No.a6fhd100

作成 1998.3

 

シオニズムを批判するユダヤ人たち


〜 本質的に「シオニズム」と「ユダヤ思想」は別物である 〜

 

 

第1章
「反シオニズム=反ユダヤ主義」ではない
第2章
イスラエル建国を聖書預言の成就
であるととらえるのは間違っている
第3章
「ユダヤ人」という「人種」は存在しない
第4章
本来なら、ユダヤ国家の建設地は
パレスチナ以外でもよかった
第5章
アーノルド・トインビー博士の批判
第6章
「パレスチナ問題」の本質を見抜いていた
マハトマ・ガンジー
第7章
シオニズムを批判するユダヤ人 〈1〉
第8章
シオニズムを批判するユダヤ人 〈2〉
第9章
シオニズムを批判するユダヤ人 〈3〉

追加1
シオニズムを批判するユダヤ人 〈4〉
追加2
シオニズムを批判するユダヤ人 〈5〉
追加3
シオニズムを批判するユダヤ人 〈6〉

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■■第1章:「反シオニズム=反ユダヤ主義」ではない


「シオニズム」(別名 ZION主義)とは、パレスチナにユダヤ人国家を建設しようという思想である。聖地エルサレムの「シオン(ZION)の丘」にちなんで名付けられた。

現在のイスラエル政府の「シオニズム」は、人種差別的なイデオロギーと軍事思想に基づいているといえる。

 

 
(左)イスラエル(パレスチナ地方)の地図 (右)イスラエルの国旗


   
「シオニズム」に抵抗する人々

 

●ところで、「反シオニズム」「反ユダヤ主義」が全く同じものだと誤解している人が多いようだが、「反シオニズム」と「反ユダヤ主義」を混合するのは、「反アパルトヘイト」と「反白人主義」を混合するのによく似ている。

そもそも、「ユダヤ」は民族と宗教の名称である。これに対して、「シオニスト」とは、イスラエル国家の反アラブ拡張主義・強硬路線を支持する「政治的立場」を意味している。ユダヤ人でなくともシオニストとなる場合もある。実際に現在、アメリカには「キリスト教シオニスト」と呼ばれる、非ユダヤ人のシオニストが大勢いる。シオニズムを批判しているユダヤ人も多く存在する。

 

  
「シオニズム」を批判するユダヤ人たち

 

●また、本質的に「シオニズム」と「ユダヤ思想」は別物である。

『反シオニズムの正統派ユダヤ教徒』と題された本には次のように書かれている。

「正統派ユダヤ教徒の大半は、パレスチナの地にユダヤ人のための民族の郷土を設立するというシオニストの野望に反対である。これはシオニズムそのものではなく、シオニストに反対するという側面が大きい。

なぜならば、シオニストは大半が脱宗教的であり、伝統的なラビの権威よりも、社会主義や民族主義といった『非ユダヤ的』なイデオロギーを優先しているからである。正統派ユダヤ教徒は、自分たちの立場を神学的な面から正当化するため、救済を早めることを禁じたラビの伝統を様々に引用し活用している。」

 


「イスラエル共和国」の独立宣言(1948年)

 

 


 

■■第2章:イスラエル建国を「聖書預言の成就である」ととらえるのは間違っている


●シオニスト強硬路線派が悲願の建国を果たした「イスラエル共和国」──。

しかし、超正統派ユダヤ教徒はこの国を認めようとしない。

なぜならば、イスラエル共和国は建国において“メシア信仰”を無視し、しかも政教分離という近代国家の原則を採用した世俗国家であるためだという。超正統派ユダヤ教徒からすれば、このようなイスラエル共和国が“国家”と名乗ること自体、神に対する許しがたい冒涜に他ならないという。

この超正統派ユダヤ教徒は「聖都の守護者」を意味する「ナトレイ・カルタ」と呼ばれ、現在のイスラエル共和国はユダヤ教の本質を完全に逸脱した世俗的な寄せ集め集団に過ぎない、として徹底的に批判している。

 

 
「シオニズム」を批判する超正統派ユダヤ教徒たち



イスラエルの国旗を燃やして、「シオニズム」に反対

 

●1985年4月4日、超正統派ユダヤ教徒グループ「ナトレイ・カルタ」は、次のような声明文を発表した。

シオニストの大冒険は不名誉な終わりを迎えようとしている。最初はシナイ半島だった。今度はレバノンである。独立した真のユダヤ教徒であるトーラーのユダヤ人にとって、これはまったく驚くことではない。我々は両親からも教師からも、シオニズムはユダヤとユダヤ思想の敵だと教えられてきた。

シオニストの政治的策動は、一時的には成功するかもしれないが、長い目で見れば、その命運は尽きているのである。 〈中略〉

シオニズムはユダヤ思想とは全く反対のものである。ユダヤ思想は数千年にわたり、シオニズムなしに存続してきた。シオニズムのいう『メディナ』は全くの作り物であり、真のユダヤ思想を歪めるものである。」

「シオニスト指導者らは、今でこそホロコーストを大げさに哀しむが、当時の彼らは、『強壮な若いパイオニア』だけいればいい、『全ヨーロッパのユダヤよりパレスチナの1頭の牝牛のほうが大切だ』と言っていたのである。我々はシオニストという偽ユダヤ教徒がその正体を知られるようになること、ユダヤが真のユダヤ思想を心から信じて実践し、過去の栄光を思い、未来を誠実に信じることを望み、祈っている。」



●更に彼らは、1992年に次のような声明を発表した。

これは「シオニズム」に対する強烈な批判メッセージであった。

「敵であるシオニストと私たちの戦いは、妥協の余地のない、まさに “神学戦争”なのである。」

「ユダヤ人たちが全世界に追放されたのは、神の意志によるのであって、彼らが神の律法を守らなかったためである。あらゆる苦難をへて、メシア(救世主)が到来するまでそれは続く。メシア到来によってのみそれが終わるのである。それゆえに、シオニストあるいはその関係機関が神を無視して世界中からユダヤ人たちに帰ってくるように強要するのは、ユダヤ人たちをいよいよ危険に陥れる“不敬の罪”を犯していることになる。」

「もしシオニストが神を無視し続けるならば事は重大である。ここ、すなわちイスラエルは地上で最も危険な場所となろう。」

 


シオニズム」に反対するユダヤ人たち

「Zionism is Nazism」(シオニズムは
ナチズムだ)と書かれたプラカードが見える

 

●「シオニズム」について、ジャック・バーンスタインというユダヤ人は次のように述べている。

「実はほとんどのユダヤ人というものは無神論者である。あるいは反神の宗教ともいえるヒューマニズム(人間至上主義)に従っている。だからユダヤ人とは宗教的な人々であり、イスラエル建国は聖書預言の成就であるととらえるのは神話でしかすぎない。しかもユダヤ人が単一民族であるというのはもっと神話である。アシュケナジーとスファラディの間には完全なる区別がある。これこそ最大の証拠である。

イスラエルで行なわれている人種差別は、イスラエルという国家を遅かれ早かれ自滅させてしまうことになるだろう……」


●サザン・バプテストの 「新約聖書学」教授フランク・スタッグは、以下のような見解を述べている。

「今日のイスラエル国家は数ある国々の一つにすぎない。それは他のあらゆる政治国家と同様に“政治国家としての運命”を辿らなければならない。他のあらゆる政治国家のように判断されなければならない。

現在のイスラエルの国や国民を“神のイスラエル”とすることは、『新約聖書』の教えにおいて致命的な誤りを犯している。」


●また、プレズビテリアンの 「旧約聖書学」教授オーバイド・セラーも、このことを次のように結論づけている。

「現代のパレスチナにあるユダヤ国家は、聖書や聖書預言によって正当化されるものであるというシオニストたちの主張を支持するものは、『旧約聖書』にも『新約聖書』にもないということに私とともに研究している者たち全てが同意している。

更に聖書預言という“約束”は、ユダヤ人やシオニストだけではなく全人類に適用されるべきものである! “勝利”“救い”という言葉は本当の聖書の意味としては宗教的・霊的なものであって、政治的な敵を征服するとか崩壊させるとかいう意味のものではない。」

「『新約聖書』を信じるキリスト教徒であるならば、もともとそこに住んでいた人々から政治的、また軍事的力によって奪い取ってつくった現代のイスラエル共和国を、キリスト教徒の信仰の神の“イスラエル”と混同させてはならない。これら2つのイスラエルというものは完全に対立しているものなのである。」



●現在、イスラエルの平和団体「グッシュ・シャローム」の代表を務めているユダヤ人ジャーナリストのウリ・アブネリも、次のように語っている。

「元々、イスラエルが存在する前からあった正統派ユダヤ教は、宗教をナショナリズムに利用することに反対していた。今でも超正統派のユダヤ教徒は離散の生活を続けているし、イスラエルを認めている正統派でもイスラエル国旗や建国記念日を祝うことを禁じている。

このような従来のユダヤ教と、イスラエルの中で発達した(いわば「メード・イン・イスラエル」の)宗教的シオニズムは『似て非なるもの』である。」

 


ユダヤ人ジャーナリスト
ウリ・アブネリ

ドイツ生まれのユダヤ人。若き頃に
パレスチナに移住し、シオニストの武装地下組織
「イルグン」に所属。1950〜1990年までイスラエルの
国会議員を務めた。イスラエルによる占領の停止とパレスチナの
独立国家創設を目指す平和団体「グッシュ・シャローム」
の設立(1992年)に大きく寄与した。

↓現在、彼が代表を務めているイスラエルの
平和団体「グッシュ・シャローム」の公式サイト
http://zope.gush-shalom.org/home/en

 

 


 

■■第3章:「ユダヤ人」という「人種」は存在しない


●ユダヤ人のラビ(ユダヤ教指導者)であるマーヴィン・トケイヤーは、著書『ユダヤ人の発想』(徳間書店)の中で次のように述べている。

「日本では、案外知られていないことであるが、ユダヤ人は人種ではない。ユダヤ教に改宗した者がユダヤ人になるのである。そしてユダヤ教徒になるためには、ユダヤ教の戒律を守ることを宣言すればよい。今日から豚を食べないとか、貝を食べないとか、安息日には必ず休むといった簡単な一連のルールを確認すればよいのだ。」

 

 
(左)ラビ・マーヴィン・トケイヤー。1967年に
来日、「日本ユダヤ教団」のラビとなる。
(右)彼の著書『ユダヤ人の発想』

 

●このラビが言うように、日本ではあまり知られていないが、ユダヤ教を信仰していれば、誰でも“ユダヤ人”なのである。つまり、ユダヤ人とは「血に基づく集団」ではなく、宗教的な集団=「ユダヤ教徒」を意味しているのである。だから、ルーツが別民族であっても、ユダヤ教を信仰していれば、立派な“ユダヤ人”として認められるという。

実際に、ユダヤ人は実に様々な人間で構成されていて、イスラエル国内には黒人系(エチオピア系)のユダヤ人すら存在している。

 

 
(左)1996年1月29日 『朝日新聞』 (右)1996年1月30日 『読売新聞』

1996年1月末、エチオピア系ユダヤ人はエイズ・ウイルス感染の危険性が高いとして、
「イスラエル血液銀行」が同ユダヤ人の献血した血液だけを秘密裏に全面破棄していたことが発覚した。
更にイスラエル保健相が、「彼らのエイズ感染率は平均の50倍」と破棄措置を正当化した。

これに対して、エチオピア系ユダヤ人たちは、「エイズ感染の危険性は他の献血にも存在する。
我々のみ全面破棄とは人種差別ではないか!」と猛反発。怒り狂ったエチオピア系ユダヤ人
数千人は、定期閣議が行なわれていた首相府にデモをかけ、警官隊と激しく衝突した。

イスラエル国内は騒然とした。あるユダヤ人たちは言った。「この騒ぎは
かつてのアラブ人たちによるインティファーダ(蜂起)に
匹敵するほどのものであった」と。

 

●このエチオピア系ユダヤ人の献血事件について、『読売新聞』は、「ユダヤ内部差別露呈」として次のように書いた。

「今回の事件は、歴史的、世界的に差別を受けてきたユダヤ人の国家イスラエルに内部差別が存在することを改めて浮き彫りにした。イスラエルヘの移民は1970年代に始まり、エチオピアに飢饉が起きた1984年から翌年にかけて、イスラエルが『モーセ作戦』と呼ばれる極秘空輸を実施。1991年の第二次空輸作戦と合わせ、計約6万人が移民した。

だが、他のイスラエル人は通常、エチオピア系ユダヤ人を呼ぶのに差別的な用語『ファラシャ(外国人)』を使用。エチオピア系ユダヤ人の宗教指導者ケシムは、国家主任ラビ庁から宗教的権威を認められず、子供たちは『再ユダヤ人化教育』のため宗教学校に通うことが義務づけられている。住居も粗末なトレーラーハウスに住むことが多くオフィス勤めなどホワイトカラーは少数に過ぎない。同ユダヤ人はイスラエル社会の最下層を構成している。」

「ヘブライ大学のシャルバ・ワイル教授は『とりわけ若者にとって、よい職業や住居を得ること以上に、イスラエル社会に受け入れられることが重要だ』と、怒りが爆発した動機を分析する。デモ参加者は『イスラエルは白人国家か』『アパルトヘイトをやめよ』と叫んだ。『エチオピア系ユダヤ人組織連合』のシュロモ・モラ氏は『血はシンボル。真の問題は白人・黒人の問題だ』と述べ、同系ユダヤ人の置かれている状況は『黒人差別』によるとの見方を示した。」


●『毎日新聞』は次のように書いた。

「ユダヤ人は東欧系のアシュケナジーム、スペイン系のスファラディム、北アフリカ・中東のユダヤ社会出身のオリエント・東方系に大別され、全世界のユダヤ人人口ではアシュケナジームが過半数を占めている。イスラエルではスファラディム、オリエント・東方系が多いが、少数派のアシュケナジームが政治の中枢を握っている。」

「エチオピア系ユダヤ人は、イスラエル軍内部でエチオピア系兵士の自殺や不審な死亡が多いと指摘するなど、イスラエル社会での差別に苦情を呈してきた。たまっていた不満に献血事件が火をつけた格好だ。」

 

 
イスラエル航空の旅客機で救出された
エチオピア系ユダヤ人たち(1984年)

 聖書ではソロモン王とシバの女王の関係が記されているが、
シバの女王から生まれた子孫とされるのが「エチオピア系ユダヤ人」
である。彼らは自らを「ベド・イスラエル(イスラエルの家)」と呼び、
『旧約聖書』を信奉するが、『タルムード』はない。1973年に
スファラディ系のチーフ・ラビが彼らを「ユダヤ人」と認定した。

その後、エチオピアを大飢饉が襲い、絶滅の危機に瀕した
ため、イスラエル政府は救出作戦を実施した。1984年の
「モーセ作戦」と、1991年の「ソロモン作戦」である。

イスラエルの航空会社と空軍の協力により
彼らの多くは救出され、現在イスラエル
には約6万人が移住している。


『エチオピアのユダヤ人』
アシェル・ナイム著(明石書店)

 

●ちなみに、イスラエルの現実に失望してイスラエルを去ったユダヤ人女性ルティ・ジョスコビッツは、著書『私のなかの「ユダヤ人」』(三一書房)で素直な気持ちを述べている。

「イスラエルにいたとき、ターバンを巻いたインド人が畑を耕作しているのを見た。どこから見てもインド人で、インドの言葉、インドの服装、インドの文化を持っていた。しかし彼らがユダヤ教徒だと聞いたとき、私のユダヤ民族の概念は吹っ飛んでしまった

同じように黒人がいた。アルジェリア人がいた。イエメン人がいた。フランス人がいた。ポーランド人がいた。イギリス人がいた。まだ会ってはいないが中国人もいるそうである。どの人々も、人種や民族というより、単なる宗教的同一性としか言いようのない存在だった。 〈中略〉 私の母はスラブの顔をしている。父はポーランドの顔としかいいようがない。私もそうなのだ。」

「私はイスラエルで一つの風刺漫画を見た。白人のユダヤ人がイスラエルに着いたら、そこは純粋なユダヤ人の国だと説明されていたのに、黒人もアラブ人もいたのでがっかりした、というものだ。この黒人もアラブ人もユダヤ教徒だったのだ。彼は自分の同胞に有色人種がいたので、こんなはずではないと思ったのである。」

 

 
(左)ユダヤ人女性ルティ・ジョスコビッツ
(右)彼女の著書『私のなかの「ユダヤ人」』。
この本は1982年に「集英社プレイボーイ・
 ドキュメント・ファイル大賞」を受賞。

 

●また、コロンビア大学の名誉教授ハーバード・パッシンは、『文芸春秋』(1987年4月号)の中で次のように述べている。

「そもそもユダヤ人とは何か。ユダヤ人として生まれたことは必要条件でしかない。ユダヤ教を信奉してこそ、初めてユダヤ人だと認められる。私はユダヤ人の両親から生まれたが、自分をユダヤ人だとは思っていない。私はユダヤ教を信じない。安息日にも休まない。私はアメリカ人であるが、ユダヤ人ではない。……〈中略〉 ユダヤ人がユダヤ人であるためには、何よりも“ユダヤ教徒”でなければならないのだ。」

 


「ベネ・イスラエル」と呼ばれる
ボンベイのインド系ユダヤ人たち(1890年)

「ベネ・イスラエル」とは、インド原住のユダヤ人を指す言葉で、
ヘブライ語では「イスラエルの子」を意味する。この共同体はインドの
約1500年前にまで遡る。その中心はボンベイとコーチンであった。

 

●ところで、現在のユダヤ人の中には、少数ではあるが、『聖書』の中の「古代ユダヤ人」と血がつながっているユダヤ人が存在している。

しかし、このようなテーマを取り扱う上で注意したいのは、血がつながっているとしても、これまでに猛烈な「混血」を繰り返したという点だ。

 

  
(左)中国の河南省の都市・開封の位置 (右)開封のユダヤ人家族

13世紀のころ、北京にやってきたマルコ・ポーロは『東方見聞録』の中で、
「中国東部の開封には大いに栄えているユダヤ人社会が存在していると聞いた」と
記している。この「開封(かいほう)」は中国で最も歴史が古い都市の一つであり、
850年前の北宋時代に首都になった。(当時100万人の国際都市だった)。



開封の中国風シナゴーグ(ユダヤ教会堂)

※ この「開封のユダヤ人」に興味のある方はココをご覧下さい

 

●あるユダヤ人研究家は次のように述べている。

「現在、世界中に散らばっている“ユダヤ人”と呼ばれている人間の90%以上がアシュケナジームであり、彼らの大部分は『旧約聖書』に登場する本来のユダヤ人とは全く関係のない異民族であると言える。しかし、そもそも『旧約聖書』の中のユダヤ人だって混血してきたことを忘れてはならない。

例えば、アブラハムはエジプト人ハガルとの間に子を作り(創世記16章)、ユダはカナン人シュアの娘と結婚している(創世記38章)。また、ヨセフはエジプト人アセナテと結婚し(創世記41章)、偉大なる預言者モーセはミデヤンのチッポラと結婚している(出エジプト記2章)。ユダヤ人の多くが尊敬しているダビデにもモアブ人ルツの血が入っているし、ダビデソロモンも多くの異教徒との間に子供を作っている。

このことからも分かるように、『純粋なユダヤ民族』というのは神話である。」

 

   
ハリウッドで作られた映画(『旧約聖書』の世界が描かれている)

 

●更に、別のユダヤ人研究家は次のように述べている。

「16世紀のヨーロッパでは同化の風潮が目立っていた。

ゲットーの壁が立てられた時に同化は一時的に不可能になったが、その壁が破壊されたとき、混血の結婚が急激に増加している。例えばドイツでは、1921年から1925年の間のユダヤ人100組の結婚を調査したら、42組が非ユダヤ人との結婚だった。 〈中略〉

ヒトラーの登場前は、ほとんどのドイツ系ユダヤ人は、その周囲に同化していた。今日のアメリカ、フランス、カナダなどのユダヤ人についても、事情は同じである。 〈中略〉 イスラエル本国においても『ユダヤ人とは何か』という問いに対する明確な答えはなく、『ユダヤ人の定義』を巡って常に国全体が揺れ動いているのが現状だ。」



●前出のラビ(ユダヤ教指導者)、マーヴィン・トケイヤーも次のように述べている。

「一時日本で、『大英百科事典』として知られた『エンサイクロペディア・ブリタニカ』には、ユダヤ人についてこう書かれている。

『自然人類学上の物象は、かつて単一のユダヤ人なる人種が存在したことがないことを示している。世界各地のユダヤ人集団の人体測定の結果は、集団相互間で、身長、体重、毛髪、皮膚、瞳の色など重要な身体的特徴が、著しく異なっていることを明らかにした』

要するにユダヤ人は、『人種的には混血民族』であるというのが正しい。ユダヤ人は、歴史を通じて多種多様の民族と接触をしてきたために、さまざまな血が入り混じっているのだ。

 


ラビ・マーヴィン・トケイヤー

1936年にハンガリー系ユダヤ人の家庭に
生まれる。1962年にユダヤ神学校でラビの資格
を取得。1967年に東京広尾の「日本ユダヤ教団」の
初代ラビに就任。1976年まで日本に滞在し、ユダヤ人と
日本人の比較文化論を発表。早稲田大学で古代ヘブライ
文化を教えたこともある。アメリカに帰国後、ユダヤ人
学校の校長を歴任。現在ニューヨーク在住。

 

 


 

■■第4章:本来なら、ユダヤ国家の建設地はパレスチナ以外でもよかった


●現在、パレスチナ問題は極めて深刻な状態である。

シオニストたちは、自分たちは「聖書の民」であることを強調する。

そして、パレスチナの土地がユダヤ人のものであることは「神」に約束されており、そのことは『旧約聖書』にしっかり書かれているのだから誰も文句を言うな、というわけだ。

 

 
(左)イスラエル(パレスチナ地方)の地図 (右)イスラエルの国旗

 

●あくまでも「パレスチナの土地はユダヤ人のものだ!」と主張するシオニストたちに対して、

「歴史上、ユダヤ人は『混血』を繰り返してきたのだから、『純粋なユダヤ人』というものは、現在ほとんど存在しませんよ?」と、疑問を呈すると、彼らは次のような反論をしてくる場合がある。

「ユダヤ教を信仰していれば、誰でも“ユダヤ人”なのである。『ユダヤ人=ユダヤ教徒』なのだ。だから、『血統』を問題にするのは全くのナンセンスだ! ユダヤ人の『血統』にこだわるのは、ナチスに通じる差別思想だ!」

 

  
「パレスチナの土地はユダヤ人のものだ!」と
主張するシオニストたち

 

●なるほど。 しかし、こう反論したい。

「『ユダヤ人=ユダヤ教徒』ならば、なおさら、パレスチナを『先祖の土地』と主張して、そこの先住民を追い払って国を作った連中こそ、ナチなみのトンチンカンな連中ですな!

単なる『ユダヤ教徒』が、『旧約聖書』のユダヤ人の『故郷』だからといって、パレスチナの土地を奪う権利があったのか? 何十年にもわたって無駄な血を流す必要はあったのか? 非常に疑問である」と。



●ところで、本来なら、ユダヤ国家の建設地はパレスチナ以外でもよかった。ユダヤ教を信仰する者同士が、周囲と争いを起こすことなく仲良く集まれる場所でよかったのだ。事実、初期のシオニズム運動は「民なき土地に、土地なき民を」をスローガンにしていたのだ。

シオニズム運動の父であるテオドール・ヘルツルは、パレスチナにユダヤ国家を建設することに難色を示し、その代わりにアフリカのウガンダ、あるいはマダガスカル島にユダヤ国家をつくろうと提案していたのである。

多くの先住民が住むパレスチナにユダヤ国家を作ったら、大きな問題が起きることぐらい誰でも予測のつくことであった。

 

 
入植候補地の東アフリカ(=ウガンダ案)。ヘルツルはパレスチナにかわる
代替入植地として「ケニヤ高地」を勧めるイギリスの提案を受け入れていた。

 

●しかし、東欧のシオニストたちは、自分たちのアイデンティティの拠り所として、ユダヤ国家建設の候補地は“約束の地”であるパレスチナでしかあり得ないと主張し、ヘルツルの提案に大反対した。更に東アフリカの「ウガンダ」が候補地として浮上し始めると、東欧のシオニストたちは猛反発し、「世界シオニスト機構」を脱退するとまで言い出した。

 


紛糾した「第6回シオニスト会議」(1903年)

 

●ユダヤ教に全く関心を持っていなかったテオドール・ヘルツルにとって、入植地がどこになろうと問題ではなかった。

しかし、ナショナリズムに燃えていた東欧のシオニストのほとんどにとって、入植運動は、聖書の“選ばれた民”の膨張運動であって、アフリカなどは全く問題になり得なかったのである。そのため、「ウガンダ計画」に激怒したロシアのシオニストの一派が、ヘルツルの副官にあたるマクス・ノルダウを殺害しようとする一幕さえあった。

 


テオドール・ヘルツル

“近代シオニズムの父”と呼ばれる。
 「第1回シオニスト会議」を開催し、
 「世界シオニスト機構」を設立した。

 

●翌1904年7月、ヘルツルは突然、失意の中で死去した。わずか44歳であった。

結局、ヘルツルの死が早すぎたことが、パレスチナ入植を推進する東欧のシオニストにとっては幸いとなり、シオニズム運動の内部崩壊はかろうじて避けられたのであった。

 


バイカル湖の南端・イルクーツクでの東欧シオニスト大会

横断幕には「シオニズムはイスラエルの民のために
パレスチナに安全な場所を確保することが
目的である」と書かれている



白ロシア・ミンスクの前線でのシオニスト兵の会議(1918年)

 

●ところで、現在、ユダヤ人の国イスラエルならいざ知らず、世界にイーディッシュ語(アシュケナジー系ユダヤ人の使用言語)を公用語として認めている国がある。しかも、この国は日本からもかなり近い、といえば人は驚くであろうか。

旧ソ連の「ビロビジャン共和国」はそのような国だ。

中東にイスラエルが建国される以前から、既に“ユダヤ人の国”は存在していたのだ。

 

 

●1920年代のソ連では、各地に自治共和国や自治州など民族の自治行政単位が次々と創設された。ソ連国内にはあまたの民族が共存していたが、そこでのユダヤ人と他民族との違いは、ユダヤ人だけが土地を持っていない、ということであった。ソ連政府は、ユダヤ人に土地を与えるプランを練り、1928年3月に「ビロビジャン計画」を決定した。

ビロビジャンは、極東地方(ロシア・中国国境を流れるアムール川支流域)の町で、ここにユダヤ人の自治領を設け、将来はソビエト連邦を構成する一共和国となるとされた。 計画から6年後の1934年5月、ビロビジャンは正式に「ユダヤ人自治州」となった。

(※ 当初は黒海沿岸のクリミア半島の一部が入植地の候補に上がったものの、1927年にその案は破棄され、代わってソ満国境のビロビジャンが入植地に急浮上した直接の契機は、「満州からの脅威」に備える国防的配慮ともいわれている)。

 


「ユダヤ人自治州」=ビロビジャン共和国(黄色に塗られた地域↑)



ハバロフスクのすぐそばである。日本から近い。

 

●ソ連政府は外国の政治的同情と経済援助を受けられることを期待し、「ユダヤ人の歴史上初めて自分の故郷の建設、自らの民族国家の成就への燃えるような要望が満たされた」とぶちあげた。

こうして「ビロビジャン計画」が大々的に宣伝されると、入植者が殺到した。「ビロビジャン計画」に熱狂した者が、ポーランドやアルゼンチン、アメリカからさえもやってきた。

だが、それもはじめのうちだけだった。なにしろ寒い気候、たくさんの雨、たくさんの虫、それに家は木を切り倒して建てなければならないということで、そこから撤退する者もたくさんいた。

 


ビロビジャンの入植者たち

「ビロビジャン計画」に熱狂した者が、ポーランドや
アルゼンチン、アメリカからさえもやってきた。
 しかし失望して去っていく人が多かった…。

 

●1939年の国勢調査によれば、ユダヤ人自治州の人口10万9000人のうち、基幹民族たるユダヤ人は1万7695人(16%)にすぎず、しかも大多数が都市部に集中していた。1928年から1937年までの10年間で、およそ4万3000人のユダヤ人がビロビジャンに移民しているが、その過半数は短期間で立ち去ったことがわかる。

ビロビジャンではユダヤ文化が繁栄したが、自由に発展を許されたわけではなく、1937〜38年の大粛清やスターリン晩年期などにしばしば「民族的偏向」の咎めを受け、弾圧された。

 


ヨシフ・スターリン

 

「ビロビジャン計画」は都市生活者であるユダヤ人を農民に変えようとするものでもあったが、ロシアに住むユダヤ人の大多数は受けいれず、結局、予定されたユダヤ人口に達しないまま、この計画は頓挫してしまった。フルシチョフは後に、このプランが御破算になった原因として、ユダヤ人は農耕に適さず、集団生活を厭う個人主義者ばかりだからだ、と言った。


●一応、現在もこの「ユダヤ人自治州」=ビロビジャン共和国は、ロシア連邦極東地方に残る唯一の自治州として存在する。面積は3万6000平方キロで、1995年現在の州人口は21万2000人。そのうちユダヤ人は7000人以下しかいないという。

1994年に、NHKの衛星放送でビロビジャンの様子が4回にわたって報告されたが、それによると、経済状態は相当悪いらしく、ユダヤ人が、列車で次々とこの町を離れているという。

 


ビロビジャンの旗

※ ユダヤ教の象徴的存在である
七枝の燭台(メノラー)が図案化されている


 
現在、ビロビジャンで活動しているラビ(ユダヤ教指導者)


 
ビロビジャン駅(1994年)

右の写真を見て分かるように、ビロビジャン駅の前には
七枝の燭台(メノラー)のモニュメントが目立つように飾られている

 

 


 

■■第5章:アーノルド・トインビー博士の批判


●第二次世界大戦中、ドイツで公然と行なわれたユダヤ人迫害に対して、ヨーロッパの国々もアメリカも、長い間沈黙を守った。第二次世界大戦中、アメリカはユダヤ人に対する入国査証の発給を非常に制限し、ほとんどシャットアウトの政策であった。

※ この件に関しては、別ファイル「ユダヤ難民に冷淡だった欧米諸国」で詳しく紹介しているので、興味のある方はご覧になって下さい。


●しかし、大戦が終結すると、アメリカ(トルーマン大統領)は、1947年の国連による「パレスチナ分割案」を強力に後押しし、国連加盟諸国へ脅しの根回しをして、イスラエル建国を実現させた。

そしてアメリカは、戦後ずっとイスラエルに対外援助の3分の1に当たる年間30億ドル以上のカネ(無償援助)を送り、武器弾薬を送った。アメリカのバックアップがあって、イスラエルはかろうじて国家として成り立ってきたのである。

 


人口1人当りアメリカからの援助の多い国(1996年)

 

●中東を専門分野とするイギリス人の国際評論家、デイヴィッド・ギルモアは、豊富な当局側資料を駆使した著書『パレスチナ人の歴史──奪われし民の告発』の中で、戦後のアメリカによるイスラエル建国の経過を次のように描きだしている。

「パレスチナの運命を決定したのは、国連全体ではなく、国連の一メンバーにすぎないアメリカだった。パレスチナ分割とユダヤ人国家創設に賛成するアメリカは、国連総会に分割案を採択させようと躍起になった。分割案が採択に必要な3分の1の多数票を獲得できるかどうかあやしくなると、アメリカは奥の手を発揮し、分割反対にまわっていたハイティ、リベリア、フィリピン、中国(国府)、エチオピア、ギリシアに猛烈な政治的、経済的な圧力をかけた。ギリシアを除いたこれらの国は、方針変更を“説得”された。フィリピン代表にいたっては、熱烈な分割反対の演説をした直後に、本国政府から分割の賛成投票の訓令を受けるという、茶番劇を演じさせられてしまった。」


※ 当初、この「パレスチナ分割案」が国連総会で採択されるとは誰も思っていなかった。

そのため、この予想外の可決は国連総会が開催されたニューヨークの地名をとって「レイクサクセスの奇跡」と言われた。



●ちなみに、イスラエル建国を強力に推し進めたアメリカのトルーマン大統領は、最初はシオニズムの支持者ではなかった。

彼は最初は、アラブ諸国、とりわけアメリカが石油利権を持つサウジアラビアとの関係を重視し、パレスチナでのユダヤ国家建設に反対する意向を表明していたのである。

 


第33代アメリカ大統領
ハリー・トルーマン

 

●これに対し、当時の在米ユダヤ人社会は強く反発し、「1948年の大統領選挙では、トルーマンはユダヤ人票を失うだろう」と警告したのである。

大きな票田を持つ都市に集中するユダヤ人の票は、当時、戦局不利が伝えられていたトルーマンにとって勝敗を左右する重要な要素だった。このままでは共和党候補に敗北する、という危機感を抱いたトルーマンは、前言を翻し、国連決議案の支持に回った

これによって、翌年の大統領選挙では75%のユダヤ票を獲得し、きわどい差で勝利したのである。

 



トルーマン大統領は、ユダヤ票欲しさに、
熱烈なシオニズム支持者になり、
イスラエル建国を実現させた

 

●マスコミの連中がトルーマン大統領に聞いた。

「なんであなたはそんなにユダヤの肩ばかり持つんですか?」


トルーマン大統領はこともなげにこう言った。

「だって君、アラブの肩を持ったって、票にはならんだろうが」


このように、トルーマン大統領はユダヤ票欲しさに、イスラエル建国を支持するパレスチナ分割決議を推進したのである。(これは有名な話だ)。

 

 

 

●ところで、イギリスの有名な世界的歴史学者アーノルド・トインビー博士は、アメリカの判断は間違いだったと言っている。

何故、間違いかというと、確かに歴史的にいえば、イスラエルはユダヤの土地である。だからこれをユダヤに返すことは、自然であるように見える。しかし、2500年間アラブの人々が住んだのだから、それを2500年経って取り上げるのは不自然である。ユダヤ人は一人残らず全部がいなくなったのではなく、嫌気がさして脱出した人もいただろうし、ユダヤ人同士の競争で追放された人もいるだろう。

とにかく、アラブの人々が2500年間も住んでいるのだから、そこに来て、アメリカが武力で駆逐し、強制的にユダヤに戻したことについては納得しかねるものがある。アメリカがもしもそれだけの情熱があるのならば、アメリカ国内でユダヤ人に土地をやったらよかったではないか。そうすれば、このような国際紛争の種は蒔かれないで済んだであろう、とトインビー博士は言っている。

 


イギリスの歴史学者
アーノルド・トインビー
(1889〜1975年)

20世紀最大の歴史家の一人である

 

●さすがにアーノルド・トインビーは歴史学者らしく、長い歴史の目でみるとアメリカのやったことは間違いであったと言っている。

アメリカは幸い、日本の面積の25倍という広大な土地があるのだから、その一部をユダヤ人にやって、そこにキミたちの国を作りたまえといえば、ユダヤ人はもっと今より幸せだった。アラブと戦争をしないで済んだし、アメリカ国内にはユダヤの友達が沢山いるのだから、さぞ立派なイスラエルが出来たであろう、というわけだ。

(※ 念のために書いておくが、トインビー博士はユダヤ人ではない)。

ちなみに、イギリスのユダヤ人作家イスラエル・ザングウィルは、テキサス州とオクラホマ州の一部の土地を購入して「ユダヤ州」を作ろうという提案をしていた。



●中東問題に詳しい一橋大学名誉教授の浜林正夫氏も、次のような鋭い意見を述べている。

「国連のパレスチナ分割案はあまりにも不公平であった……そもそも『パレスチナの地をユダヤ人に』という、シオニストの主張を一方的に受け入れたバルフォア宣言を軽はずみに決議に盛り込んだこの国連決議こそパレスチナ問題を深刻化させる最大の原因であった。

2000年以上前の神話と史実をないまぜにした『旧約聖書』の記述が、ユダヤ人のパレスチナ居住権を保証する合法的根拠になるはずがない。もし今、アメリカ先住民(インディアン)がアメリカ人に、昔住んでいたのだからこの土地を返せと言ったら、アメリカ人は土地を返すだろうか。

国連分割決議はこの頃アジアやアフリカ、中南米諸国を植民地にすることを何とも思わなかった白人たちの間に行き渡っていた横柄な有色人種蔑視の思想に原因があったとしか考えられない。

〈中略〉

イギリスはバルフォア宣言以前に、ウガンダ(東アフリカ)の無人地帯をシオニストに提案して断わられたと言われているが、日本人がブラジルに平和的に移民したように、国連はこうした交渉やシオニストに対する説得をもっと粘り強く行なうべきであったと思う。

 

 


 

■■第6章:「パレスチナ問題」の本質を見抜いていたマハトマ・ガンジー


●かの有名な「インド独立の父」 マハトマ・ガンジーは、「パレスチナ問題」の本質を見抜いていた。

ガンジーは1938年11月26日(イスラエル建国の10年も前に)、インドの『ハリジャン』紙に

「パレスチナは『アラブ人の土地』であり、ユダヤ人は無抵抗主義でアラブの理解を勝ち取るべき」

という趣旨の論文を発表していたのである。

 

 
「インド独立の父」 マハトマ・ガンジー
(1869〜1948年)

ガンジーの「非暴力・不服従」の思想は、インドを独立させ、
大英帝国を英連邦へと転換させただけでなく、政治思想として
植民地解放運動や人権運動の領域において平和主義的手法として
世界中に大きな影響を与えた。計5回ノーベル平和賞の候補に
なったが、本人が固辞したため、受賞には至っていない。

 

●このガンジーの鋭い意見を、簡単に紹介しておきたい。

「イギリスがイギリス人に属するように、また、フランスがフランス人に属するように、パレスチナはアラブに属するのです。アラブ人にユダヤ人を押し付けることは間違いであり、非人道的行為です。今日パレスチナで起こっていることは、いかなる倫理規定によっても、正当化されることはできません。委任統治は、先の戦争での制裁以外のなにものでもないのです。誇り高いアラブの人口を減らし、そこにユダヤ人を入植させることにより、パレスチナを部分的に、あるいは完全にユダヤの国に作り変えるということはまさに、人道上の犯罪でしょう。

〈中略〉

……ユダヤ人のやり方が間違っていることは疑う余地はありません。聖書の概念でのパレスチナは地勢的なものではありません。それは彼らの心の中にあるのです。しかし、もし彼らが地図の上でのパレスチナを彼らの国とあてにしているのであれば、英国の軍事力のバックでパレスチナに入るのは間違えです。宗教的行為はいかなる場合でも、武力のもとに実行することはできないのです。

彼らはアラブ人の好意によってのみパレスチナに住みつくことができるのです。ユダヤ人はアラブの心を変えようと努めるべきなのです。彼らの心を支配している同じ神がアラブの心も支配しているのですから。彼らは、ほんの少しの武力も行使せず、無抵抗不服従運動をアラブの前で展開するべきなのです、たとえ、それによってアラブに撃たれるか、死海の中に投げこまれたとしても。そうすれば、彼らの宗教的な祈願は世論に受け入れられるでしょう。英国が武力行使しないようにするだけで、アラブ人を説得する方法は山ほど出て来ます。そのままの状態であれば、ユダヤ人はなにも悪いことをしていない民族を略奪したイギリス人に同調していることになるのです。

私はアラブの行き過ぎた行為を弁護しているわけではありません。アラブも、また、こうしたユダヤ人の不当な侵略とみなされる行為に対し、非暴力主義の抵抗を選択すれば良かったと思っています。しかし、誰もが納得の行く善悪の基準に照らしてみればアラブの抵抗運動の方に勝ち目があると言えるでしょう。

自分達が『選ばれた民族』であると主張しているユダヤ人に、それが正しい主張であることを、非暴力主義の方法を選択することで、証明させてはどうでしょうか? どんな国でもその国を愛すことによって、それが自分達の祖国になるのです。でもそれは決して侵略行為では実現しません。パレスチナもそうです。

(マハトマ・ガンジー著『私の非暴力:パレスチナのユダヤ人』より)



●ちなみに、ユダヤ人科学者アルベルト・アインシュタインも、1938年に次のような発言をしている。

「私の意見では、ユダヤ人国家を作るよりも、平和な共同生活についてアラブ人の同意を得る方が、道理にかなっている。……私がユダヤ教の本質的な特性として理解する良識は、控え目にみても、国境や、武器や、世俗的政権の計画を持つ国家という概念とは相容れない。私は、国家の発展の論理によって、仲間内の狭い国家主義によってユダヤ教が内的に受ける被害を恐れる

我々は、マカベア(紀元前2世紀のユダヤ教徒による王朝)時代のユダヤ教徒とは同じではない。再び政治的な概念としての国民に復帰することは、我々の預言者の創意の賜物である共同体の精神的環境から離れるのと同じことである。」 (『わが時代のユダヤ教の堕落』)

 


ユダヤ人科学者
アインシュタイン博士

アインシュタイン博士は、シオニズムに理解を
示してはいたが、権力や権威的なものは嫌いで、
第2代イスラエル大統領への就任を辞退している。
彼は拡張主義の考えはなく、パレスチナ人と
共存できると信じていたのである。

 

 


 

■■第7章:シオニズムを批判するユダヤ人 〈1〉


●20世紀ユダヤ教を代表する神学者であるマルチン・ブーバーは、その生涯を通じ、イスラエルで迎えた死に至るまで、「信仰としてのシオニズム」から「政治的シオニズム」への退化と転倒を告発して止むことなかった。

 


マルチン・ブーバー

彼は20世紀最大のユダヤ人神学者である。
1938年、ドイツからイスラエルに移住し、ユダヤ人の
教育の充実を図った。第二次世界大戦後、イスラエル建国を
体験してから死去する。その遺言に遺産を貧しいアラブ人の学生にも
分かち与えることを書き遺した。キリスト教神学界にも影響を与えた
この碩学に対して、ユダヤ人側からの評価は低かった。

 

●マルチン・ブーバーは、次のように明言していた。

「60年前(1898年)に私が、シオニズム運動に加わった時に経験した気持ちは、基本的に私が現在感じているものと同じである。……私は、この国家主義が他者の轍を踏むことのないように、つまり、偉大な希望から出発しながらも、次第に聖なるエゴイズムへと堕落し、ムッソリーニのように敢えて自らサクロ・エゴイズムと自称したり、あたかも個人のエゴイズムよりも集団のエゴイズムの方がより聖なるものだと主張し始めることのないようにと願った。

我々がパレスチナに戻った時に、決定的な疑問が投げ掛けられた。あなた方(シオニスト)がここへ来たのは友人や兄弟としてなのか、中近東の共同体の住民の一員となるためなのか、それとも、植民地主義と帝国主義の代表としてなのか?」


「……ユダヤの民の宗教は根こそぎにされているが、これこそが19世紀の半ばに生まれたユダヤ国家主義を兆候とする病弊の本質である。この種の新しい形態の土地への欲望は、現代のユダヤ国家主義が現代の西側諸国の国家主義からの借り物であることを顕著に示す柱石である。……

ユダヤ人の“選ばれた”という観念は、これらすべてのことにどう関係しているのだろうか? “選ばれた”というのは優越の意識を示すものではなくて、天職の感覚である。この意識は、他者との比較からではなくて、天命の自覚と、預言者が呼び掛けて止まない仕事をやり遂げようとする責任感から生まれるものなのである。

もしも、あなた方(シオニスト)が、神に従って生きるのではなくて、選ばれた存在であることを自慢するようなら、それは反逆罪なのである。」



●世界的に有名な天才バイオリニスト、ユーディー・メニューインの父親にあたり、反シオニズムの優れた学者であるユダヤ人モシュ・メニューインも、著書『現代におけるユダヤ教の堕落』の中で次のように述べている。

「預言者のユダヤ教が私の宗教であって、ナパーム弾のユダヤ教──戦闘的ユダヤ人の新しい実例──は、私に関する限りユダヤ人ではなく、ユダヤ人の道徳や人間性の一切の感覚を喪失した『ユダヤ人』のナチである。反シオニズムは、反ユダヤ主義ではない。」

 


天才バイオリニストの
ユーディー・メニューイン

彼の父親は反シオニズムの
ユダヤ人学者である

 

●反シオニズムのユダヤ人ジャーナリストであるアルフレッド・リリアンソールも、次のような指摘をしている。

(ちなみに、彼の父方の祖父はアシュケナジー系ユダヤ人で、祖母はスファラディ系ユダヤ人である)。

ユダヤ的遺産は明白であり、間違えられようがない。それは変わらずに続いてきた。一方、シオニズムは特定主義であり人種差別主義であるのに対し、ユダヤ教=ユダヤ主義は普遍主義であり人種統合主義である。

ユダヤ教はキリスト教やイスラム教と同じく一神教であり、つねに道徳的選択と人間と創造主の間の精神的結びつきを代表してきた。そこには狭量な排他主義の入る余地はほとんどなかった。それに対しシオニズムは、土地へ執着し、しかもその土地は2000年もの間ユダヤ人には属していなかったのである。

ユダヤ教は特定のどんな地理的境界とも無関係であることによって、今日まで生き延びてきた。ユダヤ人は主なる神に選ばれたが、それは特定の地を所有したり、自分たちの子どもを他人よりもえこひいきするためではなかった。彼らが選ばれたのは、ただ唯一の神しか存在しないというメッセージを広める任務のためであった。」

 

 
ユダヤ系アメリカ人のアルフレッド・リリアンソール。
反シオニズムの気鋭ジャーナリストであり、中東問題の
世界的権威である。(国連認定のニュースレポーターでもある)。

 

●前出のユダヤ人女性ルティ・ジョスコビッツも、著書『私のなかの「ユダヤ人」』(三一書房)の中で、次のように述べている。

「イスラエルの状況を知るにつれ、私は猜疑心の固まりになり、何故ユダヤ人が、という思いが絶望感とともに広がったが、たった一つ確信をもって言えることがあるように感じた。それは『選ばれた民』とか『ユダヤ人の純血性』を信じる時代は終わったのだ、ということだった。そしてそのうち、これらの言葉こそファシズムの常套語だったのだと知るようになった。

ユダヤ人は人種的民族的存在であると考えた人々が、この歴史上に2種類いた。

1つはヒトラーを頂点とする反ユダヤ主義者、もう1つはシオニストである。」


「ヒトラーのニュールンベルグ法は人種差別法として有名だが、そこには『父母または祖父母の一人がユダヤ教徒であれば、その人間はユダヤ人である』と規定してある。

イスラエルの現在採用しているユダヤ人定義は『母親がユダヤ人か、あるいはユダヤ教徒』というものである。そしてイスラエルは宗教法の支配のもとに、いよいよ非ユダヤ人差別を進めた。

これに対してユネスコは、イスラエルを人種差別国家であると非難した。もちろんイスラエルの側はそんなことを気にもかけていない。

ナチスは、同化を求めた人にさえ、『ユダヤ民族』というアイデンティティを与えた。その人々の死と引き換えに。そしてイスラエルも私たちに『ユダヤ民族』というアイデンティティを与えようとしている。そして今度はパレスチナ人の犠牲の上に、である。私はこのような身分証明はいらない。

 

 
(左)ユダヤ人女性ルティ・ジョスコビッツ
(右)彼女の著書『私のなかの「ユダヤ人」』。
この本は1982年に「集英社プレイボーイ・
 ドキュメント・ファイル大賞」を受賞。

 

 


 

■■第8章:シオニズムを批判するユダヤ人 〈2〉


●1961年にアメリカからイスラエルに移住した、ジャック・バーンスタインというユダヤ人は、イスラエルで生活を始めた時から、何か否定できない大きな違和感・失望感を抱くこととなったという。

彼がイスラエルで見出した真実は、イスラエルが「迫害されるユダヤ人のための宗教的避難地」などではなく、狂信的かつ急進的なシオニストの“警察国家”であり、威圧的な人種差別主義者の縄張り以外のなにものでもないということであったという。

 

 
パレスチナの一般市民に暴力をふるうイスラエル兵

 
パレスチナの子供に平気で銃口を向けるイスラエル兵

 

落胆と失望にさい悩まされた彼は、6年半の滞在ののち、アメリカに戻り(1967年12月)、『人種差別主義的マルクス主義的イスラエルにおける、一アメリカ・ユダヤ人の生活』(1984年)、『中東に突き刺さったトゲ、さらばイスラエル』(1985年)というユダヤ内部からの“告発の書”を公刊した。

(ちなみに彼はイスラエル滞在中に、イラクから来たスファラディ系ユダヤ人の女性と結婚した)。

 

 
(左)ジャック・バーンスタイン (右)彼の著書

 

●彼は「アメリカの福祉と平和のために、アメリカはイスラエルの無神論的マルクス主義的指導者たちを支持することを中止しなければならない。さもなければ、更に破滅的な結果がアメリカに襲いかかるだろう」との結論に達したという。

現在、彼はシオニストたちがアメリカに敵対的で、アメリカの奴隷化を企図しているという立場から、「親アメリカ・ユダヤ協会」というアメリカを愛する人達による組織を創設し、反シオニズム運動を展開している。

 

 

●ところで、現在、ジャズミュージシャンとして世界的に活躍しているギルアド・アツモンは、1963年にイスラエルで生まれたユダヤ人であるが、彼はシオニズムを厳しく批判していることでも有名である。

彼は、もともと極右シオニズムを信奉する家庭環境で育てられ、立派なシオニストとして成長したが、軍隊時代にシオニズムに対する不信が決定的になったという。

彼はイスラエルを鋭く批判した本『迷える者へのガイド』を書いたが、この本はイスラエルで刊行されたものの、わずか数週間で発禁処分をくらったという。(現在、彼はイスラエルを去り、イギリスで生活している)。

 

 
(左)ユダヤ人ジャズ奏者ギルアド・アツモン
(右)彼の著書『迷える者へのガイド』(東京創元社)

 

●彼の本(日本語版)は、日本では東京創元社から出版されたが、この本の訳者である茂木健氏は「訳者あとがき」の中で、次のように述べている。

参考までに紹介しておきたい。


「本書の風刺で中核をなしているのが、『集団的統合失調症』に陥ったシオニスト・ユダヤ人と、内部から自壊していったらしい機能不全国家イスラエルであることは明白すぎるほど明白だ。しかし、本書をユダヤ人によって書かれた反ユダヤ小説と速断するのは、あまりに軽率だと思う。たしかに、主人公であるウォンカーは同胞たちへの軽蔑を隠そうともしないし、憎悪すらうかがえる。

ところがインタビューでの発言を読むと、作者アツモンが攻撃しているのはユダヤ人全般ではなく、イスラエル政府と現代のシオニストたち、そして、その背後に黒々とそびえるアメリカ合衆国なのだ。」


「当然というべきか、本書を執筆したアツモンに対し、シオニスト側はヒステリックな罵声を浴びせかけた。

これに対してアツモンはこう語る。
『シオニストのアイデンティティとは、否定弁証法によって、つまり彼らの敵によって定義されることを忘れてはいけない……同じユダヤ人からの批判にさらされると、シオニストたちは大変な問題と直面してしまう。なぜなら、世界各地に住むすべてのユダヤ人にとって、「最終的解決策」がシオニズムのはずなんだから。ユダヤ人からのいかなる批判も、「撲滅」しなければいけないんだ』(『サンフランシスコ・インディメディア』より)」


「ほらね。『最終的解決策』とか『撲滅』とか、ナチスの語法をそのまま使って相手の神経を逆撫でするところなんかは、実にもう風刺家の面目躍如ではないですか。それなら、パレスチナの人びとやイスラム教徒についてはどう考えているのだろう?

アツモンはこう語っている。
『政治面でのぼくのメイン・テーマは、ムスリムとユダヤは文化的に最も近しい存在であるということ。1万4000年も続いてきたこの調和を壊そうとしたのは、シオニストが犯した最大の罪だね』(『fROOTS』誌より)


「アツモン自身のホームページには、彼の主張がこう明言されている。

『一刻も早くあのシオニスト国家を解体し、誰もが真に平等な国をつくらねばならない』

このような視点を分かりやすく集約したのが、最新作のアルバム『EXILE』(亡命者の意)だ。自筆のアルバム解説から引用する。

『あれほど長いあいだ塗炭の苦しみをなめてきた人々(ユダヤ人)が、なぜパレスチナ人という他者をここまで苦しめられるのだろう? 故郷へ帰りたいという純粋な願いに衝き動かされていたシオニストたちが、なんら変わることのないパレスチナ人の願いに対し、なぜあそこまで盲目になれるのか?……このアルバムは、パレスチナの苦難に注意を喚起するための作品だ。パレスチナの人々が絶対的に有している帰還の権利を、世界に認めさせるための祈りだ』 」

 


ジャズミュージシャンとして活躍中の
ユダヤ人ギルアド・アツモン


↓彼の公式サイト 
http://www.gilad.co.uk/html%20files/politics.html

 

 


 

■■第9章:シオニズムを批判するユダヤ人 〈3〉


●現在、パレスチナの支援活動をしているアメリカのユダヤ人女性バーバラ・ルーバンも、

かつては熱烈なシオニストであったという。

 


アメリカのユダヤ人女性
バーバラ・ルーバン

 

●1967年、イスラエルが周囲のアラブ諸国の大軍をほんの6日で打ち破った第三次中東戦争は、彼女を狂喜させたという。

また、1982年、イスラエルがレバノンに侵攻し、爆撃や虐殺で多数のアラブ人、とりわけパレスチナ人が殺戮された事件も、当時のルーバンにとってユダヤ人としての良心を痛める出来事ではなかったという。

彼女は「アウシュヴィッツに代表されるユダヤ人の迫害は、ユダヤ人には二度と起こってはならない。そのためには、ユダヤ国家イスラエルは強大であり続けなければならない。レバノン侵攻もそのためには必要だった」、というシオニズム特有の論理に染まっていた。それは、自分の成長の過程において最も重要な影響を与えた両親から教えられたことだったから、それが間違っているかも、と疑うことなど、当時の彼女には考えも及ばなかったという。

 

 

●そんな「熱烈なイスラエル支持者」のルーバンの転機となったのは1984年、大統領候補として立ったジェシー・ジャクソンとの出会いだったという。ジャクソンとの出会いが、彼女のイスラエル観とパレスチナ人観を180度変えた

ジャクソンの選挙運動に参加するまで、彼女は一度もパレスチナ人と出会ったことがなかった。彼女の描く「パレスチナ人」とは、「ユダヤ人の赤ん坊を殺戮するテロリスト、それを代表するアラファト」のイメージであった。

だが、選挙運動を通して知り合ったパレスチナ人は、そんな「残忍な怪物」ではなく、ユダヤ人と同じように教養のある、人間性豊かな人々であった。

しかしルーバンは、イスラエルの政策に反対することは「反ユダヤ主義」ではないことを理解するまでに、長い期間を要したという。

 

 
(左)イスラエル(パレスチナ地方)の地図 (右)イスラエルの国旗

 

●1987年、ルーバンは、イスラエル占領地の調査団の一員としてイスラエルを訪問する機会を得た。彼女は自分の目でパレスチナ難民の現実をまざまざと見た。

「信じられなかった。ただ、信じられない出来事だった…」

占領地で見た出来事をルーバンはそう形容した。

彼女がパレスチナ人の家に招かれて食事をしている時、突然、上空をイスラエル軍のヘリコプターが旋回して、上空から催涙弾が投下されたという。そして村人が逃げまどう間、今度は実弾を地上に向けて乱射し始め、人々は催涙ガスのために家の中にいることもできず、かといって銃撃のために外に出ることもできず、おろおろするばかりであったという。

 


イスラエル国内を巡回するイスラエル兵

 

●また、彼女は目の前で、視察団を歓迎する村人のデモをイラスエル兵が急襲し、デモに参加していた12歳の少年が、イスラエル兵に意識を失うまで殴られるのを、目撃したという。

現場の写真を撮った瞬間、兵士たちが、今度はその彼女たちの視察団の所へ走り寄ってきてカメラを強奪し、中からフィルムを抜き取ってしまったが、この時、彼女は蛮行を働くその兵士たちをまじまじと見て、「これが、かつて誇りに思ったイスラエル兵の素顔なのか」と胸が潰れる思いがしたという。


また、占領地のあちこちで、銃弾で片目を奪われた赤ん坊や、片腕をなくした少年を抱く母親、息子を投獄された母親、子供や夫を撃ち殺された母親などに接するに従い、1人の母親である彼女の中に抑えがたい怒りがこみ上げてきたという。

 

   


  


   

 

●帰国後、ルーバンは一人の人間としての良心に突き動かされ、活動を開始した。傷ついたパレスチナ人の子供たちの医療活動を支援するため、彼女は個人や団体組織に寄金を呼びかけ、「中東の子供たちのための同盟」を設立した。この理事には下院議員や大学教授、さらに作家や映画俳優らが名を連ねた。

この「中東の子供たちのための同盟」の共同推進者となったハワード・レビンもユダヤ人である。彼はサンフランシスコ市のある新聞社の記者であった。「中東の子供たちのための同盟」設立の記者会見に取材にきたレビンは、ルーバンの主張と行動に共鳴し、ついに記者の職を投げ出し、この運動に飛び込んだ。

「私はユダヤ人だが、イスラエルのやり方、シオニズムの考え方にうんざりしていた。私もユダヤ人の一人として、何かをやらなければと思っていたところだったんです」とレビンはルーバンに協力を申し出たのだった。

 


反シオニズムのデモに参加する
バーバラ・ルーバン

「私たちはイスラエルの占領に反対するユダヤ人」
と書かれたプラカードを持っている

 

●イスラエルの政策に反対する態度を明らかにしたルーバンに、主流ユダヤ組織は噛み付いてきた

イスラエルのために議会工作をするイスラエル・ロビー団体「AIPAC」が、サンフランシスコ市で、大統領候補やその選挙運動員らを招いて開いたパーティーに、彼女が参加したときのことだ。

演壇に立った候補者たちは、自分がいかに議会でイスラエルを支持してきたかを訴えた。ユダヤ人から選挙資金と票を引き出すためである。一方、いまアメリカが抱える大きな社会問題である“ホームレス”の問題について語る者はほとんどいなかった。



「AIPAC」のシンボルマーク

「AIPAC」は、ワシントンで最強のロビー団体であり、
イスラエルに有利な動きを促進し、不利な動きをつぶすため、
議会や政府に強力に働きかけることを任務としており、実質的
にはイスラエルの「第2外務省」の役割を演じている。
(会員は現在5万人を超える)

 

●ジェシー・ジャクソンの選挙運動員として参加したルーバンは、その席で、社会の底辺で生きる民衆の救援のために活動するジャクソンについて語り、またパレスチナ人を抑圧するイスラエルの政策を非難した。

演壇から降りた彼女は、親イスラエルのユダヤ人たちに囲まれた。

「ユダヤ人なのになぜイスラエルの政策に反対するのだ。お前は“自己嫌悪するユダヤ人”だ!」と、彼らは、ルーバンを口汚く罵ったのだった。


●ルーバンは語る。

「シオニストはイスラエルに対する不満や非難を、ユダヤ人の間だけにとどめておきたいんです。もし公にしたら、反ユダヤ主義が堰を切ったように吹き出し、それが全世界に蔓延すると、イスラエルが破滅してしまうと考えてしまうんです。

しかし、ユダヤ人が自ら非難の声を上げなければ、むしろイスラエルはさらに孤立し、本当の反ユダヤ主義が世界中に広がってしまう。

これこそがもっと危険なことなんです。ユダヤ人の沈黙がそれを許してしまう。私が最も嫌悪するのは、ユダヤ組織が『我々ユダヤ人はイスラエルを守らなくてはならない』という名目で、イスラエル非難の声を封じてしまうことなのです。」

 

──追加情報──

 

 
銃撃戦に巻きこまれ、イスラエル兵によって
射殺されたパレスチナ人親子 (2000年9月30日)

取材中のテレビクルーの前で起きたこの決定的瞬間の映像は、
各国のニュース番組で放送され、全世界の人々に大きな衝撃を与えた。

※ この映像を撮影した「フランス2」のカメラマンは次のように語る。

「あの映像が人々に衝撃を与えたのは、子供があんなふうに無慈悲に
殺された、という事実の故であって、たとえ少年がイスラエル兵であっても、
そのことは同じだったはずだ。あの父と子は45分間、イスラエル兵に自分たちを
射撃しないよう訴え続けたが、無視された。だから、わき起こった『怒り』は、
パレスチナ人のためではなく、『人間としての怒り』である。誰もが
『すごい映像を撮ったね!』とお祝いを言ってくれるが、私は
自分が見た、あの光景が悲しくてたまらない。殺された
少年の記憶は、決して私から離れないと思う。」

 

─ 完 ─

 


 

■■追加情報: シオニズムを批判するユダヤ人 〈4〉


●2000年6月に出版された『ホロコースト産業』という本は、国際的な反響を呼び起こした。

ブラジル、ベルギー、オランダ、オーストラリア、ドイツ、スイスなど、多くの国でベストセラーリストに入った。フランスの『ル・モンド』紙は、2ページ全部を費やしてそれを批評し、その他に解説も書かれた。ドイツでは発売後2週間で13万部も売れた。

しかしこの本は、アメリカでは主流メディアから完全に黙殺され続け、9ヶ月でわずか1万2000部にとどまることになった。

 



『ホロコースト産業』

同胞の苦しみを「売り物」にする
ユダヤ人エリートたち


ノーマン・フィンケルシュタイン著(三交社) \2000

 

●この本の著者であるノーマン・フィンケルシュタインは、ニューヨーク市立大学で教鞭をとるユダヤ人社会学者で、ノーム・チョムスキーの弟子である。

フィンケルシュタインの両親はヨーロッパからの移民で、ワルシャワゲットーと強制収容所の生き残りであり、彼によれば、両親以外の親族は、父方も母方も全てナチスによって殺されたという。

 


ユダヤ人社会学者
ノーマン・フィンケルシュタイン

 

●彼が書いたこの『ホロコースト産業』という本は、簡単に言えば、反シオニズムのユダヤ人学者(著者)が、アメリカのユダヤ人エリートたちを「ホロコーストを商売にしている!」として痛烈に批判している本である。(アメリカのユダヤ人エリートたちが、「ホロコースト」を自分たちの私利私欲のため、イデオロギー的・金銭的に利用しているとして告発している本である)。

著者のフィンケルシュタインによれば、「ホロコースト産業」に従事するシオニストたちは、「ホロコーストを脅迫の道具に使い、被害者の数を水増しするなどして多額の補償金を得て」いるうえ、「それが一般のユダヤ人被害者の手に十分渡らず、団体幹部たちの高額の給与や、イスラエルの入植政策などに使われている」という。


●この『ホロコースト産業』という本には、様々なシオニスト組織の名前が登場している。「世界ユダヤ人会議(WJC)」、「ユダヤ名誉毀損防止連盟(ADL)」、「サイモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)」、「世界ユダヤ人損害賠償組織(WJRO)」などなど。


●この本に興味のある方は、ココをご覧下さい(本の内容を簡単にまとめておきました)。

 

 


 

■■追加情報 2: シオニズムを批判するユダヤ人 〈5〉


●ニューヨーク生まれのユダヤ人レニ・ブレンナーは、反シオニズムの著名な歴史研究家である。

彼の著書『ファシズム時代のシオニズム』(法政大学出版局)は、戦時中の「ナチスとシオニストの親密な関係」について書かれたものである。

この本は、京都大学大学院の高橋義人教授が「書評」を書いている。
参考までに、下に転載しておきます。

 

 
(左)ニューヨーク生まれのユダヤ人レニ・ブレンナー
(右)彼の著書『ファシズム時代のシオニズム』

 

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<書評>


『ファシズム時代のシオニズム』

レニ・ブレンナー著(法政大学出版局・4800円)



─ ナチスとシオニストの知られざる関係 ─

 

周知のようにナチスはユダヤ人を迫害し虐殺した。

では当時、ドイツのユダヤ人たちは反ナチス運動を行なったのだろうか。否である。たしかにナチスに反対して戦ったグループもいるにはいた。しかしイスラエルの国の建国を目指すユダヤ人(シオニスト)は、むしろ積極的にナチスに協力したのだった。

本書(著者はユダヤ人)は、ドイツやイタリアのファシズム下におけるシオニズム運動の実態を暴露した、驚くべき本だ。当時の西欧には、西欧に同化しようとするユダヤ人と、そうしないユダヤ人とがいた。同化しようとしないユダヤ人や、同化しようとしても同化しきれないユダヤ人は、西欧諸国で嫌われていた。西欧にとどまっている限り、自分たちはいつまでも異邦人である。そう思った人たちはシオニズム運動を起こすにいたった。

その後まもなく誕生したナチズムは、公然とユダヤ人を非難した。そのときシオニストたちは、ナチズムは西欧への同化主義の失敗を証明するものだと考えた。ヒトラーも言い当てたように、われわれユダヤ人は西欧の中の厄介な異分子である。自分たちはもはや西欧には生きられない。実際、ナチスはわれわれユダヤ人を国外に追い出そうとしているではないか。ならば、われわれが行くべきところはパレスチナでしかあるまい。

そう信じたシオニストたちは、ヒトラーにシオニズム運動の支援を依頼した。むろんヒトラーはその依頼に応え、彼らを巧みに利用した。一時期、ナチズムとシオニストのユダヤ人たちは相当に親密な関係にあったのである。

イデオロギーの面でもナチズムとシオニズムは似ていた。リベラリズム軽蔑、民族至上主義、人種差別主義。これらが両者の接点だった。そしてもしもこんなイデオロギーがイスラエルをいまだに支えているとしたら、今日の中東問題の根は絶望的なまでに深い。多くの日本人は「ユダヤ人」問題に無関心だが、それだけに一読してもらいたい本である。


評者・高橋義人氏 (京都大学大学院教授・ドイツ思想史)

 


★ナチスとシオニストの知られざる関係に興味のある方は、

↓このファイルをご覧下さい。

「ナチスとシオニストの協力関係」

 

 


 

■■追加情報 3: シオニズムを批判するユダヤ人 〈6〉


●下のサイトは、「シオニズム」に反対しているユダヤ人のサイトである。

興味のある方は、訪問してみて下さい。


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「Jews Against Zionism」
http://www.jewsagainstzionism.com/

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「NETUREI KARTA」 (超正統派ユダヤ教徒グループ)
http://www.jewsnotzionists.org/

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●このユダヤ人のサイトをご覧になれば分かるように、シオニズムとユダヤ思想は別物であり、「反シオニズム=反ユダヤ主義」ではないのだ。このユダヤ・グループ以外にも、シオニズムを批判しているユダヤ人は多く存在している。


ところで、このサイトの内容を見ると、「シオニストはナチスと協力して、ユダヤ人に損害を与えた」と書かれてある。当時、ドイツとイギリスの外交交渉で、ユダヤ人はパレスチナ以外の「イギリス植民地」に追放することで話がまとまっていたという。

しかし、シオニスト指導者が、あくまで「パレスチナ」にこだわったために、ドイツから「イギリス植民地」への移動ができず、ホロコーストが始まってしまったのだという。つまり、シオニストの政策のために、救えたはずの命が奪われたというわけだ。

 

 


 

■■おまけ情報: ユダヤ人の“ブラック・リスト”


●パレスチナ人の存在そのものを否定する過激な
極右ユダヤ人のサイト「masada2000.org」に面白いユダヤ人リストがある。


●それは「ユダヤ人であることを自己嫌悪するユダヤ人」と
「イスラエルの存在を脅かすユダヤ人」の名前を載せた“ブラック・リスト”である。

↓いろいろな人物(ユダヤ人)の名前があるので、興味のある方はどうぞ。

Self-Hating and/or Israel-Threatening LIST (= SHIT LIST)
http://masada2000.org/list-A.html

 

 


 

「キリスト教シオニスト」の実態

 


 


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