No.a6fhc611

作成 1998.2

 

アメリカの極秘文書が伝えるヒトラーの意外な素顔

 

●一般にヒトラーは「キ○ガイ」の代名詞であり、“20世紀最大の悪魔”とも称せられる。

ヒトラーは性的変質者で睾丸がひとつしかなかったなどとまことしやかに言われ、彼が精神異常者であるという印象はごく自然に多くの人に受け入れられている。

 


アドルフ・ヒトラー

ヒトラーは1889年4月20日、
オーストリアのブラウナウで生まれた。
1933年に43歳の若さでドイツ首相に選ばれ、
翌年に大統領と首相を統合した「総統」職に就任した。

 

●ナチスの迫害を受けていた精神分析学の創始者であったユダヤ人ジークムント・フロイトは、ヒトラーを「狂人がなにをしでかすか予想できない!」の一言で片付けてしまったように、 ナチス第三帝国崩壊後、多くの精神医学者もヒトラーを「精神病」と見なしてきた。

 


ジークムント・フロイト

「精神分析学」を創始した
オーストリア生まれのユダヤ人。
1938年にナチスに追われてイギリスに
亡命したが、翌年、ガンで亡くなった。

 

●SS長官ハインリヒ・ヒムラーのマッサージ師ケルステンは、「ヒトラーは脳梅毒(進行麻痺)であった」という噂を流した。

しかし、ヒトラーの主治医モレルは1940年の梅毒検査でヒトラーは陰性であった、とヒトラーの脳梅毒説を否定している。

 

 

●ところで、アメリカの国家記録保存所には「ヒトラーのメディカル・レポート」が保管されている。

これはアメリカ陸軍ヨーロッパ司令部情報部によって作成されたもので、1972年になってようやく極秘取り扱い解除されたものである。

それによると精神面に関するデータは次の通り。


【A】 時間、場所、人間に関しての認識 = <優>

【B】 過去、現在における出来事についての記憶力 = <優>

【C】 数字、統計、名前などの記憶カ = <優>

【D】 ヒトラーのバックグラウンドは大学教育の欠如というハンデがあったが、
    それを彼は読書を通して得た莫大な知識で十分に補った。

【E】 時間や空間についての判断力 = <優>

【F】 まわりの環境に対する反応 = <ノーマル>

【G】 気分が変わり易いところもあるが、平均して協調性があり、集中力は抜群

【H】 感情的には変化し易い。好き嫌いがはげしい

【 I 】 思考構造は一定の継続がある。話し方は早くなく遅くもない。
    常につじつまの合う話をする。

【J】 ヒステリー性はなし、健忘症なし。

【K】 妄想や恐怖性なし。

【L】 幻覚、幻想、偏執狂的徴候はなし。


●これを見る限り、ヒトラーという人間はごくノーマルであるばかりでなく、ある面では普通の人より秀れていたということになる。

アメリカ政府はこの情報を1945年に得ていたのだが、27年間極秘扱いとして誰にも見せなかったのであった(一説にはヒトラーのIQは150近くあったという)。

 


1972年になってようやく極秘取り扱い解除された
「ヒトラーのメディカル・レポート」

 

●以下、参考までに、戦後のニュルンベルク裁判の法廷で、ナチス要人が語ったヒトラー像を挙げておたい。

この3人とも誇り高きドイツ貴族出身の軍人であり、貧民街から登場したチョビひげの政治家に、最初から心服していたわけではなかった。しかしヒトラーは、そんな人物まで相手の専門分野の知識で圧倒し、やがてはその人格的影響下に置いてしまったようである。


◆ドイツ海軍最高司令官カール・デーニッツ大将は語る。

「ヒトラーは異常な知性と行動力を持ち、まさに普遍的といってよい教養と力を放射する性格をそなえ、恐るべき暗示力をもった人物だった。

私は総統本部に出入りしないほうが、自分の力を温存できるような気持ちがしたので、たまにしか足を運ばなかった。それに何日も総統大本営に滞在したあとは、ヒトラーの暗示力を洗い落とさなければならないという感じがした」


◆ヴィルヘルム・カイテル元帥は、ヒトラーの軍事知識に驚嘆している。

軍事問題についての知識は驚くべきものがあった。ヒトラーは世界の全ての陸海軍の組織、武装、指導部、装備に精通しており、ひとつといえども誤りを指摘することはできなかった。

したがって我々は、あの人は天才にちがいないと思ったのだ。軍の単純なありきたりな問題ですら、自分は教えるほうではなくて教わるほうであった」


◆国防軍最高司令部部長アルフレート・ヨードル大将も語る。

「ヒトラーは並々ならぬ大きさを持った指導者としての人格をそなえていた。誰と何について議論しても彼の知識と知性、雄弁と意志が最後には勝利を占めた。

論理と冷静な思考、しばしば来たるべきものを予知するその不思議な能力──。

彼は決して虚言や大言を弄するだけの男ではなく、巨大な偉人であった。最後には地獄的な巨大さにまでなってしまったが、ともかく1938年までは無条件に偉大な人物だった」

 

 


●また、敵味方を問わず「ドイツ軍最高の軍人」、もしくは「20世紀最高の戦略能力の持ち主」と評されていた、ドイツ国防軍のエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥は、ヒトラーとたびたび衝突して、ヒトラーに批判的だった。

しかし、彼ですら次のように認めている。

「ヒトラーは驚くべき知識と記憶力、技術問題と軍需のあらゆる問題についての創造的な想像力を持ち合わせていた。敵や自国の新兵器の威力、生産量についても信じがたいほどの知識を持っていた。

彼が軍需の分野で、その理解力並外れたエネルギーをもって、多くのものを推進したのは間違いない」

 


ドイツ軍最高の名将と名高い
エーリッヒ・フォン・マンシュタイン

 

●かの有名な天才エンジニアのフェルディナント・ポルシェ博士も、ヒトラーの記憶力の良さにはびっくりしていたようである。ポルシェ博士の息子であるフェリー・ポルシェは、実際に見たヒトラーの印象と父親の反応について自伝の中にこう書き記している。

 


ポルシェ博士と息子のフェリー

ポルシェ博士(1875~1951年)は
ナチス・ドイツの時代、ヒトラーの支援のもと、
理想の小型大衆車「フォルクスワーゲン」の開発を
実現させ、同時にミッドシップ方式を採用した画期的な
レーシングマシンである「Pワーゲン」の開発にも成功。

1900年代から30年代にかけて自動車史に残る傑作車を
 多数生み出した(第二次大戦中は戦車の開発にも従事した)。

 

ヒトラーは一旦、興味を持ち始めると、基本的にもまた、細部についても、彼の理解力は驚嘆に値するほど速かった

ナチズムそのものは、私の考え方とは真っ向から対立するものだった。けれども、人間の行動という点から公平に言うならば、ヒトラーの“ビヘイビア”(ふるまい)は正確そのものといわざるを得ない。特に、父に対する態度でみるかぎり、そう認めざるを得ないような気がする。

金ピカのにわか将官の側近連中とは違ってヒトラーは決して傲慢な態度をとらなかった。側近の多くはホウロウ材質で表面を幾分似せていたようだが、頭脳の中身はまったく異質のもののようだった。

ヒトラーは、決して、愚問を発したり、的外れの質問をしない。まったく逆だ。勉強には苦労を厭(いと)わないのだった。

だから、一生懸命になって父のフォルクスワーゲンを理解しようと努力していた。技術的に細部にわたって多種多様な質問をしてくるのだった。その質問は全て的を射ていた。ヒトラーは、ある箇所を変更させるつもりだったらしいが、それにもかかわらずメジャー・チェンジを提案しなかった。確かに質問の内容から判断して、技術的に細部にわたって相当研究しているように見えた。

さらに驚くべき点は、彼の記憶力の良さだった。ヒトラーの記憶力は抜群だった。彼の記憶力の良さには父も驚いてしまったほどだ。

 


↑ヒトラーが実際に描いたラフスケッチ

「このような車を作って欲しい」とポルシェ博士に依頼した。
フォルクスワーゲン(国民車)はヒトラーによる「国民車構想」と
ポルシェ博士のアイデアが融合して実現していくのである。



(左)ポルシェ博士が設計したフォルクスワーゲン(国民車)
(右)開発中のフォルクスワーゲンの試作モデルを
 見ながら語り合うポルシェ博士とヒトラー
 ※ この車の詳細はココをクリック

 

●以上ここまでで、世間で一般に流布されているヒトラー像とは違うヒトラーの実像が見えてきた。

しかし、ヒトラーが精神的にそれほどおかしな人間でなかったのならば、一体、彼をあそこまで駆り立てたものは何だったのか? 大きな疑問が残ってしまう。

ワーナー・メイザーという高名なヒトラー研究家は次のように言っている。

「ヒトラーの反ユダヤ主義が、いかに展開し継続していったかを概観して説明するのはさほど困難ではない。

しかし、なぜヒトラーのような並外れて我意が強く、才能があり、数多くの書物を読み、広い知識を持っている人間が、このような恐るべき迷信(反ユダヤに到る考え)に囚われてしまったのかという問いに答えることは容易ではない」

 

 

●ちなみに、ヒトラーの側近であった者たちは、ヒトラーの大きな「欠点」のひとつとして、彼が何を考えていたのか皆目わからなかったという点を挙げている。

心の奥底を明かさない人間を、どうして『知っている』と言えようか」と、ヒトラーの側近の1人はニュルンベルク裁判でヒトラーについて語っている。

さらに、「私は今日になっても、彼が、何を考え、何を知り、何をしようとしていたのかがわからない。それが何であったのかは、私が考えたり想像したりできるだけなのだ」と述べている。

 

 

●「ヒトラーに友人がいたというのなら、私は間違いなくその1人だろう──」。ヒトラーの側近の1人としてきわめて多くの時間を彼と過ごしただけではなく、彼のもっとも興味を引いた分野、建築学における気に入りの仲間であったアルベルト・シュペーアはこう語っている。

「ヒトラーほど感情をめったに表さない人間はいない。それに、いったん表したとしても、すぐさまそれを覆い隠してしまうのである」

 


アルベルト・シュペーア

建築家出身で、建築好きのヒトラーに
気に入られ、1942年2月に軍需大臣に任命された。
合理的管理組織改革によって生産性を大幅に向上させ、
敗戦の前年の1944年には空襲下にも関わらず
最大の兵器生産を達成した。

 

●アルベルト・シュペーアはまた、ヒトラーと打ちとけられたと感じられる瞬間についても、かつて副官ルドルフ・ヘスが口にしていた言葉通りだったと証言している。

「我々はやっぱり幻滅せざるをえなかった。私たちのどちらかが少しでも親しげな調子で話そうものなら、ヒトラーは直ちに厚い壁を造りあげてしまうのだ……」

 

 

●青年時代のヒトラーの唯一の親友だったアウグスト・クビツェクも、次のように語っている。

「アドルフ(ヒトラー)は内向的な性格で、誰にも立ち入らせない精神領域を常に持っていました。彼には理解不能な秘密があり、私にとっても多くの点は謎のままでした。

しかし、その秘密のいくつかを解く鍵がありました。それは美への熱狂です。ザンクト・フロリアン修道院のような壮麗な芸術作品の前に立つと、私たちの間のあらゆる障壁が崩れ去るのです。熱狂しているときのアドルフはとても打ち解けやすくなり、私は友情がさらに深まったように感じました」

 


(左)青年時代のアウグスト・クビツェク(ヒトラーの唯一の親友だった)
(中)戦後、ヒトラーとの交際について回想録をまとめるクビツェク
(右)出版された回想録『我が青春の友 アドルフ・ヒトラー』


──芸術家を目指していたヒトラーが描いた絵──


ヒトラーは「青年時代」の1908年から1914年の
間だけで、およそ2000枚もの絵を描いた

※ 彼の画風は古典的な写実調だった

 

●またクビツェクは、当時のヒトラーについて次のように語っている。

「アドルフはいつも本に囲まれていました。本のないアドルフを思い出すことはできません。

アドルフの読書法は興味深いものでした。彼にとって一番重要なのは、目次や概要節なのです。それからようやく読み始めるのですが、それも最初から順番どおりに読むのではなく、いきなり核心部分を読むのです。そしてこの方法で得た知識は、彼の中でちゃんと整理され、しかるべき記憶場所に格納されるのです。その知識は、まるで読んだばかりのように、正確に記憶され、使うときがくるまで待機しています。もう彼の頭の中に記憶場所は残っていないのではないか、と私は何度か思いました。しかし、宮廷図書館から持ち帰った知識は、全部ちゃんと頭の中に入っていました。

大量の知識を得ることによって、彼の記憶力はますます冴え、いつも宿題に苦しんでいた私から見れば、それはまさに奇跡でした。彼の脳内には、宮廷図書館がまるごと入っているようでした。〈中略〉

彼は膨大な数の本を読み、得た知識を優れた記憶力のおかげでしっかりと自分のものにしました。彼の知識は他の20代の若者の水準をはるかに越えていました

ウィーン時代のアドルフから、私は次のような印象を受けました。つまり、彼は自分のまわりに山と積んだ本から何か特定の事柄、たとえば活動の基礎や指針を探し求めようとしたのではなく、その反対に、無意識のうちにかもしれませんが、すでに自分の中に活動の基礎や指針として存在するものを本によって再確認しようとしたのです。したがって、『ドイツ英雄伝説』を除けば、彼にとって読書とは啓発というよりも、自己確認の意味合いの方が強かったのです。

ウィーンで彼は数え切れないほどの問題に取り組み、私もそれらに付き合わされましたが、よく彼は議論の後に何かの本を取り出して、勝ち誇ったようにこう言いました。『それ見ろ、この本の著者も僕と同じ考えだ!』と」

 


ひとり静かに物思いにふけるヒトラー

※ 普段はナイーブで内気な性格だったという

 

●ところで、あのエヴァ・ブラウン(自殺直前にヒトラーと結婚)も、日記に次のように記している。

「ヒトラーは時々、異常なほど内気になる。きっと過去の嫌な体験からきているのだろうと思うけど、あの人の内気さは普通じゃない。とくに人前に出ると、内気な自分を悟られまいと必死になっている。

私にはそれが手に取るように分かる。トイレに逃げ込みたくなるほどおびえているのかもしれない。どうしてあれほど自制するのだろう? うぶな娘のように振る舞うのだろう?」

 


エヴァ・ブラウン

 

●また、彼女は「ヒトラーはとにかく謎めいている。何かを隠そうとしている。そこがとても薄気味悪い」と記している。

彼女によれば、1937年冬のある日、ヒトラーは目をギラギラと輝かせながら、「天才と狂人」について次のような謎めいた話をしたという。

天才は普通人とは異なる精神領域で生きている。天才はときどき普通人の精神世界に舞い戻る。だが、もし戻れないと、普通人の目には狂人に見えるのだ。ヘルダーリンやネロのように。天才はたいがい限界というものを感じない。危険というものを感じない。

私は自分を知っている。シェークスピアが自分を知っていたように。彼の十四行詩を読めば、それが分かる。シェークスピアは2つの領域を行ったり来たりした。穏やかな人物でありながら、それをやってのけた。情熱的な私なら、難なく2つの領域を行き来できる」

※ エヴァ・ブラウンは日記の中で、この時のヒトラーの眼はとても薄気味悪く輝いていて、まるで燃えているようだった。本当にこの時のヒトラーの表情には背筋がぞっとしたと記している。

 

青年時代からヒトラーの存在感は強烈だったらしく、彼を
記憶する人々は口をそろえて、その異様な雰囲気を描写している。

「射るような眼」「催眠術師の眼」「狂気に近い異様に澄んだ眼」などなど…

 

●ところで、エヴァ・ブラウンは同じ日記の中で、ヒトラーの意外な一面を書いている。

彼女によると、ヒトラーは「美容」に関して専門家を驚かせるほどの知識を持っていたそうだ。

水曜の夜。私は本当に感心してしまった。なにしろ、スパルタ気質のあの人が美容師に、どうやったら女は若さと美しさを保てるか、と延々と説いていたのだから。とにかく、美容についての知識の深さにはびっくりした。

この前、私はあの人から化粧クリームをもらった。それが効くのかどうか、私には分からない。でも、あの人からもらった以上、絶対に使い切らなければならない。それにしても、クリームといっしょに渡されたあのメモには本当に目を疑ってしまった。なにしろ、週に二度は仔牛の新鮮な生肉で夜の洗顔パックをすること、週に一度はオリーブオイルの風呂に入ること、もっとも大切な部分はバストとヒップ、と書いてあったのだから。

たしかに、あの人は美容の専門家だと思う。達人とさえ呼べる。〈中略〉

私はこの頃しみじみと思う。あの人の言うことは何でもかんでも正しくなる、と。

たまに変に思えたりするけど、結局、それが変じゃなくなる。人々があの人を信じるから、そうなるのだろうとは思うけど、もしあの人が、太陽は地球の周りを回っている、と宣言したら、どうなるだろう。やっぱりドイツ人たちはみなすぐに信じるのだろうか……」(エヴァ・ブラウンの日記/1938年1月)

 


 ミュンヘンの党本部食堂にて(1933年)

 

●最後になるが、かの有名な「レーム事件」(1934年)を題材に戯曲『わが友ヒットラー』(新潮社)を書いた三島由紀夫は、巻末の「自作解題」でこう書いている。

参考までに紹介しておきたい。

 


(左)三島由紀夫 (右)彼が「レーム事件」を
描いた作品『わが友ヒットラー』(新潮社)

 

「『わが友ヒットラー』は、アラン・ブロックの『アドルフ・ヒトラー』を読むうちに、1934年のレーム事件に甚だ興味をおぼえ、この本を材料にして組み立てた芝居である。〈中略〉

粛清後、ヒトラーが不眠症にかかり、心労の果てにやつれたというのは実話のようで、まだ『人間的な』ヒトラーがヒトラーの中に生きていた時期の物語である。

国家総動員体制の確立には、極左のみならず極右も斬らねばならぬというのは、政治的鉄則であるように思われる。そして一時的に中道政治を装って、国民を安心させて、一気にベルト・コンベアーに載せてしまうのである。何事にも無計画的、行きあたりばったりな日本は、左翼弾圧からはじめて、昭和11年の2・26事件の処刑にいたるまで、極左極右を斬るのにほぼ10年を要した。それをヒトラーは一夜でやってのけたのである。

是非善悪はともかくヒトラーの政治的天才をこの事件はよく証明している。」

 


(左)アドルフ・ヒトラー
(右)「突撃隊(SA)」司令官レーム

レームはヒトラーの最も古くからの同志で、
ヒトラーと肩を並べるほどの実力を持っていた。
レームはヒトラーに向かって「ドゥ(おまえ)」と
呼ぶことが許されていた唯一のナチ党員であった。

しかし、レーム率いるナチスの「突撃隊(SA)」が
急速に力をつけ、「ドイツ国防軍」との間に深刻な摩擦
を起こし始めると、ヒトラーはこの対立問題が権力基盤の
危機を招くと判断し、レームとSA幹部らを粛清した。

※ この「長いナイフの夜」と呼ばれる「レーム事件」
 により、ヒトラーは「国防軍」との関係を修復した。

 

●そして三島由紀夫は続けてこう書いている。

「ずいぶんいろんな人に、『お前はそんなにヒトラーが好きなのか』ときかれたが、ヒトラーの芝居を書いたからとて、ヒトラーが好きになる義理はあるまい。正直のところ、私はヒトラーという人物には怖ろしい興味を感ずるが、好きか嫌いかときかれれば、嫌いと答える他はない。

ヒトラーは政治的天才であったが、英雄ではなかった。

英雄というものに必須な、爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けていた。ヒトラーは、20世紀そのもののように暗い。」

 


↑ヒトラーが宝にしていた「一級鉄十字章」

ヒトラーは第一次世界大戦で授けられた
この勲章を大変名誉と考えていた。彼が終生誇りを
持って着用した勲章はこの「一級鉄十字章」のみであった。
(通常それは彼の左胸のポケット付近につけられていた)。

※ 豪華な服装を身にまとい、その胸間を数多くの勲章で飾り
立てていた国家元帥ゲーリングと比べ、ヒトラーはその
服装および着用する勲章に関しとても控えめで
質素であったことで知られている。

 

 


 

■おまけ情報:ナチスの幹部は高知能集団だった!? ─ IQについての私的考察


●戦後、連合軍がナチ戦犯に心理テストを行った結果、驚いたことに彼らナチス高官たちは知能的には非常に優秀で、一部の幹部に関しては天才並みの突出したIQ(知能指数)を有していたことが明らかとなっている。

 


連合軍による「ニュルンベルク裁判」の様子(1945年11月)

この国際軍事裁判はナチスの党大会の開催地だったニュルンベルクで開かれた。
史上初の「戦争犯罪」に対する裁判で、12名のナチス高官に死刑判決が下された。

 

●一般にIQの平均値は100で、120を超えると秀才、140を超えると天才とされる。秀才の比率は2%以下、天才は0.4%以下だと言われている。

※ 参考までにナチ戦犯の知能指数を載せておきたい↓
(ちなみにドイツ国民の平均はIQ99で、日本の東大生の平均はIQ120)


<ナチ戦犯の知能指数>

■IQ143 ヒャルマー・シャハト

■IQ141 アルトゥル・ザイス=インクヴァルト

■IQ138 ヘルマン・ゲーリング

■IQ138 カール・デーニッツ

■IQ134 フランツ・フォン・パーペン

■IQ134 エーリヒ・レーダー

■IQ130 バルドゥール・フォン・シーラッハ

■IQ130 ハンス・フランク

■IQ130 ハンス・フリッチェ

■IQ129 ヴィルヘルム・カイテル

■IQ129 ヨアヒム・フォン・リッベントロップ

■IQ128 アルベルト・シュペーア

■IQ127 アルフレート・ローゼンベルク

■IQ127 アルフレート・ヨードル

■IQ125 コンスタンティン・フォン・ノイラート

■IQ124 ヴァルター・フンク

■IQ124 ヴィルヘルム・フリック

■IQ120 ルドルフ・ヘス

■IQ118 フリッツ・ザウケル

■IQ113 エルンスト・カルテンブルンナー

■IQ106 ユリウス・シュトライヒャー


The Nazi Defendants in the Major War Criminal Trial in Nuremberg
http://law2.umkc.edu/faculty/projects/ftrials/nuremberg/meetthedefendants.html

 

上記のリストを見る限り、ナチ戦犯は優れた頭脳の持ち主が多く「ナチスの幹部は高知能集団だった」と言っても差し支えないだろう。

しかし、同時にこの知能検査によって「知能の高さと人格(徳性)の高さは比例するわけではない」という事実も浮き彫りになったといえる。

※ 代表的で分かりやすい例は、上記のリストの中でカール・デーニッツと並んで第3位の知能の高さであったナチスの国家元帥ヘルマン・ゲーリングである↓

 


ナチスのナンバー2だった
ヘルマン・ゲーリング

IQは138もあったが、
虚栄心が強く傲慢な性格であった。

ヒトラーに惹かれてナチ党に入党した彼は、
秘密警察ゲシュタポと強制収容所の設立に関わり、
ナチスの航空相、経済相、国家元帥など要職を歴任した。

※ 大戦中はケガの治療の際に使用していたモルヒネの中毒症状で
全くの役立たずに等しい状態であったが、ニュルンベルク裁判時には
米軍の医師による治療のおかげでモルヒネ中毒を克服し、それまでとは
別人のように饒舌かつ雄弁な態度でむしろ戦勝国側すらも圧倒した。
判決は絞首刑で、これに不服だった彼は処刑直前に服毒自殺した。
(彼の死体は廃棄処分され、その灰は川に投げ捨てられた)。

 

●参考までに、ナチスの軍需大臣だったアルベルト・シュペーア(前出)はゲーリングについてこう語っている。

一番堕落していたナチスの高官という不名誉は、ゲーリングに与えなければなるまい。彼は大泥棒だった。ヨーロッパの美術館の作品を略奪して自分のコレクションに収め、国家の財産を使って贅沢な私邸を建て、広大な国有地を自分専用の猟場にし、大企業家を相手に多額の賄賂を強要していた。公正を期すために言えば、ゲーリングは人間的な魅力と優れた知性を備えていた。彼は『魅力的な盗賊』と言ってもよかった」

 


アルベルト・シュペーア(IQは128)

 

●ところで、一般に「知能の高さ」とは「知覚情報を処理する能力の高さ」を意味しており、知能が高いからといってもその人が高潔な人格の持ち主とは限らない。また、知能が高いからといってもその人が社会的な成功を収めるとは限らない。

事実、並外れた知能が必ずしも傑出した業績につながらないことは学術的調査で明らかになっている。

有名なのがスタンフォード大学の心理学者ルイス・ターマン博士の研究で、高いIQを持つ子供たちが成人後に成功しているかどうかを長期間にわたって追跡調査した結果、「IQと社会的な成功は関係がない」ことが明らかになっているのだ。

 


スタンフォード大学の名誉教授ルイス・ターマン博士

IQの概念を作った心理学者で「才能教育の父」と呼ばれている。

博士はアメリカ国内のIQ140以上の天才児1500人余りを対象に、
彼らがその後の人生でどの程度成功したかを長期間にわたって追跡調査をした。
結果、ほとんどは実社会でそれほどの成功を収めていないことが判明したという。

また博士は多くの天才を長年に渡ってサポートしたが、大多数が「普通」と呼ばれる
職業につき、期待外れの仕事をしていたという。しかもサポートしなかったIQの
高くない2人が、その後ノーベル賞を取ってしまったそうだ。博士はこうした
事実を踏まえて「IQと社会的な成功は関係がない」と結論づけている。

 

またこのルイス・ターマン博士によると、ある分岐点を超えてIQが高くなると、かえって現実生活では上手くいかなくなるという。その分岐点とはIQでいうと120。それを超えると、友達と仲良くなれなかったり、創造性が発揮できなくなってしまうとのことだ。


●ある日本の心理学者によれば、飛び抜けた知能の持ち主は感情や主観を切り離して思考するため、普通の人からは冷酷な人とか不愉快な人というネガティブな評価をされることがあるという。

また、普通の人とは会話が成立しにくくて大勢からの理解や共感も得にくく、小さい頃から変わり者扱いされて孤独を味わうケースが多いという。さらに人間の欠点や社会の矛盾点などが嫌でもたくさん目についてしまうため(普通の人よりも鋭く気付いてしまうため)、不満やストレスを溜め込みやすく一般社会では生きづらく感じる人が多いという。


●また、知能が高い人の特徴として、自分が興味のある事柄に関してはどんどん学習し、他の人よりも遥かに深いところまで学んでしまえるが、自分が興味のない事柄に関してはとことん無関心で、無理に学ぼうとしても集中力や学習意欲が極端に落ちてしまうことが多いという。

そのため、他人からすれば重要な問題であっても、本人にとって興味や必要性がなければ何度聞いても全く覚えていなかったり、そもそも聞いていなかったりすることもあり、その結果、仕事や日常生活、人間関係などに支障が出ることさえあるという。(青年時代のヒトラーはまさにこのような傾向が色濃く出ていた)。


このようにIQが高いからといっても「万能な人間」とは限らないし、場合によっては「社会に適合できない人間」として不遇の人生を送るケースもあるので、IQだけでその人物の全てを判断するような真似はせず、ひとつの参考程度に捉えておくのが賢明といえよう。

 

 



── 当館作成の関連ファイル ──

青年時代のヒトラーの歩み ~「芸術家」から「政治家」の道へ転進~ 

意外にも評価が高かった初期のヒトラーの政治手腕 

ヒトラーの日本観と日独交流秘話 

 


▲このページのTOPへ




  HOMEに戻る資料室に戻る

Copyright (C) THE HEXAGON. All Rights Reserved.