No.a4fhc200

作成 2000.4

 

アメリカ・ビジネス界の
ユダヤ人の実態

 

 

第1章
逆境の中でビジネス開拓 していった
東欧ユダヤ人
第2章
映画産業を築いたユダヤ人
第3章
テレビ放送を築いたユダヤ人
第4章
新聞・雑誌などの出版業界で
根強い力を持つユダヤ人
第5章
情報・通信産業で活躍するユダヤ人
第6章
その他のビジネス界で活躍する
ユダヤ人
第7章
学問の世界や知的専門職で
活躍するユダヤ人

おまけ
ユダヤ人の名前について
おまけ
世界で成功する
 ユダヤ人が多いのはなぜか?

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■■第1章:逆境の中でビジネス開拓していった東欧ユダヤ人


●ユダヤ人のアメリカ移住は5波にわたっており、それぞれ出身地と性格を異にしている。

最初にやってきたのは、カトリック教国のスペインとポルトガルから追放されたユダヤ人(スファラディム)だった。ユダヤ移民の第2波は、1820年から1870年頃まで、主にドイツからやってきた25万人のユダヤ人である。特に1848年の革命の敗北によってアメリカに避難したものが多かったので、彼らは「フォーティエイター」と呼ばれている。彼らの多くはアメリカで巨億の富を築き上げた。

1880年代初頭から1924年頃まで、ロシア国内のポグロム(ユダヤ人迫害)が原因で、280万人の東欧ユダヤ人(アシュケナジーム)がアメリカになだれ込んだ。これが今から詳しく紹介するユダヤ移民の第3波である。(第4波と第5波については別ファイル「ユダヤ人のアメリカ移住史」をご覧下さい)。

 

 
大型の蒸気船に乗って大西洋を越えるユダヤ移民たちの群れ

20世紀初頭までに総数280万人に達する莫大な数の
東欧ユダヤ人が、アメリカに流れ込んだ。これにより、
世界で一番ユダヤ人が多い国は、徐々にロシアから
アメリカにバトンタッチされていくことになる。

 

●アメリカのビジネス・エリート社会において、先着のドイツ系ユダヤ人(西欧ユダヤ人)は、そのたぐいまれな国際的金融コネクションを駆使して投資銀行業界で威勢をふるい、更に同化主義的でユダヤ教色が希薄であったことから、準ワスプ(WASP)的な“好ましいユダヤ人”としての待遇を獲得していた。(WASPとは、アングロサクソン系アメリカ人プロテスタント教徒の略称である)。

一方、後からやって来たユダヤ教色の強い東欧ユダヤ人は、ワスプから蔑視された。第1波の貴族的なスペイン系ユダヤ人や、第2波のドイツ系ユダヤ人と違い、ロシアの寒村やゲットーからやってきて、ニューヨークに住み着いた第3波の東欧ユダヤ人たちは、いかにも異様だった。

20世紀初頭のアメリカでは、平均的なワスプ系の人々は、移民の大半を占めていた東欧ユダヤ人を、文化的・生物学的に劣等な輩と見下し、アメリカ社会に同化困難な異質な存在とみなしていた。心の奥でそう思うだけでなく、それを態度であらわし、露骨な差別行為を行なうことさえ、当時としては珍しくなかった。

 

  
(左&中央)20世紀初頭のニューヨーク市「ロワー・イーストサイド地区」
の風景。この地区に東欧系のユダヤ移民の多くが住んでいた。
(右)同じくニューヨークのユダヤ移民たち (1905年)

貧困、過労、貧弱な食事に加えて、過密で不潔な住居、
新鮮な空気と日光の不足など、ここには病気を蔓延させる
あらゆる条件が揃っていた。最も恐れられたのは結核だった。
それは「ユダヤ病」とか「仕立て屋病」として知られるようになり、
1906年の「ロワー・イーストサイド地区」のユダヤ人の1000人中
12人が結核におかされていた。(病人の90%は家で看病されて
おり、貧しい人々はなかなか病院に行こうとはしなかった)。

 

●アメリカの歴史に詳しい野村達朗氏(愛知県立大学外国語学部教授)は、次のように述べている。

「東欧系ユダヤ人はドイツ系ユダヤ人とは著しく異なっていた。中産階級化し、宗教的には改革派ユダヤ教を奉じ、英語を取得して急速なアメリカ化を遂げていたドイツ系ユダヤ人はアッパーイーストサイドやアッパーウェストサイドの優雅なアパートメントに住んだ。これに対して、東欧系はイーディッシュ語を話す正統派のユダヤ教徒で、極めて貧しかった。

両者は風俗習慣も異なり、この時期には別々のコミュニティーを形成した。2つの種類のユダヤ人はそれぞれ『アップタウン・ジュー』、『ダウンタウン・ジュー』と呼ばれるようになった。」



●東欧ユダヤ人は、ドイツ系ユダヤ人のような国際的な金融コネクションを持ち合わせていなかったため、ドイツ系ユダヤ人のような投資銀行業界へ進出することができなかった。また、既存の主要産業は古くからワスプに支配されていて、東欧ユダヤ人の参入は非常に困難な状態であった。

結局、東欧ユダヤ人の多くは、当時の経済の本流から外れた周辺的かつ未成熟な産業分野に進出していった。エリート白人が就きたがらない「格下の仕事」とみなされた産業にも積極的に進出していった。

零細な廃品回収業から発展した産業廃棄物処理産業は、1929年に3億ドル産業に成長し、東欧ユダヤ人はこれをほぼ支配した。またクズ鉄産業は5億ドル産業へと成長し、東欧ユダヤ人はその90%を支配した。

 

 

●1899年から1910年の間にアメリカへ入国した3つの主要な移民集団(東欧ユダヤ系、アイルランド系、イタリア系)に関する比較研究によれば、入国時に熟練技術を持っていた労働者の割合は、アイルランド系の13%、イタリア系の35%に対して、東欧ユダヤ系は67%と格段に高い数値を示している。このように高い割合で熟練技術を持っていた東欧ユダヤ人は、母国、東欧に在住していた頃から慣れ親しんでいた「伝統的職業」(蒸留酒製造、被服産業、宝石産業など)を引き継いで成功する者も増えた。

1934年度のアメリカ国内第3位のメーカー「シーグラム社」(ブロンフマン家所有)をはじめ、大手メーカーの約半分はユダヤ系企業であった。被服産業は、東欧ユダヤ人がこれをほぼ独占した形となった。1930年代には紳士服の85%、婦人服の95%、毛皮製品の95%をユダヤ人企業が生産した。宝石産業については、東欧系ユダヤ人にとり、被服産業に次ぐ重要な産業であった。


●また、家内工業から出発した「軽工業」(家具、靴、化粧品など)にも多くの東欧ユダヤ人が進出した。

家具製造は、ユダヤ人は業界シェアの50%を占めた。靴産業は、第二次世界大戦前の業界シェアの40%を支配した。


●化粧品では、20世紀中頃に全米の三大化粧品メーカーの地位にあった「マックス・ファクター」(1909年設立)、「ヘレナ・ルビンシュタイン」(1928年設立)、「レブロン」(1932年設立)はいずれも東欧ユダヤ移民が設立した企業である。

1946年に誕生した「エスティ・ローダー社」は、現在、全米のデパートにおける化粧品市場の実に45%を掌握し、世界118ヶ国でその製品を販売するグローバル企業である。

 


マックス・ファクター1世

ポーランド生まれのユダヤ人で、世界初の
メークアップアーティスト。アメリカに渡った後、
ハリウッド映画の黎明期に美容アドバイザーとして
活躍し、女性を美しくするための様々な化粧品を作った。

大きな目になりたいという女優フェリス・フェイバーのために、
「つけまつげ」を発明。リップブラシなど今ではなじみ深い
化粧品の多くは、彼によって生み出されたものである。

彼は「メークアップ」という言葉の生みの親でもあり、
貴族などの裕福な人に限られていた「化粧」は、
彼により大衆にも広まったのであった。


  
(左)ポーランド系ユダヤ移民のヘレナ・ルビンシュタイン
(中央)リトアニア系ユダヤ移民のチャールズ・レヴソン
(右)ハンガリー系ユダヤ移民のエスティ・ローダー

彼らは高級化粧品メーカーを創業した

 

●東欧ユダヤ人の企業家的才能が最も開花した分野は不動産事業であった。

この業界は製造業とは異なり、多額の設備投資は必要なく、知的専門職のように、高い学費を払いながら、何年も高等教育機関で学ぶ必要もなかった。更にこの業界は、自己資金もわずかで済んだし、エリート度の高い産業に存在したようなユダヤ人を排除する社会的障壁がほとんど存在しなかった。

このため不動産業は、貧しい東欧ユダヤの移民家庭に育った野心的な若者にとって、文字通り理想的な天職となった。その結果、早くも1920年までに、ニューヨーク市内の不動産開発業者、建設業者の実に40%までを彼らが占めるようになっていた。

そして、大戦後にアメリカ国内で不動産ブームが起きると、多くのユダヤ人が巨富を築いた。これら幾多のユダヤ人不動産王の中で、浮き沈みの激しいこの業界を生き抜き、今日、全米最大の不動産王として君臨し続けているのが東欧ユダヤ移民2世のティッシュ兄弟である。1997年度の兄弟の個人資産は48億ドルである。

(※ 兄のローレンスは強いユダヤ意識の持ち主として有名で、「ユダヤ名誉毀損防止連盟(ADL)」の最高幹部である。また、1989年から1995年までCBSの会長を務めた)。

 

 
全米最大の不動産王であるティッシュ兄弟
(左が兄のローレンスで、右が弟のプレストン)

 

 


 

■■第2章:映画産業を築いたユダヤ人


●文学・美術・音楽・演劇などの芸術分野では、古くからそれぞれの民族の伝統があって、国際的な活動・評価がなされる近代以降でも、ユダヤ人がその芸術家として華々しく登場することがあっても、いわばそれぞれの歴史の中途からであった。だが、「映画」という分野は、最初の頃から東欧ユダヤ人の参画をもってスタートした。

初期の映画産業は、貧しく、無学な労働者層を観客とするもので、一般には「低級な娯楽」とみなされていた。そのため、当時、この未成熟産業が大方の予想を裏切って主要産業へと急成長することを予測しえた者は極めて少なかった。

 

 

●この映画産業が誕生する前は、「演劇」が娯楽の中心だった。

ユダヤ人民衆にとって最大の娯楽は「イーディッシュ語演劇」だった。1900年にはバワリーには3つの「イーディッシュ劇団」が活躍しており、約80人のプロの役者を雇い、約12人の劇作家の作品を上演していた。一夜に6000人前後が劇場に出かけると推定された。ユダヤ演劇は栄え、1918年にはニューヨーク市内にほぼ20の「イーディッシュ劇場」があった。

しかし娯楽の王座は、演劇から映画へと移っていったのである。


●当時の映画上映場は「ニッケルオデオン」と呼ばれた。5セント貨の通称「ニッケル」と、ミュージックホールを意味する「メロデオン」を組み合わせて縮めた名称である。入場料金はニッケル、つまり5セントの場合が多かったのである。

「ニッケルオデオン」は急速に普及した。ニューヨーク市では1910年に450館あり、1913年には800館に増えた。

ユダヤ移民の多くが住んでいた「ロワー・イーストサイド地区」には「ニッケルオデオン」が著しく集中していた。1908年にマンハッタンにあった123館のうち42館は「ロワー・イーストサイド地区」にあった。映画の最初の観客が大都市の貧しい移民労働者階級だったということは、映画史の研究者が一致して認めているところである。

 


ニッケルオデオン (1913年)

大衆娯楽の王座は演劇から映画に移った。
主婦も子供も居住地域の映画館に出かけた。
5セント(ニッケル玉1個)でみることができた。

 

●映画は入場料が安かったし、また当時の映画が「サイレント」であり、英語の字幕がつく場合も非常に単純なものだったため、英語を知らなくても楽しむことができた。それに当時の映画は1本が15分か30分ほどの短いものが多かったから、気楽に立ち寄ることができた。

映画の中身は、風景や催し物、工場の様子などを撮影したニュース映画的なものも多く、風景を紹介する「旅行映画」は人気があった。フィクションの映画は、伝統的なメロドラマ、西部劇、文芸物、史劇、聖書物語、戦争物があったが、コメディが特に好まれ、「追いかけもの(チェイス)」がなかでも一番の人気だった。



●企業としての映画産業は東欧ユダヤ人をひきつけた。

1903年頃までに、数多くの東欧ユダヤ人企業家が映画製作業への参入を本格的に開始していた。

1913年頃にはユダヤ人所有の映画製作会社は、アメリカ国内で作られる全映画の20%を製作するまでになった。彼らの占有率は1920年代には更に高まっていった。

映画史上、1920年代という時代は、それまで零細資本が乱立していたこの業界において、「ハリウッド・メジャー」と呼ばれる8大映画製作会社の寡頭支配体制が確立される過程でもあった。この業界再編を加速したのが、1927年における「有声映画」の出現であった。音声再生装置には多額の設備投資が必要であったからである。

映画製作業は、既に1926年までにアメリカ国内で第5番目の大きな産業に成長していた。1930年代の中頃には、劇場経営まで含めた映画産業全体が吸収した雇用総数は32万5000人に達していた。映画製作に積極的に乗り出したユダヤ人は、映画産業を成熟させていく過程で、先行していたワスプ系の競争相手を負かし、成功を収めることができたのであった。



●映画産業について特筆すべきは、ハリウッド・メジャーの創業者となったユダヤ人のうち、かなり多数の者が、東欧ユダヤ移民のエスニック・ビジネスからの転業者で占められたという事実である。

ロシア生まれのユダヤ人ルイス・B・メイヤーは、アメリカに渡ってクズ屋からスタート、ついに最大の映画会社「MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)」を創立した。1927年に、彼の呼びかけで「アカデミー協会」(正式名称=映画芸術科学アカデミー協会)が設立され、1929年にアカデミー賞の授与がスタートした。アカデミー賞のトロフィー(オスカーの黄金像)は「MGM」の美術監督にデザインさせた。

ハンガリー生まれのユダヤ人ウィリアム・フォックスは、ソーダ水とサンドウィッチを売り歩く最底辺から身を起こし、被服製造業者を経て、最終的に「20世紀フォックス」を創立して映画王となった。彼はユダヤ教信仰を強制する父親を憎み、父親の葬儀の席でその棺につばをはいた。

 

 
(左)「MGM」を創立したルイス・B・メイヤー
(右)「20世紀フォックス」を創立したウィリアム・フォックス

 

●ポーランド生まれのユダヤ人ベンジャミン・ワーナーは、まずボルティモアで靴の修理屋を始め、馬車に安雑貨を積んで行商した。彼の息子たちが、自分たちの稼ぎをためこみ、映写機を購入、映画上映の行商を開始、最終的に映画会社「ワーナー・ブラザーズ」を創立した。

 

   
「ワーナー・ブラザーズ」を創立したワーナー兄弟たち (左から、ハリー、アルバート、サム、ジャック)

この4兄弟は、父の経営する靴修理屋を手伝いながらそれぞれの趣味と才能を伸ばし、
長男ハリーは店を拡大、ジャックは歌手として修行に励み、サムは職業を転々とするが、
映画の創生時、その魅力に取り憑かれて映写技師となる。その後サムは、兄弟を説得して
1919年にハリウッドに映画スタジオを構え、1923年に「ワーナー・ブラザーズ」を創立した。

 

●同じくハンガリー生まれのユダヤ人アドルフ・ズーカーは、わずか40ドルの所持金を手にアメリカへ渡り、毛皮卸売商で儲けた20万ドルを元手に映画製作へ乗り出し、映画会社「パラマウント社」を創立した。

被服製造業者経て、「ユニバーサル映画」を創立したカール・レムリもユダヤ人である。警官の制服を専門とする洋品店の家庭で育ち、「コロンビア映画」を創立したハリー・コーンもユダヤ人である。(父親はドイツ出身、母親はロシア出身のユダヤ移民)。

8大メジャーのうちわずかにひとつ、「RKO」だけが、ずっとあとの1929年にユダヤ人の力を借りずに設立されたものである。

 

  
(左)「パラマウント社」を創立したアドルフ・ズーカー
(中央)「ユニバーサル映画」を創立したカール・レムリ
(右)「コロンビア映画」を創立したハリー・コーン

 

●ジョージ・ワシントン大学の政治学助教授ロバート・リクターが発表した調査結果によれば、1965年から1982年の間に大手映画会社の中で働いていたプロデューサー、ライター、ディレクターの実に62%が「ユダヤ教を宗教とする家庭で、ユダヤ人として育てられた人物」であることが明らかにされている。


●アメリカの映画監督、俳優、歌手、コメディアンなどにも、東欧ユダヤ人は多い。

ロシア系ユダヤ移民2世、イスール・ダニエロヴィッチ・デムスキーは、その自叙伝『クズ屋のせがれ』の中で、廃品を回収してまわる父の馬車に乗りこの仕事を手伝った少年時代のほろ苦い想い出を語っている。彼は後にカーク・ダグラスと改姓し、「チャンピオン」「スパルタカス」「エンテベの勝利」などに出演し、アメリカを代表する俳優となった。

 

 
(左)カーク・ダグラス。両親がロシア系ユダヤ移民だった。
(右)彼の自叙伝『クズ屋のせがれ』。とても貧しい家庭だったため、
プロレスラーやホテルのボーイ、劇場の案内係など
40もの職業に就きながら大学に通ったという。

 

●このように、貧しい移民の子として育ち、のちに芸能界で才能を発揮し、大成功を収めたユダヤ人はいっぱいいる。もちろん、今の時代は2世3世としてアメリカで育ち、裕福な子供時代を体験している俳優も増えた。

また、氏名をワスプ化して「非ユダヤ人」としてふるまう俳優も多くいる。


●とりあえず以下に、有名なユダヤ人監督・ユダヤ人俳優を少しだけ載せておきたいと思う。(※ 東欧ユダヤ系に限定しない。出身地はバラバラ。ダスティン・ホフマンはアメリカ生まれのロシア系だが、ナタリー・ポートマンはイスラエル生まれである)。

 

  
左から、スピルバーグ、キューブリック、ウディ・アレン

※ 映画監督としては、世界最高のヒットメーカーの一人として挙げられる
スピルバーグは、アメリカ生まれのロシア系ユダヤ移民3世である
(彼は日本漫画のファンであり、親日家としても有名)



ジョージ・キューカー     映画監督。「スタア誕生」「マイ・フェア・レディ」など
ウィリアム・ワイラー     映画監督。「嵐ケ丘」「ローマの休日」「ベン・ハー」など
ビリー・ワイルダー      映画監督。「昼下がりの情事」「アパートの鍵貸します」など
ロバート・ワイズ       映画監督。「ウエストサイド物語」「サウンドオブミュージック」
エリア・カザン        映画監督。「紳士協定」「欲望という名の電車」「エデンの東」など
ミロシュ・フォルマン     映画監督。「カッコーの巣の上で」「アマデウス」など
カレル・ライス        映画監督。「熱い賭け」「フランス軍中尉の女」など
シドニー・ポラック      映画監督。「トッツィー」「愛と哀しみの果て」など

ロマン・ポランスキー     映画監督。「ローズマリーの赤ちゃん」」「テス」など
ロバート・アルトマン     映画監督。「ザ・プレイヤー」「ショート・カッツ」など
ロブ・ライナー        映画監督。「スタンド・バイ・ミー」「恋人たちの予感」など
マイク・ニコルズ       映画監督。「卒業」「心の旅」「ウルフ」「バードケージ」など
バリー・レビンソン      映画監督。「レインマン」「わが心のボルチモア」「トイズ」など
スタンリー・キューブリック  映画監督。「2001年宇宙の旅」「時計じかけのオレンジ」など
スティーブン・スピルバーグ  映画監督。「ジョーズ」「ET」「シンドラーのリスト」など
スティーブン・ソダーバーグ  映画監督。「セックスと嘘とビデオテープ」など

コーエン兄弟         映画監督。「バートン・フィンク」「ファーゴ」など
メル・ブルックス       映画監督。「プロデューサーズ」「珍説・世界史パート1」など
オリバー・ストーン      映画監督。「プラトーン」「7月4日に生まれて」「JFK」など
フィリップ・カウフマン    映画監督。「存在の耐えられない軽さ」「ライジング・サン」など
ブライアン・シンガー     映画監督。「ユージュアル・サスペクツ」「ゴールデンボーイ」など
デヴィッド・フィンチャー   映画監督。「エイリアン3」「セブン」「ファイト・クラブ」など
アイヴァン・ライトマン    映画監督。「ゴーストバスターズ」「ツインズ」「ジュニア」など
エドワード・ズウィック    映画監督。「レジェンド・オブ・フォール」「戦火の勇気」など


ウディ・アレン        出演するだけでなく、脚本も書き監督もこなす才人
マルクス兄弟         トーキー初期のドタバタ喜劇映画で活躍
ダニー・ケイ         「虹を掴む男」など、TV番組「ダニー・ケイ・ショー」
トニー・カーティス      「お熱いのが好き」「パリで一緒に」「グレート・レース」など
ポール・ニューマン      「明日に向かって撃て!」「ハスラー」「スティング」など

エリザベス・テーラー     「家路」「クレオパトラ」「じゃじゃ馬ならし」など
ナタリー・ウッド       「理由なき反抗」「ウエスト・サイド物語」など
ジューン・アリスン      「若草物語」「グレン・ミラー物語」など
ドリス・デイ         「知りすぎていた男」「夜を楽しく」など
リタ・ヘイワース       「ギルダ」「上海から来た女」「血と砂」など

ディーン・マーティン     「キャノンボール」「ザッツ・ダンシング」など
チャールズ・ブロンソン    「機関銃ケリー」「ブレイク・アウト」「狼よさらば」など
ウォルター・マッソー     「恋人よ帰れ!我が胸に」「おかしな二人」「JFK」など
ジェームズ・カーン      「雨の中の女」「遠すぎた橋」「イレイザー」など
ハーヴェイ・カイテル     「バグジー」「アサシン」「フェアリーテイル」など
リチャード・ドレイファス   「グッバイガール」「陽のあたる教室」など
エイドリアン・ブロディ    「わが街セントルイス」「エンジェルス」など

ダスティン・ホフマン     「クレイマークレイマー」「パピヨン」「卒業」など
ビリー・クリスタル      「恋人たちの予感」「地球は女で回ってる」など
ジーン・ハックマン      「フレンチ・コネクション」「許されざる者」など
ピーター・フォーク      「刑事コロンボ (TVM)」「カリフォルニア・ドールズ」など
ジェリー・ルイス       「底抜け大学教授」「キング・オブ・コメディ」など
ハリソン・フォード      「スター・ウォーズ」「インディ・ジョーンズ」など
リバー・フェニックス     「スタンド・バイ・ミー」「旅立ちの時」など

ジェフ・ゴールドブラム    「ザ・フライ」「ジュラシック・パーク」など
デイヴィッド・ドゥカヴニー  「Xファイル ザ・ムービー」など
レナード・ニモイ       「スター・トレック」「SF/ボディ・スナッチャー」など
ベン・スティラー       「メリーに首ったけ」「ケーブル・ガイ」など
アダム・サンドラー      「ビリーマジソン」「ハッピーギルモア」など
ロブ・シュナイダー      「ジャッジ・ドレッド」など
スティーブン・セガール    「沈黙の戦艦」「暴走特急」「グリマーマン」など

メリル・ストリープ      「クレイマークレイマー」「ソフィーの選択」など
ゴールディー・ホーン     「永遠に美しく」「世界中がアイ・ラヴ・ユー」など
ベット・ミドラー       「フォー・ザ・ボーイズ」「殺したい女」「ステラ」など
バーバラ・ストライサンド   「ファニー・ガール」「マンハッタン・ラプソディ」など
アリシア・シルバーストーン  「ダリアン/美しき狂気」「クルーレス」など
ローレン・バコール      「プレタポルテ」「マンハッタン・ラプソディ」など
サラ・ジェシカ・パーカー   「エド・ウッド」「マーズ・アタック」など

キャリー・フィッシャー    「スター・ウォーズ」「メイフィールドの怪人たち」など
ナタリー・ポートマン     「レオン」「ビューティフル・ガールズ」など
ウィノナ・ライダー      「恋する人魚たち」「エイジ・オブ・イノセンス」など
ソーラ・バーチ        「パトリオット・ゲーム」「今そこにある危機」など
クリスティーナ・リッチ    「アダムス・ファミリー」「キャスパー」など


※ まだまだいるが、これぐらいにしておきます。

 

 


 

■■第3章:テレビ放送を築いたユダヤ人


●映画産業と同じく「ラジオ」という新興産業も、やがて国民生活の一大変革を引き起こすものになろうとは、大方のアメリカ人にとっては思いもよらぬことであった。この産業が持つ将来的可能性をいち早く予見し、産声をあげたばかりのラジオ放送の買収・経営に積極的に乗り出したのが、進取の気性に富む東欧ユダヤ人企業家であった。

この産業のその後の展開は、実際、彼らの予見通りとなっていった。1922年に民需向けに大量生産が開始されたラジオ受信機は、1929年までにアメリカの全家庭の40%が所有するほどの飛躍的普及をみせたのである。


●1924年には、アメリカ史上最初の全国ネットのラジオ放送系列「NBC」が誕生した。

この会社は、ロシアから移民の子として渡ってきたユダヤ人デービット・サーノフが経営を掌握し始めていた。1939年に全米で最初のテレビによる定時放送を開始したのは、彼がラジオ時代に創立した「RCA」であった。

デービット・サーノフは、「RCA」を最大級の電機メーカーに、その子会社である「NBC」を最大級のマスコミ企業に育て上げ、両社をこの分野で世界最初の複合企業(コングロマリット)にしたてあげた。サーノフの複合企業は、世界中のエレクトロニック企業のモデルとなった。

 


アメリカのテレビ放送の父
デービット・サーノフ

「RCA」を創立し、「NBC」を
最大級のマスコミ企業に育て上げた

 

●1928年には、ウクライナ出身のユダヤ移民2世であるウィリアム・ペイリーが、小さなラジオ放送局を40万ドルで買収し、後にこの小さなラジオ局は「CBS」と呼ばれる3大ラジオ放送系列のひとつへと発展していった。彼は「CBS」の会長を1990年に亡くなる直前まで務めた。

「ABC」創立の中心となったレオナード・ゴールデンセンもユダヤ人である。

「NBC」「CBS」「ABC」、これら3大ネットワークはいずれも、特定の人物(ユダヤ人)が32年ないし55年という長期にわたってワンマン社長として君臨した。

 

 
(左)「CBS」の育ての親、ウィリアム・ペイリー
(右)「ABC」創立の中心となった
レオナード・ゴールデンセン

 

●現在もアメリカのテレビ業界では、多くのユダヤ人が活躍を続けている。

「NBC」のブランドン・ターティコフ、「CBS」のジェフ・サガンスキー、「ABC」のステュアート・ブルームバーグ、この3人のユダヤ人プロデューサーは、各自のネットワークで放映する芸能番組を決定している。

プロデューサーだけでなく、解説者、ニュース・リポーター、編集者、及びニュース番組のディレクターの多くもユダヤ人である。有力な全国ネットのトーク・インタビュー番組に目を向けると、そこではとりわけ、デイビッド・サスキンド、マイク・ウォーレス、ローレンス・スピバク、アービング・クプチネットなどのユダヤ人が頂上をきわめてきた。長い間、「NBC」のステュワート・シュルバーグは、ヒュー・ダウンズ、次いでバーバラ・ウォルターズのもとで、人気のある「トゥデイ」ショーのトップに君臨してきた。



●ところで、現在、世界第2位のメディア企業である「バイアコム社」の社主・会長を務めているのは、ユダヤ人大富豪サムナー・レッドストーンである。この「バイアコム社」は典型的なユダヤ系メディア会社で、経営首脳陣はユダヤ人で占められている。

サムナー・レッドストーンの得意技はメディア関連企業の買収である。彼が買収したメディアは主なものだけでも、「CBS」 「MTV」 「ニッケルオデオン」、映画会社「パラマウント社」、ラジオでは186のラジオ局を運営する最大の放送局「インフィニティ・ラジオ」、そしてレンタルビデオ最大手、全米業界シェアの30%を占める「ブロックバスター」などがある。メディア大手の中では目下、「バイアコム社」の独り勝ちが続いている。

 


積極的なメディア戦略を展開する
ユダヤ人大富豪サムナー・レッドストーン

 

●なお、世界屈指の娯楽・メディア企業である「ディズニー社」は、創業者のウォルト・ディズニーが存命中はユダヤ人を雇用から排斥し続け、「ワスプの王国」との悪評を得ていた。

しかし、1980年代初めに放漫経営の結果、倒産の危機に見舞われた時、創業者の甥ロイ・ディズニーが経営立て直しの切り札として招き入れたのがマイケル・アイズナーというユダヤ人である。彼はそれ以後、今日にいたるまで20年近くもCEO(最高経営責任者)の座を務めている。

現在、「ディズニー社」は、マイケル・アイズナーを含め、3人のトップ・エグゼクティブの全てがユダヤ人によって占められている。

 


「ディズニー社」の最高経営責任者
マイケル・アイズナー

 

 


 

■■第4章:新聞・雑誌などの出版業界で根強い力を持つユダヤ人


●次に新聞・雑誌などの出版業界についてみていきたいが、この分野は東欧ユダヤ人より早くアメリカに渡来したドイツ系ユダヤ移民(西欧ユダヤ人)が先に進出していた。

例えば『ニューヨーク・タイムズ』が、1896年にドイツ系ユダヤ人アドルフ・オックスによって買収された出来事はこれを象徴している。アメリカ社会の主流への「同化」を強く希求してきたドイツ系ユダヤ人にとり、普遍性を追及するジャーナリズムの世界は恰好の活躍場所であった。

このドイツ系ユダヤ移民より遅れてアメリカに渡来した東欧ユダヤ人も、積極的に新聞・雑誌などの出版業界に進出していった。

アメリカのビジネス雑誌『フォーブス』が1985年に発表した「長者番付」によると、「ユダヤ人大富豪20傑」のうち、首位のニューハウス兄弟、第2位のウォルター・アネンバーグ、第14位のウィリアム・ジフが、この出版業界の雄である。


●1970年頃のアメリカには1748紙の日刊紙が存在したが、そのうち3%をユダヤ人の社主が所有していた。これを総発行部数でみると、全体の8%をユダヤ人所有の新聞が占めていて、この8%のうち半分以上を「ニューハウス社」系列の新聞が占めていた。

この「ニューハウス社」の創業者サミュエル・ニューハウスは、貧しいロシア系ユダヤ移民2世として育ち、彼独自の経営哲学を駆使して、買収につぐ買収を重ねて事業を拡大し、ユダヤ人の新聞王(大衆紙の帝王)としての地位を築いたのである。

このサミュエル・ニューハウスは、『ヴォーグ』 『グラマー』 『マドモアゼル』 『ハウス・アンド・ガーデン』を含む一流雑誌を30近くも所有している。彼はその他にも、ロングアイランドの有力紙『ニューズ・デイ』をはじめとして49の新聞、12のテレビ局、ケーブル・テレビ・システム87を擁する「ニューハウス放送」、数多くのラジオ局のオーナーでもある。また、2200万近くの部数をもち、実際にはその2倍の読者をかかえているといわれている日曜新聞の付録雑誌『パレード』のオーナーでもある。(※ なお、面白いことに、彼が所有している新聞の中には、彼自らが設立したものは、ひとつとしてない。全て「買収」によるものである)。

 

 
(左)1962年7月27日号の『TIME』の
表紙を飾ったサミュエル・ニューハウス
(右)サミュエル・ニューハウス・ジュニア

 

●新聞の発行部数、収益性、財力といった点ではニューハウス家に遠く及ばぬものの、全米で最も世論に影響力を持つ新聞『ニューヨーク・タイムズ』を所有する一族として有名なのがユダヤ人ザルツバーガー一族である。

彼らの父祖アーサー・ザルツバーガーは、『ニューヨーク・タイムズ』の社主、アドルフ・オックスの娘婿であり、1935年のオックスの死後、その遺言によりザルツバーガー一族が代々、同紙を所有・経営し続けた。株式は1969年に公開されたものの、いまだに社の支配権はザルツバーガー一族の手に握られている。

 


『ニューヨーク・タイムズ』を所有する
アーサー・ザルツバーガー

 

●その他、『ワシントン・ポスト』や『セント・ルイス・ポスト・ディスパッチ』は、ハンガリー系ユダヤ人一族のピュリッツァー、そしてユダヤ人ユージン・メイヤー(元初代「国際銀行」総裁)と彼の娘キャサリン・グラハムがオーナーである。

裕福なメイヤー家の三女として生まれた彼女は、『ワシントン・ポスト』を支配していたユダヤ人、グラハム家の長男と結婚、やがて夫が自殺して彼女が事実上の支配者となる。彼女は『ニューズウィーク』のオーナーでもあり、「メディアの女王」と呼ばれている。

なお、日本でも有名な「ピュリッツァー賞」は、イエロー・ジャーナリズムの手法を駆使して、今日の大衆紙の原型を築き上げたユダヤ人ヨセフ・ピュリッツァーの遺産をもとに設立されたものだ。

 

 
(左)『ワシントン・ポスト』や『ニューズウィーク』のオーナーである
キャサリン・グラハム。「メディアの女王」と呼ばれている。
(右)アメリカの新聞王ヨセフ・ピュリッツァー

 

●日本の日本経済新聞にあたる『ウォール・ストリート・ジャーナル』は、ユダヤ人ウォーレン・フィリップスがオーナーであった。

彼は「親イスラエル」の姿勢を明確に示すユダヤ人で、湾岸戦争の際には最も強硬な主戦論を張った。現在のオーナーはユダヤ人ピーター・カーンである。『ニューヨーク・ポスト』は、ルパート・マードック(別のユダヤ系新聞のオーナーでマスコミ大財閥)に売られるまで、ユダヤ人銀行家ヤコブ・シフの孫娘、ドロシー・シフの優れた手腕のもとにあった。

 


『ウォール・ストリート・ジャーナル』の
オーナーであるピーター・カーン

 

●アメリカで有名なニュース雑誌は、『ニューズウィーク』 『タイム』 『USニューズ・アンド・ワールド・リポート』の3誌しかないが、『ニューズウィーク』は先に触れたようにユダヤ人キャサリン・グラハムがオーナーで、『タイム』はユダヤ人スティーヴン・ロスが経営する「タイム・ワーナー・コミュニケーションズ」の下部組織が発行している。

『USニューズ・アンド・ワールド・リポート』は、ユダヤ人の不動産開発業者モーティマー・ザッカーマンがオーナー兼発行人である。彼はさらに『アトランティック・マンスリー』も所有している。

 


『USニューズ・アンド・ワールド・リポート』の
オーナーであるモーティマー・ザッカーマン

 

●雑誌『タイム』 『ライフ』 『フォーチュン』 『スポーツイラストレイティッド』をつくり、ことごとくアメリカの雑誌文化の原点を築き、「一代でアメリカの雑誌ジャーナリズムを築いた男」と評されていたのは、ヘンリー・ルースというユダヤ人である。

中国山東省で生まれ育った彼は、大戦中、在米「チャイナ・ロビー」のボスとして、その資金源となって懸命に中国を支援した。蒋介石夫妻を「自由中国」の象徴として絶賛し、蒋介石夫人の宋美齢をアメリカに呼んで一大ヒロインに祭り上げるなどして、親中反日のキャンペーンを大々的に展開し続けたのである。

 


ヘンリー・ルース

中国で生まれ育った改宗ユダヤ人で、ラジオ・
映画ニュースにも大きな影響力を持っていた彼は、
1930年代から、親中反日の一大キャンペーンを張り、
アメリカのアジア外交、特に対中国外交に
大きな影響を及ぼした。

 

※ 彼が1923年に創刊した『タイム』はアメリカの週刊誌であり、世界初の「ニュース雑誌」としても知られている。また彼が創業した「タイム・ライフ社」は、1989年に「ワーナー・ブラザーズ」を吸収合併し(「タイム・ワーナー」の誕生)、世界最大の総合メディア企業になった(売上高268億ドル、社員数7万人)。



●全米の雑誌出版の分野で、最大級の王者といえるのが、ニクソン大統領のもとで駐英大使を務めたユダヤ人ウォルター・アネンバーグである。

彼は1944年に、世界の若者雑誌の源流となるファッション雑誌『セブンティーン』を創刊した。また、1953年には、本格的な「テレビ時代」の到来に先駆けて『TVガイド』を創刊。これは今日の全米で4番目に発行部数の多い雑誌となった。

この他に彼は『ザ・モーニング・テレグラフ』『フィラデルフィア・インクァイアー』、それに幾つかのテレビ局を持っている。彼の一族が所有する「トライアングル出版」は、1980年代初めにおいて全米の雑誌出版社中、年間総売上高で第2位を占めた。

 


アメリカの雑誌王
ウォルター・アネンバーグ

 

●またその他の出版社関係では、「ランダム・ハウス」 「サイモン・アンド・シャスター」 「クノプフ」 「ホルト・リヴァーライト」 「ヴァイキング・プレス」 「ヴァン・ノストランド・ラインホルド」、及び「ライル・ステュワート」などの大手出版社が、オーナーがユダヤ人であるか、ユダヤ人に直接もしくはユダヤ人の管理する出資によって運営されている。

地方のより小さいコミュニティにおいても、ユダヤ人の所有、もしくは運営になる『サン』や『カロライナ・イズラェラィト』などがあり、いずれも大きな影響力をもっている。


●たとえオーナーがユダヤ人でなくても、主任編集者や取締役、広告責任者がユダヤ人である新聞・雑誌はたくさんある。有力雑誌のすべて、たとえば『コメンタリー』 『エスクワイア』 『レディズ・ホーム・ジャーナル』 『ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス』 『ニューヨーカー』は、発行責任者、編集長、編集局長といった主要地位にユダヤ人を据えている。

「マクミラン」や「グロセット&ダンロップ」のような他の会社においても、編集主任や社長がユダヤ人である。これら一般書、雑誌、新聞などの流通部門の管理、本の卸業でもユダヤ人は活躍している。ニューヨークにおける新聞配布業をほとんど独占しているのが、「ヘンリー・ガーフィンケル・コーポレーション・ナショナル・サーヴィス」である。この会社は「ユニオン・ニューズ・カンパニー」を所有している。



●ところで、こういうデータを一気に並べると、いかにもアメリカの全てのメディアがユダヤ人に直接支配されているかのように錯覚してしまうだろう。

しかし先述したように、1970年頃のアメリカには1748紙の日刊紙が存在したが、ユダヤ人のオーナーの割合は3%である。これを総発行部数でみると、全体の8%をユダヤ人所有の新聞が占めていたことになるが、この数字を多いとみるか少ないとみるかで判断が分かれてくるだろう。あと、オーナーがユダヤ人であっても、編集者が非ユダヤ人である場合が少なくないというデータもある。

また、1986年には、3大ネットワークの全てが新経営者に乗っ取られた。「CBS」の新経営者、ラリー・ティッシュはイスラエル支持のユダヤ人だったが、「NBC」を親会社ごと買収した「GE」の会長ジャック・ウェルチと、「ABC」を買収して傘下に加えたメディア会社「キャピタル・シティズ」の会長トム・マーフィーの両者は、ユダヤ人ではない。3大ネットワークを追いこす勢いの「CNN」を一部門とする「ターナー放送システム」のオーナー会長テッド・ターナーも、やはりユダヤ人ではない。(※注意: テッド・ターナーはユダヤ人だという情報もある。現在、調査中)。

 


CNNの創設者である
テッド・ターナー

 

●しかし、やはりユダヤ人がアメリカのメディアに与える影響力は無視できないものがあると指摘するジャーナリストは多くいる。

特に中東問題関係を扱う際に、どうしてもイスラエル寄りの報道になってしまうという。アメリカ国内で、パレスチナに有利な情報、真実の情報が流されることは非常に少ないという。

アメリカの裏事情に詳しい著名な女性ジャーナリストのグレース・ハルセルは次のような指摘をしている。

「日刊新聞は、マスメディアとしてはテレビにつぐ影響力を持っている。総計すると、毎日6300万部が全米で売られている。新聞の内訳は約1700紙になるが、世間が思うほど、これらが全て独自性を保持して、互いにしのぎを削っているわけではない。まず往々にして、広告主側が編集陣に口をはさんでくる。たとえ新聞社自体はユダヤ系オーナーではなく、またユダヤ系の影響力がない場合でも、編集陣は親アラブ的な記事を掲載するのをためらう。ユダヤ系がオーナーである企業が、報復処置として、広告を引き上げるからである。」

「アメリカのメディア総体を通じてイスラエルの影響力は群を抜いているので、何百人もいる重要な論説記者やコラムニストのうち、湾岸戦争に異をとなえた全米的知名度を持つコラムニストは、パット・ブキャナンただ1人だった。パット・ブキャナンは過去2人の大統領の演説草稿を書いた多くの著作を持つ保守系のコラムニストだが、1990年にこう書いている。『湾岸戦争遂行の太鼓を叩いているグループは2つしかない。イスラエル国務省、そして合衆国内におけるイスラエルの〈アーメン・コーナー〉である。イスラエルがこの戦争に躍起になるのは、戦争マシーンにまで自らを研ぎあげたイラクの軍備を、合衆国の手で破壊してもらいたいためである。イスラエルはわが国に、イラクにとどめを刺してもらいたがっている。わが国とアラブ諸国との関係がどうなろうと、イスラエルの知ったことではないのだ』。

パット・ブキャナンのコラムに憤慨した『ニューヨーク・タイムズ』のローゼンタールは、彼を〈反ユダヤ主義者〉だときめつけた。これはシオニストからすれば、もっとも軽蔑的な呼称である。イスラエルの有力な味方として有名な『ニュー・パブリック』誌は、パット・ブキャナンを〈性根のねじまがった〉〈恥知らずな男〉と非難した。」



●反シオニズムのユダヤ人ジャーナリストであるアルフレッド・リリアンソールも、次のような指摘をしている。

「アメリカのメディアにおけるユダヤ人の影響力を考える場合、決定的なことは、誰がどの企業を『所有』しているかではなく、どんな影響力がアメリカのメディア界を支配しているかである。恐れと圧力こそが支配の張本人である。出版社や編集者は絶えず広告に関心をもっている。それはユダヤ人であろうが非ユダヤ人であろうが変わりはない。彼らはADL(ユダヤ名誉毀損防止連盟)から電話がかかってくることを心配し、非常にしばしばホロコーストによって培われた心理的強迫観念によって自らの行動を決めている。だから、AP、UPI、『ワシントン・ポスト』『ニューヨーク・タイムズ』、ニュース雑誌、放送網、2つの世論調査機関『ギャラップ』と『ハリス』が中東問題に関して同じような一般的見解に達したならば、自分の意見などは忘れることに努めてしまう。メディアには何をおいても広告を失ってはならないという最優先の関心事がある。広告は出版事業にはたいへん重要な財源であるから、ときにはこれがご自慢の『報道の自由』を物笑いの種にする。権力はかくてその場にいない人々によって行使される、というわけだ。」

「ユダヤ人が圧倒的に支配する娯楽、広告産業から成長した主要3大ネットワークの『NBC』『CBS』『ABC』は、多数のアンカーマン、解説者、アナリストに非ユダヤ人を配しているといわれる。しかし彼らは自分たちの出世におおいに関心をもち、自分たちの報道を注意深く観察しているユダヤ人の反感を買うようなリスクは冒さない。こうして彼らのニュースは終始一貫、圧倒的に親イスラエル、反アラブとなり、反シオニズムを思わせるいかなる表現も事実上、禁止されているといってよい。」

 

 
ユダヤ系アメリカ人のアルフレッド・リリアンソール。
反シオニズムの気鋭ジャーナリストであり、中東問題の
世界的権威である。(国連認定のニュースレポーターでもある)。

 

●非ユダヤ系で、中東報道においては一番公平な姿勢をとってきたジャーナリストの1人で、『ABC』のアンカーマン、ピーター・ジェニングスはこう言っている。

「まことに遺憾だが、アメリカには反アラブ的風潮が歴然としている」


●また、『TVガイド』のジョン・ワイズマンもこう言っている。

「合衆国のネットワークは、パレスチナの窮状よりは、イスラエル人の声のほうを、遥かに多く報道している」

 

 


 

■■第5章:情報・通信産業で活躍するユダヤ人


●TCP/IPインターネット・プロトコルを含むインターネットの基本は、ユダヤ人であるビントン・サーフとロバート・カーンによって発明された。

 

 
(左)ビントン・サーフ (右)ロバート・カーン

彼らはインターネットの基本的なアーキテクチャの
設計に関わり、「インターネットの父」と呼ばれている

 

●コンピュータ業界の幹部に占めるユダヤ人の比率は高い。

コンピュータ業界の事情に詳しいジャーナリストのフレデリック・マクスウェルは、コンピュータ業界の企業取締役のおよそ30%はユダヤ人であると指摘している。

また、ユダヤ人企業家はインターネットにより生み出された市場にも深く食い込んでいる。アメリカのビジネス雑誌『フォーブス』は、「新世界の支配者たち」というタイトルで、インターネットブームの中で脚光を浴びている13人の企業家の素顔を特集としてとりあげたが、そのうちの4人までがユダヤ人であることが確認されている。


●1977年に、企業向けソフトの大メーカー「オラクル社」を創業したのは、ユダヤ人ラリー・エリソンである。

彼は全米第4位の大富豪である。同時に全米最大のユダヤ人大富豪でもある。また、大の親日家で、安土桃山時代風の武家屋敷に住み、日本の兜(かぶと)を集めるのが趣味であるという。

 


「オラクル社」を創業した
ラリー・エリソン

 

●世界第1位のパソコン・メーカー「デル社」を創業したのは、ユダヤ人マイケル・デルである。

「デル社」の最大のライバルである世界第2位のパソコン・メーカー「コンパック社」を創業した、ベンジャミン・ローゼンもまたユダヤ人である。

 

 
(左)「デル社」を創業したマイケル・デル
(右)「コンパック社」を創業したベンジャミン・ローゼン

 

●半導体世界最大手の「インテル社」をゴードン・ムーアとともに1968年に設立した共同創業者アンドリュー・グローブもまたユダヤ人である。彼はハンガリー出身のユダヤ難民で、ホロコースト体験者である。

なお、ビル・ゲイツが「マイクロソフト社」を創業してから、ずっと彼の右腕として活躍しているスチーブン・バルマーもまたユダヤ人である。2人は非常に仲のよいパートナーで、マイクロソフト社は「2人の合体したDNAから成り立っている」とさえいわれている。

また、「Macintoshの生みの親」であるジェフ・ラスキンもユダヤ人である。
(Macintoshといえばスティーブ・ジョブズが構想したものと思われがちだが、Macintoshインターフェースの実質上の生みの親はジェフ・ラスキンであり、「Macintosh」というネーミングも彼のアイデアから生まれた)。

 

  
(左)「インテル社」の創業者アンドリュー・グローブ
(中央)「マイクロソフト社」のスチーブン・バルマー
(右)Macintoshの生みの親、ジェフ・ラスキン

 

●通信技術開発の分野で大きな注目を浴びているのが「クアルコム社」である。この会社を創業したのはアーウィン・ジェイコブズで、彼はカリフォルニア大学のコンピュータ工学教授からベンチャー企業家へ転身したユダヤ人である。

この会社が開発し、特許を取得したデジタル通信技術「CDMA」は、次世代携帯電話の世界標準規格に採用された。

 


「クアルコム社」を創業した
アーウィン・ジェイコブズ

 

●金融情報サービスの分野で目覚しい活躍をしているのが「ブルームバーグ・LP」である。

世界82都市の支局に配した1000人のレポーターが集めた独自の金融情報を世界100ヶ国、15万人以上の投資家に配信する企業である。ユダヤ人マイケル・ブルームバーグが創業者である。彼は目下、個人資産48億ドル、全米第32位の大富豪である。

 


「ブルームバーグ・LP」を創業した
マイケル・ブルームバーグ

 

 


 

■■第6章:その他のビジネス界で活躍するユダヤ人


●婦人服小売の全米第1位のメーカー「ギャップ」、第2位の「リミテッド・ブランズ」は、いずれもユダヤ人が創業した会社である。

 

 
1969年に「ギャップ」を創業したユダヤ人、ドナルド・フィッシャー。
「ギャップ」の由来は、「ジェネレーション・ギャップ」である。
当初はリーヴァイスのジーンズの販売を行なっていたが、
1974年に業界で初めて自社ブランドを加えた。

 

●ジーンズを発明し、世界で最初のジーンズ製造会社「リーヴァイス社」を創業したのは、ドイツ系ユダヤ移民のリーヴァイ・ストロース(本名はロブ・シュトラウス)である。彼がサンフランシスコへやってきたのは1853年のことであった。この時、彼は24歳の若者であった。

 

 
リーヴァイ・ストロース。ジーンズを発明し、世界で最初の
ジーンズ製造会社「リーヴァイス社」を創業した。

 

●同じくドイツ系ユダヤ移民の子であるアイザック・メリット・シンガーは、1850年に現在とほぼ同じ構造のミシンを発明。翌年特許をとり、「I. M. シンガー社」(のちのシンガー社)をつくった。

高価なミシンを売るため、世界で初めて「割賦(かっぷ)販売方式」を発案した「シンガー社」の拡販方式は、当時としては絶大なる販売戦略となった。

 

 
アイザック・メリット・シンガー(初代シンガー社長)

 

●1968年に、有名なアパレルメーカー「ポロ・ラルフ・ローレン社」を設立したのは、ロシア系ユダヤ移民の子であるラルフ・ローレンである。彼は現在、世界的デザイナーとして活躍し、個人資産19億ドル、全米90位の大富豪でもある。

そして、ラルフ・ローレンにとって最大のライバルであるカルバン・クラインも、ユダヤ移民家庭の出身者である。「カルバン・クライン社」が設立されたのは1967年である。

 

 
(左)ラルフ・ローレン (右)カルバン・クライン

 

●ラルフ・ローレンやカルバン・クラインらと共に、アメリカを代表する人気デザイナーで、自らの名を冠したブランドを持つダナ・キャランもユダヤ人(ユダヤ移民の子)である。

 


ダナ・キャラン

 

●ところで余談になるが、今や水着の常識である「ハイレグ水着」を考え出したのは、イスラエルのユダヤ人である。

1978年、イスラエルのユダヤ人デザイナー、ギデオン・オバソンが、「ハイレグカット」の斬新なデザインのスイムウェアを発表。世界的に大ヒットしたのである。(イスラエル最南端の町エイラットは「ハイレグ発祥の地」と呼ばれている)。

現在、彼の水着ブランド「ギデオン・オバソン」は、総生産の3分の2以上を世界各国に輸出しており、特にアメリカ、カナダ、西ヨーロッパでは高い評価を得ている。(現在、欧米の水着はイスラエル製が主流であるといわれている)。

 

 
「ハイレグ水着」を生み出した、ギデオン・オバソン

現在、彼のブランドメーカー「ギデオン・オバソン」は、イスラエルを拠点に飛躍的な
勢いで進出を続けている。彼はイメージ通りの作品を生み出すために、素材
となるファブリックをもデザインするという、稀に見ない手法をとっている。

 

●さて、話を戻そう。

アメリカにおいて最初に「メール・オーダーによるカタログ販売」を始めたのは、世界一の通信販売会社「シアーズ・ローバック社」のユダヤ人ジュリアス・ローゼンウォルドである。

テレビ通販専門のケーブルテレビ局「QVC」の創業者で、テレビ通販の生みの親、ジョゼフ・シーゲルもユダヤ人である。

 


「QVC」の創業者でテレビ通販の生みの親、
ジョゼフ・シーゲルもユダヤ人である

※ 「QVC」は1985年に誕生したTVショッピング
専門チャンネルで、「QVC」とは、Quality(品質)、
Value(価値)、Convenience(便利)の略である。

 

●ウォルマートに代表される郊外型巨大ディスカウント・ストアの原型を1953年に世に送り出したのは、ブルックリン育ちのユダヤ人ユージン・ファーコフである。

ショッピングモールの王様、フランク・ロウイもユダヤ人である。彼はチェコスロバキア出身のユダヤ難民で、ホロコースト体験者である。

1979年に、世界最大のホームセンター「ホーム・デポ」を創業したのは、ロシア系ユダヤ移民の子バーナード・マーカスとアーサー・ブランクである。現在、「ホーム・デポ」は、小売企業としては全米第2位、世界でも第4位の巨大企業である。

 


「ホーム・デポ」を創業した
アーサー・ブランクとバーナード・マーカス

 

●小売業の一部門、外食産業においてもユダヤ人は先駆的役割を果たしてきた。

世界初のファストフード店「ネイサンズ・フェーマス」は、1916年にブルックリン区のコニーアイランドで創業された老舗であるが、その売りもの、ホットドッグはユダヤ料理の伝統の中から生み出されたものである。

1950年に、「ダンキン・ドーナツ」を創業したウィリアム・ローゼンバーグは、ボストン出身のユダヤ人である。

 


「ダンキン・ドーナツ」を創業した
ウィリアム・ローゼンバーグ

 

●1978年に、アメリカで人気のアイスクリーム製造・販売企業「ベン&ジェリー」を創業したのは、2人のユダヤ人、ベン・コーヘンとジェリー・グリンフィールドである。

日本でも有名な「スターバックス社」が、わずか20年たらずの間に、シアトルの小さなコーヒー店から全世界に直営店舗7500を擁する世界最大手のコーヒー飲料小売業へと驚異的成長を遂げたのは、ユダヤ人ハワード・シュルツの力によるものであった。

 

 
(左)「ベン&ジェリー」を創業したベン・コーヘンとジェリー・グリンフィールド
(右)「スターバックス社」を育てたハワード・シュルツ

 

●次に、玩具業界についてだが、ユダヤ人が創業した有名玩具メーカーは枚挙にいとまがない。

アメリカ玩具業界の第1位のメーカー「マテル社」を創業したのは、ユダヤ人女性ルース・ハンドラーである。彼女は「バービー人形」の生みの親でもある。

第2位のメーカー「ハスブロ社」を1920年に創業したのは、ヘンリー・ハッセンフェルドとヒレル・ハッセンフェルドという、ウクライナ出身のユダヤ移民の兄弟である。彼らは動く兵隊人形「GIジョー」の生みの親でもある。

 


「バービー人形」の生みの親
ルース・ハンドラー

ポーランド系ユダヤ移民の家庭で育ち、
夫とともに「マテル社」を創業。材料の残りで
「ドールハウス」などを作ったのをきっかけに人形
ビジネスに進出。1959年、大人の女性の体形を
した「バービー人形」を発売、たちまち大ヒットした。

150ヶ国で10億個が売れ、世界で最も有名な人形
の1つとなった。ちなみに、「バービー」は娘の
名前「バーバラ」からつけたものである。

 

●世界の鉄道模型ファンなら誰でも知っている電動鉄道模型の老舗「ライオネル社」は、ポーランド系ユダヤ移民の子であるジョシュア・ライオネル・コーエンにより、1902年に設立された企業である。

ルービックキューブのライセンス生産により、世界的ヒットをとばした「アイデアル玩具社」はユダヤ人のウェイントラウブ家が創業した企業である。キャベツ人形で一世を風靡した「コレコ産業」も、世に知られたユダヤ系玩具メーカーである。

全世界に1000店舗以上、日本国内でも100店以上を擁す「トイザラス」は、ユダヤ人チャールズ・ラザラスが創業した企業である。

 

 
「トイザラス」は1923年生まれのユダヤ人、チャールズ・ラザラスが創業した
企業である。社名は自分の名前ラザラスと「TOY(おもちゃ)」を絡ませたもので、
子供用家具を販売したのが始まりである。そのユニークな販売スタイルは
またたく間にアメリカ全土から世界中へと拡がっていった。
(日本への上陸は1989年)。

 

●ゲーム業界もユダヤ人の成功者が多い。

例えば、ゲームメーカー「セガ」の生みの親の一人デビッド・ローゼンはユダヤ人である。

 

 
「セガ」の生みの親の一人デビッド・ローゼン

彼は1934年にアメリカで生まれたユダヤ人で、若い頃
米軍に入隊し、朝鮮戦争がきっかけで来日。日本に滞在中、
日本びいきになった彼は、朝鮮戦争が終わった翌年(1954年)、
アミューズメント機器会社「ローゼン・エンタープライゼス」を設立。
(この会社がセガの母体の一つとなる)。1965年に他社と
合併して「セガ・エンタープライゼス」が発足すると、
日本で社長に就任。数多くのゲームを世に送り、
「セガ」の発展に大きく寄与した。


 

ちなみに、ゲームメーカー「タイトー」の創業者は
満州出身のユダヤ人ミハエル・コーガンである。
彼の会社は「スペース・インベーダー」を生み
出し、日本の文化史に大きな足跡を残した。

※ 「タイトー」は「セガ」に次ぐアミューズメント
機器メーカーの老舗であり、「セガ」と並ぶ
最大手であり、「セガ」と共にビデオゲーム
 を出した日本最古のメーカーでもある。

 

 


 

■■第7章:学問の世界や知的専門職で活躍するユダヤ人 (+アートの世界)


●さて、この章では、ビジネス界で成功したユダヤ人の話題から離れて、学問の世界や知的専門職で成功したユダヤ人に目を向けてみたい。(簡単にリストアップ)

 

■ガーシェンクローン …………

1920年に黒海北岸の町オデッサのタバコ工場を経営していた父とともにルーマニア領に逃がれる。その後、渡米しハーバード大学に入学。ソ連経済とヨーロッパ経済の権威となった。

■マルクシャーク ………………

ウクライナでポグロムと差別の青春時代を過ごす。1919年にドイツに移住し、その後渡米。ニューヨークの新会社調査学院、シカゴ大学やロサンゼルスのUCLAなどで計量経済学の中心人物となった。

■バラン …………………………

オデッサ生まれで、後にポーランドに移住。その後、ロシア、ドイツなどの国々をめまぐるしく移動し、1941年に渡米。アメリカ政府の戦略局に職を得て欧州問題の専門家となった。1951年から1964年まではスタンフォード大学の経済理論教授を務め、アメリカでは珍しいマルクス経済学者として学生の人気を集めたという。

■ロマン・ヤコブソン …………

モスクワ生まれで、1920年にプラハに移住。1941年にスウェーデン経由でアメリカに亡命。1982年に亡くなるまでコロンビア大学、ハーバード大学、MITなどで研究を続けた。彼は6ヶ国語を話し、25ヶ国語を読みこなす異能の学者であった。

■バーンズ ………………………

ウクライナ西部のガリチア地方で生まれ、1934年にニューヨークのコロンビア大学で経済学の博士号を取得。のちにアイゼンハワーからニクソン、フォード、カーターにいたる歴代大統領の経済顧問を務め、1970年から8年間、FRB(連邦準備制度理事会)議長としてアメリカ経済とドルの守護神となった。

■ノーバート・ウィーナー ……

ロシア系ユダヤ移民2世。父親はイーディッシュ語の権威でもある言語学者だった。15歳で神童の名を欲しいままにした。その後、サイバネティクスの創始者として有名になる。

■ピーター・ドラッカー ……

ウィーン生まれのユダヤ人。ナチに追われて、イギリスを経てアメリカに亡命。現在、ビジネス界に最も影響力をもつ思想家として知られ、「企業経営の神様」と呼ばれている。

 


ピーター・ドラッカー。世界で初めて
企業の経営理論(マネジメント)を体系化。

現在、ビジネス界に最も影響力をもつ思想家
として知られ、「企業経営の神様」と呼ばれている。
ウィーン生まれのユダヤ人。1937年にアメリカに亡命。

 

●アメリカのシカゴ大学の経済学者で、「マネタリズム」の教祖ミルトン・フリードマンもユダヤ人である。

両親は東欧から移民してきたユダヤ人で、彼は1912年にニューヨークで生まれた。1976年にノーベル経済学賞を受賞し、レーガノミックス(レーガン政権)やイギリスのサッチャー政権の経済政策の理論的支柱を提供した。

 


シカゴ学派の重鎮
ミルトン・フリードマン

1976年にノーベル経済学賞を受賞

 

●ところでシカゴといえば、「シカゴ・マーカンタイル取引所(CME)」の名誉会長を務め、シカゴで世界初の「金融先物市場」を作り上げ、「先物の父」と呼ばれているレオ・メラメドもユダヤ人である。

彼は1932年にポーランドのユダヤ人教師の家に生まれたが、8歳の時にナチに追われ、日本のシンドラー杉原千畝(すぎはら ちうね)の発行したビザで両親とともに日本に逃れ、九死に一生を得ている。(その後、彼は渡米しシカゴで成長した)。

 

  
(左)「金融先物市場の父」であるレオ・メラメド
(中央)彼の著書『エスケープ・トゥ・ザ・フューチャーズ』
(右)大戦中、6000人のユダヤ人を救った杉原千畝

レオ・メラメドは少年時代、杉原千畝に発給してもらったビザで
ナチスの魔の手から逃れ、シベリア・日本経由でアメリカに渡った。

彼は著書『エスケープ・トゥ・ザ・フューチャーズ』の日本語版の
序文に「日本の人々は私の両親と私の命の恩人です」と記している。

 

●ちなみに、1980年代前後、日本経済に対するアメリカの風当たりが強くなる中で、日本を礼賛する本を書いた著者の多くはユダヤ人であった。

有名な『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)の著者エズラ・ヴォーゲル、「日本の大躍進」を予言した『それでも日本は成長する』(1978年)の著者ハーマン・カーン、『第五世代コンピュータ 日本の挑戦』(1983年)の著者エドワード・ファイゲンバウムなどは皆、ユダヤ人である。

 

  
左から、エズラ・ヴォーゲル、ハーマン・カーン、エドワード・ファイゲンバウム

彼らは日本を礼賛する本を書いたユダヤ人学者である

 

●先に紹介した「企業経営の神様」であるピーター・ドラッカーも、親日ユダヤ人で、彼は著書『新しい現実』(1989年)の中で次のように述べている。

「20世紀も終わりに近づいて、無数の独立国ができたが、それは全部日本の真似であった。これらの独立国の共通点は、全部自分たちで政治をやりたいということ、そして外国の優れた技術、制度、法律をいれようということであり、それは日本の明治維新の真似である。だから、20世紀に本当に政治的に成功したのは日本だろう。」

 


ピーター・ドラッカー

1966年に彼は日本政府から「勲三等瑞宝章」を
授与されている。日本文化に強い関心を持ち、
日本画を集めるのが趣味であるという。

 

●未来学者として有名なアルビン・トフラーは、1980年に出した著書『第三の波』で、「高度情報化社会」が到来することを“予言”したが、彼もユダヤ人である。

 

 
(左)ユダヤ人未来学者、アルビン・トフラー。
ロックフェラー財団、未来研究所、アメリカ電信電話会社
などの顧問を務めている。 (右)は彼が1980年に
出した『第三の波』(日本放送出版協会)。
世界中の人々に大きな影響を与えた。

 

●世界的にみると、ユダヤ人の哲学者・思想家・心理学者は数多く存在する。

有名なところでは、スピノザ(オランダ)、モーゼス・メンデルスゾーン(ドイツ)、ジークムント・フロイト(オーストリア)、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(オーストリア)、マルチン・ブーバー(イスラエル)、クロード・レヴィ=ストロース(フランス)、アンリ・ベルクソン(フランス)、ジャック・デリダ(フランス)などがいる。

 

  
左から、フロイト、ウィトゲンシュタイン、マルチン・ブーバー

  
左から、レヴィ=ストロース、アンリ・ベルクソン、ジャック・デリダ

 

●アメリカに関係するのは以下のユダヤ人(心理学者)たちである。


■アルフレート・アドラー ………

オーストリア生まれのユダヤ人。フロイトやユングと同時期に活躍し、「劣等感」という概念を発見。世界で初めての「児童相談所」を作り、「人間教育」に力を入れた。欧米ではフロイト、ユングと並んで心理学の三大巨頭と呼ばれるが、日本での知名度は低い。大戦中にアメリカに亡命。(同じユダヤ人であるフロイトはイギリスに亡命した)。「アドラー心理学」はフロイトの学説のような「性」に偏向することもなく、ユングの学説のような「神秘主義」に偏向することもなく、人間の常識(アドラーは「人間知」と呼んだ)に基づいて理論を発展させているのが特徴。


■アブラハム・マズロー …………

ニューヨーク生まれのユダヤ人。アメリカの心理学者。フロイトの精神分析が、人間をネガティブな面から捉えたのに対して彼は「自己実現をする存在」と捉えた。人間の欲求自体を否定しなかった。それは階層的に高まっていくと考えたのである。下部の欲求が満たされれば、成長を続け、ますます健康になると考えたのである。マズローは「トランスパーソナル心理学」の源流を作った人である。


■エーリッヒ・フロム
 ……………

フランクフルト生まれのユダヤ人。アメリカの心理学者。(ナチに追われて1933年にアメリカに亡命)。精神分析的方法を社会現象に適用する「新フロイト主義」の立場にたち、精神分析学を社会心理学の領域に押し進めた。


■フリッツ・ハイダー
 ……………

オーストリア生まれのユダヤ人。1930年代にアメリカに亡命。クラーク大学付設の聾唖学校に職を得て聾唖者の心理学的研究を行なう。「ゲシュタルト理論」と同じ立場で、対人関係の知覚問題を解明した。

 


アルフレート・アドラー

フロイトやユングと並ぶ心理学の
 三大巨頭の一人であるユダヤ人。
 「劣等感」という概念を発見した。


  
(左)アブラハム・マズロー。「トランスパーソナル心理学」の源流を作った。
(中央)エーリッヒ・フロム。精神分析学を社会心理学の領域に押し進めた。
(右)フリッツ・ハイダー。アメリカの社会心理学者でゲシュタルト学派に属する。

 

●そのほかにも、アメリカで「学者」として成功したユダヤ人には、

ロシア系ユダヤ移民で「ストレプトマイシン」を発見してノーベル賞を授与されたセルマン・ワクスマン、ロシア系ユダヤ移民で「避妊用ピル」の発明者グレゴリー・ピンカス、ロシア系ユダヤ移民2世で世界で初めて小児麻痺(ポリオ)のワクチンの開発に成功したジョナス・ソーク、

ドイツ生まれのアメリカ物理学者で干渉計の考案と光速度の研究でノーベル賞を授与されたアルバート・マイケルソン、ドイツ生まれのアメリカ人類学者で「文化人類学」を確立したフランツ・ボアズ、ポーランド生まれのアメリカ生化学者でビタミンBにあたる物質(← 鈴木梅太郎が前年に発見した「オリザニン」と同じ物質)を発見して「ビタミン」と命名したカシミール・フンク、

ロシア系ユダヤ移民の血をひきヘリウム3の「超流動」を発見してノーベル賞を授与されたダグラス・オシェロフ、ドイツ生まれのアメリカ物理学者で「ニュートリノ」を発見してノーベル賞を授与されたジャック・シュタインバーガー、超弦理論において「M理論」を提唱し数学と素粒子物理学に関する多大な業績を上げたエドワード・ウィッテンなどがいる。

(このほかにもまだいるが、きりがないのでこれぐらいにしておこう)。

※ 歴代のノーベル賞受賞者を調べてみると、経済で60%以上、医学で20%以上、物理で20%以上、化学で10%以上、文学で10%近くの受賞者がユダヤ人である。

 

  
(左)「ストレプトマイシン」を発見したセルマン・ワクスマン
(中央)「避妊用ピル」の発明者グレゴリー・ピンカス
(右)「ポリオワクチン」を開発したジョナス・ソーク

  
(左)「光速度不変の原理」を発見したアルバート・マイケルソン
(中央)「文化人類学」を確立したフランツ・ボアズ
(右)「ビタミン」の命名者カシミール・フンク

  
(左)ヘリウム3の「超流動」を発見したダグラス・オシェロフ
(中央)「ニュートリノ」を発見したジャック・シュタインバーガー
(右)「M理論」の提唱者エドワード・ウィッテン

 

●アメリカで作家として成功したユダヤ人もいる。


ノーマン・メイラー     『裸者と死者』
ハーマン・ウォーク     『ケイン号の反乱』
アーサー・ミラー      『セールスマンの死』
ジェローム・サリンジャー  『ライ麦畑でつかまえて』
ソール・ベロー       『宙ぶらりんの男』   1976年ノーベル文学賞受賞

アイザック・アシモフ    『われはロボット』
アーウィン・ショー     『富めるもの貧しきもの』
アイン・ランド       『肩をすくめたアトラス』
アイラ・レヴィン      『ローズマリーの赤ちゃん』
アイザック・シンガー    『愛のイエントル』   1978年ノーベル文学賞受賞

ポール・オースター     『孤独の発明』
フィリップ・ロス      『ポートノイの不満』
ハイム・ポトク       『ゼブラ』
バーナード・マラマッド   『ユダヤ鳥』
ヨシフ・ブロツキー     『ヴェネツィア』    1987年ノーベル文学賞受賞

 

  
(左)ピュリッツァー賞作家のアーサー・ミラー。20世紀で最も傑出した劇作家といわれる。
彼の2番目の妻はマリリン・モンローである。 (中央)ジェローム・サリンジャー。
32歳で『ライ麦畑でつかまえて』を発表し、大人の世界に反発する
若者の心を見事にとらえ、全世界の若者たちを魅了した。
(右)ソール・ベロー。ロシア系ユダヤ移民の子。
1976年度のノーベル文学賞を受賞。

  
(左)アイザック・アシモフ。ロシア系ユダヤ人として生まれ、3歳の時に家族
とともにアメリカに移民した。作家として成功し、その著作は500冊以上を数える。
(中央)アイン・ランド。ロシア生まれのユダヤ人女性。20歳の時にアメリカに移民。
アメリカの「リバータリアニズム」という政治思想潮流形成に大きな影響を与えた。
アメリカの一般読者が選ぶ「20世紀の小説ベスト100」で、彼女の小説は
第1位と2位と7位と8位を占めた。 (右)アイザック・シンガー。
1978年度のノーベル文学賞を受賞。

  
(左)ノンフィクション作家の巨匠ノーマン・メイラー。ピュリッツァー賞作家。
太平洋の孤島で日本軍との戦闘を描いた『裸者と死者』で知られる。彼は
後に「日本は私が見た国のうちで最も美しい国でした」との印象を述べている。
(中央)フィリップ・ロス。ユダヤ系移民の家庭を描いた 『さようならコロンバス』で
作家デビューし、全米図書賞を受賞。ニューヨークに住むユダヤ人の若者とその母親
との屈折した関係を描いた長編『ポートノイの不満』は年間ベストセラーの1位に輝いた。
(右)ハイム・ポトク。アメリカの作家でありユダヤ教のラビでもある。ローティーンの
少年少女の成長を描いた短編集『ゼブラ』は日本でも人気がある。

  
(左)ピュリッツァー賞作家ハーマン・ウォーク。ロシア系ユダヤ移民の子
としてニューヨークで生まれた。 (中央)バーナード・マラマッド。ロシア系
ユダヤ移民の子としてニューヨークで生まれた。ベロー、メイラー、ロスらとともに、
1950〜60年代のユダヤ人作家隆盛の一角をなす。全米図書賞を2度受賞。
(右)ヨシフ・ブロツキー。ロシア生まれのユダヤ詩人。1972年に亡命して
アメリカに渡り、詩とエッセイを発表。1987年にノーベル文学賞を受賞。

  
(左)アメリカのユダヤ人作家アイラ・レヴィン。23歳の
時に処女作『死の接吻』を発表。この作品は大評判となり、
翌年のアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の新人賞を獲得。

第2作『ローズマリーの赤ちゃん』も大ヒットし、映画化されて
オカルトの一大ブームを巻き起こした。1976年にはスリラー小説
『ブラジルから来た少年』を発表し、これも映画化された。1991年に
出した『硝子の塔』もヒットし、映画化された(シャロン・ストーン主演)


(右)1978年に映画化された『ブラジルから来た少年』(DVD)
この作品はナチス復興とクローン計画の恐怖を描いたSFサスペンスで、
日本では劇場未公開に終わったが、現在はDVDで観ることができる。

ヒトラーのクローンを再生させようとするナチスの科学者メンゲレ博士と、
それを阻止しようとするナチ・ハンターのユダヤ人リーバーマンとの対決が
見どころ。名優グレゴリー・ペックがメンゲレ博士を不気味に怪演。

 

●『ゲームの達人』や『真夜中は別の顔』など世界的ベストセラーで知られるアメリカの作家、シドニー・シェルダンもユダヤ人である。

彼は小説家になる前は脚本家として活躍しており、映画『独身者と女学生』(1947年)でアカデミー賞の脚本賞を受賞。ブロードウェーでミュージカル脚本も手掛け、『レッド・ヘッド』でトニー賞を受賞している。ある時のブロードウェーでは3ヶ所の劇場でシェルダン作の劇を演じていたほどの人気だったという。

50歳を過ぎてから小説を書き始め、これが大ブレーク。発行部数の記録はギネスブックに載るほど。(全作品の売上げ総数は3億部を越えている)。

彼は日本では、英語学習教材「イングリッシュ・アドベンチャー」(アカデミー出版社)に小説を提供しており、日本での知名度はかなり高い(多くのファンがいる)。

 


シドニー・シェルダン

10歳で既に詩を書き始めていた。
脚本家として活躍した後、50歳を
過ぎてから小説家に転じ、日本を含む
 世界各地でベストセラーを連発。

 

●コミック作家として成功したユダヤ人もいる。

例えば、「スーパーマン」の生みの親であるジェリー・シーゲルとジョゼフ・シュスター、「スパイダーマン」や「X−MEN」の生みの親であるスタン・リー、「バットマン」の生みの親であるボブ・ケインなどである。彼らの成功によって、新しい文学ジャンルをベースとする新産業=「コミックブック産業」が栄えた。

(余談になるが、これらコミックヒーローの名前は「〜マン」で共通しているが、「〜マン」という名前はもともとユダヤ人に多い名前である。その他に「〜バーグ」「〜スタイン(シュタイン)」もユダヤ人に多い名前である)。

 

  
(左)「スーパーマン」の生みの親であるジェリー・シーゲルとジョゼフ・シュスター
(中央)「スパイダーマン」や「X−MEN」の生みの親であるスタン・リー
(右)「バットマン」の生みの親であるボブ・ケイン

 

●ついでにアートの世界では、1960年代のポップアートの先駆者で、コミックを題材にしたポップな色彩でインパクトの強い独特の表現方法を確立したロイ・リキテンシュタインもユダヤ人である。

抽象画家として有名なマーク・ロスコもユダヤ人(ロシア系ユダヤ移民)で、同じく抽象画で有名なピエト・モンゴリアンは、ナチの迫害を逃れて戦時中アメリカに渡ったユダヤ人である。「色彩の魔術師」と評されるマルク・シャガールは、ロシア生まれのユダヤ人だが、彼もナチの迫害を逃れて戦時中アメリカに渡った芸術家である。

 

 
(左)ポップアートの先駆者、ロイ・リキテンシュタイン
(右)「色彩の魔術師」と評されるマルク・シャガール

 

●現代彫刻家を代表する一人、ジョージ・シーガルは、1961年に、石膏をしみこませた包帯を体に巻きつけて型を取る手法を編み出し、等身大の人体像を巧みに配置したリアルな作品を作り出したことで有名であるが、彼もユダヤ人である(ユダヤ移民の子でニューヨークで育つ)。

 


現代彫刻家を代表する一人
ジョージ・シーガル

生身の人体から直接型を
取った石膏像で知られている

 

●20世紀アメリカを代表する画家の一人、ベン・シャーンもユダヤ人である。

彼は1898年、リトアニア(当時は帝政ロシア領)に生まれ、7歳の時にユダヤ人の両親とともにアメリカに移民。その後、石版画の職人になり、肉体労働者や失業者などアメリカ社会の底辺にいる人々を見つめ、社会派リアリズムの芸術家として、戦争、貧困、差別などのテーマを扱い続けた。

彼は壁画、ポスター、挿絵、写真など、グラフィックアートのあらゆる分野に手を染めたが、自ら「石に刻む線」と呼んだ筆の線は、アメリカはもとより日本のグラフィック・デザイナーやイラストレーター、画家、彫刻家などにも大きな影響を与えた。

代表作は、アメリカの水爆実験で被爆した「第五福竜丸事件」(1954年)に触発された「ラッキードラゴン」シリーズや、フランスの「ドレフュス事件」を題材にしたシリーズである。

 

 
(左)アメリカ美術の巨匠ベン・シャーン
(右)彼の作品「愛に満ちた多くの夜の回想」

晩年、彼は、自らの独特な線描に触れて、
「線の力が、もはや自分の一部になり、毛筆で
描く時でも、私は石に刻む線を描いている」
と述べている。1969年に死去。

 

●このベン・シャーンは約6000枚の写真を撮影し、「写真家」としての評価も高いが、「写真家」で有名なユダヤ人といえば、アメリカ生まれのファッション写真家で芸術家のマン・レイがいる。彼はロシア系ユダヤ移民2世である(本名はエマニュエル・ロドニツキー)。

20世紀を代表する報道写真家であるロバート・キャパ(本名はアンドレ・フリードマン)もユダヤ人である。彼はハンガリー生まれで、27歳の時にアメリカ永住権を得た。

(※ アメリカとは関係ないが、ドイツ生まれの有名なファッション写真家ヘルムート・ニュートンもユダヤ人である)。

 

 
(左)ファッション写真家で芸術家のマン・レイ
(右)報道写真家のロバート・キャパ

 

●ところで、ショー・ビジネスの世界で、20世紀初頭に“アメリカの魔術師”として圧倒的な人気を博したハリー・フーディーニも、ユダヤ人(ハンガリー生まれ)である。現代の“アメリカの魔術師”で、壮大なイリュージョンの世界を築き上げたデビッド・カッパーフィールドもユダヤ人である(ロシア系ユダヤ移民の子)。

(※ ちなみに、永年、マジック界で「プロフェッサー」という尊称で呼ばれていたのはアメリカ・マジック界の巨匠ダイ・ヴァーノンだったが、ヴァーノンが亡くなった今、デビッド・カッパーフィールドが「プロフェッサー」と呼ばれている)。

 

 
(左)ハリー・フーディーニ (右)デビッド・カッパーフィールド

 

●音楽家として成功したユダヤ人もいる。

アメリカ音楽界で人気を誇ったレナード・バーンスタイン、アメリカという新大陸でスウィングジャズを開花させたジョージ・ガーシュインとベニー・グッドマン、戦時中アメリカに渡った作曲家アルノルト・シェーンベルクと指揮者ブルーノ・ワルター、アメリカのブロードウェイを代表するミュージカル作曲家ジェローム・カーン、天才バイオリニストのユーディー・メニューインとアイザック・スターン、ハリウッド映画音楽の巨匠ジェリー・ゴールドスミス、「ピアノの王様」と呼ばれたアルトゥール・ルービンシュタインなどがいる。

 

   
左から、「スウィングの王様」と呼ばれたクラリネット奏者ベニー・グッドマン、
アメリカのブロードウェイを代表するミュージカル作曲家ジェローム・カーン、
アメリカ音楽界で人気を誇ったカリスマ指揮者レナード・バーンスタイン、
天才バイオリニストのユーディー・メニューイン

 

●また、ビリー・ジョエル、ポール・サイモン、ボブ・ディラン(本名はロバート・ジマーマン)、バリー・マニロウ(本名はバリー・アラン・ピンカス)もユダヤ人である。

ヘヴィメタルバンド「キッス(KISS)」のジーン・シモンズ(本名はチャイム・ウッズ)もユダヤ人であり、ヘヴィメタルバンド「メガデス」のマーティ・フリードマンもユダヤ人である。(彼は日本語を流暢に話し、親日家としても知られる)。

 

   
左から、ボブ・ディラン、ポール・サイモン、ビリー・ジョエル、マーティ・フリードマン

  
ヘヴィメタルバンド「キッス(KISS)」のジーン・シモンズ(中央はメイクした顔)

彼はイスラエルのハイファ出身で、母親はナチ収容所の
生存者。若い頃は正統派ユダヤ教の家庭環境の中で育ち、
相当敬虔だったという。(彼はアメリカに移民後、ニューヨークの
ユダヤ系テクノロジーセンターでラビになるための勉強をしていた)。

1972年にニューヨークで結成された「KISS」は、8000万枚以上のレコードを
売り、エルヴィス・プレスリー、ビートルズらが持っていたコンサートの観客動員記録を
いたるところで塗り替え、ゴールドレコードの数はビートルズに続き、現在世界第2位である。

ジーン・シモンズなしで「KISS」の成功はあり得なかったといわれている。また、日本の初期の
ヘヴィメタル・ファッションに多大な影響を与えており、「KISS」がなければ「聖飢魔II」や
「X JAPAN」以降のヴィジュアル系バンドは存在しなかったともいわれている。

 

●一般にユダヤ人は、実力一本でやっていける医者や弁護士などの知的職業を選ぶ人が多い。アメリカ医学界に占めるユダヤ人のパーセンテージはきわめて高い。

現在アメリカのユダヤ人弁護士は14万人、ユダヤ系法律事務所は2万2000に達するといわれる。

教師もユダヤ人が多い。ニューヨーク市の学校教師の半分はユダヤ人で、同市の学校ではユダヤ教の祭日は休みになるほどだ。


●今日、アメリカ・ユダヤ人の実業界の指導者たちが懸念していることは、あまりにも多くの優秀なユダヤの若者が、学問の世界や知的専門職へと進路を目指していくために、ビジネスの分野へ進む優秀な人材が年を追うごとに減少していく事態であるという。そのことは実業界におけるユダヤパワーの相対的低下を招くからだという。


●なお、次のようなデータを載せておくのも賢明だろう。

現在、アメリカのユダヤ人は約600万人だが、そのうち80万人は貧困階層で、とくに高齢者では年間収入4000ドル以下の者が44%もいる。ニューヨーク市で生活保護を受けているユダヤ人は25万人にのぼり、黒人その他のグループについで、同市では3番目に大きな貧困者群を構成している。これなどは、ユダヤ人は金持ちだという伝説を、まっこうからひっくり返す例となっている。

アメリカのユダヤ人は、富める者と貧しい者含め、実にさまざまな人間がいるといえよう。ダイナミックである。

 

─ 完 ─

 


 

■■おまけ情報: ユダヤ人の名前について


●これはオマケの話だが、

「ユダヤ人の名前」に関して面白い話を紹介しておきたい。

加瀬英明氏の著書『ユダヤ人の力』(三笠書房)には、「ユダヤ人の名前」について次のような説明がある。


「日本では明治維新とともに四民平等となり、庶民がはじめて姓を名乗ることを許された。同じくユダヤ人もこの時期に、ヨーロッパではほとんどの者が姓を持つようになった。

ユダヤ人は姓を所有できるようになるまでは、自分の職業によって、シュナイダー(洋服屋)、カンター(歌手)、ラビノビッツ(ラビ)、シュピーゲル(鏡屋)、サンドラー(靴屋)、ゴールドシュミット(金細工師)とか、住んでいる場所によってワルシャフスキー(ワルシャワ)、トケイヤー(ハンガリーのトーケイ)、とか、あるいは外見上の特徴からクライン(ちっぽけ)、グロス(大男)、シュバルツ(浅黒い)といった言葉が姓の代わりを務めていた。自分の父親の名の下に『息子』を表わすSONをつけたサミュエルソン、メンデルスゾーン、ヤコブソンといったものもあった。

あれはユダヤ人の名前だ、ということがしばしば言われているが、それはこのかつての時代の名残である。

また、姓を持てるようになったとはいえ、誰もが自分の好きな名前を名乗れたわけではない。一部の国は、ユダヤ人から収奪することに熱心だったから、名前を売ったのである。当然、よい名前は高く、悪い名前は安かった。高価な名前には、花や貴金属の名がついた。

ローゼンタール(薔薇)、ゴールドシュタイン(黄金)、ゴールドバーグ、グリンバーグ(緑)、シルバーバーグ(銀)、シュタール(鋼鉄)、アイゼンバーグ(鉄)といった名が高価だった。

当時、ユダヤ人のほとんどは貧しかった。そこで安い名前が用意されていたが、ウォルフ(オオカミ)とか、ウォルフソンなど、動物名がついたものがそれである。

しかし、それすら買えない者もいた。これらの人々には、さらにひどい名前がつけられた。今日では、こういった名前──エゼルコフ(ロバの頭)、フレッサー(脂肪)、ヒンターゲシッツ(尻)──の者は改名しているから、なかなか見当たらない。ロバは、英語やヨーロッパ諸語では『阿呆』を意味する。」

 

 


 

■■おまけ情報 2: 世界で成功するユダヤ人が多いのはなぜか?


●これもオマケの話である。

世界で成功するユダヤ人が多いのはなぜか?

ユダヤ人のラビ(ユダヤ教指導者)であるマーヴィン・トケイヤーは、著書『ユダヤ人の発想』(徳間書店)の中で次のように述べている。

長くなるが、参考までに紹介しておきたい。

 

 
ラビ・マーヴィン・トケイヤー

1936年にハンガリー系ユダヤ人の家庭に
生まれる。1962年にユダヤ神学校でラビの資格
を取得。1967年に東京広尾の「日本ユダヤ教団」の
初代ラビに就任。1976年まで日本に滞在し、ユダヤ人と
日本人の比較文化論を発表。早稲田大学で古代ヘブライ
文化を教えたこともある。アメリカに帰国後、ユダヤ人
学校の校長を歴任。現在ニューヨーク在住。

 

◆「ユダヤ人の人口は、世界人口に対して0.38%にしかならない。それなのにユダヤ人は人類のエリートとなっている。ノーベル賞をとってみれば、1901年以来今日まで、経済で60%以上、医学で20%以上、物理で20%以上、化学で10%以上、文学で10%近くの受賞者がユダヤ人である。本来ならば、1600万人しかいないのだから、人口比からいけばノーベル賞を一つも取ることができなくてもおかしくはないはずである。」


◆「ユダヤ人というと、日本では一般的に『金儲けがうまい』というイメージが強い。しかし、ユダヤ人は世界の中で最も知的生産力が高い人間であるといえよう。それだから、ユダヤ人は知的な努力を通じて、ほとんどあらゆる分野において上の下か、中の上以上の地位を占め、そうした生活を楽しんでいる。ユダヤ人はただ努力するだけではなく、適応性が豊かで、創造力に富んでいるのだ。

〈中略〉

ユダヤ人は物質的に恵まれることのない社会制度のもとで長い間暮してきた。それにもかかわらず、ユダヤ人は成功する例がきわめて高かった。それは、なぜだろうか。いうまでもなく、その原因はユダヤ人がまず自分を創造するからである。ユダヤ人にとっては、自分をつくり出すことが最も大きな財産となる。そして、このようなユニークな創造力は、ユダヤ的な物の見方や、生活の仕方から生まれてきたのである。もしユダヤ人がいなければ、今日の現代世界はなかったとすら言ってもよいだろう。ユダヤ人は近代に入ってから世界を改革するとともに、科学、政治、芸術などあらゆる面で新しい世界を生み出す原動力となってきた。」


◆「ここで思いつくままに、ユダヤ人の名前をあげてみよう。

まず政治関係のグループとしては、1878年から1880年にかけてイギリスの名宰相といわれたベンジャミン・ディズレーリ。ドイツの近世社会主義者のエドアルド・ベルンシュタイン。ドイツの経済学者であり、社会主義者であったローザ・ルクセンブルク。1954年にフランスの首相を務めたピエール・マンデス・フランス。あるいは日本でも過激派学生の信仰の的となっているキューバの革命家エルネスト・チェ・ゲバラ。ロシア革命に戻ればレオン・トロツキー、グリゴリー・Y・ジノビエフ、レオ・B・カーメネフがユダヤ人であった。

ビジネス界で私の頭にすぐ浮かぶ名前といえば、まずイタリアの『オリベッティ社』の創立者であるカミロ・オリベッティ。フランスの自動車会社『シトロエン』の創立者であるアンドレ・G・シトロエン。アメリカであれば、音と電波の帝王といわれ、『RCA』の創立者であり、『NBC』に長く君臨したデービット・サーノフ。有名な化粧品会社『ヘレナ・ルビンシュタイン社』の創立者であるヘレナ・ルビンシュタイン。一流広告会社の『グレイ社』を創立したローレンス・バレンシュタイン。

学者について何人か列挙していけば、結核菌、コレラ菌の発見者ロベルト・コッホ。フランスの哲学者アンリ・ベルグソン。エスペラント語を創り出したポーランド人のラザロ・ザメンホフ。ストレプトマイシンの発見者であるアメリカのセルマン・ワクスマン。心理学者、社会哲学者あるいは作家として有名なエーリッヒ・フロム。物理学者で原子爆弾の父といわれるロバート・オッペンハイマー。経済学者で合衆国連邦銀行の理事長を務めたアーサー・F・バーンズ。同じように経済学者としては、今日活躍しているミルトン・フリードマン、ポール・A・サミュエルソンといった名前が頭に浮かぶ。

マスコミの世界では、イギリスの『ロイター社』をつくったT・J・バロン・ロイター。『ニューヨーク・タイムズ』を保有してきたザルツバーガー家。また、コラムニストとして有名なウォルター・リップマンをはじめ多くの者がいる。

音楽家であればメンデルスゾーンをはじめ、ブルーノ・ワルター、アルトゥール・ルービンシュタイン、ヤッシャ・ハイフェッツ、ジョージ・ガーシュイン、ウラジミール・ホロビッツ、レナード・バーンスタイン、アイザック・スターンなど多数。ほかに、ベニー・グッドマンやアービング・バーリンがユダヤ人である。

アービング・バーリンについては、皮肉なことがある。今日キリスト教徒の間でクリスマスの歌として最も親しまれている『ホワイト・クリスマス』の作曲者は、ユダヤ人であるアービング・バーリンなのだ。もちろん、ユダヤ人はキリストを神として認めていないので、クリスマスを祝うことはない。

いずれにしろ、歴史上、各界で活躍したユダヤ人のリストをつくれば、膨大な人名録が出来上がるだろう。ここであげたのは、私がいま思いついた名前にしかすぎない。」


◆「日本ではしばしばユダヤ人は『ずるい商売』をするといわれている。これは終戦後、まだ日本がお土産用のライターとか、竹で作ったクマデといった雑貨類を輸出の中心としていたころの経験に根ざす偏見である。占領下の日本にはじめて乗り込んできたのは、ユダヤ商人たちであった。彼らユダヤ商人たちは容赦なく買いたたいた。これは、日本人とユダヤ人のビジネスにおける正直さ、あるいは正当さをめぐる考え方のちがいが原因となっている。

商人ができるだけ安い値段で買いつけ、できるだけ高い値段で売りつけたいとするのは、当然のことである。これは、ユダヤ人だけに限ったことではない。日本の会社でも、営利事業である以上は変わるところがないはずである。 〈中略〉 ユダヤ人にとっては、物をできるだけ高く売り、そして買うときはできるだけ安く買うことは、少しも悪いことであるとは考えられていない。もし相手が、高く買うのが嫌だったり、あるいは買いたたかれるのが嫌だったら、それを主張すればいいのだ。」


◆「誰だって富──財産を残したいと思っている。ところがキリスト教徒や日本人は、それを口にしない。一方ユダヤ人は、金のことを口にするのを恥じない。どちらが自然だろうか。

ユダヤ人は金を道具だと思っている。道具に支配される者はいない。だから道具はできるだけ多く持っていたほうがよい。これはユダヤ人の金に対する態度を物語っているよりも、ユダヤ人の自然な、無理のない考え方を示しているといったほうがよいだろう。

金をたくさん持っているというのは、誰にとっても愉快なものである。ユダヤ人は金を、キリスト教徒のように汚いものとして蔑んだりしない。金はよいものであると考えている。」


◆「日本ではどちらかというと、金について気前のよい人間が喜ばれる。清貧とか、あるいは江戸っ子は宵越しの金を持たないといったように、金に全く執着を持たない人間が美化されることが多い。

しかし、ユダヤの伝統の中には、日本人が好む『清貧』といった考え方は全くない。貧しいということは、蔑みの対象とはならないが、自慢できることではない。また、ユダヤの伝統の中には、金を汚いものだとする考え方も、全く存在しない。金に対する健全な考え方があるのだ。これはまた、ユダヤ人の現実主義にもかなうものである。」

 

以上、ラビ・マーヴィン・トケイヤー著『ユダヤ人の発想』(徳間書店)より

 

 

 


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