大東亜戦争の舞台裏

 


──「大東亜戦争」の遠因と背景を探る ──

 

…… はじめに ……


「大東亜戦争(だいとうあせんそう)」は1937年7月7日
(盧溝橋事件)から1945年8月15日まで、日本が中心となって
「大東亜共栄圏」を形成することを目的とした大日本帝国と連合国との戦争の
当時の日本での呼称である。戦後の一時期、占領軍(進駐軍)はこの呼称の公式な
使用を禁止して「太平洋戦争」という呼称で置き換えたが、その後、禁止は解除された。

大東亜戦争の真相については、多くの歴史研究家たちによって研究されている。書店や
図書館に行けば様々な研究書が並んでいる。当館はユダヤ研究を専門にしているので、
「ユダヤ」を軸にして、少し違った角度から大東亜戦争の真相に迫ってみたい。
もちろん異論・反論あると思うが、「大東亜戦争とは何だったのか?」
を考える上で少しでも参考になれば幸いである。

 


 



1941年12月10日、イギリス海軍の誇る最新鋭の
戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」が、
日本軍の陸攻隊の攻撃を受けて沈没した。「マレー沖海戦」と呼ばれる
この戦いは、航行中の戦艦を飛行機だけで沈めたという、世界初の出来事
であった。「航空機優位」の時代が到来したことを日本は緒戦で世界に
示したのである。これにより「イギリス東洋艦隊」は壊滅した。


↑第二次世界大戦中の日本の勢力範囲(1942年)

↓第二次世界大戦後のアジア諸国の独立

地図帳をめくってみると、第二次世界大戦前のアジアで「独立国」は
日本とタイぐらいのものである。中国は一応独立国ではあるが、事実上列強の
従属下に置かれていた。それからわずか数年後の1950年代の同じアジアの地図を
見ると、今度は「植民地」を探すのに苦労するくらい全ての国が「独立国」となっている。
「植民地」は香港・マカオ、その他太平洋の幾つかの島々に見出すことができる程度である。

日本は戦争に負けたが、太平洋地域での日本の白人覇権に対する挑戦は「白人植民地の総退場」
という結果を生み、日本の戦争目的は果たされることとなったのである。これはちょうどイギリス
の場合と逆であった。イギリスは第二次世界大戦で国力を疲弊させただけでなく、インドを始め
ビルマ、シンガポールなどの植民地を全て手放すこととなった。こうして世界最大の大英帝国
はあっけなく消滅してしまったのだ。もっとも、だからといって、当館は第二次世界大戦が
「アジアを解放するための戦争だった」と主張するつもりはない。日本が戦った戦争は
アジアの解放につながった戦争ではあっても、国家の方針としてアジアを解放する
ための戦争ではなかったといえるからだ。この問題については語ると長くなる
ので、特別ファイルを作ってその中で詳細にまとめていきたいと思う。

 


 

「日露戦争」と「日米対立」と
「日中戦争」の舞台裏
■読む■
 
アメリカの原爆開発計画と
「原爆ホロコースト」の実態
■読む■


大東亜戦争の実相については
人によって様々な見方がありますが、
とりあえず、役に立ちそうな記事やデータ、
面白い意見などを下の「サブ資料集」ブロック
 の中にどんどんストックしていきたいと思います↓

 
サブ資料集A
『人種偏見』について
~太平洋戦争に見る日米摩擦の底流~
ヘブライ大学のユダヤ人教授は語る
「大戦中、日本は世界一の民主国だった」
日本には「ファシズム」はなかった
日本なかりせば20世紀に地球規模の
アパルトヘイトが完成していた
日露戦争前後にもっと多くの
ユダヤ情報があれば…
アジアにおける最新の侵略国は
「英・米・仏・蘭」の諸国だった
 
 
サブ資料集B
    「アヘン戦争」の舞台裏    
幻に終わったユダヤ満州共和国
平和郷であり王道楽土だった満州国
満州国とアヘン利権の黒い闇
「東京裁判」と「GHQ」
 



『朝日新聞』の社旗

大戦中に『朝日新聞』をはじめとする日本の新聞社
は戦争を煽(あお)り立てていた。大戦の末期になると
「事実の報道」という本質的な機能を全く果たさなくなり、
国民に対して「ウソの報道」ばかりするようになる。

 
反日感情を抱いていた
ユダヤ系アメリカ人の“改心劇”
■読む■
 
上海と満州のユダヤ難民を
保護した日本
■読む■
 

── ワイツゼッカー演説の欺瞞(ぎまん)──



第6代西ドイツ大統領
リヒャルト・フォン・ワイツゼッカー


「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」


●上の有名なセリフは、1985年5月8日、当時のワイツゼッカー西独大統領が「終戦40年記念演説」で語った言葉である。

この時の演説は、世界中の人々に感動を与えたと言われている。

日本の知識人及び主要メディアは、この有名な演説を取り上げて、「ドイツは戦争責任を潔く認めて謝罪・賠償もしているのに、日本は謝罪も賠償もせず日本人として恥ずかしい」とよく言う。


●しかし、彼らは「戦争犯罪」と「ホロコースト」を混同している。

「戦争」と「ホロコースト」は全く違う。

ドイツはユダヤ人と「戦争」なんかしていない。「ホロコースト(ユダヤ人迫害)」はナチス・ドイツが国家の意思として計画的に実行した犯罪で、戦闘による殺害ではない。「ホロコースト」は「戦争」とは無関係に実行されたのだ。

ドイツは「ホロコースト」については謝罪しても、「他国との戦争」に関しては一言も謝罪していないのである。ワイツゼッカーは、「ナチスの犯罪はヒトラー個人の罪であって、ドイツ国民の罪ではない」という考えの持ち主であった。

 

 

●また、戦後はドイツは東西に分断されたから現在に至るも講和条約は結ばれておらず、従って国家間の賠償はされていない(ユダヤ人犠牲者及び遺族に対する個人補償金は払ったが)。

ドイツ文学者であり評論家の西尾幹二氏はワイツゼッカーの主張を、「とかげのしっぽ切り」と形容している。ナチスの罪を徹底的に追及されたら、ドイツ国民全体に及ぶ。なんとか、しっぽ切りで済ませて、本体を守ろうという必死の弁明なのである。

ワイツゼッカーは、「あれはドイツ国民全体が負う責任ではなく、あの時代のナチスだけが負う責任だ」と言って、現在のドイツ人全体に罪が被さってこないよう詭弁を使って守ったのである。


 

── 韓国で発禁処分になった本 ──



(左)韓国の評論家、金完燮(キム・ワンソプ)
(右)彼の著書『親日派のための弁明』(草思社)

↑韓国で出版されるやいなや「青少年有害図書指定」を受けてしまい、
一般の書店で韓国民が入手不可能となってしまった本(著者は逮捕された)。
※ 日本では翻訳出版されると、大きな反響を呼び、歴史書としては
異例の40万部を超えるベストセラーとなった。


●韓国新世代の気鋭の評論家である金完燮(キム・ワンソプ)が、李氏朝鮮末期の歴史を公平な視点から検証し、抑圧的な旧体制の清算と朝鮮の近代化は日本の支援なくしてありえなかったとして日本統治を高く評価

韓国政府が行ってきた反日教育を支える歴史認識は誤っていると厳しく批判し、韓国で事実上の発禁処分となった革命的ともいうべき評論集である。


●著者は反日歴史教育にどっぷりつかって育った韓国人である。だから「日本語を使う人をみると不愉快になる」というほどの大の「日本嫌い」で、日本語は全く学ばず、日本を旅行したいとも思わなかった(阪神大震災が起きた時は「天罰だ!」と歓喜したという)。

しかし、1996年に海外に出てから「国際社会における韓国と日本の位置をより客観的に認識できる」ようになった結果、朝鮮の開国期と日本統治についての「一方的に歪曲された歴史認識」から抜け出し、バランスのとれた認識が持てるようになったという。

 

── 韓国は「なぜ」反日か?──


 


韓国だけでなく中国、日本のことまでわかりやすく学べます。
↓(長いけど、面白いから一気に読めると思います)。

韓国は「なぜ」反日か?
http://peachy.xii.jp/korea/


── 関連書籍 ──

 


アメリカの鏡・日本
ヘレン・ミアーズ著


大東亜戦争への道
中村粲著

世界から見た
大東亜戦争

名越二荒之助(編)
 



 



 




 

共産主義と第二次世界大戦

 

 


第二次世界大戦でもっとも利益をあげたのは「共産主義陣営」だった。

アメリカは多くの犠牲を払ったが、得るものは少なかった。英・米・蘭は
広大な植民地を失った。しかし、ソ連だけは西に東に領土を獲得して、
共産国を増やし、広大な「中国大陸」を赤化することに成功した。

当時、アメリカと日本の政府内には多くの共産主義者のスパイが
のさばっており、彼らが無視できない権力を掌握していた。

あの大戦で一番得をしたのはソ連であり、戦争は
ソ連の思い通りに進んだのである。



ヨシフ・スターリン

 

── 推薦文献 ──


『大東亜戦争とスターリンの謀略』
三田村武夫著(自由社)

■目次

◆序説  コムミニストの立場から
◆第1篇 第二次世界大戦より世界共産主義革命への構想とその謀略コースについて
◆第2篇 軍閥政治を出現せしめた歴史的条件とその思想系列について
◆第3篇 日華事変を太平洋戦争に追込み、日本を敗戦自滅に導いた共産主議者の秘密謀略活動について

資料篇
◆「コミンテルン秘密機関」─ 尾崎秀実手記抜萃
◆日華事変を長期戦に、そして太平洋戦争へと理論的に追ひ込んで来た論文及主張
◆企画院事件の記録
◆対満政治機構改革問題に関する資料


────────────────────────


この本は1950年に『戦争と共産主義』という題名で発売されたが、あまりに真実を描きだしているが故にGHQより発禁処分を受け、長らく人の目にとまることはなかった。(GHQ民政局ではアメリカの共産主義者が主導権を握っており、同局の検閲官によって、この本は発売禁止になったのである)。

1987年に本題のもと復刊されたが、発行部数も少なく、ほとんどその存在を知られることなく、いわば「幻の名著」の状態であった。

この本は、岸信介元首相が序文を寄せている。

※ 以下、一部抜粋



岸信介(元首相)


「知友のラジオ日本社長、遠山景久君が、某日、『岸先生、大変な本を見付けました。是非、第一読下さい』と持参されたのが、この三田村武夫氏の著書であった。

読む程に私は、思わず、ウーンと唸ること屡々であった。

支那事変を長期化させ、日支和平の芽をつぶし、日本をして対ソ戦略から、対米英仏蘭の南進戦略に転換させて、遂に大東亜戦争を引き起こさせた張本人は、ソ連のスターリンが指導するコミンテルンであり、日本国内で巧妙にこれを誘導したのが、共産主義者の尾崎秀美であった、ということが、実に赤羅々に描写されているではないか。

近衛文麿、東条英機の両首相をはじめ、この私まで含めて、支那事変から大東亜戦争を指導した我々は、言うなれば、スターリンと尾崎に踊らされた操り人形だったということになる。

私は東京裁判でA級戦犯として戦争責任を追及されたが、今、思うに、東京裁判の被告席に座るべき真の戦争犯罪人は、スターリンでなければならない。然るに、このスターリンの部下が、東京裁判の検事となり、判事をつとめたのだから、まことに茶番というほかない。〈後略〉」



ソ連のスパイだったリヒャルト・ゾルゲ(左)と『朝日新聞』の記者、
満鉄調査部嘱託職員、内閣嘱託を務めた尾崎秀実(おざき ほつみ)

※ 尾崎秀実は近衛文麿政権のブレーンとして、
政界、言論界に重要な地位を占め、また、軍部とも
密接な関係を持ち、日中戦争当時の政局の最上層部で
活躍した。「アジア共産化」を目的とした数々の謀略を
実行し、「ゾルゲ事件」で逮捕されて処刑された。

 



(左)近衛文麿。第34、38、39代総理大臣。
(右)『大東亜戦争と「開戦責任」~ 近衛文麿
と山本五十六』中川八洋著 (弓立社)

── この本の内容 ──

※ 以下、一部抜粋

日中戦争をなぜ日本はしたのか、日独伊三国同盟をなぜ日本は締結したのか、「南進」と対英米戦争の道をなぜ日本は選択したのか、……などの謎は「戦犯容疑者」として裁かれる前に服毒自殺した近衛文麿の墓に道づれにされた。

日本の破局を運命づけたこれらすべての決定がなされたときの総理大臣はすべて近衛文麿であって、これらの国家の意思を決定した最高権力者は憲法上も実態においても近衛文麿だけしかいないからである。東條英機は、近衛が敷いたレールの上を走った、近衛の影武者にすぎなかった。〈中略〉

── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ──

米国のルーズベルトの周辺は共産主義者で固められていたのと同じく、日中戦争の早期講和を阻み「南進」を決行する日本でもまた近衛文麿首相の周辺は共産主義者の巣窟であった。

近衛文麿が積極的に側近に登用した共産主義者としては、書記官長(=現在の官房長官)の風見章(親ソ系のマルキスト)、ゾルゲ事件の首謀者の一人として死刑となった尾崎秀実(ソ連のスパイ)、日中講和の阻止に暗躍した西園寺公一(中国共産党系のマルキスト)や犬養健(中国共産党系のマルキスト)、朝日新聞の佐々弘雄松本重治など挙げるときりがないほど多い。

── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ── ─ ──

太平洋戦争(日米戦争)に至る、日米それぞれの国家における開戦決定過程で、このようにソ連の影響や共産主義者が暗躍した事実から、日米戦争とは共産ロシア(ソ連)が誘導した戦争であった、といえる。ロシアこそが、日米間の戦争を欲して、それなりの努力(積極工作)に全力を投入して生じた戦争、それが日米両国の死闘を尽くしての太平洋戦争の裏面である。



日本に突き付けて日本を挑発した
『ハル・ノート』を書いた張本人である
ハリー・デクスター・ホワイト財務省特別補佐官

※ 後に彼はソ連のスパイとして糾弾されただけでなく、
ソ連KGBの元諜報員ピタリー・パブロフの証言によって、
『ハル・ノート』そのものがソ連で作成され、彼に提供
されたものであることが明らかになっている。

 
「偽装右翼」の実態
~「右翼」の仮面をかぶったマルキスト~
■読む■
 
日本人に謝りたい
~あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ)~
■読む■
 
ソ連・東欧諸国でのユダヤ人虐殺
~知られざる第二次世界大戦の悲劇~
■読む■



↑独ソ両国にとっての「共同草刈り場」となったポーランド(1939年)

※ 共産主義を標榜するスターリンと反共のヒトラー、この本来結びつくはずのない両者は
1939年8月突如として「独ソ不可侵条約」を締結して世界を驚かせた。この条約によって、
ドイツはソ連の中立を確保したため、安心してポーランドに侵攻することができるようになった。
(締結からわずか1週間後の9月1日、ドイツはポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発した)。

今日、その責任はすべて一方的にポーランドへ侵攻したヒトラーにありとされている。しかし、
ドイツ軍がポーランドに突入したとき、宣戦布告のないままスターリンの軍隊もポーランドに
入ってきたのである。しかもドイツ軍によってワルシャワが完全に破壊されてしまうまで
スターリンの軍隊は一歩も動かずに静観していたのだ。いわばポーランドは、
独ソ両国にとっての「共同草刈り場」となったのである。


── おまけ情報 ──



ラーザリ・カガノビッチとスターリン

※ ウクライナ生まれのユダヤ人であるカガノビッチは
スターリンの腹心として経済政策の多くを監督した。頑強な
無神論者として知られ、ロシア正教の「救世主ハリストス大聖堂」の
爆破をはじめ、数多くのキリスト教会や歴史的建造物の破壊活動を主導し、
ウクライナにおいては悪名高い人為的大飢饉「ホロドモール」を引き起こした
責任者としても知られる。また、1930年代後半のスターリンの「大粛清」に
おいても中心的な役割を果たし、180を超える粛清リストに個人的に署名して
数万人を死に追いやったとされる。彼はスターリンの命令を実行する上で、
その冷酷無比ゆえに「鉄のラーザリ」というあだ名で呼ばれていた。



『悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉 ─ スターリンの農業集団化と飢饉テロ』

ホロコーストと並ぶ世紀の大虐殺「ホロドモール」により、最終的に700万以上の
ウクライナ人が餓死した。これは全ウクライナ人口の2割が殺されたことを意味した。ソ連政府は
この事件をずっと否定し隠蔽し続け、世界に公式に認知されるのはずっとあと1970年代以降である。

※「ホロドモール」とはウクライナ語で「飢饉(ホロド)」で「苦死(モール)」させることを意味する。



栄養失調に陥った子供たちは満足な医療も受けられないまま息を引き取っていった

スターリンによるウクライナ人大虐殺「ホロドモール」の悲劇より

 

 

── 推薦文献 ──


『 共産主義黒書〈ソ連篇〉』
クルトワ・ヴェルト著(恵雅堂出版)


人類初めての共産主義国家「ソ連」の誕生から崩壊までを、
「暴力・抑圧・テロル」を軸に豊富な資料で克明に描いたソ連篇。

戦争と革命の世紀であった20世紀、ナチズムの犠牲者2500万人に
対し、共産主義による犠牲者はソ連で約2000万人、中国で6500万人、
全世界では合わせて1億人を数える。「民族・人種」によるジェノサイド
と「階級・思想」によるジェノサイドは一体どこがどう違うのか?

※ この本はフランスで30万部、全世界で100万部突破し、
海外で大論争を巻き起こしたベストセラーである。



↑雪原に残る「強制収容所(ラーゲリ)」跡 

ロシア全土には200もの「強制収容所」が作られ、
無差別に大勢の人間が逮捕され、理由もなく処刑された。
スターリニズムによる死亡者数は1800万人ともいわれる。

 



毛沢東

中国共産党はいまだに毛沢東を
「抗日戦線リーダー」として崇めている。
しかし毛沢東は、実際には日本とは戦わなかった。

むしろ、中国が日本に占領されることを歓迎していた。
蒋介石政府を打倒するために、日本を利用したのである。
毛沢東は「中国で実権を握れたのは、日本の侵略の
おかげ」と感謝さえしていたのである。

 
毛沢東と「文化大革命」の闇
~紅衛兵による大量殺戮の実態~
■読む■
 
キッシンジャーと田中角栄
~「ロッキード事件」の舞台裏~
■読む■
 
世界中で暗中飛躍する
親中反日ネットワークの実態
■読む■


アメリカは潜在的に
日中の接近を脅威と考えている。

特に、日中の接近(東アジアの連帯)を
あらゆる手段を使って邪魔しようとしているのは
アメリカのユダヤ人エリートたち(主に民主党)である。

先の大戦のように、彼らの世界戦略に踊らされて、
再び日中が不幸な戦争に巻き込まれないように
注意しないといけないだろう。


── 推薦文献 ──


(左)政治解説者のアン・コールター
(右)彼女の著書『リベラルたちの背信 ~
アメリカを誤らせた民主党の60年』(草思社)

日系人を強制収容所に送り、ソ連のスターリンの暴虐に目を
つぶり、北朝鮮に色目を使う…。中国や北朝鮮の人権弾圧の実態
は全て隠蔽しながら経済外交関係を強化するのが、クリントン政権
が継承したアメリカ「民主党」の悪しき「人権外交」の実態である。

アメリカの「保守本流」を代表する論客アン・コールターが、旧ソ連の
秘密電報をはじめとする新資料を縦横に駆使して、冷戦前夜から60年
の歴史を再検証。トルーマンからクリントンにいたる歴代民主党政権
の政治判断・外交政策の誤りを厳しく断罪、熱い政治的論議を
呼び、ベストセラーとなった刺激的論争の書である。

 

 

── 中国による「チベット人大虐殺」の実態 ──



チベット仏教の総本山「ポタラ宮」

1959年にチベットの首都ラサで「改革解放」の名の
もとに「民族浄化」が開始、殺戮・破壊・強奪・強姦が行われた。
15万人の僧侶と尼僧は、公開虐殺によって1400人に減らされた。
※ 僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、尼僧に
対しては警棒の形をした5万ボルトのスタンガンを性器に入れて
感電死させ、彼女らの死体は裸のまま路上に捨てられた。
一般民衆の犠牲者は、120万人におよぶ。



(左)チベット亡命政府の旗(雪山獅子旗)(中)ダライ・ラマ14世
(右)『中国はいかにチベットを侵略したか』マイケル・ダナム著(講談社)

「中国共産党」は「仏教を信じるチベットは野蛮」と勝手に決め付けて、
「チベットを解放する」と称し、1959年に侵略して120万人を大虐殺した。

大勢のチベット人たちは手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を
浴びせられ、馬や車で引きずり殺された。女性たちは繰り返し強姦されまくった。

中国兵たちの取り囲む中で、僧と尼僧とは性交を強制された。拒否した僧は腕を
たたき切られた。中国兵はチベット人の死体の上で大小便をし、その上で踊った。

1959年に「労働改造所」に収容された1万3千人のチベット人うち、4年後
まで生き残ったのはわずか60人だった。食料はほとんど与えられず、
チベット人たちは雑草・豚の餌(えさ)・ゴキブリを食べた。

出典:『中国はいかにチベットを侵略したか』
 マイケル・ダナム著(講談社)

 


── 関連書籍 ──

 

逆検定
中国国定教科書

井沢元彦&金文学著
 

暗黒大陸
中国の真実

ラルフ・タウンゼント

これが中国の
国家犯罪だ

ジャムヤン・ノルブ
 




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