究によれば、19世紀後半以来、産業革命・経済面で大活躍をしたユダヤ人は、1900年頃はドイツの人口の1%足らずにすぎなかったが、彼らは平均してドイツ人より約7倍の富を貯えていた。つまりドイツの人口の1%のユダヤ人が全ドイツの資産の6〜7%を所有していたということである。



●ヒトラーが自殺直前に訴えたいわゆる「国際ユダヤ主義にたいする断固たる戦い」とは、縦横にしっかりと結びついて資金を操作、捻出し、ドイツ諸侯へ貸し付けた宮廷ユダヤ人の結束力に対する歴史的な回顧と恐れがあったのかもしれない。

 


アドルフ・ヒトラー

 

●もっとも、ヒトラーが政権を握る直前のドイツでもユダヤ人は依然として巨大な勢力を誇っていた。首都ベルリンにおける産業の育成や交通の開発におけるユダヤ人の活躍は目ざましかった。プロイセンはもとより、バイエルン、オーストリアをはじめ、ドイツ各地における鉄道の布設、またロシアやルーマニアなどの鉄道の開設もドイツ・ユダヤ人の資本と人材なくしては考えられなかった。

ハンブルクにおける海運業、各地の大都市への百貨店経営の導入。また陶器(ローゼンタール)、銅、メッキ、化学工業の分野など、さらにはベルリンにおける衣料、電気、機械、武器の製造、製油(食糧・燃料)業など、あげればきりがない。


●デパートの経営などは、ヒトラーが政権を握る1933年まで、全ドイツの80%がユダヤ人の所有・独占であった。産業革命におけるこうしたユダヤ人の活躍は、当時の投資家、出資者としてのユダヤ人銀行業を抜きにしては考えられなかった。

現在国際金融都市として著しい発展を見せているフランクフルトには、1880年にすでに210の銀行業を営む会社があったが、その7分の6(85%)はユダヤ人の経営下にあった。


●また、アカデミックな分野でもユダヤ人は目立つ存在であった。

1913年当時のフランクフルトの場合、弁護士218名のうち63%がユダヤ人であった。

医師405名のうち36%がユダヤ人であった。

 

 


 

ヒトラーの反ユダヤ政策(年表)

 


 


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