ヘブライの館2|総合案内所|休憩室 |
No.a3fhb010
作成 1997.2
神道は非常に謎に包まれた宗教ですが、
果たしてどれだけの日本人が神輿や正月行事や
鳥居などのルーツを知っているでしょうか?
このページでは「日ユ同祖論者」によってよく
持ち出される代表的な「日本とヘブライの共通点」を
大雑把に列挙していきますが、日本の風習をいつもと
違う視点から見てみる良い機会になると思います。
眉につばをつけて楽しんで下さい(笑)
↓↓↓↓↓↓
●伊勢神宮の内宮から外宮に至る道路(御幸通り)の両側に並ぶ石灯籠(合計約700基)には、不思議なことに「カゴメ紋(六芒星)」が刻み込まれている。
カゴメ紋は別名「ダビデ王の紋章」といわれ、ユダヤ人のシンボルになっている。事実、現在のイスラエル共和国の国旗にも、はっきりと描かれている。
伊勢神宮の内宮から外宮に至る道路には
「カゴメ紋(六芒星)」が刻み込まれた
石灯籠が並んでいる
石灯籠は大小様々である。人間の背丈ぐらいの小型のものもあれば、右のように超巨大なものもある。
そして、どの石灯籠にも「菊の紋章」と「カゴメ紋(六芒星)」が刻み込まれている。
一説には、これらの石灯籠は、終戦直後にGHQのマッカーサー最高司令官が
設置を命じたものだという。この他にも様々な説があり、真偽のほどは
定かではないが、いずれにせよ異様な光景であることだけは確かだ。
(上の画像は車の中から撮影したものですが、少しピンボケで失礼…)
●古代ユダヤ人は金髪や黒人ではなく、黒髪・黒目の浅黒い肌(褐色)をした人種で、背が低かった。
体格は日本人とそっくりであった。
さらに日本人とオリジナル・ユダヤ人(オリエンタル・ユダヤ人)の男性Y染色体の大きさが同じであることが、パリ大学の教授によって発見された。これは、他には見られない現象だという。
↑英BBCの科学ドキュメンタリー
番組『神の子』が最新の科学技術を駆使
して復元したイエス・キリストの顔
(中東男性の顔つきをしている)
※ 詳細はココをクリック
●ユダヤ人の宗教的な行事で日本と最もよく似ているのは 「過越(すぎこし)祭」である。
過越祭(ペサハ)はユダヤ教でいう新年の祭りで、ユダヤの祭日のうちで最古、かつ最大のものである。その日は、日本の年越しと同じように、家族で寝ないで夜を明かす。
さらに過越祭の日だけは普段と食べるものが違っていて、いつもはふっくらとしたパンを食べるのであるが、この日に限って「種なしのパン(マッツォ)」を食べる。この種なしパンは日本でいう「餅(モチ)」に当たる。しかも、ユダヤ人は丸く平べったい種なしパンを祭壇の両脇に重ねて供えるのだが、まさにこれは日本の「鏡もち」以外のなにものでもない。
また、過越祭は全部で7日間と規定されており、これも日本の正月の期間と全く同じである。
●神社につきものの「鳥居(とりい)」は、外国人のみならず日本人自身にも説明がつかない代物である。しかし、ユダヤ人が見れば即座に理解できる。なぜならば、「鳥居」の形は古代ヘブライの建物(玄関口)とそっくりの構造をしているし、赤い色をしていることにはしっかりとした宗教的根拠があるためである。
「トリイ」はヘブライ語アラム方言で
「門」という意味である
●ユダヤ人の過越祭(ペサハ)は、かの有名なモーセによる「エジプト脱出事件」(紀元前1290年)にルーツを持っているが、同じく日本の年越しも鳥居もこの大事件にルーツを持っているといえる。
モーセは、かたくなな心を持つエジプト王ファラオにヘブライ奴隷集団の脱出を認めさせるため、一種の“魔術競争”をしたのであるが、エジプト脱出前日に“殺戮の天使”がエジプト全土に襲いかかって来た。
その時、モーセはヘブライ人たちに“殺戮の天使”の害に合わないためにと、玄関口の二本の柱と鴨居に羊の血を塗らせ、“殺戮の天使”が静かに通り過ぎるまで家の中で待つように指示したのであるが、これこそが鳥居のルーツであり、年越しのルーツである。
※ ちなみに「トリイ」はヘブライ語アラム方言で「門」という意味である。
ユダヤ人の過越祭(ペサハ)
モーセは、玄関口の二本の柱と鴨居に
羊の血を塗らせ、“殺戮の天使”が静かに
通り過ぎるまで家の中で待つように指示した。
この有名な「エジプト脱出事件」こそが、鳥居の
ルーツであり、年越しのルーツであるという。
●古代ヘブライの神殿と日本の神社の構造は、驚くほど酷似している。
もともと古代ヘブライの神殿は 「幕屋」と呼ばれる移動式だったが、幕屋はその名の通り、周囲を幕や板で囲み、中で神に捧げる祭祀を行った。全体ではないが、囲むという概念は日本の神社でも見られ、同様に祭祀は極秘である。
また、幕屋の中の構造は、基本的には聖所・至聖所・拝殿に分かれていて、祭壇には明かりをともす常夜灯があり、脇には手を洗う水盤があった。
また有名な古代ソロモン神殿の前には、お賽銭(さいせん)を入れる箱も置かれていた。
もともと古代ヘブライの神殿は「幕屋」と呼ばれる
移動式だったが、日本の「神社」と構造が酷似している。
後に固定式となった「ソロモン神殿」もまた日本の
「神社」と多くの共通点を持っていた。
●日本の神社の前に置いてある狛犬(こまいぬ)は、犬というよりもライオンであるが、古代ソロモン神殿の前にもライオンの像が置いてあった。
ライオンはダビデ王統を担うユダ族のシンボルであった。
狛犬(こまいぬ)
●現在でもユダヤ人は祈りの時に『旧約聖書』の言葉を収めた「ヒラクティリー」と呼ばれる小さな小箱を額部分に付けるのだが、これは山伏が頭につける兜巾(ときん)と使用方法が酷似している。
また、山伏が吹く「ほら貝」の音は、ユダヤ人の祭りに使われる「ショーファー」という羊の角で作った吹奏器とそっくりである。
ユダヤ人は祈りの時に『旧約聖書』の言葉を収めた「ヒラクティリー」と呼ばれる
小さな小箱を額部分に付けるのだが、これは山伏(右端下)が頭に
つける兜巾(ときん)と使用方法が酷似している。
(左)「ショーファー」を吹くユダヤ人 (右)「ほら貝」を吹く山伏
山伏が吹く「ほら貝」の音は、ユダヤ人の祭りに使われる
「ショーファー」という羊の角で作った吹奏器とそっくりである。
●古代ヘブライの祭祀レビ族は、みな白い服装をしていた。非常にゆったりとした和服のような服で、そで口には「リンネ」と呼ばれる房が付いていた。もちろん「ヒラクティリー」も使用していた。
彼らの姿は、まさしく神道の神官や修験道の山伏のような姿をしていたのである。
神道の神官
古代ヘブライの祭祀レビ族は、
みな白い服装をしていた。非常に
ゆったりとした和服のような服で、そで口
には「リンネ」と呼ばれる房が付いていた。
もちろん「ヒラクティリー」も使用していた。
彼らの姿は神道の神官そっくりだった。
●映画『レイダース/失われたアーク』(=インディ・ジョーンズシリーズの記念すべき第1作)にも登場したヘブライの秘宝 「契約の聖櫃(アーク)」は、実際に現在に至るまで行方不明であるため「失われたアーク伝説」として広く公式に知られている。
アーク(聖櫃)とはモーセが神から授かった「十戒石板」を保管するための箱で、全体に黄金が貼られており、『旧約聖書』の「出エジプト記」には、そのアークの作り方が克明に記されているのだが、
その記載を見る限り、日本の神輿(みこし)にそっくりである。
ヘブライの三種の神器を収めた「契約の聖櫃(アーク)」と
日本の「神輿(みこし)」は驚くほど多くの共通点を持っている。
(ちなみに右のアークは忠実に再現した模型です)
↑日本の「神輿(みこし)」
神輿の上には鳳凰(ほうおう)と言われる
鳥が作られており、大きく羽を広げている
●アークの上部には2つの天使(ケルビム)の像が羽を広げて向かいあっているが、日本の神輿も金で覆われていて、神輿の上には鳳凰(ほうおう)と言われる鳥が作られており、大きく羽を広げている。
また、アークの下部には2本の棒が貫通しており、移動するときにはレビ族が肩にかつぎ、鐘や太鼓をならして騒ぎ立てた。しかも、かつぐための2本の棒は絶対にアークから抜いてはならなかったように、神輿の棒も抜かれることはない。祭りが終わった後も棒を差し込んだまま保管されているのである。
このように、日本の神輿と聖櫃(アーク)との類似性は偶然では済まされないものがある。
映画『レイダース/失われたアーク』に
登場した「契約の聖櫃(アーク)」の画像
●かつて北イスラエル王国(10支族王朝)を滅ぼしたアッシリア帝国は、「契約の聖櫃(アーク)」と「ソロモンの財宝」を最も欲しがったのだが、彼らはそれらを見つけることはできなかった。ヘブライの秘宝は北イスラエル王国滅亡と同時に消滅してしまったのである。
そのため、西欧の学者たちは「失われたイスラエル10支族」と「失われたアーク」の行方を追って、世界各地へ手掛かりとなるものを捜し求め続けている。
なお、四国徳島県の修験道の聖地にして霊山である「剣山」には、ソロモンの秘宝が隠されているという根強い噂があり、一時、発掘隊が組織された時期もあった。
また、この剣山では毎年「神輿祭り」が行われるが、その日は「祇園祭り」と同じ7月17日である。
修験道の聖地にして霊山である「剣山」
●伊勢神宮には三種の神器のひとつである「八咫の鏡」があるというが、本物は誰も見たことがなく、その写しである皇室の神鏡にはヘブライ語が書かれているという。
『ユダヤ問題と裏返して見た日本歴史』には、ヘブライ語学者の左近博士が、それを解読するために宮中に呼ばれたと書いてある。そして鏡の文字は「わたしは“わたしはある”という者である」と読めたという。
これは『旧約聖書』でモーセが神にその名を問うたときの神の答えの言葉に他ならない。
この話は一時、新聞に紹介されたことがあるらしく、日本在住のユダヤ人ラビ・M・トケイヤー氏が、個人的によく知っている三笠宮にこの記事をご存じか、またこの鏡を見たことはおありかと尋ねたという。ところが、古代オリエントの歴史に造詣が深く、ヘブライ語にも熟達しているという三笠宮でさえ、「新聞記事のことは知っているが、鏡は見たことがない」とお答えになったという。
殿下でさえ、この鏡を見ることができず、さらに驚いたことには、殿下の兄である天皇陛下でさえこれを見ることは許されないというのである。
伊勢神宮
●「伊勢神宮暦」は、他の神社と違って「ヘブライ暦」と一致している。
●ユダヤ人は現在でも13歳の男子に、成人を迎える儀式「バル・ミツバ」を行うことで有名だが、日本人も昔、13歳の男子に成人を迎える儀式「元服式」を行っていた。
また、生後30日目に赤ん坊を神社に初詣でさせる習慣は、日本とユダヤにしか見られないものである。
●日本もユダヤも水や塩で身を清める「みそぎ」の習慣がある。
ユダヤ人は食事の前、トイレのあと、教会堂の入り口で手を洗うなどの習慣がある。日本人も神社を詣でる前には必ず入り口で手を洗う。
また、ユダヤ人は日本人と同じように、まず体を洗ってから風呂に入る。ユダヤ人以外の西欧人は、バスタブの中で体を洗う。
●現在の日本で行われている相撲(すもう)とは様相が異なるが、『旧約聖書』には、イスラエル12支族の父ヤコブが天使と相撲をとる光景が描かれている。
ヤコブはこの天使との相撲に勝ったことで「イスラエル(神と闘う者)」という名前を授けられたのである。
※ 面白いことに、現在、イスラエルには相撲の愛好者が多く存在し、イスラエル国内に「相撲協会」が2つもある。
天使と相撲(すもう)をとるヤコブ
※ ヤコブはこの天使との「相撲」に
勝ったことで「イスラエル(神と闘う者)」
という名前を授けられたのである。
●『大和民族はユダヤ人だった』の著者であるユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグは、カタカナとヘブライ語の驚くほどの類似性を指摘している。また、日本語の中にヘブライ語の単語が混在していることも指摘している。
ヘブライ語、ロシア語、英語、フランス語、ドイツ語、ペルシア語、イーディッシュ語、アラビア語など数ヶ国語に精通していた彼は次のように述べている。
「私は14年の歳月をかけて世界各地の言語を調べあげた。世界には中南米のマヤ人をはじめ、いくつも“失われたイスラエル10支族”の候補となる民族がいるのだが、日本語のようにヘブライ語起源の言葉を多数持つところはなかった。一般に日本語はどの言語にも関連がないため“孤語言語”とされているが、ヘブライ語と類似した単語が優に3000語を超えて存在している」
(左)ユダヤ人言語学者ヨセフ・アイデルバーグ
(右)彼の著書『大和民族はユダヤ人だった』
ヨセフ・アイデルバーグはヘブライ語と日本語
(カタカナ)の類似性を指摘している
※ 詳細はココをクリック
●エルサレム神殿の門には、天皇家の「16弁の菊花紋」と共通した紋章がしっかりと刻み込まれている。
この紋章はイスラエル民族の紋章であった。現在のユダヤ教のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)には、必ずといっていいほど、菊の紋章がデザインされている。ちなみに現在、世界中を見渡して、菊家紋をシンボルにしている一族はユダヤ人と天皇家以外にはほとんどいない。
エルサレム神殿の門には、天皇家と共通の
「16弁の菊花紋」が刻み込まれている
●古代ヘブライの「シオン(ZION)祭り」は、日本の三大祭りの1つである京都の「祇園(GION)祭り」と同じ7月17日に行われていた。
この祭りはノア一家が大洪水を無事乗り越えたことを祝う祭りで、7月17日は『旧約聖書』において「ノアの大洪水」が終わった日とされているのであるが、日本の祇園祭りを最大に特徴づけている数多くの「山車(だし)」は、この“ノアの箱舟”を象徴しているのではないかと推測する研究家がいる。
7月17日は『旧約聖書』において
「ノアの大洪水」が終わった日とされている
●祇園祭りに登場する数多くの山車の中には、古代ヘブライで用いられた織様と同じ文様を付けたものが存在している。
京都市下京区四条鳥丸西入の山鉾「函谷鉾」の前掛けは『旧約聖書』の創世記の一場面を描いた16世紀末のタペストリーである。また、中京区室町通六角下ルの山鉾「鯉山」の見送りは古代ヘブライのダビデ王を描いた有名な図である。
さらに、この祇園祭りでは「モーセ山」という言葉が用いられ、祇園祭りと古代ヘブライとの関係に、ただならぬものがあることを感じさせる。
↑この画像は祇園祭りに使われる山車だが、この文様は
古代ヘブライで用いられた織様と同じものである
●日本史上、最大最強の渡来人でありながら、今なお多くの謎に包まれている「秦(ハタ)氏」は、昔から多くの研究家によって「ヘブライ系渡来人」ではないかと指摘されている。
秦氏は第15代応神天皇のとき、大陸から渡来してきたのだが、この時、10万もの人々が日本に帰化したと伝えられている。その一部は大和の葛城に、多くは山城に住んだのだが、雄略天皇(5世紀半ば)の時に、京都の「太秦(ウズマサ)」の地に定住するようになったという。
「太秦(ウズマサ)」の地は、秦一族の居住地として栄えた。
この地には有名な「蚕の社(木嶋神社)」がある。そしてそこには
ミステリアスな鳥居として知られる「三本柱の鳥居」がある(上から
見ると「正三角形」になっている)。この鳥居の特殊な形は、ユダヤの
神秘思想「カバラ」にルーツがあるともいわれている(諸説あり)。
●この「太秦」と書いて「ウズマサ」と読む奇妙な名称は、古代ヘブライ語アラム方言の「イシュ・メシャ」が転訛(本来の発音がなまって変化)したもので「イエス・キリスト」を意味し、
秦氏の「ハタ」は「イヤハダ」、つまり「ユダヤ」を意味する古代ヘブライ語アラム方言の「イエフダー」が変化したもので、イヤが欠落して「ハダ」となり、さらに「ハタ」となったといわれている。
※ 秦家は非常に有力なファミリーで、794年の「平安京」は秦氏の力によって事実上作られ、「仁徳天皇陵」のような超巨大古墳建築にも秦氏の力があった。
ちなみに羽田元首相は遠い親戚に当たるという。
●「平安京」に遷都した桓武天皇は、古代ヘブライの燔祭(はんさい)の儀式を行っていた。
また、平安京のマークはあの「ダビデ王の紋章(六芒星)」と言われ、現在の京都の市章はその平安京のマークを図案化したものだと指摘されている。
ちなみに「平安京」をヘブライ語になおすと「エル・シャローム」、なすわちヘブライの聖地「エル・サレム」である。名称の酷似だけでなく、聖地エルサレムの「城塞」は12の門を持つなど、構造が平安京とよく似ていることが指摘されている。
(左)京都市の紋章 (右)ダビデ王の紋章
●秦氏の本拠地にある「八坂神社」の祇園信仰にも古代ヘブライの信仰に非常に似た点がある。
また、八坂神社や伊勢神宮の周辺などに「蘇民将来」という伝承にまつわる護符があるが、ここにも「ダビデ王の紋章」が出てくる。
ちなみにユダヤのメズサ(護符)と、日本のお守りは同一である。
●現在、日本人の総氏神を祀っているのは「伊勢神宮」であるが、この「伊勢神宮」の前身(元伊勢)は「籠(この)神社」であり、この本来の伊勢神宮ともいえる「籠神社」の宮司を代々務めてきたのが海部一族である(海部元首相の遠い親戚)。
現在、82代目宮司を務める海部光彦氏は、最近になってそれまで極秘であった“裏家紋”を公開した。
「籠神社」の奥の院である「真名井神社」の石碑に刻み込まれたその裏家紋は、なんと驚くべきことに「ダビデ王の紋章(六芒星)」であった……。
丹後国一宮「籠神社」は、天皇家の宗廟にして
日本人の総氏神を祀る日本最大の神社「伊勢神宮」の
ルーツ(元伊勢)である。この奥の院である「真名井神社」の
石碑には裏家紋として「ダビデ王の紋章」が刻み込まれている。
※ 残念なことに、最近、あまりにも有名になりすぎたため、
六芒星の部分だけ削って変更してしまったという…。
↑1994年にイスラエルで発行された観光ポスター
このポスターには何故か菊の紋章がはめ込まれた
「古代エルサレムの遺物」が掲載されていた。
(右はその拡大画像である)
etc.
以上、このページでは「日ユ同祖論者」によってよく持ち出される代表的な
「日本とヘブライの共通点」を大ざっぱに列挙してみましたが、もちろん、
これらの「共通点」だけで「日本人とユダヤ人の祖先は同じだ!」と断言
することはできません。単なるこじつけかもしれないし、非常に少数の
ヘブライ集団が日本にやって来て、何かしらの文化的影響を与えた
だけだったのかもしれません。また、ヘブライとは何の関係
もない「偶然の中の偶然の産物」かもしれないのです。
古代の日本、ならびに日本人のルーツの
正確な実態を解き明かすには、多方面にわたる
緻密な学術調査が不可欠であることは言うまでも
ありません。今後、この方面の研究がどんどん
進められていくのを楽しみにしています。
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