No.a4fhc600

作成 2002.3

 

在米のシオニスト組織「SWC」と

『マルコポーロ』廃刊事件

 

~「サイモン・ヴィーゼンタール・センター (SWC)」の実態~

 

第1章
“ナチ・ハンター”の異名を持つ
サイモン・ヴィーゼンタール
第2章
「マルコポーロ廃刊事件」後に開かれた
極秘セミナーの実態
第3章
「SWC」に全面謝罪した
『週刊ポスト』とテレビ朝日
第4章
「SWC」と「創価学会」の連携
第5章
「SWC」とアイリス・チャン
第6章
親中反日路線を強めつつある「SWC」

おまけ
『ヒトラー選挙戦略』絶版事件
おまけ
米国任天堂に抗議したユダヤ人団体
おまけ
「カギ十字」と日本の関係について
おまけ
ユダヤ人政治思想家
ハンナ・アーレントによる批判
おまけ
『ホロコースト産業』について
追加1
アメリカの「民主党」と
ヒラリー・クリントンについて
追加2
アイリス・チャンの死
追加3
「ナチス狩り」の闇

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■■第1章:“ナチ・ハンター”の異名を持つサイモン・ヴィーゼンタール


1995年1月に、日本のジャーナリズム界を震撼させる事件が起きた。

この事件は、アウシュヴィッツのガス室に疑問を投げかける記事が、雑誌『マルコポーロ』(文藝春秋社)に載ったのがきっかけだった。


この記事のことを知った、アメリカのユダヤ人組織「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」は、ロサンゼルス駐在日本領事の駐米大使に抗議し、さらにその後、イスラエル大使館とともに文藝春秋社に抗議した。

また「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」は『マルコポーロ』への広告差し止めを呼びかけ、フィリップモリス、マイクロソフト、フォルクスワーゲン、三菱自動車などが広告出稿を拒否することになった。

 


(左)『マルコポーロ』廃刊号 (右)問題となった記事
 「戦後世界史最大のタブー、ナチ『ガス室』はなかった」

 

●結局、文藝春秋社側は一方的に謝罪し、『マルコポーロ』は廃刊となり、花田紀凱編集長は解任され、田中健五社長は辞任した。

この『マルコポーロ』廃刊事件で、サイモン・ヴィーゼンタールの名は、大きな衝撃をもって多くの日本人の心に刻まれることになった。

 


「文藝春秋社」の田中健五社長(右)は、東京都内の
ホテルで記者会見して「深く反省した」と述べ、正式に謝罪した。
左は「SWC」の副館長であるラビ、アブラハム・クーパー。



“ナチ・ハンター”の異名を持つ
サイモン・ヴィーゼンタール

 

●このサイモン・ヴィーゼンタールという男は、1908年、ガリチア(ウクライナ西部)生まれのユダヤ人である。

第二次世界大戦中多数の強制収容所を転々としているところを連合軍によって救出され、アメリカ軍の「戦略情報局(OSS)」の戦犯追及機関の情報員になり、オーストリアにおける戦犯捜索に協力したのだった。サイモン・ヴィーゼンタールや彼の妻の一族のうち、ナチスによって殺された人は89人にのぼったという。

1961年に連合軍による占領時代が終わると、サイモン・ヴィーゼンタールは、オーストリアのウィーンに、「ナチ体制下のユダヤ人犠牲者連盟・記録センター」を設立した。この記録センターには、約2万2500名の元ナチスに関する情報が納められているという。

サイモン・ヴィーゼンタールの組織は、民間の情報収集機関のため、逮捕の権限はない。戦争犯罪人についての情報を収集し、犯罪の証拠を発掘し、関係当局にしかるべき情報を提供する活動に限られている。この組織の運営費は、全世界に散らばっているユダヤ人からの寄付によって賄われている。



●サイモン・ヴィーゼンタールを一躍、名高いものにしたのは、1960年の「アイヒマン事件」である。

サイモン・ヴィーゼンタールは、アイヒマンの過去から、1945年5月の失踪までの経過を克明に調べあげ、失踪の足どりを執拗に追った。そして、アイヒマンが、リカルド・クレメントという偽名で南米アルゼンチンのブエノスアイレスに生存している事実を突き止め、この情報を、同じくアイヒマンを追っているイスラエルの秘密情報機関「モサド」に連絡したのである。

アイヒマン逮捕(拉致)の知らせは全世界を驚かせたが、この「アイヒマン事件」により、サイモン・ヴィーゼンタールは“ナチ・ハンター”としての名声を得たのである。

※ イスラエルで裁判にかけられたアイヒマンは、1962年5月に絞首刑に処せられた。

 


アドルフ・アイヒマンSS中佐

戦後、アイヒマンは南米アルゼンチンで
逃亡生活を送っていた。しかし、イスラエルの秘密情報機関
「モサド」の秘密工作チームによって1960年5月11日に誘拐・逮捕され、
イスラエルへ空輸された。この「アイヒマン拉致事件」は、イスラエル政府が
アルゼンチン政府に対して正式な外交的手続きを踏んだものではなかった。
そのため、アルゼンチン政府は「主権侵害」と猛抗議、大使召還、
国連提訴など、解決まで2ヶ月間もめた。



アイヒマンの裁判は世界注視の中で1961年4月11日にエルサレム地裁で始まった。
アイヒマンの座る被告席は、防弾ガラス張りになっていた。約8ヶ月の審理ののち同年12月15日に
死刑判決が下され(これはイスラエル唯一の死刑判決である)、翌年5月31日、絞首刑が執行された。
アイヒマンの死体は彼の希望通り火葬にされたが、遺骨はイスラエルの領海外の海中に投じられた。

 

●サイモン・ヴィーゼンタールは、フランスやオーストリアの抵抗運動組織から表彰され、「オランダ自由勲章」や「ルクセンブルク自由勲章」を授けられた。

国連による最高の表彰を受けたほか、1980年にはジミー・カーター大統領に「金の特別勲章」を授与された。1986年には、フランスの「レジオン・ドヌール勲章」も受章している。


1977年には、サイモン・ヴィーゼンタールの業績を称えて、アメリカのロサンゼルスに「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」が創設された。

このセンターは、ナチ戦犯の追跡調査ばかりでなく、「啓蒙組織」としての顔も持っている。

このセンターが運営する「寛容の博物館(Museum of Tolerance)」は、非ユダヤ人を中心とする学生に、ナチスのユダヤ人迫害を理解してもらうためのガイド・コースが設けられていて、博物館を訪れた人々は、館内の資料や展示によって、ナチスの残虐さについて理解を深めることができるように作られている(毎年40万人以上の人が訪れるという)。

※「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」は、ニューヨーク、シカゴ、ワシントン、トロント、パリ、エルサレムにもオフィスを開設している。

 


「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」が運営する
「寛容の博物館(Museum of Tolerance)」=ホロコースト博物館

※ センターが運営するこの博物館は、1993年2月にロサンゼルスに設立された。
館内は「マルチメディア資料室」「公文書資料室」「ホロコースト・セクション」の
3つに分かれており、コンピュータを活用したマルチメディアや実際の展示品
などによって、ナチスの残虐さについて理解を深めることができるように
作られている。年間40万人を超える来館者があるが、このうち
約15万人は学校の授業で訪れる子供たちだという。



「寛容の博物館」の内部
(ガス室を模した学習ルーム)

 

 


 

■■第2章:「マルコポーロ廃刊事件」後に開かれた極秘セミナーの実態


●アメリカだけでも会員が40万人を超える「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」の影響力は、計り知れないものがある。

「SWC」の力を日本人に知らしめたのが、冒頭で紹介した「マルコポーロ廃刊事件」である。

 


(左)1995年1月26日『朝日新聞』
(右)1995年1月30日『日本経済新聞』

 

●実は、この事件には後日談がある。

「マルコポーロ廃刊事件」後の、1995年5月24日~26日までの3日間、文藝春秋西館地下1階ホールで「ユダヤ人理解のためのSWCセミナー」が極秘に開かれた。

このセミナーには、『マルコポーロ』編集部員全員を含む文春の社員約130人が強制的に集められ、「SWC」側からは副館長のアブラハム・クーパー、D・ランデス、元ブルネイ大使のアルフレッド・バリッツァー博士の3人のユダヤ人(ラビ)が講師として参加した。

極秘だったこのセミナーの内容は、『週刊現代』(1995年7月8日号)がスッパ抜いて詳しく報道したため、多くの人に知られるようになった。


●この秘密裏に行われたセミナー会場の壁には、それこそ隙間がないほどホロコーストを非難するポスターがびっしりと貼られていたとのことである。まさに一種異様な雰囲気……。

このセミナーは1日目、2日目は午前9時30分から午後5時、最終日は午前9時30分から午後1時30分まで、食事時間を除いてぶっ通しで行われ、それこそシオニスト・ユダヤ人による洗脳教育のような内容だったとのことである。

いずれの日にも映画が上映され、その後3人のユダヤ人講師が講義を行ったという。

そして、肝心の『マルコポーロ』の記事に対する具体的な反論などは一切なく、ホロコーストの歴史、反ユダヤヘの批判、ユダヤ文化やイスラエルの風土紹介を行うだけの一方的なものだった、とのことである。


●この極秘セミナーに参加したある文春社員は次のように述べた。

「とにかくひどいものでしたよ。午前中は英語の映画を字幕なしで延々と見せられ続ける。それでもホロコーストやアウシュヴィッツの記録ならまだ見る価値があるかもしれませんが、中には、イスラエルが生んだ偉人たちを次々に映し出したり、ヘブライ語の愛国歌を延々と流すような明らかな政治的プロパガンダ映画もあった。

アブラハム・クーパーらの講義にしても、具体性に欠けるユダヤ至上主義丸出しの一方的なプロパガンダですしね。

リビジョニストに対して批判する際も、彼らの論理のどこが間違っているのかについての指摘は一切なく、ひたすらその経歴がいかに怪しいものであるかを強調するだけであった。私自身は当初、『マルコポーロ』の記事について批判的だったのですが、セミナーのせいで逆に、『ガス室』についてもユダヤの情報操作があった可能性を捨てきれなくなったほどです……」

 


イスラエルの国旗

 

●この文春社員が述べているように、3人のユダヤ人講師による3日間のセミナーの中で、ユダヤ独特の選民思想の色濃い発言が繰り返し連発されたという。

それは以下のような発言だったという。

「日本人とユダヤ人はそっくりで、共通の敵を持っている」

「日本人はユダヤ人に近づきつつある」

「世界には、我々のような誇りを持っていない人種もいるのだ」

↑これは明らかに他民族への人種差別としか言い様のないものであった。

 

文芸春秋社の幹部は「SWC」により、徹底した
“歴史教育”を施された。しかしその内容はユダヤ
独特の選民思想の色濃いものだったという。

 

●このようにして3日間のセミナーが、無事に終わったわけではなかった。

1人の、それも『マルコポーロ』の編集者の下で右腕とされていた人物が、2日目の午後に「SWC」に対して猛抗議したという。

「私は今回の記事で解任されたものの一人である。なぜ、あなたがたは『マルコポーロ』に直接抗議せずに広告主に圧力をかけたのか。これは卑劣で恥ずべき行為だと私は考える」

「あなたがたは『マルコポーロ』廃刊は、文春が自主的に反省した結果と考えているかもしれないが、それを信じるほど私はナイーブではない。私は編集者になって18年になるが、この間、最も大事にしてきたのは、言論には言論で対抗するという原則である。間違っても暴力や言論以外の力で対抗するべきではない。

しかし、それをあなたがたは守らなかった。

こうしたあなたがたの卑劣で恥ずべき行為こそが新たなファシズムを招き、第2のアウシュヴィッツに繋がるのではないか」

「もう一度聞く。なぜ反論しなかったのか。必要なのは事実であり、プロパガンダではない。あなたがたの行為こそがネオナチである!」

※ この発言が終わったとき、セミナーの中にいた文春社員の一人は次のような感想を持ったという。「私は彼の発言を聞き終わり、彼に対して拍手したい気持ちで一杯だった」



●猛抗議した文春のベテラン編集者に対する「SWC」幹部のバリッツァー博士の答弁は、こうだったという。

「SWCの圧力を暴力というなら、暴力は必ずしも恥ではない。アメリカでは日常茶飯事のことである。アメリカの独立はボストン茶会事件(1773年)でのボイコットから始まった。アメリカではこの様な圧力は道徳にかなっており、質疑応答と同じくらい正しい行為とみられているのだ」



●ところで、文春はこのセミナーを開くために、「SWC」に多額の献金をしたという。さらに彼らのための航空運賃、ホテル代、その他接待のために膨大な資金を使ったという。

このように、文春は完全屈服の道を選んだのだった。

文春側としては、取り決め通りセミナーを開き、このセミナーをもっておひらきにしたかったのだろう。


●しかし、「SWC」による日本のジャーナリズム界への圧力はこれだけでは終わらなかった。

ますます勢いづいていくことになる……。

 


「SWC」のシンボルマーク

 

 


 

■■第3章:「SWC」に全面謝罪した『週刊ポスト』とテレビ朝日


●1999年10月、『週刊ポスト』(小学館)に掲載された「長銀『われらが血税5兆円』を食うユダヤ資本人脈ついに掴んだ」と題する記事に対しても、同様の抗議が行われた。

「SWC」のアブラハム・クーパーが、「『週刊ポスト』へ広告を掲載することは、同誌の芳しくない記事に貴社を関係させることになる」として、松下電器産業、トヨタ自動車、日産自動車、本田技研工業、マツダ、サントリー、キリンビール、住友商事の8社に対し、同誌への広告掲載の中止を求めたのである。

 


『週刊ポスト』(小学館)
1999年10月15日号

 

結果的に『週刊ポスト』側は、世界の主要新聞への謝罪広告掲載という「SWC」側の条件を撤回させ、『週刊ポスト』誌上および『週刊ポスト』のインターネット上での全面謝罪と、『週刊ポスト』が出稿している新聞での謝罪で一件落着。

「マルコポーロ廃刊事件」と同じく「ユダヤ人理解のためのSWCセミナー参加」も義務づけられた。

※ 幸いなことに『週刊ポスト』の廃刊は免れた。



●この「SWC」の逆鱗に触れた『週刊ポスト』の記事には、どのようなことが書かれていたのか?

問題となった記事の全文はここで読める↓

長銀「われらが血税5兆円」を食うユダヤ資本人脈ついに掴んだ
http://chougin.tripod.com/991015po.html

※ 結局、長銀は約8兆円もの日本国民の税金が投入されたあげくに国有化され、アメリカのハゲタカ・ファンドであるティモシー・コリンズ社長率いる「リップルウッド」(=ユダヤ系の投資会社)にバナナの叩き売りのような、たったの10億円という破格値で売却されたのである。


●ついでに、『マルコポーロ』廃刊の原因となった記事もネットに出回っている↓

戦後世界史最大のタブー、ナチ『ガス室』はなかった
http://yiori.tripod.com/nogas/marco0.html

※ このガス室否定の記事を書いた医師・西岡昌紀氏は、「ガス室大量殺人」を完全否定しながらも、「ドイツが罪のないユダヤ人を苦しめたことは明白な歴史的事実である」と書いている。参考までに。



●「SWC」による日本ジャーナリズム界への圧力はさらに続いた。

2001年10月15日、テレビ朝日の番組「スーパーモーニング」でコメンテーターとして出演していた川村晃司氏(元カイロ支局長)が、アメリカの炭疽菌事件に関連して、「アメリカのメディアを支配しているユダヤ人を狙ったものではないか」という趣旨の発言をした。

すると「SWC」が即座に反応し、「その内容は全くの虚偽だ。『支配している』という部分が、ユダヤ人差別につながる」と猛抗議した。

 


テレビ朝日の番組「スーパーモーニング」

※ コメンテーターとして出演していた川村晃司氏が、
問題発言したとして、「SWC」はコメントの取り消しと
訂正、川村氏の降板などをテレビ朝日に要求してきた

 

コメントの取り消しと訂正、川村氏の降板などを要求されたテレビ朝日は、「番組も川村自身も反ユダヤの意図は全くなかった。しかし、彼の発言が視聴者らに誤解を与えたことは極めて遺憾だ。誤解を解くために番組内で対応する」という内容の書簡を「SWC」に送った。

そして翌月5日の放送で、川村氏は「限られた時間内での私の発言が誤解を招いてしまったことは遺憾である」と釈明したほか、イスラエルのイツァーク・リオール駐日大使による、「ユダヤ人への偏見が生まれる」背景などの説明が放送された。

 


(左)番組の中で謝罪する川村晃司氏(2001年11月5日)
(右)続いて登場したイスラエルのイツァーク・リオール駐日大使

 

 


 

■■第4章:「SWC」と「創価学会」の連携


●ところで現在、「SWC」は「創価学会インターナショナル(SGI)」と連携している。

池田大作(会長)が最初に「SWC」のロサンゼルス本部を訪れたのは1993年1月である。この時、「SWC」は池田大作に対して「国際寛容賞(人類愛国際賞)」を贈り、池田大作を称えた。

そして、この訪問を機に「SWC」と「SGI」は連携し、「ホロコースト展」の日本での開催の準備が始められた。そして、戦後50年の1995年8月15日、「ホロコースト展」が広島の国際会議場で開催されたのである。

 


「創価学会」の池田大作会長



「SWC」と「創価学会インターナショナル」が協力して、
1995年8月15日、広島で開催された「ホロコースト展」

※ 8月24日まで開催され、入場者は8万人を越えた

 

●この「ホロコースト展」のオープニングには、「SWC」のマービン・ハイヤー館長、アブラハム・クーパー副館長、ジェラルド・マゴーリス事務長、アルフレッド・バリッツァー博士らの一行が列席した。

マービン・ハイヤー館長は「SWC」を代表して次のようにあいさつした。

「本日、ここに『ホロコースト展』広島展が開幕の運びとなりましたが、これは創価大学の皆様、並びに創立者・池田大作SGI(創価学会インターナショナル)会長のひとかたならぬご尽力で実現したものです」

 


「SWC」のマービン・ハイヤー館長

 

●「ホロコースト展」が無事成功に終わると、翌1996年には「SWC」による「マキグチ記念人権講演会」がスタートした。その第1回に招待を受けた池田大作は、「SWC」が運営するロサンゼルスの「寛容の博物館」で記念講演を行った。

参加した識者からは、「池田氏の闘争に強く心を揺さぶられました。人間の権利、そして平和のために、世界で繰り広げておられる『限りなき闘争』に、教育で『人類愛』『兄弟愛』を分かち合う──この一点こそが池田氏の講演の魂でしょう」などの感想が寄せられた。

※ ちなみに現在、創価大学はヘブライ大学と提携している。



●ところで「マルコポーロ廃刊事件」が起きた時、「SWC」の背後で「創価学会」が暗躍していたという情報がある。それによると『マルコポーロ』の記事を最初に「SWC」に告発したのは、「創価学会」の信者だったという。

また、『マルコポーロ』廃刊号には、ガス室の記事と並んでもう1つ重大な記事が掲載されていた。それは、「徹底調査・新興宗教に入っている有名人一覧」という記事である。

この中で、創価学会に入信している有名人がリストアップされていたのである。(この記事の中では創価学会の日蓮宗破門も詳しく報じられていた)。


●そのため、『マルコポーロ』が廃刊になったのは、ガス室の記事よりも、この有名人信者の「一覧リスト」が原因だったとの見方がある。

その『マルコポーロ』廃刊号に掲載されていた「新興宗教」の
記事はここで見ることができる↓
http://yiori.tripod.com/ref/yuumei1.html



●ところで現在、「SWC」は「統一協会」とも友好関係を結んでいる。

「統一協会」は、1982年にアメリカで新聞『ワシントン・タイムズ』を創刊したが、イスラエルのシオニズム活動を熱烈に支持し、最近ではイスラエルの右派リクードを支援している。

教祖である文鮮明は、次のような言葉を口にしている。

「2012年までには神の摂理のすべてを完成させなければなりません。イエス様が2000年前に受け入れられずに失敗したすべてを蕩減(とうげん)しなければならない。キリスト教徒はユダヤ人と共にそれを成し遂げなければならない。

私は私の100%の力を投入し、イスラエルを救うために歩む覚悟でいます。すべてのアメリカ人が目覚め、そのことのために働かなくてはなりません。皆さんもそのようにお願いします。皆さん、キリスト教の指導者はキリスト教の統一のために働いて、それを成し遂げてください!」

 


「統一協会」の教祖・文鮮明

 


※ 追加情報:「SWC」と「公明党」の幹部が会談(2001年3月15日)

2001年3月、「公明党」の神崎武法代表は、国会内で「SWC」のアブラハム・クーパーらと会談し、第二次世界大戦中の歴史的事実を調査する「恒久平和調査局」を設置する法案(国立国会図書館法改正案)の早期制定について要請を受けた。

また、「アメリカ創価大学」のアルフレッド・バリッツァー博士(元ブルネイ大使で現在SWCの幹部)は、次のように述べたという。

「公明党は在日外国人への地方選挙権付与や、歴史教科書問題で努力されていると聞いた。この法案成立にも尽力してほしい」

※『公明新聞』掲載より(集合写真あり)
http://www.k-shirahama.jp/report/post_66.html

 

 


 

■■第5章:「SWC」とアイリス・チャン


●ところで、「SWC」は広島・長崎の原爆投下についてはどのような見解を持っているのだろうか? ナチスのホロコーストに匹敵する悲劇だと思っているのだろうか? アメリカが犯した「戦争犯罪」だと思っているのだろうか?


●前章で紹介した広島での「ホロコースト展」に参加した「SWC」の関係者たちは、式典の中では、もっぱらアウシュヴィッツの悲劇を強調していたようで、原爆の悲劇についてどう思っていたのかは明らかにはされていない。

しかし、ここに「SWC」の主張と活動を知る上で、非常に興味深い取材記事がある。

『新潮45』(2000年12月号)に掲載された、『特別インタビュー「ユダヤは怖い」は本当ですか? 「SWC」のアブラハム・クーパー副館長に聞く』という新潮社編集部の取材記事である。


●この取材記事の中で、「SWC」の副館長であるラビ、アブラハム・クーパーは、南京虐殺事件と原爆投下について驚くべき見解を披瀝している。

取材記事の一部分を下に掲載しておくが、これは日本人にとっては看過することのできない内容であろう。

 


(左)『新潮45』(新潮社)2000年12月号
(右)「SWC」の副館長であるラビ、アブラハム・クーパー

 

〈南京虐殺事件に関して〉

◆編集部:「SWC」は『ザ・レイプ・オブ・南京』を書いたアイリス・チャンをサポートしていると報じられています。けれど、彼女の本には多くの間違いがあることが指摘されています。

◆クーパー:アイリス・チャンだけではなく、本多勝一氏を招いてフォーラムを開きました。多くのアジア系アメリカ人の活動家がこのフォーラムに参加してくれました。

◆編集部:アイリス・チャンと本多勝一という人選はあまりに偏っています。否定派は招かないのですか?

◆クーパー:センターとして色々オープンな形で受け入れるけれども、「犠牲者はわずかに3、4万人」というようなことを口にする人を講師として招くことは、絶対にしません。


〈原爆投下に関して〉

新潮社編集部の「第二次世界大戦で人類に対する明らかな犯罪が2つあったと思います。ひとつはホロコースト、もうひとつは原爆投下です。その責任追及を『SWC』がする予定はないのでしょうか?」の質問の中で、次の問答がある。

◆編集部:原爆による無差別爆撃の事実は明らかで、これは戦争犯罪ですから、アメリカの戦犯追及を考えるべきです。

◆クーパー:率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は原爆投下は戦争犯罪だと思っていません。

◆編集部:それは納得できません。非戦闘員の殺害は明らかに戦争犯罪じゃないですか。

◆クーパー:ノー。戦争というのは非常に悲惨な出来事なわけですけれども、2つの原爆を落としたことで、戦争が終わったという事実はあるわけです。もしトルーマンが原爆を落とさなければ、さらに多くの死傷者が出たでしょう。

 

●上の取材記事からも分かるように、「SWC」に代表されるシオニスト・ユダヤ人勢力は、自分たちのホロコースト体験は世界に向けて盛んに宣伝するが、他民族が体験したジェノサイド(ホロコースト)に対しては無関心(冷淡)のようである。現在、パレスチナで進行中のホロコーストに対しても冷淡で、むしろユダヤ人によるパレスチナ人の虐殺を積極的に支持している有様だ。

「SWC」を「平和・人権団体」と呼ぶ人がいるが、「SWC」は非ユダヤ人の平和・人権に関しては無頓着だといえる。その偽善ぶりに、最近では、「SWCはホロコーストを商業化している!」として、一般的なユダヤ人からも批判が出ている(この件に関しては別の機会に詳しく触れたい)。



なお、「SWC」は90年代半ばから在米の「チャイナ・ロビー」と組んで、日本人をターゲットにし始めている。

上の取材記事の中でも触れられているが、「SWC」の副館長であるアブラハム・クーパーはアイリス・チャンの熱烈な支持者である。

 


(左)アイリス・チャン(中国系アメリカ人)
(右)彼女の著書『ザ・レイプ・オブ・南京』

この本はそもそも反日プロパガンダのために書かれた
センセーショナルな俗悪本であるだけでなく、90ヶ所に
及ぶおびただしい誤りがあり、「ニセ写真」の間違いも数多く
指摘されている。ところが彼女は自分の著書の修正を認めようと
しない。そのため、日本語訳の刊行は無期延期となっているが、
アメリカでは50万部を超えるベストセラーとなっている。
※ 追記:この本の日本語訳が2007年に刊行された。

 

1998年4月末、ワシントンの斉藤邦彦・駐米日本大使が、アイリス・チャンの著書『ザ・レイプ・オブ・南京』の内容に対して、「非常に不正確な記述や一方的な見解が多く、事実誤認や曲解もある。ああいう本が出され、ある程度注目を集めていることは幸せではない」と強く批判したところ、「SWC」は斉藤大使あてに抗議文を送りつけてきた。

しかし、斉藤大使はその後の記者会見の中で、『ザ・レイプ・オブ・南京』の内容は「不正確で一方的なところがある」と改めて指摘。「日本政府が謝ろうとしない」などとするアイリス・チャンの主張は、事実に反すると強調した。そして、「日本政府としてアクションをとることは今、考えていない」と語り、直ちに抗議などの行動をとる考えはないことを明らかにした。

 


斉藤邦彦・駐米日本大使

彼がアイリス・チャンを批判したところ、
「SWC」は彼あてに抗議文を送りつけてきた

 

●これに対してアイリス・チャンは斉藤大使に「テレビ討論」をやろうと挑戦状をつきつけ、波紋が広がる中、翌月(1998年5月)、村山富市前首相(当時)が戦後の日本の首相経験者として初めて南京入りし、「南京大虐殺記念館」を訪問。

この時、「一時期、日本軍の侵略によって、中国やアジア諸国の皆さんに多くの損害や苦痛を与えた事実は厳粛に受け止めなければならないと思う」と発言した(1998年5月24日)。

 


第81代総理大臣 村山富市

1998年5月に戦後の日本の
 首相経験者として初めて南京入りし、
「南京大虐殺記念館」を訪問した



南京にある「南京大虐殺記念館」



(左)記念館の外壁には「30万」という数字が目立つように掲げられている
(右)記念館の内部(展示は写真がほとんど)


※ この「南京大虐殺記念館」には村山富市、海部俊樹、土井たか子、野中広務、管直人などが揮毫(きごう)したり、花を掲げたりしている写真が現在も一緒に展示されており、あたかも日本の政府がこの記念館の展示を認めたかのような印象を訪問者に与える形になっているという。

また、この「南京大虐殺記念館」では日清、日露、第一次世界大戦など日本が関与したすべての戦争は、日本の「侵略戦争」とされているという。

中国政府は、日中友好などといいながら、近年もどしどし「抗日記念館」を作りまくっており、1997年には「日本暴行館」が北京の「中国人民抗日戦争記念館」にでき、2000年には50億円ものお金を投じて、廬溝橋地区に「中国人民抗日戦争記念彫刻塑像公園」を作り、「南京大虐殺記念館」は北京オリンピックに合わせて、数億元を投入して拡張工事されるという。

 

●また、ちょうどこの時期(1998年6月)、アメリカのクリントン大統領が歴史的な中国訪問を実行し、こともあろうに中国を「戦略的パートナー」として扱い、米中両国首脳が口を揃えて日本の経済政策を非難したのである。

このクリントン政権(民主党)は多くのユダヤ人がブレーンとして参加していたことで知られているが、彼らはアジアの経済・安全保障に関して、今後は日本ではなく中国と手を結ぶ姿勢を示したのである。


※『ワシントン・ポスト』の有名コラムニストであるユダヤ人リチャード・コーエンは、クリントン政権の中にどれほど多くのユダヤ人が存在するかを明確に列挙している。

例えば、ロバート・ライシュ労働長官、ローレンス・サマーズ財務次官、ミッキー・カンター通商代表と後任のバシェフスキー代表、グリックマン農務長官、ロス中東特使と後任のミラー特使、バーガー国家安全保障担当補佐官、ホルブルック国連大使、また彼らの応援団といった存在のジェフリー・サックス(ハーバード大学教授)など、みなユダヤ人であるという。

また、オルブライト国務長官やコーヘン国防長官もユダヤ人であるという。

 


(左)第42代アメリカ大統領ウィリアム・クリントン
(右)歴史的な中国訪問を実行し、江沢民国家主席と
会談するクリントン大統領(1998年6月)

 

●6月26日付『ニューヨーク・タイムズ』紙に載った「中国の活力、日本の愚鈍」と題する論文は、次のように書いた。

「クリントン大統領の歴史的な中国訪問の真の意味は、アジアに対する見方を根本的に変えることである。この地域における地政学的リーダーは、もはや日本ではなく中国なのだ。」


※ この訪中時にクリントンは日本には立ち寄らず、中国に9日間も滞在した。このクリントン訪中は、「ジャパン・バッシング(日本たたき)」ならぬ「ジャパン・パッシング(日本素通り)」、「かくも無力な日本」というイメージを象徴することになり、これに対し日本外交はなすすべを知らなかった……(当時、バブル崩壊で自信を喪失していた日本の自尊心をいたく傷つけた)。

 

 

そして、クリントン訪中から約2ヶ月後の1998年8月17日、「東京KDD会館ホール」において、ロサンゼルスの「SWC」本部とインターネットで繋いだ「テレビ会議」が行われた。

この会議には、日本側から元731部隊の隊員2名、南京大虐殺の証言者1名、そして元特務機関員1名の計4名が参加し、ロサンゼルスの「SWC」本部に控える学者、ジャーナリストとそこに集まった300人の聴衆に向かって日本の戦争時代の罪業を切々と語ったのである。(この「テレビ会議」にアメリカの日本政府代表は正式に参加を要請されたがこれを拒否している)。


●この「テレビ会議」の主催者である「SWC」のアブラハム・クーパーは次のように発表し、日本政府を批判した。

「ここで申しておかなければならないことは、『サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)』では、斉藤邦彦・駐米日本大使に対して、正式にこの会議への招待状を送り、今日のパネルに参加を要請したということである。しかし、予想はできたことであるが、その招待は拒否された。ここではっきりと我々は、アメリカの日本政府の代表に参加を求める招待状を出したということを確認しておくことは大切なことだと思う。日本政府が南京大虐殺を正面から向かい合おうとせず、逃げ腰であることは明らかである」

 


「SWC」の副館長であるラビ、
アブラハム・クーパー

 

 


 

■■第6章:親中反日路線を強めつつある「SWC」


●ところで、1990年代に入ってから、「SWC」のアブラハム・クーパー「731部隊」の賠償についてのキャンペーンを展開し、アメリカ司法省は1996年12月、「731部隊」や従軍慰安婦動員に関与したといわれる旧日本軍関係者を入国禁止処分にした。

戦後50年以上たってからの突然の決定は日本国内でも波紋をよんだ。

1999年10月には、アブラハム・クーパーは、リノ司法長官や国防総省のヘンリー陸軍次官補と会談し、小渕首相に対して、日本政府が保管している「731部隊」の機密資料の公開や、同部隊員らに対する戦犯容疑での訴追免除を撤回するよう求めたことがニュースになった。

 


第84代総理大臣 小渕恵三

 

●この時、アブラハム・クーパーはマスコミに対して次のように語った。

「731部隊はすでに故人となった関係者は多いが、生き残りの関係者は今も、戦時中の自らの行為を反省していない。アメリカ政府が免責処分の誤りを認めることが、日本に反省を促すきっかけになる」

 

 

●また、アブラハム・クーパーは、日本の戦争責任について、1999年4月26日付の『ロサンゼルス・タイムズ』紙に次のような記事を載せている。

「ナチス・ドイツの大量虐殺をおこなった犯罪者を追及したサイモン・ヴィーゼンタールのようなナチ・ハンターがいなかったらどうだろう。もしアメリカがその恐ろしい実験結果と引き換えにアウシュヴィッツの虐殺医師ヨーゼフ・メンゲレを免責したらどうだろう。あるいは、戦後のドイツがナチスの息のかかった上層部の医師を国立医療センターに配属したり、主要な医学校の学部長にしたり、新しいドイツ防衛軍の軍医総監に任命したらどうだろう。

そんなことはありえない、と皆さんは言われるだろうか。二流の作り話か三流小説だと思われるだろうか。しかし、そうではない。私が今申し上げたことはまさに戦後の日本の反省なき幹部の犯罪者たちの現実なのです。彼らの行為はその残虐性と堕落の程度においてナチス・ドイツに決して劣るものではない。そして、信じがたいことだが、私は最近日本の戦争犯罪者から誘われて彼の家を訪問し戦時中の役割を満足げに話すのを聞いてきた。

私は神戸近くに住む76歳になる元気な溝渕俊美氏にお会いして2時間半のインタビューをした。彼は今も元気で数百人に上る日本軍731部隊の同窓会幹事をしている。731部隊といえば第二次世界大戦以前から戦時中にかけて満州において秘密裏に(その実態は今では明らかになっているが)生物化学兵器の生体実験をおこなった部隊である。〈中略〉

ドイツはメンゲレらによる恐怖に正面から立ち向かっているが、日本が731部隊の石井中将や溝渕氏の犯罪を認めるには時間が経ちすぎている。反省して過去を悔いている一部の元兵士を含めた日本の活動家の努力にもかかわらず、若者に歴史の全体像を教えようとしない今の日本政府は半世紀に及ぶ虚像の壁をいまだに維持しつづけている。〈中略〉

日本は自己感染した健忘症から目を覚まさなければならない。東京で開催される国際歴史委員会によって修正主義と軍国主義の宣伝がなくなり、嘘のない歴史の真実の追究がおこなわれることを希望する。そうならないと日本の隣人アジア諸国が、日本は過去の戦争から教訓を学びとり、信頼に値する国家となったという確信ができるまでには相当の時間がかかるだろう。

中立国だと宣言していたスウェーデンやスイスでさえも第二次世界大戦を省みてその過ちを見る勇気を持つにいたったのである。日本はスウェーデンやスイスよりも罪が軽いと言えるだろうか。日本は国連の常任理事国の席を希望しているが、東京が国際的な政治と経済においてリーダーシップを望むのであれば、それにふさわしい道徳的責任を世界に果たさなければならないだろう。

 


「SWC」の副館長であるラビ、
アブラハム・クーパー

※ アイリス・チャンの熱烈な支持者で、
親中反日活動を展開している(韓国寄りの
立場で従軍慰安婦問題も扱っている)

 

●現在、アメリカだけでも会員が40万人を超える「SWC」の影響力は、計り知れないものがある。親中反日路線を強めつつある「SWC」は、日本人にとっては要注意のシオニスト組織であるといえよう。

 

─ 完 ─

 


 

■■おまけ情報:『ヒトラー選挙戦略』絶版事件


『ヒトラー選挙戦略』絶版事件を覚えている方はいるだろうか?

この事件は、「マルコポーロ廃刊事件」の前年(1994年)に起きたのであるが、実はこの事件にも「SWC」が関与していた。


この時、問題となった本は、当時「自民党東京都支部連合会」の広報部長だった小粥義雄氏が、1994年4月に出した『ヒトラー選挙戦略 ─ 現代選挙必勝のバイブル』(千代田永田書房)という「選挙指南書」である。

小粥氏は、ヒトラーの政治宣伝の手法を参考にして、本の中で選挙の心構えを説いたのである。しかし、「ヒトラーを正当化しすぎている」として、イスラエル大使館や「SWC」が猛抗議してきたため、絶版・回収となったのであった(1994年6月13日)。

 


抗議を受けて絶版・回収となった選挙指南書
『ヒトラー選挙戦略』小粥義雄著(千代田永田書房)

※ 随所にヒトラーのかわいいイラストが入っていた

 

●とりあえず、この事件について書かれた当時の新聞記事を下に載せておきたい↓

 


1994年6月14日『朝日新聞』


── この記事の内容 ──

 

ヒトラー冠した選挙本

 

批判続出で絶版に

 

自民東京都連の広報部長が著者


自民党東京都支部連合会の広報部長が出版した選挙指南書『ヒトラー選挙戦略 ─ 現代選挙必勝のバイブル』(千代田永田書房)が13日、絶版にされることが決まった。著者は「ヒトラーを正当化するつもりはなかった」としているが、ヒトラーを肯定的に取り上げた内容に、イスラエル大使館などから批判が集中。

「政府や自民党にも迷惑をかけた」と、著者、自民党都連、出版社で絶版を決めた。店頭の本もできるだけ回収するという。

著者は小粥(おがい)義雄・自民党都連広報部長(45)。「来春の統一地方選挙を念頭に、あくまでも個人の考えとして、選挙戦に臨む心構えや戦略を示した」と話す。

本は冒頭、「短期間に国論を統一、政権を奪取して第三帝国を建設したヒトラーは、現代選挙を考えるうえで、とても重要な教えを私たちに示している」「大衆の側に立って、大衆の声を聞き、大衆の心に訴えた政治手法は、混迷の時代、大衆文化時代の今日、『ピタリ』とあてはまる政治戦略」とうたい、「ヒトラーの残した独裁政治、ユダヤ問題など歴史的評価は後世に譲る」としている。

そして「後援会組織」「戦う運動員」「宣伝の役割」「女尊男卑の精神」「きれいな資金」などの章立てで、選挙の戦い方を解説。各章にヒトラーの著書『我が闘争』などからの引用文を掲載。ヒトラーのキャラクターイラストや、ハーケンクロイツ(カギ十字)をデザイン化したカットをちりばめている。

4月20日付で数千部出版されたが、小粥氏によると、出版記念パーティーには自民党のほか、新生党、日本新党、連合の関係者も出席したという。

これに対し、今月10日、イスラエル大使館のヤコブ・ケイダール参事官らが自民党都連を訪れ、秋葉信行都連事務局長らに不快感を表明した。

さらに、ナチスの戦争犯罪を追及している在米のユダヤ人団体「サイモン・ヴィーゼンタール・センター」が、イスラエルの日本大使館に出版の中止を求める抗議文書を送付。

ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストにも取り上げられ、国際問題に発展しかねない情勢になってきたため、絶版を決めたという。


1994年6月14日『朝日新聞』

 

 


 

■■おまけ情報 2:米国任天堂に抗議したユダヤ人団体


1999年12月、人気アニメ「ポケットモンスター(ポケモン)」の日本語版カードゲームに印刷された「卍(まんじ)」の記号が、「ナチスの『カギ十字』を思い出させる」とユダヤ人団体から抗議を受け、米国任天堂はこの記号の使用を取りやめることを決定した。

 


問題となったポケモンのカード
※ 右は「卍」の部分を拡大したもの

 

●当時の日本の新聞は、この決定について次のように報じた。

「『卍』は日本製カードゲームの一部に付いているものの、アメリカで製造された英語版にはない。しかし、昨年来ポケモンが大ヒット中のアメリカにはオリジナルの日本語版が輸入され、高値で取引されている。

『卍』はもともと功徳などを表す仏教上の記号だが、『カギ十字』の裏返しの形をしていることから、有力ユダヤ人団体が『西洋では明白に否定的な意味を持つ』と抗議。ポケモンのアメリカでの著作権を統括する米国任天堂は、今後、日本語版からも削除することを約束した。

同社は『日本のカードゲーム制作者は「卍」は肯定的な意味があると信じているが、誤解を招く恐れがあることも理解しており、不幸な事態を避けるため削除に同意した』と説明している。」(1999年12月3日)

 


↑この問題を伝えるアメリカの新聞の記事 

 


↑日本における訓読みは「まんじ」である
(サンスクリット語では「スワスティカ」と呼ぶ)


世界の多くの文化や宗教でシンボルとして
使用されている「卍(スワスティカ)」の語源は
サンスクリット語の「Svastika(幸運)」である。
仏教では「一万の美徳を秘める幸福の護符」として
神聖視する。ナチスのカギ十字は、この美しい
「卍(スワスティカ)」を歪め、逆回転に
用いたものであった。

 

●この時、米国任天堂に抗議したユダヤ人団体は「SWC」ではなく「ADL」だった。

「ADL」の正式名称は「ユダヤ名誉毀損防止連盟」である。

※ この「ADL」の詳細についてはココをご覧下さい。

 

 


 

■■おまけ情報 3:「カギ十字」と日本の関係について

 


『世界の歴史〈14〉第二次世界大戦と独裁者ヒトラー』(学研)

↑長澤和俊氏(早稲田大学教授)が監修したこの「学研まんが」には、
ナチ党のシンボルマークの由来について、上のような説明が記載されている。

※ ちなみにヒトラーはナチ党の党旗について『我が闘争』の中でこう述べている。
「私が自ら数え切れないほどの試行を重ね、赤地に白円、その中央に黒いカギ十字という
最終的な党旗を定めたのだ。長期にわたる試行錯誤の結果、私はまた旗の大きさと
白円の大きさとの決定的な比率、さらにカギ十字の形状と厚みを発見した」



(左)『東京新聞』の記事(2005年1月10日)。上のマークは「少林寺拳法グループ」が
1947年の創始以来使ってきた紋章だが、ナチスの「カギ十字」を連想させるため、新しい
紋章をデザインしたという。この新しい紋章は2005年4月から使用するとのこと。
右の記事も“ナチス連想に配慮”した「卍(まんじ)」関連のニュースである。
「卍」は江戸時代の徳島藩主、蜂須賀家の家紋であるという。


※ ところで大戦中、ナチス・ドイツと同盟を結んでいた日本政府は、
ヒトラーの反ユダヤ主義に同調してしまったのだろうか?

日本人はユダヤ人を迫害したのだろうか?


この問題に興味のある方は、このファイルをご覧下さい↓

ヒトラーの反ユダヤ主義に同調しなかった日本政府

 

 


 

■■おまけ情報 4:ユダヤ人政治思想家ハンナ・アーレントによる批判

 


(左)ユダヤ人政治思想家ハンナ・アーレント
(右)彼女の著書『イェルサレムのアイヒマン ─
悪の陳腐さについての報告』(みすず書房)

米誌『ニューヨーカー』の特派員として
「アイヒマン裁判」を取材したハンナ・アーレントは、裁判を
 「ベングリオンが演出したショーだった」と厳しく批判した。


この問題に興味のある方は、このファイルをご覧下さい↓

シンボルとしての「アイヒマン裁判」 ~ハンナ・アーレントによる批判~

 

 


 

■■おまけ情報 5:『ホロコースト産業』について


●2000年6月に出版された『ホロコースト産業』という本は、国際的な反響を呼び起こした。

ブラジル、ベルギー、オランダ、オーストラリア、ドイツ、スイスなど、多くの国でベストセラーリストに入った。フランスの『ル・モンド』紙は、2ページ全部を費やしてそれを批評し、その他に解説も書かれた。ドイツでは発売後2週間で13万部も売れた。

しかしこの本は、アメリカでは主流メディアから完全に黙殺され続け、9ヶ月でわずか1万2000部にとどまることになった。

 

『ホロコースト産業 ─ 同胞の苦しみを
「売り物」にするユダヤ人エリートたち』
ノーマン・フィンケルシュタイン著(三交社)

 

●この本の著者であるノーマン・フィンケルシュタインは、ニューヨーク市立大学で教鞭をとるユダヤ人社会学者で、ノーム・チョムスキーの弟子である。

フィンケルシュタインの両親はヨーロッパからの移民で、ワルシャワゲットーと強制収容所の生き残りであり、彼によれば、両親以外の親族は、父方も母方も全てナチスによって殺されたという。

 


ユダヤ人社会学者
ノーマン・フィンケルシュタイン

 

●彼が書いたこの『ホロコースト産業』という本は、簡単に言えば、反シオニズムのユダヤ人学者(著者)が、アメリカのユダヤ人エリートたちを「ホロコーストを商売にしている!」として痛烈に批判している本である。(アメリカのユダヤ人エリートたちが、「ホロコースト」を自分たちの私利私欲のため、イデオロギー的・金銭的に利用しているとして告発している本である)。

著者のフィンケルシュタインによれば、「ホロコースト産業」に従事するシオニストたちは、「ホロコーストを脅迫の道具に使い、被害者の数を水増しするなどして多額の補償金を得て」いるうえ、「それが一般のユダヤ人被害者の手に十分渡らず、団体幹部たちの高額の給与や、イスラエルの入植政策などに使われている」という。


●この『ホロコースト産業』という本には、様々なシオニスト組織の名前が登場している。「世界ユダヤ人会議(WJC)」、「ユダヤ名誉毀損防止連盟(ADL)」、「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」、「世界ユダヤ人損害賠償組織(WJRO)」などなど。

※この本に興味のある方はココをご覧下さい
(本の内容を簡単にまとめておきました)。

 

 


 

■■追加情報:アメリカの「民主党」とヒラリー・クリントンについて

 


ウィリアム・クリントン大統領と妻のヒラリー(民主党)

アメリカの「民主党」は伝統的に中国との関係を重視するが、
これは「政権の気質」ともかかわるだけに根が深い。もし将来、
ヒラリーがアメリカ初の女性大統領に就任したら、あらゆる意味
で日中関係は厳しいものになっていく可能性が高いといえる。

※ ヒラリー・クリントンは、アイリス・チャンを熱心に
支援し、反日捏造本『ザ・レイプ・オブ・南京』を支持
している(ヒラリーはアイリス・チャンから証言を
 集め、ホワイトハウスで会談もしている)。


── 推薦文献 ──


(左)政治解説者のアン・コールター
(右)彼女の著書『リベラルたちの背信 ~
アメリカを誤らせた民主党の60年』(草思社)

日系人を強制収容所に送り、ソ連のスターリンの暴虐に目を
つぶり、北朝鮮に色目を使う…。中国や北朝鮮の人権弾圧の実態
は全て隠蔽しながら経済外交関係を強化するのが、クリントン政権
が継承したアメリカ「民主党」の悪しき「人権外交」の実態である。

アメリカの「保守本流」を代表する論客アン・コールターが、旧ソ連の
秘密電報をはじめとする新資料を縦横に駆使して、冷戦前夜から60年
の歴史を再検証。トルーマンからクリントンにいたる歴代民主党政権
の政治判断・外交政策の誤りを厳しく断罪、熱い政治的論議を
呼び、ベストセラーとなった刺激的論争の書である。

 

 


 

■■追加情報 2:アイリス・チャンの死


●第5章で紹介したアイリス・チャンは、1997年11月に『ザ・レイプ・オブ・南京』を出版し、一躍有名人になった。

彼女はアメリカのニュース番組に次から次へとコメンテーターとして呼ばれて、好意的なインタビューを受けていた。


●ある番組でアメリカ人の司会者が彼女に、「それでは、南京での虐殺の被害者は広島の被害者よりも圧倒的に多いのですね?」と質問すると、アイリス・チャンは自信に満ちた声で「イエス!」と答えていた。

その答えを聞いて、司会者は満足そうにうなずいていた。

 


(左)アイリス・チャン(中国系アメリカ人)
(右)彼女の著書『ザ・レイプ・オブ・南京』

※ 彼女は1968年3月にアメリカ合衆国
ニュージャージー州プリンストンで生まれた

 

●自分の書いた本が多くのアメリカ人に支持されて、調子に乗ったアイリス・チャンは、2003年に『ザ・レイプ・オブ・南京』に続く新作『アメリカにおける中国人』を出版した。

しかし、この本は前作とは打って変わって、アメリカ国中で大ブーイングを浴びた。

この本は、初期の中国移民の迫害された歴史を物語風につづり、アメリカ白人を批判する内容だったため、アメリカの知識人たちから「アイリス・チャンの文章は歴史的証拠の裏付けを欠く」と酷評されたのである。

 


アイリス・チャンの新作
『アメリカにおける中国人』

 

●中国問題に関して多くの本を出している宮崎正弘氏は、このアイリス・チャンの新作について次のように述べている。

長くなるが参考までに紹介しておきたい↓


中国と米国が時折、不思議なほどの黙示録的呼吸を合わせて一種の政治陰謀をたくらむ。歴史的結節点とでも言えるときに、そういう奇妙な暗合が見られる。米国があまり豊かではない知恵を絞って発明した「事後法」が第二次大戦後に東京裁判なる芝居で主役を演じ、大東亜戦争を一方的に日本の悪だと裁いた。

論理矛盾をもろともせず、しかも数多くのでっち上げの証言、フレームアップにより日本の印象を悪くすることに躍起だった。広島と長崎への原爆投下は「終戦を早めるためだった」との口実で正当化された。所謂“南京大虐殺”は、何一つ科学的証拠もないままに教科書にまで掲載されるようになった。

国民党の謀略でも都合のいい政治キャンペーンなら共産党は梃子に利用する。右の文脈から派生した政治宣伝が「南京大虐殺」という虚構を、いかにも本物として、歴史を改竄してでも彼らの正当性を吹聴し、日本人をマインドコントロールにかけておく必要があった。中国(と言っても当時の国連代表権は蒋介石)と米国は、ここで“野合”したのだ。

数年前から世界の英語マーケットでアイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』なる政治謀略本が書棚を席巻し、しかも英国の老舗文庫ペンギンブックスにまで入ってロングセラーを続ける。

ところが日本の専門家から「使用されている写真のなかの、およそ90%がでっち上げ写真だ」とする明確な証拠を突きつけられるとアイリスはすごすごと退散。日本語版翻訳は見送りになり、彼女の来日予定も突如中止。「ディベート」を期待していた多くの日本人を失望させた。

そうした曰くつきのアイリスが新著を出したが、なんと全米最大部数の週刊誌『TIME』(8月11日号)が、カラー写真を駆使し、大きなスペースを割いて書評しているのだ。

冒頭にのべた米中両国の奇妙な共闘の再現であるのかも?

しかし「アイリスの文章は歴史的証拠の裏付けを欠く」とタイムの書評欄ではスーザン・ジェイケスから鋭角的な指摘をされている。

彼女の新刊の題名は『アメリカにおける中国人』で、要するに中国人移民の迫害された歴史を物語風につづったもの。今度はアメリカの白人に「いじめっ子」の印象を固定化し、いわばWASP主流に挑んだ形でもある

中国系アメリカ人は苦力(クーリー)として“ゴールド・ラッシュ”に湧く米国へ大量にやってきた。最初の中国人女性はNY博覧会で「見せ物」になった。中国人は教育を受けてもクリーニング屋になるしかなかった。「だから」個人的体験もあるが、「義務感として書かなければならない本だと信じる」とアイリスは情緒的な物言いをしている。

ところが前作のごとく科学的証拠なし、主観だけの宣伝文章の羅列をみれば、歴史書としての価値が低いことは一目瞭然である。

いささかの配慮どころが、チャンの中国史における歴史記述は「愛国ナショナリズム」を獅子吼する大陸中国のそれと同じになり「チベット、ウイグル、モンゴルに関しては五千年前から『中国の領土』だ」とか、浅薄な中華思想、あるいは「ロマン主義に陥っている」とするタイムの結論はこうだ。

「過去の歴史を矯正し、改訂するというけれど、その目的は本書にこそ必要だ」

いくら反日ムードに“ゆるふん”の『TIME』にしても、これほどの酷評を展開した理由は、なんらかの商業的あるいは政治的理由で偽知識人の新刊を紙面に大きく取り上げざるをえないにしても、そこには明らかな心理的抵抗と、幾ばくかの良心があったからだろう。

宮崎正弘の国際ニュース・早読み(2003年8月8日 通巻656号)より
http://www.melma.com/backnumber_45206_1459239/



●このように自分の書いた本が米大手メディアに「事実誤認」などと非難され、歴史研究家としての信頼を失ったアイリス・チャンは、翌2004年11月9日、米カリフォルニア州サンタクララ郡の道路脇に止まっていた車の中で死亡しているのが通行人によって発見された。

銃で頭を撃っており、自殺と見られている。享年36歳だった。

AP通信によると彼女は神経衰弱で入院するなど、鬱(うつ)の傾向が見られたという。

 


アイリス・チャン
(1968~2004年)

※ 夫と2歳の息子を残し、
36歳の若さで世を去った

 

●ところで余談になるが、数年前、筆者はタイにいる知人を訪ねて何回か東南アジアを旅行したのだが、バンコク国際空港の書店に立ち寄った際、目立つように『ザ・レイプ・オブ・南京』が置いてあったので驚いてしまった。

その後、タイ国内で書店巡りをしたが、人通りの多い繁華街にあった10店中7店に『ザ・レイプ・オブ・南京』が置いてあった。たまたま偶然立ち寄った大型デパート内の書店にも、『ザ・レイプ・オブ・南京』が置いてあった。

※ この本は真っ赤な表紙に「レイプ」という白文字が大きく浮かんで見えるから、本当によく目立つ。

 


↑これはタイの書店を撮影したものだが、この店では『ザ・レイプ・オブ・南京』が中央に置いてあった

 

●タイは親日国家で、素敵な王室があり料理もおいしいので大好きな国の一つであるが、最近は韓国系や中国系が増加していると聞いている。

タイ国民が『ザ・レイプ・オブ・南京』の内容を鵜呑みにして、反日思想に染まらないことを願うばかりである…。

※ アメリカのみならず世界中にアイリス・チャンの捏造本がどんどん広まっている現在、日本は何か手を打たないと、将来取り返しのつかない禍根を残す可能性がある。もうマイペンラ~イなんて言ってられない。

 


↑ちなみに、これはタイにあるマクドナルド店の入り口に飾ってあった
 ドナルドの人形。さすが仏教の国、合掌(ワイ)しています(^^;
(ワイとはタイの人が挨拶のときにする合掌のこと)

 

●さてこれも余談になるが、現在、タイには中国系の人間が500万人以上いるという。

タイでは華人の影響が強く、経済界を牛耳っているのは華人・華僑だといわれているが、タイ人との結婚も多くて、タイ人化が進んでいるので、摩擦は少ないという。かつては、国王ラマ6世が「華僑」を「東洋のユダヤ人」だと批判したことがあるそうだ。しかし、現代ではそういう批判が表に立つことは少ないという。

「華僑」とは居住国の国籍を取っていない者を指し、「華人」とは居住国の国籍を取った者を指す。

 

 


 

■■追加情報 3:「ナチス狩り」の闇(2005年2月)

 


(左)2005年2月4日に「国家安全保障公文書館」が明らかにしたCIAの歴史資料の表紙
(右)ナチス・ドイツの情報機関の最高幹部ラインハルト・ゲーレン少将

※ 彼は戦後、CIAと協力して「ゲーレン機関」を組織した。
メンバーの中には逃亡中のナチ戦犯も含まれていた。


この問題に興味のある方は、このファイルをご覧下さい↓

米CIA、ナチス・アイヒマンを知りながら隠し通す ─ 米機密文書で明らかに

 

 



── 当館作成の関連ファイル ──

ワシントン最強の親イスラエル圧力団体「AIPAC」 

ヘブライ大学のユダヤ人教授は語る「大戦中、日本は世界一の民主国だった」 

アメリカの原爆開発計画と「原爆ホロコースト」の実態 

ユダヤ難民に冷淡だった欧米諸国 

 


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