No.b1fha802

作成 2000.9

 

アレイスター・クロウリーと英独の“占星術戦争”

 

●自分を「獣666」──キリスト教時代に終わりをもたらす魔人だと確信していたアレイスター・クロウリー

彼は第一次世界大戦を、「古い時代を破壊する血の洗礼」として歓迎したのだが、その後、もっと破滅的な世界大戦が訪れると予言し、自らは“邪悪な魔術”にふけるようになる。

そのため、社会的な信用を失ってしまうが、その老魔術師にイギリス軍情報部が協力を要請した。彼を起用するよう上層部に働きかけたのは、あの“007”の作者イアン・フレミングだった。

彼がクロウリーを起用して何を行ったか、当然のことながら書き残してはいない。

が、さまざまな証拠から次のような事実が明らかになっている。

 


20世紀最大と称されるイギリスの
“魔術師”アレイスター・クロウリー
(1875~1947年)

ケンブリッジ大学在学中に「黄金の夜明け団」に
入団。その後世界一周の船旅に出て、神秘主義結社を
開設し、数多くのオカルティズム文献を著述した。

 

●クロウリーは、まずイギリス中の魔女たちを集め、“ヒトラーのイギリス上陸を防ぐ”呪術儀式を行わせた。

第二次世界大戦の最中、何十もの魔女集会が開かれたのだ。目撃者の証言がいくつもある。

結局、ヒトラーはあれほど怒涛の電撃戦をやってのけたのに、イギリス本土侵攻にはついに本気にならなかった。このことについて魔女たちは、「ナポレオンの時と同じことが起きただけ」と語っている。

 


怪しげな衣装をまとったアレイスター・クロウリー

 

次に「Vサイン」がある。

今はすっかり有名になったこのサインは、第二次世界大戦中にウィンストン・チャーチル首相が初めて使用したものである。そして実際、連合軍の士気を高めるのに多大な効果をあげた。

この「Vサイン」=「アポフィスとタイフォンのサイン」を生み出したのは自分である、とクロウリーはその著書で主張している。「Vサイン」はペンタグラムの魔力を応用したものだ──というのだ。

 


(左)公の場で「Vサイン」を初めて使ったのはウィンストン・
チャーチル首相であり、しかもそれには魔術的な意味があった。
(右)魔術で使用される「Vサイン」。シルエットが「悪魔」になる。

 

●ところで、当時、ドイツには、カール・エルンスト・クラフトという天才占星術師がいた。

何人かのナチスの高官たちは彼に心酔していた。ナチス宣伝相ゲッベルスも彼の驚異的な予知能力に注目し、宣伝局の一員として抜擢。ゲッベルスがクラフトに命じたのは、ノストラダムスの『諸世紀』をベースに、ドイツに有利な予言を載せたパンフレットを作ることだった。

オカルトが一大ブームとなっていた当時のドイツで、ナチス帝国がその領土を拡大していくことが、ノストラダムスの予言詩や占星術に出ていると大衆にアピールできれば、ドイツの軍事行動は、まさに「神がドイツ国民に与えた使命」だと信じさせられる、と考えたわけだ。

 


ナチスに協力した天才占星術師
カール・エルンスト・クラフト

 

●ゲッベルスの指導の下、こうして作成されたプロパガンダ用パンフレットが何種類か発行されて出回り、各国語に翻訳され、隠れたベストセラーになった。

※ もっともこれは、「ニセ予言」を書くことを強要されたクラフトにとって、かなり苦痛を伴う仕事であったという。

 


第三帝国を演出したプロパガンダの天才
ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝大臣

 

●その後もクラフトはナチス幹部に重用され、クラフトはドイツ軍の作戦の多くを占星学上から割り出し、指示を与え続けた。

しかし彼は、ドイツ軍の勝利がこのまま長く続くことはないと予知し始めていた。

彼は1940年の時点で次のように告げている。

「ドイツは1942年から43年にかけての冬までは、連勝を収めるでしょう。しかし、その後の星相は最悪です。1942年末までに休戦すべきです」

しかし、この不気味な予言は黙殺された(後にこの発言はクラフト自身に悲劇を招くことになる)。



●ところで、イギリス軍も参謀本部のメンバーとして一流の占星術師ルイ・ド・ウォールを採用していた。

当時、イギリス軍はナチスの指導者たちがオカルトに傾倒していることを察知していた。

もしドイツが占星術によって作戦を練っているのだとすれば、同じ占星術のロジックによって、ドイツの作戦を予測できるに違いないと考えた。彼らはイギリス外務官O・サージェント卿の指揮のもと、「チレア計画」というプロジェクトをスタートさせ、占星術師のウォールにナチスの作戦を逆解読をさせたのである。

※ イギリス軍情報部には、当時、後に魔術小説家として有名になったデニス・ホイトリーなど、何人ものオカルト信奉者がいた。

 


イギリスの軍事顧問として活躍した
占星術師ルイ・ド・ウォール

 

●ウォールの最初の仕事は、ナチスのイギリス本土上陸作戦の「逆解読」だった。

そしてその解読は、見事なまでの成功を収めた。

その後も、ウォールは敵側のクラフトの立てる占星術的戦略を次々と解読していった。

ウォールは、その成果を1941年8月、アメリカのオハイオ州で開催された「米国科学的占星学者連盟」で発表している。ウォールは席上、ヒトラーの作戦と星の運行を比較し、公に「ヒトラーはドイツで最高の占星術師を軍事顧問として抱えている」と断言、さらに敵側の今後の戦略を「逆解読」してみせた。

 

 

●クラフトとウォールの対決は、軍事戦略面のみならず、やがて、プロパガンダの舞台でも繰り広げられることになる。

ドイツ軍に有利なノストラダムスの解釈がクラフトによって作られ、各国にばらまかれて浸透している状況の中で、イギリス軍の参謀本部は、それに対抗するプロパガンダを作成・普及させる使命を、ウォールに与えたのである。

そこでウォールは、ドイツ内部の国民感情を揺さぶるような戦略を展開させる。それは、ドイツ国内に偽造した占星暦を送り込むというものだった。

そのころ、ドイツにはよく知られた「天頂」という占星暦があった。ウォールはその「天頂」のきわめて精巧な偽物をつくり、ドイツ側にマイナスとなる情報を数多く盛り込み、スウェーデン経由でドイツ国内に大量にばらまいたのである。

 


ウォールが、ナチスの
プロパガンダ作戦に対抗して作成し、
ドイツ国内にばらまいた偽「天頂」の表紙

 

偽「天頂」は大成功を収めた。非常に広い層のドイツ人に行きわたり、国民の動揺は静かに広がっていった。

この偽「天頂」の中に記載された情報は、例えばこんな具合だった。

「4月4日、もし船長のホロスコープがよくなければ、海に出ないほうがいい」

「4月20日、Uボートに最悪の事態が発生!」

これらの予言は、当時、最強・最新鋭の装備を持ち、ドイツ軍の誇る戦力だったUボートの乗組員たちの士気をそぐのに、十分な効果をもたらした。



しかし、この“占星術戦争”は、突然、奇妙な形で幕を下ろすことになる。それはヒトラーの片腕といわれたナチスの副総統、ルドルフ・ヘスが起こした「奇行」に端を発するものだった。

1941年5月10日、ヘスは突然、単独でイギリスのスコットランドへ乗り込み、逮捕されてしまったのである。

これには世界が驚いた。

 


ルドルフ・ヘスが行った劇的な飛行に関する
イギリスの新聞の報道記事(1941年5月11日)

ヘスは「イギリスへ行け!」という幻覚的神秘体験を
就寝中に体験したのがきっかけで、チベット仏教の
 お守りを握ったまま敵国へ単身乗り込んだ…。

 

●ヘスはいったい何を考えて、逮捕されると分かりきっている敵国へ乗り込むような愚行を犯したのだろうか?

ヘスはその後、ずっとイギリスの刑務所で過ごしたが(1987年8月に死亡)、彼の「奇行」の真相はイギリス政府が隠蔽してしまい、いまだに全ては謎に包まれたままである。が、ヘスは生前、“星の導き”によってこれを行ったと語っていた。

彼は自分が訪英することで、大戦の行方を大きく変える“奇跡”が起きると信じていたという。

 


ヒトラーの片腕といわれた
ナチスの副総統ルドルフ・ヘス

1941年5月に突然、単独でイギリスへ乗り込み、
世界を驚かせた。彼の「奇行」の真相は
依然として謎に包まれている。

 

●地政学者ハウスホーファーの伝記を書き、当時のヘスをよく知っているヒルデブラント博士はこう証言している(ヘスはハウスホーファーの弟子だった)。

「ヘスは占星術によって、すみやかに敵の意志を改変するために、できることの全てを行わなければならない、と信じるようになったのである。というのも、4月の終わりから5月にかけて、ヒトラーの星相は非常に凶悪なものになるからである。そこでヘスは、ヒトラーを救い、ドイツに平和をもたらすのは、自分が負うべき使命だと思いつめるようになったのである」

 


(左)ドイツの代表的な地政学者カール・ハウスホーファー
(右)師弟関係だったハウスホーファーとルドルフ・ヘス

 

●戦後南米に逃亡した元ナチスの高官は、ルドルフ・ヘスについて次のように語っている。

ヘスはイギリスとの戦争を避けなければならないと信じていた。真の敵はイギリスではなくソ連と信じていたからだ

だからイギリスとドイツが一緒になってソ連に対抗するような状態を彼は作ろうと努力した。イギリスの海軍力とドイツの陸軍力がガッチリと組めば、どんな敵でも倒すことが可能だったからだ。これを実現させるため彼は単身イギリスへ飛んだ。独ソ開戦の直前だった。

彼には勝算があったようだ。というのは彼はその頃、秘密結社『トゥーレ協会』のメンバーだった。この結社の兄弟グループみたいなものがイギリスにもあった。『黄金の夜明け団』と呼ばれる結社だ。その有力メンバーにハミルトン公爵がいた。ヘスは彼とは親しかった。ドイツを発つ前、彼はハミルトン公爵に打診してみた。答えは前向きだった。そこでヘスはドイツを発ち、闇にまぎれてイギリスにパラシュート降下したのだ。

しかし、そううまく事は運ばなかった。チャーチルの横やりが入ったからだ。

もちろんチャーチルの後ろには、国際ユダヤ組織と大銀行団の圧力があった。ヘスは戦争中捕われていたから、戦犯では断じてない。しかし、戦後もずっと独房にぶち込まれていたのは、彼がアイヒマン同様、ユダヤの世界戦略について知りすぎていたからだ」

 


(左)イギリスのウィンストン・チャーチル首相
(右)「黄金の夜明け団」の薔薇十字徽章

 

ルドルフ・ヘスの「奇行」の一件で激怒したヒトラーは、ドイツ国内にウォールがまき散らした「プロパガンダ用占星暦」を一掃する作戦に出た。

またドイツの占星術師までが、ホロスコープから“敗戦”を読み取り始めていたので、ヒトラーはドイツ国内の占星術師をも弾圧・一斉検挙した。

 


アドルフ・ヒトラー

 

●この時弾圧された占星術師には、先述のカール・エルンスト・クラフトまでが含まれていた。

彼はナチスの敗北を口にし始めていたので、周囲から警戒されていたのだ。

 


ナチスに協力した天才占星術師
カール・エルンスト・クラフト

彼は「ブッヘンヴァルト収容所」へ
送られる途中死亡した。44歳だった。

 

●クラフトは死にのぞんで1つの「予言」をした。

「その卑しむべき行為への罰として、ドイツの宣伝省の上にはイギリスの爆弾が雨のように降るだろう──」

というものだった。


●ところで、ルドルフ・ヘスをイギリスに招き寄せたのはクロウリーであるという説がある。クロウリーはドイツの占星術師にニセの占星図を作らせ、イギリスのスパイの手でヘスのそれとすりかえさせたのが功を奏したのだと──『イギリス情報機関の歴史』は伝えている。

また、ある研究家によれば、直接ヘスに占星学上の助言をした人は、当時、文化政治局の局員でヘスの下で働いていたシュトラウスという男だという。彼はヘスの「奇行」の直後、ゲシュタポによって逮捕されている。


いずれにせよ、ヘスを失ってからのヒトラーは、それ以前ほど霊的感受性の冴えを見せなくなり、

クラフトの逮捕と機を同じくして、ドイツ軍は武運を失っていく。1943年1月31日、ソ連に侵攻していたドイツ軍は、スターリングラードの戦いで敗北し、以後、急速に後退していったのである。

 

 


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