ホロコーストの舞台裏

 


ホロコーストに関する論議は絶えないが、
ホロコーストはドイツ一国だけの責任ではないと思う。

ヨーロッパのキリスト教社会全体の問題として
捉えないと「全体像」が見えてこない。

 ホロコースト問題の根は深い…。

 
ユダヤ難民に冷淡だった欧米諸国
■読む■
 
ナチスとバチカン
~教皇ピウス12世の沈黙~
■読む■
 
ナチスとスイスの協力関係
■読む■



アウシュヴィッツ収容所

「アウシュヴィッツ」はドイツ名であり、ポーランド名は「オシフィエンチム」。
現在のポーランド領オシフィエンチム市郊外に位置する。「アウシュヴィッツ収容所」は
「第一収容所」、「第二収容所(ビルケナウ)」(1941年建設)、「第三収容所(モノヴィッツ)」
(1942年建設)に区分され、それ以外に38の「外郭収容所」や「付属収容所」があった。
「第一収容所」はポーランド軍兵営の建物を再利用したもので、SS長官ヒムラーの指令
により1940年4月に開設され、最初の囚人はポーランド人政治犯だった。



アメリカ軍が戦時中にアウシュヴィッツを上空から撮影した写真(1944年)

 
ホロコーストの謎
公式に否定された絶滅収容所
「ダッハウ収容所」
「400万人」が「150万人」に
訂正された「アウシュヴィッツ記念碑」
チフスにかかって病死した
アンネ・フランク
「ガス室」はあった? なかった?


ナチス・ドイツは第2世代の毒ガス「タブン」「サリン」「ソマン」を
世界に先駆けて完成させていた。しかし、ヒトラーはこれらの毒ガスを
 戦争で使用することも、ユダヤ人の殺害に使用することもなかった。

 なぜヒトラーは使えるはずの化学兵器を使用しなかったのか?

この問題に興味のある方はココをご覧下さい。

 


 

ユダヤ人の迫害史
古代ローマ帝国と
ユダヤ人の悲劇
ユダヤ人の迫害史
(~19世紀末)
ヒトラーの反ユダヤ政策(年表)

 

 

…… 結局、ヒトラーとは何者だったのか? ……


上で紹介したように、ナチスが登場するまで、ヨーロッパ社会全体が
ユダヤ人を毛嫌いしていた。ナチスは結果的にキリスト教ヨーロッパ社会の
「対ユダヤ政策」の総仕上げを行ったのである。(結局彼らはヨーロッパ社会
の「ユダヤ人問題」を中東のアラブ世界に押し付けてしまったのだ…)。

現在のヨーロッパ社会の「ナチス断罪」には、ナチスをスケープゴート
にして、「ユダヤ人差別」を打ち止めにしよう、という動機が含まれて
いるという。(ドイツは戦後、「ナチズム」の教訓から、ネオナチは
もとよりホロコーストについても言論を厳しく統制し、疑義を
 はさむ事さえ法律で「禁止」してしまった…)。



ある国際政治学者は、次のように述べている。

「ユダヤ人虐殺を命じたアドルフ・ヒトラーという人間は、
人類史上最大の極悪人ということになっているが、ヒトラーとは何者
だったのか、と考えた場合、ヨーロッパ全体を覆っている光のあたらない
残り半分の『闇の部分』を不可避に担当した人間だったのだ、と考える
ことができる。このように考えることで、私なりに少し納得がいく。

もし、物事を『善悪』『正しい、間違い』ではなく、『事実』だけから
冷酷に見ようとするならば、このように考えるしか他に思いつかない。

ナチス=ヒトラーとは、ヨーロッパ人全ての無意識の、闇の
部分の必然が生んだ産物であった。だから、彼一人を
悪者扱いにして、人種差別反対を叫べば、それで
よい、ということだけにはならない」



ヒトラーが1936年に立てた計画では、1938年に
オーストリア、チェコスロバキア、ポーランドを併合、そして
後にソ連を占領し、作戦は1943年に終了する予定になっていたという。
しかもその間、イギリス、フランスは無干渉でいるだろうと計算していたらしい。

そして、ヒトラーが計画していた「ユダヤ人問題の最終的解決」とは、
「ユダヤ人の絶滅」ではなく、ユダヤ人たちを「東方地域へ移住」
させることだったという。しかし、戦局の悪化により、
計算が狂ってしまった、というわけだ。

◆ ◆ ◆

※ 現在では、ホロコースト研究の「正史派」の
学者の間でも、当初からヒトラーが「ユダヤ人の絶滅」
を計画していたとする「意図派」はすでに劣勢で、当時の
ヒトラーに「ユダヤ人の絶滅」の意図はなく(ユダヤ人の
国外追放のみが目的であり)、戦局の悪化とともに
飢餓や伝染病などでユダヤ人が死亡したとする
「機能派」が主流となっているらしい。

 

 

ナチス・ドイツの
「優生政策」の実態
■読む■
 
ナチス・ドイツの
「東方植民政策」の実態
■読む■



ヨシフ・スターリン

最近の研究によって、ソ連のスターリンもまた
ヒトラーと同じように「ユダヤ人問題の最終的解決」を
図ろうとしていたことが明るみに出ている。つまりスターリンは
ユダヤ人たちの集団流刑の計画を立てていたのである。

詳しくは、このファイルをご覧下さい↓

 
ソ連・東欧諸国でのユダヤ人虐殺
~知られざる第二次世界大戦の悲劇~
■読む■



↑独ソ両国にとっての「共同草刈り場」となったポーランド(1939年)

※ 共産主義を標榜するスターリンと反共のヒトラー、この本来結びつくはずのない両者は
1939年8月突如として「独ソ不可侵条約」を締結して世界を驚かせた。この条約によって、
ドイツはソ連の中立を確保したため、安心してポーランドに侵攻することができるようになった。
(締結からわずか1週間後の9月1日、ドイツはポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発した)。

今日、その責任はすべて一方的にポーランドへ侵攻したヒトラーにありとされている。しかし、
ドイツ軍がポーランドに突入したとき、宣戦布告のないままスターリンの軍隊もポーランドに
入ってきたのである。しかもドイツ軍によってワルシャワが完全に破壊されてしまうまで
スターリンの軍隊は一歩も動かずに静観していたのだ。いわばポーランドは、
独ソ両国にとっての「共同草刈り場」となったのである。


ホロコーストは「焼き殺す」という意味を持つが、
壊滅寸前の日本に対する“炎の絶滅兵器”の使用は、
まさに「原爆ホロコースト」と呼ぶにふさわしい
アメリカが犯した「戦争犯罪」であった。

詳しくは、このファイルをご覧下さい↓

 
アメリカの原爆開発計画と
「原爆ホロコースト」の実態
■読む■
 
上海と満州のユダヤ難民を
保護した日本
■読む■


「シオニズム」(別名 Zion主義)とは、
パレスチナにユダヤ人国家を建設しようという思想で、聖地
エルサレムの「シオン(Zion)の丘」にちなんで名付けられた。

「シオニズム」の活動家たちは、当初、「民なき土地に、土地なき民を」
をスローガンとしていたが、パレスチナを「民なき土地」にするためには、
そこに暮らしている人々を追放し、あるいは殺すことが必要であった。

現在のイスラエル政府の「シオニズム」は、 人種差別的な
イデオロギーと軍事思想に基づいているといえる。

ここでは、一般に知られていないユダヤ国家
建設の「闇の歴史」を紹介したい↓

 
ナチスとシオニストの協力関係
~知られざるシオニズム運動の闇の歴史~
■読む■
 
在米のシオニスト組織「SWC」と
『マルコポーロ』廃刊事件
■読む■



(左)アドルフ・アイヒマンSS中佐 (中)アイヒマンの
右腕だったアロイス・ブルンナーSS大尉 (右)戦後CIAと協力
して「ゲーレン機関」を組織したラインハルト・ゲーレン少将

 
ナチス狩りの闇
シンボルとしての「アイヒマン裁判」
~ハンナ・アーレントによる批判~
『ホロコースト産業』について
米CIA、ナチス・アイヒマンを
知りながら隠し通す
~米機密文書で明らかに~
 
ネオナチの暗躍
アメリカでくすぶる
白人至上主義勢力の実態


── 関連書籍など ──

 


夜と霧 新版
V・フランクル著

「ジプシー収容所」
の記憶

金子マーティン編

ナチスになった
ユダヤ人

M・スケイキン著
 




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