No.a6fhc101

作成 1998.1

 

ベラスコの告白

 



親日家であり、またヒトラーから厚い信頼を
得ていた大物スパイ・ベラスコ
(ユダヤ系スペイン人)

彼は「ナチス」の実態について驚くべき証言を残している

 


──はじめに──

 

●1982年9月20日に、NHK特集「私は日本のスパイだった──秘密諜報員ベラスコ」が放送されたので、ベラスコの名前を知っている日本人は多いだろう。

この番組は「昭和57年度芸術祭大賞」「第15回テレビ大賞 優秀番組賞」「第22回日本テレビ技術賞」を受賞し、

現在は「NHK特集名作100選」に選ばれている。

 

 
「NHK特集名作100選」に選ばれ、ビデオ化されたベラスコの特集

 

●第二次世界大戦中、一流のスパイとして活躍したべラスコは、ユダヤ系スペイン人(スファラディム)で、スペインの「ファランヘ党」の設立者の1人であった。

本名は、アンヘル・アルカサール・デ・ベラスコである。


●大戦中、スペインは中立国だったので、連合国や枢軸国のスパイが情報収集のために暗躍していたが、ベラスコは「TO諜報機関」という対英米スパイ機関を創設。

日本の在スペイン公使の須磨弥吉郎に、英米情報を提供していたのである。組織の資金は日本公使館から送られていた。

(スペインのフランコ政権は中立政策を取っていたが、ドイツ、日本には友好的だった)。

 


スペインのフランシスコ・フランコ将軍

1939年8月に「ファランヘ党」の党首・国家主席に就任、
一党独裁体制を敷く。第二次世界大戦ではヒトラーの
再三にわたる参戦要請を退けて「中立」を守り、
多くのユダヤ人をかくまった。戦後は
唯一のファッショ国家の終身主席
として天寿を全うした。

 

「TO諜報機関」の組織網はスペイン国内、南北アメリカをカバーしていた。米国の三沿岸の大都市ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴには、機関員合計6人の情報員を配して、マドリードの本部が直轄管理、その6人の周辺にさらに数人、ときには十数人の端末部員を配したという。

 

 

 

●ベラスコは完全な職業スパイで、ドイツの諜報機関のためにも働き、ヒトラーから厚い信頼を得ていた。そういうこともあって、ベラスコはナチスの秘密や第二次世界大戦の真相(舞台裏)、そして世界権力の実態について知り尽くしていたと言われている。

ベラスコは1945年4月までドイツにいたが、ベルリンにソ連軍が侵入する直前にミュンヘンに脱出、リヒテンシュタイン経由でスイスに逃げた。広島、長崎への原爆投下と日本の敗戦はスイスで知ったという。


●戦後になってスペインに舞い戻ったベラスコは、「スペイン陸軍省情報部」の特別顧問に迎えられ、優遇されている。ドイツ側のベラスコに対する対応も同様で、元ナチスの大幹部たちはベラスコに南米逃亡の手助けを委ねている。

(残念ながら、ベラスコは数年前にスペインで亡くなっている)


●以下(次章から)のテキストは、高橋五郎氏がベラスコを直接取材してまとめた「ベラスコ語録」(インタビュー)から、興味深い部分を抜粋したものです。(読みやすくするため、かなり文章を組みかえています)。興味のある人は高橋五郎氏の著書『超スパイ ベラスコ──今世紀最大の“生証人”が歴史の常識を覆す』を読んで下さい。なお、高橋五郎氏以外の別ルートからのベラスコ情報も加味してあります。予めご了承下さい。

 

●注意 :

いちおう念のために書いておきますが、
当館は、ベラスコがどこまで真実を語っているのか明確な判断が
下せない状態です。特に「広島原爆はナチス製だった」という話は、
にわかには信じがたい話です。賛否両論大きく分かれるでしょう。
「ベラスコの告白」の内容の判断は各自にまかせます。
あくまでも“参考”程度にご覧になってください。

 


第1章
はじめに
(現在いるページです)
第2章
20世紀情報戦争の舞台裏
第3章
ヒトラーは死ななかった
第4章
ベルリン脱出と
ナチス地下組織の真相
第5章
2つの世界大戦は
ユダヤ内部抗争が原因
第6章
和平は戦争の
一時的中断でしかない
第7章
広島原爆はナチス製だった
おまけ
マルチン・ボルマンの謎

 

 


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第1章

 


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